最近…思うこと。①仕事が忙しいことから悲しみを忘れる。②辛いことを忘れたいから仕事に没頭する。③その反動で薄れていた悲しみが、突然襲ってくる。④今もどこかで嫁さんを探している。⑤愛していたこと、愛されていたことを改めて実感する。⑥最愛の人、かけがえのない
最近…思うこと。①仕事が忙しいことから悲しみを忘れる。②辛いことを忘れたいから仕事に没頭する。③その反動で薄れていた悲しみが、突然襲ってくる。④今もどこかで嫁さんを探している。⑤愛していたこと、愛されていたことを改めて実感する。⑥最愛の人、かけがえのない
捻挫してから山には行っていない。踏ん張ると少し足が痛むことがあったからだ。ただ母ちゃんが足腰弱らないようにと土曜日に山へ。登りはなんともない。降りはどうだろうか。特に問題はないが、膝が笑っている。久しぶりということもあるが、体力が落ちているのだろう。山降
午前3時半ごろ、突然体がつった。体がつるということは、筋肉が伸縮バランスを崩している事で、異常な収縮を起こし、元に戻らない状態。 お陰で目が覚めた。激痛で1人ホテルのベットで悶えていた。30分で直ったが、鼻が詰まっている。反対側を向うとしたらまた体が攣り始める
少し熱がある。自力で毛布、オイルヒーター、加湿器を準備。熱が治まるのをジッと待つしかなかった。玄関でピンポンと鳴る。宅急便だ。疲れているが、受け取りだけする。もうお昼過ぎか…また少し嫌悪感がある。熱を測らなくても体の調子で分かる。食べる気が起きない。とり
疲れている。今週も疲れた。月曜日振替休日、木曜日有給…なのに心が疲れている。土曜日、嫁さんの実家でくつろいだが、何故か帰りはぽっかりと穴があく。そこには嫁さんが居ないからだ。そう…年をとっても幸せな人生を2人で共に歩むはずであった。忙しくしているだけで、心
まさかの時に備えてはいなかった。先に逝くと思っていた。そうなるべきだったのではないか…ただ計画通りにならない、そうならないのも人生。残された者として、嫁さんと暮らした家でこの先の人生を見つめ直そうとしている。これからも毎日生きていかなくてはならない。ひと
水曜日、木曜日と仲間に囲まれて酒を飲んでいた。死別したことも忘れているくらい楽しい時間帯を過ごした。このところ出張が多い。家に帰ると、とてつもなく孤独を感じる。嫁さんのことを思い出し涙する。嫁さんの名前を呼べど会えることはない。今週も酒を飲み過ぎるくらい
ある日、森の中熊さんに出会った…そうしたら生きるか死ぬかだね。今、まさにマーケティングと差し違えるつもりで戦っている。マーケティング:貴重な情報共有いただきありがとうございます。セールストレーニングの資料確認しました。競合比較などがメインなので、堂々と社外
ずっと出張が続いている。そして接待などで遅くなる時もある。帰りはいつも夜遅くというか午前様。金曜日、祝日なのに仕事であった。新大阪に着いたのは23時前か…何となく嫁さんの姿を探すも見つからず、頭の中ある残像に心の中で手を振る。ただいま。家に帰ってよく嫁さん
結婚後、様々な変化があった。会社が吸収合併、東日本大震災による不況、コロナ等々…。でも一番大きな変化は嫁さんという大切な人の死。大切にしていたものを喪ったことだ。幸せだったころに戻りたい…今は悲しいだ。嫁さんと過ごした家…いい想い出が詰まっている。最期を
先週の木曜日に出張から帰ってきた。ただ家は空っぽで、部屋は暗闇、嫁さんはいない。いつかは一緒になれる。そう信じている。もしもっと嫁さんのことを気にしていたなら…ほどほどに仕事していたなら…嫁さんは病魔に侵されることなく、それなりに人生を楽しんだのかもしれ
秋晴れの日、空を見て微笑む。暑がりの私にはちょうど良い季節だ。想いに浸る時期でもある。病院から戻り自宅療養していた。死を待っていた嫁さんは何を思っていた。元気に働いている嫁さんを見て、病気(SLE)は現状維持のまま、悪くなることはない。家庭と仕事…どちらも両立
出張で疲れて帰ってきた。だが仕事は残っている。最低限やるべき仕事を終えてお風呂に入る。疲れた体を癒す。お風呂から上がってベットの上に横たわる…誰もいない。孤独の時間がやってきて、心が痛くなる。ご飯を食べるのも、酒を飲むのも疲れ果てた。23時前、気分転換のつ
