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  • 路傍の如来の説法−5〈残暑の頃の集い①〉

    上野の森の木々も隙間を塞がんとするが如く精一杯に繁り.まだその勢いの衰えを見せぬ日差しは大地を焦がすが如く照り付け.時折り吹いてくる涼風が仏衣の裾を揺らし、行く夏を惜しむかの如く鳴き交わす蝉の声に.秋の足音を感じる残暑の頃、人々は別段に示し合わす事もなく再び導かれるように集まってきた。上野駅の不忍口を出ると.いつもと同じように辻に立たれる[路傍の如来]を拝し.その湧き上る歓喜を抑えつつ近づき低頭合掌し.路傍の如来の持鉢に僅かな施与をすると.路傍の如来が微笑み指し示す空地へと右回りに移動して路傍の如来が行を上げられるのをお待ちした。 昨晩降り続いた雨の湿気で蒸し暑さを感じながら、皆それぞれに前の…

  • 主観的思考

    釈迦尊(ブッタ)は明確にそして適切に仰った 「もし人が一切の妄想から離れる事が出来れば、人は汎ゆる苦悩から完全に解放される」人は心のプロセス(五蘊作用)を.正しく理解しなければ.心を真に浄める事も.汎ゆる自らが造り出す苦悩(ドゥッカ)から解き放たれる事も出来ない。先ず主観とは.内部からの汚穢な刺激(内部アーサバー)または外部からの汚穢な刺激(外部アーサバー)に対する五蘊作用によって現れているだけ。 だから状態.状況.心処により主観とは定まる処のない感情的なものに過ぎないが、人は間違い.勘違い.偏見.主観などの色付きのフィルター(色メガネ)を通して物事を見て.判断しているのである。そんな主観を自…

  • 所有の次元と存在の次元

    〘所有の次元〙と〘存在の次元〙社会は事物を所有してゆく事により垂直的(積層的)に[所有の次元]を形成し、その所有量と質を以って人間としての価値判断の尺度とする事により却って無明(無知)と盲目性を深めて行く所有の次元の事物とは.本質的には手段としての価値(付随物)に過ぎない便宜的なものであり、決して目的ではない.にも関わらず必要以上に人を執着させ貪らせ魅入らせる。所有の次元の事物への執着により.無常.短命.一時的な感覚的幸せを得るのと.引き換えに多くのドゥッカ(不安定さ.苦.悩み.心痛.…)を生じさせている本質の.便宜的な付随物に過ぎないと見定め.自らの存在としての価値を、磨き.高め.深め.清め…

  • 仏教は現実主義

    仏教を語る上で、お釈迦様が現実主義者で在られた事を理解しなければならない。 そんな基本さえ理解出来ないような妄想的.神秘主義的.虚妄を愛する大衆への迎合的な者達の手により.真理(真実.現実.事実.実相)を説く純粋で頂乗な仏教は歪められて来たのが現実である。 先ず、ヨガ(瞑想法)の指導者であったアーラーラ・カーラーマやウッダカ.ラーマプッタの元で瞑想の修行をなされていた.お釈迦様が何故.彼らの元を離れて単独での修行に入られたのかについて[彼らの指導する瞑想法では.自らが追求する真理(苦の滅却)を得る事は出来ない]ことを覚られたからだと説かれていますが、では[彼らの瞑想で得られる物とは何?][お釈…

  • 即今実存

    甘露の門は開かれた.目ある者は見よ禅語に[即今.当処.吾]や.[喫茶去]という似たような言葉がありますが、多少お釈迦様の本意から外れた解釈が為されているように見受けられ.ここに改めて路傍石が「即今.実存」と説こうと思います。 本質的には現象に過ぎない存在である[自分]にとり、唯一の実存的存在性は今という一瞬だけであり、過ぎ去った過去の記憶も.只の幻影に過ぎず、これから到来するであろう未来も.只の妄想に過ぎないのです。 過去や未来に捉われ.拘り.執着して、今という一瞬を疎かにする事こそ[愚の骨頂]なのです。 過去はどうあれ.それは[今にどう活かすか]だけのものであり、未来がどうあろうと今という一…

  • 仏道は犀角独歩に歩むもの

    【甘露の門は開かれたり.耳ある者は聞け】 ⭕仏道は犀角独歩に歩むもの 立ちたいと欲して立て、座りたいと欲して座れ、歩きたいと欲して歩け、走りたいと欲して走れ、眠りたいと欲して眠れ 世界は[意志と表象としての世界]であり、心の底から湧き上がる内発的な欲求を行為の動機とする悪しくない意志の具現こそが顕貴(ときめく)ような喜びや幸せへの方向であり.善因であり.甘露なる善果を得る道なのです しかし未熟.愚か.怠惰.意志の弱い.無責任.自我なものたちは、易きに流れ.感覚に誑かされるものであり.その為の戒であり.律である.戒律を軽ろんじ.自惚れ.嘯く.寝呆けた者には金剛たる成仏はなし。⭕自灯明と法灯明 如…

