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  • 合戦図小柄 後藤傳乗 Denjo Kozuka

    合戦図小柄後藤傳乗合戦図小柄後藤傳乗傳乗は元乗を初代とする喜兵衛家の4代目。江戸前期から中期に活躍。合戦図で川と橋のある場面で有名なのが、源頼政挙兵時の「橋合戦」、義経が京の義仲を攻撃した「宇治橋の合戦」。どちらの場面かこの作だけでは分からない。橋板が外されていない点も見どころか。三所物とされたものであろう、他の金具に答えがありそうだ。合戦図小柄後藤傳乗DenjoKozuka

  • 駒引猿図小柄 後藤俊乗 Shunjo Kozuka

    駒引猿図小柄後藤俊乗駒引猿図小柄後藤俊乗俊乗は後藤八郎兵衛家二代。寛永十一年~享保六年、江戸時代中期の活躍。鎌倉時代、馬小屋で猿が一緒に飼われていたことを示す絵画があるように、馬と猿は深い関係があった。駒引猿図は決して多くはないのだが、武家の伝統を示す図として好まれていたようだ。赤銅魚子地高彫金色絵の、後藤家らしい作風。駒引猿図小柄後藤俊乗ShunjoKozuka

  • 軍馬図小柄 後藤悦乗 Etsujo Kozuka

    軍馬図小柄後藤悦乗軍馬図小柄後藤悦乗後藤悦乗と極められている小柄。松樹を倒さんばかりに綱を引く力強い馬の存在感がいい。気性の強い馬を乗りこなす武将の話は源平合戦の時代からある。度々紹介している宇治川先陣の図も、頼朝の気性の強い愛馬をめぐる物語が背景にある。加賀前田家は文化芸術に力を入れた大名。後藤家の力を借りたのも金工芸術の発展を考えてのこと。後藤宗家の作に比較して華やかな印象があり、加賀後藤と呼ばれる。軍馬図小柄後藤悦乗EtsujoKozuka

  • 三五桐紋散図鐔 後藤悦乗 Etujo Tsuba

    三五桐紋散図鐔後藤悦乗三五桐紋散図鐔後藤悦乗後藤悦乗と極められている無銘の鐔。悦乗は、後藤家の分家の一人で、加賀前田家にも出仕した名工。このように、後藤本家から分家した後藤家を、京後藤、傍後藤などと呼んでいる。あるいは脇後藤などと呼ばれて一格も二格の低く評価されがちだが、本家の作に決して劣らない、優れた作品を遺している。日本刀専門店銀座長州屋三五桐紋散図鐔後藤悦乗EtujoTsuba

  • 水月図縁頭 後藤光邦 Mitsukuni Fuchigashira

    水月図縁頭後藤光邦水月図縁頭後藤光邦光邦は悦乗と同人。水月は尾張柳生厳包が意匠した鐔にも存在する意匠。柳生流剣術の意味を秘めている。赤銅魚子地高彫に金銀色絵。デザインが優れている。波間に見え隠れする三日月。もちろんこのような風景など存在するわけがない。心象風景に他ならない。寛永十九年‐宝永五年。江戸時代中期の活躍。いわゆる京後藤は、後藤宗家から分家した後藤の流れを指す。宗家に比較して一段低く評価されているところもあるが、そもそも無銘物が多い状況下で、宗家と極められた作品の数の多さに比較して、京後藤と極められた作が少ないのはどうした事だろう。日本刀専門店銀座長州屋水月図縁頭後藤光邦MitsukuniFuchigashira

  • 寿老人図小柄 後藤悦乗 Etsujo Kozuka

    寿老人図小柄後藤悦乗寿老人図小柄後藤悦乗朧銀地片切彫の技法で彫り描いた作。時代の上がる後藤家の作風は、赤銅地あるいは金無垢地を基本とし、小柄であれば魚子地に高彫、金色絵あるいは金象嵌を加えて装飾とする。もちろん例外はある。ところが江戸時代に入ると、装飾性に多様性が求められ、宗家以外、即ち京後藤と呼ばれる分家の金工、中でも加賀前田家に仕えた金工などは宗家には見られないとても華やかな作品を製作している。この小柄も、後藤家にはない朧銀地を主体にしている。高彫ではなく片切彫であるところも興味深いところである。日本刀専門店銀座長州屋寿老人図小柄後藤悦乗EtsujoKozuka

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