皆さんは死別したひと、愛するひとの声が聞こえるだろうか。姿も見えないが、嫁さんの姿を見えることがある…憶測か、空想か、それとも錯覚だろうか。家の中は変わっていない。幸せだった頃の状態、その状態に囲まれて生きている(嫁さんのと思い出の写真なんかはなかったが、
土曜日は嫁さんの実家でくつろいだ。日曜日は家で酒を飲み、眠っては酒を飲むの繰り返し。嫁さんの月命日の月曜日は母ちゃんを誘ってスーパー銭湯へ行ってきた。79歳だが元気だ。お風呂に入ってバイキングで一緒にご飯を食べる。喜んでいた。私としても喜んでくれることは嬉
私に嫁さんはいない。5年と8ヶ月もすれば退職、キャリアも終える。生きる支えが無くなってしまう。嫁さんの写真を見ながら何を思う…死別後の生涯、働き続け仕事に捧げて何も残らない。死別後とは別の恐怖に襲われるかもしれない。今から変われるほど柔軟ではなく、自分の中
死別に支配される辛さ。無力感に苛まれて必死で自分を守るために壁を作る。そうするしかないと自分に言い聞かせる。弱味を見せられないと感情を押し殺す。でないと外面の私が壊れてしまう。だから外的要因を撥ね付ける。いつも仕事に対してひたむきになる。そうしない時間を
何故死別から逃げる。それは怖いからだが何が怖い?何もかも…嫁さんがいない何もかもだ。昔は毎日の暮らしに目的があった。死別後、それがなくなってしまった。どこへ行けば嫁さんとの大切な時間やひと時を体験できるのか?家にいても落ち着ける場所が薄らいできている。時
ふと考える。嫁さんの人生はどうだったのか?誰が奪った。神様なのか、仏様なのか、それとも私なのか。生き返ることはない。助ける術もなく、過去へ戻ることもできない。私を楽にしてくれるものはなんだろう。それは嫁さんが迎えにきてくれること。欲を言えば苦しまずに迎え
昨日、データが違っていると連絡があった。グローバルで反映されるのは翌日の日曜日。朝早く起きて検証する。どの週が間違っていたのか…そのあと月曜日する仕事の一部をこなした。9時前に終わりと酒を飲む。飲み終えて眠る前に携帯を見る。見るもんではないのは分かっている
午前5時目が覚めた。今日は母ちゃんとボートレースへ行く日。まだ疲れが残っているが、やるべき仕事があるから仕事机に向かう。7時半そろそろ出かける時間だが仕事は終わらない。小さな嫁さんとPCをカバンに入れて出かける。尼崎ボートレース場に着いたのが9時前。そんな時間
西日本で達成していなかった部下が最終日に達成できた。おめでとうさん。朝イチから一緒にどこへ電話しようか。それぞれな成果をメールでやり取り。お互いに競っている(元担当は私なので一緒にお願い電話をしていた)。そしてやっと肩の荷が降りた。一気にどっと疲れが出てし
月曜日から水曜日まで午前様。木曜日に出張から帰ってくると疲れが溜まっていた。5年前と一緒。インセンティブ獲得のため、走り回り水曜日個人目標を達成する。そして木曜日、西日本チーム全体で達成した。ひとりだけ達成できていない部下のため金曜日はサポートに徹する。今
土曜日は母ちゃんが、ボートレースをやりにくる。和やかに時が過ぎていく。その時に母ちゃんにあることを聞いた。「人生つまらないと思わないか」と聞くと「私もやる気が起きなくてね。でもボートしていると色々考えるし、一喜一憂するから面白いよ」と別の返答になった。土
結局、今日は眠れずに乗り切った。昨晩というか今朝というべきか。足掻いて気がつけば6時…日が昇るのも段々と遅くなりつつある。そう…このくらいの時期に発熱した嫁さんを家に置いて出張へ行ったことなどを思い出していた。繰り返される悪夢。2018年9月24日の晩、その当時
酒を飲んでは寝て、起きては飲む。繰り返す悪循環。眠りも浅く熟睡する事がない。今日一日そんな日であった。何もする事がないからエアコンの買い替えを考えたり、お風呂のリフォームを考えたりとしていた。そこで問題点…どこからそのお金を捻出するのか…ボーナス時期か?