  • 感覚的享楽

    感覚的享楽 ⭕魅惑し.魅力し.享楽を生じさせるもの事 ⭕悪い結果.状況の変化.飽き.別離によるドゥッカ(苦.悩み.心痛.不安定さ.儚さ.不満……) ⭕自由あるいは解放 悲観的でも楽観的でも刹那的にでもなく、人生の享楽を.その痛みと悲しみと空しさ、そしてそれらからの解放を含めて、完全に.冷徹に.客観的に理解する事により、初めて真の自由は得られる。 ⭕修行者あるいはバラモンが[感覚的喜び]による享楽を[享楽]として、自らの心が[感覚的喜び]によって真に満たされない事を、真に満たされない事として.そうした[感覚的喜び]による欲望や執着からの解放を[解放]として.客観的に理解しなければ、自身が[感覚的…

  • 無明

    世間と言うものは.実は真理(事実.真実.現実. 実相)を素直に認める性格は持ってはいないのです。 いつの時代でも大衆とは[虚妄]に興味を惹かれ.[虚妄]を愛して.[虚妄]に魅入られてしまうものなのです。 信じるという事は.本当に物事を理解し.物事が見えているという事ではないのだが、人は盲目的でありながらも物事が見えている理解できていると自惚れ錯覚しているのです。 伝統的なこと.思い込み.権威.通説.習俗.信仰.迷信.先入観.文化的価値観.暗示:錯覚固定観念.既成概念..などが優先的に信頼され、人々に事実を理解させる事はひどく骨の折れる作業を伴うものでもあるのです。 何しろ.いつの時代でも大衆と…

  • 今日も気付いた事がある

    「お互い様とお陰様」 露と生まれし人の身で 無明の闇を振り払い この世の真理を見透して 死ぬるに優る幸せはなし 森羅万象 有り難きかな 如来品正師 多々方路傍石⭕今日も気付いた事がある特に、承認欲求.自己顕示欲.欲望.見栄.自我意識など所有の次元の事物への欲求.執着が強い.欲深く.心の貧しい人は.満ち足りる事を知らず、不満を携えて.その場凌ぎの感覚的喜びに魅入られて.短命な現象に過ぎない感覚的喜びを探し求めて彷徨う餓鬼の如し、足るを知らぬは煩悩(存在欲)の具現でなり、知性(理性)と智慧を以って人となる。⭕今日も気付いた事がある悟り.覚りに、出家.在家の門はなし唯、もの事をよく見て.聞いて.分析…

  • 喜び.快楽.幸せを求めて

    人は皆、喜び.快楽.幸せを求めて生きている、例え此れから死のうとする人でも.ガソリンを買い込み火付けを目論む罪人でも.他者をひれ伏せようと攻めたてる人でも、皆.その中に喜び.快楽.幸せを見い出すからに他ならない。 ⭕人々が[喜び.快楽.幸せ]だと思い.錯覚しているものとは、感覚器官(眼耳鼻舌身)と意識に刺激を与えているだけでしかなく、それは条件により生じ.条件により消えてしまう性質の儚く無常な現象に過ぎないものに執着しているだけ。 心苦も同じ行程を経て生じ.執着しなければ消えてゆく性質のもの。 ⭕気を紛らわす(外世界への集中) ドゥッカ(苦しみ.悩み.心痛.不満.空しさ...)が蓄積してくると…

  • 自我と自分

    今日は[自我]という世俗諦への重大なテーマと[自分]という存在に付いて説こう。 釈迦尊(ブッダ)の入滅後.この[自我]と[無我]が正しく理解されない処から世俗諦の多くの誤解や間違った見解や観念が生み出されて来たとも言え.幾百千の気付き(小悟)から始まって[無我.アナッタ]を証得するのが世俗諦(諸法無我)であり、仏教の一大テーマである生死の実相を含めた.この世界の真理(理法.ダルマ.天地自然の法則・諸行無常)を透察(透視)し.絶対叡智の顕現を以って真理(真実.事実.現実.実相)を理解し、無明を捨て去り離れ(捨離)、目覚め(覚醒)、乗り越え(超越)、解き放たれ(解放)されるのが勝儀諦(大悟)である…