土曜日、嫁さんの実家へ行く。いつものように小さな嫁さんとお出かけだ。茹だるような暑さ…もう9月半ばというのに汗が滲み出る。1時間くらい電車、バスを乗り継ぎ到着。暖かく迎えてくれるお義父さん、お義母さんに感謝だ。お酒を飲み、お昼寝してから夕食を取る。なんとな
内紛?が起こった。ある人からある人への攻撃。そのメールを転送されて怒りが込み上げた。攻撃した人へ朝イチで電話するも繋がらない。そらそうだ。宛先に私が入っていない。私だったら激怒するからだ。何が許せないって片一方の人の話は聞くが、もう片一方の人はメールで攻
日曜日、懇親会があり、そのあと2次会へと行き飲み過ぎた。飲み過ぎてタクシーへ掘り込まれ家に帰る。気持ちが悪くなり起きる。出張へ行かなければならない。準備はしているが、それでもなかなか起き上がれない。ただ持ち物はあるか確認。PCある、携帯ある、財布ある、家の鍵
朝起きるとワクワク感がなくなっていた。ワクワクすることもなく、淡々と仕事こなす。「なんで嫁さんの月命日、休みの日に仕事としているんだ」と急にやる気を失った。何となく会える気がしていたが、そんなことある訳ないことは分かりきっている。会えない現実に涙がこぼれ
今日も頑張っているよ。嫁さんは見てくれていたかな。新しい中ボスとの同行。緊張もしなければ何もない。ただ淡々と仕事しているだけ。私という個体がない。明日が月命日からか、早く眠りにつこうとしている。何故か、明日になったら嫁さんに会える気がしている。会えるわけ
改めて「あいたい」という曲を聞いた。話したい触れたい抱きたい見つめたいこれを超える気持ちが今もうまれない僕は生きているよ 君のいない世界でたまに笑ってみたり 何か夢中になったりまさにその通りだ。悲しみを何となく誤魔化している。そう…嫁さんがいなくてもいい
何故か昔から休みの日は早く起きてしまう。一日がもったいないとか、嫁さんが寝ている間に仕事を終わらそうとか思っていたのが今も続いている。6時半に目を覚ましシャワー浴びてPCに向かう。11時前に仕事を終えた。昔なら嫁さんが起きてくる少し前。「おはようさん」と嫁さん
死別した皆さんも会えるなら会いたい。寂しい…そう思っていませんか。それは家族だからだと思います。人生であとひとつ夢が叶うのなら嫁さんのことを抱きしめたいと願う…儚い夢。寝る前によく見ているYouTubeは、犬や猫の動画。なんとくだが、心が休まる。いつか大型犬を飼
ミーティングで、部下たちへ「マインドをチェンジしろ!殻を打ち破れ!!」と伝える。しかし私は口先ばかりだ。死別という殻を打ち破れずにいる。悲しみというマインドから脱却出来ていない。そんなヤツのこと誰も聞かないよ。昨日夢見たこと…ある日、よく眠れたと起きる。
捻挫した足が痛いし、やる事がないとベットに横になるも眠れず、睡眠薬を1錠また1錠とかじるも眠りが浅かった。ウトウトしたのは3時過ぎ、カクンと落ちては目を覚ます。日曜日の朝、やる事がないと出張の用意。11時を回った。お昼ご飯食べながら東京へ移動しよう。新幹線の中
捻挫…そんなもの気合いで何とか乗り切れると腫れている足を無理矢理革靴に押し込む。火曜日、水曜日と我慢に我慢を重ねたが限界がきた。親指以外全部青く変色している。もしかしたら骨にいっている(骨折)かもしれない。朝イチで整形外科へ行くことにした。結果は骨には異常
月曜日、取引先のBBQに参加した。楽しくも何ともない。周りは家族連ればかり、そしてライバル会社も参加しているが、子供の話ばかり。楽しくも何ともない。いい肉が食えるだけ。それでも手土産(自腹)持参して11時から21時まで拘束。その間に火曜日の会議の連絡をもらう。「帰
昨日は午後から仕事。難なくこなして翌日を迎える。朝6時起床、いつのもように仕事をし始める。8時メンタルクリニックへ向かい、9時に診察。先生:ご機嫌いかがでしょうか。私:プレッシャーから解放されて、お盆休みは平穏な日々でしたが、相変わらず眠りは浅いです。先生:も
ボートレースへ行く予定であったが翌日電車が運休することから母ちゃんと会うのは別の日になった。お腹減ったがどうしよう…そう言えばパン粉が残っている。いつのだろうか。賞味期限ご2019年3月。嫁さんが入院してからハンバーグは作っていないということだ。久しぶりにハン
お盆休み3日目はずっと家にいた。前日からもがくも全く眠れない。そうだ、カレーを作ろう。9時にスーパーへ買い出し。人参、ジャガイモ、玉ねぎ、牛肉、らっきょ、たくあん…忘れ物はないか確認。家に戻り作り始めると「マサランほんの少ししかあらへんやん」ともう1度買い出
お盆休み2日目、前日飲み過ぎていたから気持ち悪くて朝5時には起きていた。何するでもなく、ただぼうっとしていた。外は暑そうだな。洗濯、掃除機をかけていたらそこそこ時間が過ぎた。今日は前中ボスとの飲み会。待合せは16時に新大阪。まだ2時間ほど時間があると少しお昼寝
休み1日目、3時40分突然目が覚めた。もう一度眠りにつこうか考えだが、睡眠薬を服用するほどでもない。何故ならば今日はお休みで、いつ眠っていても就業時間ではないからだ。いつ眠酒を飲もうと咎められることはない。では何をしようか…今日やる予定であった1つコンプライ
やった!明日からお盆休みだ!!気持ちは既に休みモードになっている。ただ休みモードといっても仕事はしている。9日から15日まで休み、16日仕事、17日から21日まで休み。新しい中ボスからは「仕事を離れてリフレッシュしてみては?」と心遣いがあったが「気楽に仕事できるの
先日に続いて嫁さんと夢で会えた。しかし何故か怒られているシーン。何について怒られているのか分からないが、おそらく今週飲み過ぎていることではないか。日曜日から木曜日まで飲み歩き、毎朝少し気持ちが悪い。そんな感じて飲んでいた。多分そのことだろうと推測。6時前に
仕事を終えて部下へ「ご飯でも行くか?」というと即答で「行きます」と気持ちいい返事が返ってきた。新しく入った部下も一緒にご飯を食べながら色々と議論。様々な考え方があって面白いと感じる。なるほどなという考えもあれば、それってどうなの?という考えもあって楽しか
仕事を終えて部下へ「ご飯でも行くか?」というと即答で「行きます」と気持ちいい返事が返ってきた。新しく入った部下も一緒にご飯を食べながら色々と議論。様々な考え方があって面白いと感じる。なるほどなという考えもあれば、それってどうなの?という考えもあって楽しか
孤独は辛い。写真を見るのも辛くなる日もある。悲しみ、孤独…そして自分に無いものを求める。月曜日に家を出て、金曜日に戻ってきた。嫁さんと暮らしていた家…何となく心地よい。眠るのが惜しくて3時まで起きていた。ただ5時半には目を覚まし、仕事を片付ける。疲れ切って
夢の中で、泣いている嫁さんがいた。なぜ泣いているのか聞いてみると「悪性リンパ腫になってもうすぐ死ぬ」と…そしてしばらく帰って来なかった。何処へ行っていたか聞くと「グレていた」と背中に蝶の刺青を入れて帰ってきた。帰って来てからは、私のそばで泣きながら寝てい
悪性腫瘍…それは私のせいではないと人は言う。そうなのか…と思い、ほんの少し気が楽になる。しかし果たしてそうなのかと自問自答する。気がつかなかったのは私の落ち度。いつものSLE(全身性エリテマトーデス)で短期入院する。入院すれば元気になって嫁さんが帰ってくる。そ
金曜日、休みのはずが休みでない。色々仕事をしながら飲んだくれていた。飲んでは仕事、飲んでは仕事とダラダラ飲んでいた。ある意味リラックスしながら仕事。合間に散髪したり、買い物したりと普通の勤務日のような余裕な感じだが、今日は振替休日。休みなのに働いているっ