  • 智者は[今]を生きる

    「智者は縛られず」 釈迦尊(ブッダ)は仰っている。 智者は昨日を悔いたり明日を心配せず、とにかく「今」を生きている。だから毎日が輝いているのだ。 愚者は昨日を悔い、未だ来ぬ時を憂い、「今」を見ようとしない。 青くとも刈り取られた葦には命がないように愚者も真に生きているとは言えない。 過去や未来を思い煩うな。未来を期待し過去を悔いて居ては、煩悩を招いて何れ刈り取られた葦のように萎びてしまう。 過去を悔いず縛られず、未来を期待し縛られなければ苦悩を招くこともない。 今を見つめ一瞬一瞬に没入して、今をしっかり生きてこそ心身は健全となるのだ。 智者は無心に観じ、すべてに没入し時空に身を任せる。 自分と…

  • 路傍の如来の説法-4 <初冬の集い.顕貴の集い>

    自分を高め世界を変える真正な仏教 覚醒.目覚め.超越.乗リ越え.解放.解き放て. 路傍の如来の説法 【初冬の顕貴(ときめき)の集い】 僅かに吹く風にも冷たさが感じられる初冬の上野不忍口前にいつものように路傍の如来は立って居られた。 上野の森の絨毯を引き詰めたような紅葉の彩を際立たせているお天道様が天中へ昇る少し前頃、路傍の如来の説法に欠かさずいつも参加している口数少なく発言も凡そしない若い学生が同じ年齢ぐらいであろう学生風の若者達五人を伴って訪れ低頭合掌してから施与を済ますと路傍の如来に語り掛けた。 路傍の如来よ、今日、如来の辻立ちの邪魔となりご迷惑だろうとも思いましたが路傍の如来がお帰りにな…

  • 路傍の如来の説法-3 <秋口の集い>

    自分を高め世界を変える真正な仏教 覚醒.目覚め.超越.乗リ越え.解放.解き放て. 【路傍の如来.説法録 その三】 【秋口の集いでの説法】 夏の暑さも大分と和らぎ、吹く風もだいぶ穏やかに感じられる秋口ともなり、西の山々も微かに色付き始めたある朝、人々は、再び思議できない力に導かれて集まってきた。 そんな人々も、しっとりと露を含んだ青葉の繁る上野公園を背景にした不忍口までやって来ると、秋口の日差しを背に受けて光背を背負うが如く立って居られる路傍の如来を目にとめると、皆、目を輝かせて路傍の如来へ歩み寄り、施与を施し合掌低頭して路傍の如来の周りを右回りに回ると、隣り合う空地へと移動して敷物に腰をおろし…

  • 路傍の如来の説法−2〈初夏の集い〉

    【路傍の如来.説法録。その二】 【初夏の集いでの説法】 上野の森の木々も勢いを増した日差しを浴びて萌えるような緑に覆われ、吹く風もだいぶんと温かく感じられる蝉も穴から這い出しちらほらと啼きだした初夏の頃、人々は別段に示し合わす事もなく再び導かれるように集まってきた。上野駅の不忍口に着くと前回と同じように辻に立たれる路傍の如来を拝してその湧き上る歓喜を抑えつつ近づき低頭合掌し鉢に僅かな施与をし路傍の如来が微笑み指し示す空地へと右回りに移動して路傍の如来が行を上げられるのをお待ちした。 昨晩の雨露を含んだ青葉の繁る森を眺めながら、皆それぞれに前の集いを思い返しながら前の集いからの気付きや疑問やその…

  • 路傍の如来の説法−1〈晩冬の集い〉

    自分を高め世界を変える真正な仏教 覚醒.目覚め.超越.乗リ越え.解放.解き放て【路傍の如来.説法録.その一】 晩冬の集いでの説法 開経偈 南無 到達者であり正覚者たる彼の釈迦尊(ブッダ)を礼拝します 到達者であり正覚者たる彼の釈迦尊(ブッダ)を礼拝します 到達者であり正覚者たる彼の釈迦尊(ブッダ)を礼拝します 滅する事なく生ずる事もなく、断絶も常在もなく、一つの事でも異なった事でもなく来る事も去る事もない因果律(縁起)、本質的には真実を表現できない不毛で虚妄なる言語(プラパンチャ)というものによっては、かくの如く決して表現され得ない深淵なる因果律(縁起)と三つの真理(三法印)と四つの道(四聖諦…

  • 依り処(精神的支柱)

    無明に生まれし人の身は、本質的.盲目的なドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦しみ.不安.恐怖.迷い……)により、保護.安全.安心.恩恵を渇望し、自己保存.自己防衛の為には何かしらを依存する依り処(精神的支柱)として.一時的安定を辛うじて保ちながら生きている存在であり、妄迷と迷信に被われた世界に出現した革新的な教説が仏教であり、得体の知れないものへ依存し依り処(精神的支柱)として盲目を深める人々に、真の救いである真理(真実.現実.事実.実相)を依り処(精神的支柱)とした堅固で開明的な安らぎの世界がある事を説いたのが智慧(叡智)を前提とする如来の教えであり、如来が指し示す真理(真実.事実.摂理.実相)…

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