土曜日と日曜日、チョロチョロ仕事していたから火曜日は楽勝!しかし水曜日は急な要件が入り、家に帰って来たのは23時過ぎ…明日、検査の前に摂生していた訳でもないが、ご飯を食べる余裕もなく、ただ仕事に没頭していた。帰宅しても嫁さんから「お帰り。遅くまでご苦労様で
日曜日、母ちゃんと山へ行った。暑くてたまらない。山頂まで一気に登り、汗だくで下山。駅のトイレでタオルを濡らし汗を拭き取り着替える。暑すぎた。帰りは定番の回転寿司へ。メニューを見て何食べようかと話していたらアレもコレも食べたくなった。いい運動してお腹減って
木曜日の夕方、急遽プレゼンを作成するように指示が出た。「はい。分かりました。」と答えるもその中ボスは「今晩、飲みに行きませんか?」と誘う。私は「もちろん、行きましょう」と誘いにのる。プレゼン作る時間あるかな?ホテルに帰って来たが仕事する気になれなかった。
今朝、今年の2月に退職した元中ボスからメールが届いた。元中ボス: お久しぶりです!8月出張時に大阪に寄ってから帰ろうと思っています。10日(木)夜はどうでしょう。私: はい。大丈夫です。10日からお盆休みですので、何時でもOKです。実は中ボスの再就職先は新しい事業の
死別後、皆さんはどのように過ごされているのでしょう。私は仕事に取り憑かれているというよりは、すがっている。土曜日、嫁さんの実家へ行く時も電車の中でPCを開けてデータを作成していた。帰りしなも同じだ。日曜日、雨が降っていたから母ちゃんとボートレースへ行くが、
変な夢であった。母ちゃんが顔面を腫らして携帯電話で誰かと話している。私が母ちゃんに「なんかあったんか」と聞くと「なんもない、年取ったら色々あるわな」と心配していると母ちゃんから「70万円くらい貸してくれへん?」と言われたから何に使うのか聞いてみると昔の知り
今日は嫁さんを思い出す事が多い日になった。何となく嫁さんと懐かしい日を思い出していた。思い込みが強いのだろうか。4年半経とうとしているのに変わらない。出張で嫁さんの遺影が近いからなのかもしれない。酒を飲み、何となく海外ドラマを見ているだけだが、嫁さんとこう
徳島から帰ってきたのが20時半頃。少し疲れている。ポストを見ると色々チラシが入っていた。宅急便の不在通知。嫁さんと最後の夏に旅行した佐賀の梨農園からのDM、そして年金通知書。まずは汗を流す。流してから明日からの出勤の用意をするがワイシャツがない。ホテル転々と
出張の折り返し地点。疲れたなと思いつつも、7時半から仕事。9時過ぎには家を出た。徳島までは高速バスで行く。ネットで予約出来る世の中だが、現金主義、窓口で申し込みするのが私のスタイル。やってられないと立ち飲み屋で3杯引っ掛けてから高速バスに乗車。お陰で気がつく
死別後前と死別後、世の中、日常の過ごし方が一変した。出張の時、毎日電話で今日あったことを話していた。酔っぱらっていても付き合ってくれた嫁さんに感謝だ。「旦那だよ、旦那さんだよ、酔っぱらいの旦那さんだよ」と言うと「酔っぱらいの旦那さんはキライ」とキツイお言
7月の予定を見てみた。7/1、2徳島、7/3-5愛知、7/6、7東京、7/13東京、7/26愛知、7/30-8/4東京。その上、静岡も担当してくれと…体がもたないよ。最近困っていること…出張のホテルを全て事前決済しているからいくら使っているのか分からなくなっている。あとから戻ってはく
土曜日何をしていたのだろうか。仕事をしながらメンタルクリニックの受診。それが終わって散髪。先週は土日とも仕事だったからいつものラーメン屋へビールを飲みながらくつろぐも飲み足りない。そのあとハシゴしてインド料理屋でカレーを食べる。またもや記憶が飛ぶ。泥酔で
18:00和歌山到着。部下の対応が不十分であることからお詫びの訪問。大阪からは在来線で1時間45分。遠いな。経費節減のためその日のうちに帰らなければならない。ご飯食べるだろうし、東横インのポイントで宿泊。19:30お客様のところに訪問。色々昔話を話しながら穏やかにこと
誕生日…この年になったら欲しいものなどない。疲れ果てて帰ってきた日曜日(誕生日)。もう限界だった。体が悲鳴を上げているのか、家に帰って荷解きもせず、嫁さんに線香を上げてベットへゴロリ。スッと眠れたが2時前に起きる。それから眠れず、何をしていたかというとYouTub
誕生日…またひとつ年を取った。今日はイベント。社長からお祝いのメッセージがあった。大体分かっている。その上司が書いたコメント。その裏事情を知っているから心の中こもっていないコメントなんて必要ないと感じている。部下たちは社長から誕生日のメッセージをもらって
今週も働いたな。よくやっていると我ながら思う。今日、同級生(同じ年に生まれただけ)の取引先の人に「あと11年頑張りましょう」と話しをしたが、その理由は新人のOJTだったからだ。だが内心はあと6年と決めている。走り続けれるのも60歳までだよ。それ以上走り続けれる自信
昨日、酔っ払って書いていたブログ…掲載しなくて良かった。最近、私の業界でもやれAIだ、アルゴリズムだと…平均に収まっているのはせいぜい3割程度?人には個体差があり、個性がある。その時々に応じての対処、対応が必要ではないかと考える。問題発言のどぎついことを書い
朝4時に覚醒、目が覚めた。何かへんな夢であった。1年の終わり、打ち上げに参加している。家で嫁さんが病気で寝ているのに参加している。早く帰りたいという気持ちがある。この場所にいる後ろめたさ。次のシーンは嫁さんと旅行していた。楽しそうにしているが後ろ姿しか見え
今朝酒を飲み、睡眠薬を服用して眠りについた。母ちゃんが小遣い稼ぎに掃除に来てくれる日だが、全く気がつかず眠っていた。目覚ましで無理やり起きる。体と脳がぎこちなく動き出す。そしてPCと携帯を持って病院へ行く。今日は眼科だ。糖尿病で糖尿病性網膜症の疑いがあるた
突然目が覚めてしまった。2時半…まあいいか。今日は振替休日。病院へ行くだけだし、特にプレッシャーもない。どうしようかな。何しようか。しばらくはYouTubeを見ていたが、酒を飲もうと思った。酒を飲みながらテレビを観る。最近、耳も悪くなってきて聞こえにくくなったの
金曜日の晩、心が疲れていた。先週母ちゃんに「土曜日雨降ってなかったら山へ行くか」と誘っていたが、前日の大雨で断念。「久しぶりに天ぷらでも食べに行くか」と誘った。「行きたいね」とご飯を食べに行く。ただ仕事は待ってはくれない。朝6時から仕事を始めて11時にはメン
5/1に入社した上司が本格始動。メチャクチャプレッシャーをかけてくる。就任して1ヶ月、手柄を立てたいのだろう。そこまでして仕事をしたいのか…したくないな。就職活動しようか…と本当に思う。そんな時に嫁さんがいてくれたらとつくづく思う。人生楽しくない。辛いだけの
月曜日から新しい上司との同行。何も疲れることはない。普段の仕事をしているだけ。特に何も構えることもないし、緊張することもない。初日は難なくこなしたが、「上司を連れてきていることを顧客にアピールしろ、大切なお客様だと認識させろ→買わせろ」と注意を受けた。イ
忙しい過ぎるのか、私がボケているのか…。頭が回転しない。脳の働きが悪く、忘れ事も多い。まずは今朝ホテルを出る時だが、急いでいたことからマウスピースを忘れた。歯ぎしりが激しくて、前歯がかけてからマウスをするようになった。それだけストレスを溜めているのか、無
青森市→秋田市…約200km、秋田市→山形市…約260km、1日に何km走れば終わりになるのか、休みなしに運転。雨も降り夜になるにつれて視界も悪くなる。急激に運転に不安を感じる。初めての土地、初めてのお客さん。当然、家族の話になる。嘘をつくのも嫌なので、オブラートに死
死別後、私は動揺していた。何もかもがどうでも良い…ただ生かされているだけの屍。息をするのも辛く、心に大きな穴が開いた状態。それを打ち消すように仕事に集中する。それも新しい上司(中ボス)が就任し、少しずつ私の負担が減って行くのかと思うと精神的にも肉体的にも楽
先日も記載したが背中が痛い。右の肩、肩甲骨の下辺りだ。痛みが消えない。「寝れば治る」…そんなことはないようだ。そして眠っていても痛みがあるのだろう。起きた時、うつ伏せになっていることが多い。調べてみると原因は「ウイルス・多量のアルコール・薬剤性・針刺し・
先週末から背中が痛い…何が原因なのか分からない。自分の中では風邪で咳をしているから治りが遅い。だから痛みがあるのだと思っている。咳が長引いて要らぬ筋肉を使い炎症を起こしているのだと推測。その痛みは誰も知らない。喋る相手も居ない。そんな痛みがあることを母ち
これまで築いたものを守るため、部下のためにも弱音を吐けない。未来のため、約束した彼らのためにも踏ん張るしかない。だが時が過ぎても痛みが消えることはない。絶望の中で佇んでいる。嫁さんは太陽で、私の人生に灯りを灯してくれた。共に歩み、共に年を重ねる。それが突
仕事を終えて線香をあげる。生きているいたら46歳の誕生日。お義父さんから「今日は〇〇(嫁さんの名前)の誕生日。いまいま君の体調はどう?」と先週風邪をひいてしまい、嫁さんの実家へ遊びに行けなかったから心配してくださっている。ある人と出会って、世の中が違って見え
好きな人とご飯を食べて、今日あったことを話す。そしてテレビを見ながらまた別の話をする。またにデートして幸せを謳歌していた。全ては過去の出来事。今は孤独にご飯を食べながらテレビを見て、休日は何もない廃人のよう…外に出てはいけない。幸せの渦に巻き込まれてしま
どうやら風邪をひいたみたいだ。3日の晩から微熱と咳が止まらない。ようやく6日の夕方から体調が回復。どうやら先週母ちゃんを病院に連れて行ったり、大阪に連れて帰ってきたりした時に移ったようだ。運転中、マスクは鬱陶しくて外していたからそのせいだろう。今年に入って2
普通の日々には戻れない。嫁さんとの生活、自分は幸運だと感じていた。恵まれた人生…ただ少し嫁さんか病気がち、そしてふたりとも仕事に追われていた。そんな中でも、お互いが相手のことを想い支え合う。愛する人との至福の時間を楽しみ、安らぐことができた。告知された時
朝6時、外を見ると雨が降っていた。久しぶりに車を動かすかと、車で実家へ行くことにする。実家では母ちゃんがテレビを見ながら横になっていた。空気を入れ替えないと言い、窓を開けている。寒くないのか聞くと「寒くはない」と…。まだ熱があるのかと少し不安になる。熱を測
東北出張で家に帰って来たのが21時半頃、携帯を見ると母ちゃんから「明後日は夜明け迄のようですから登山やろうと思ったらいけますね、どうしますか?」と雨の心配。土曜日にポートレートして翌朝山へ行きたいようだ。だが夕方には「とてもしんどい。山いけません!悪しから
先日の土日に従姉妹と会う。いつ以来会っていなかったのか…私が18歳の時が最後、従姉妹は28歳。その当時はおじちゃんが亡くなり、従姉妹のお父さんは長男で家業をつぐために実家へ戻らなければならなかった。既に従姉妹は小学校の先生をしていたが、家族揃って実家へ戻るこ
傷ついても人生は続く。6時の新幹線に乗るため、朝4時15分起床。始発に乗り新大阪へ向かう。新大阪には既に多くの人がいる。10時15分仙台着。移動中はずっと仕事していたので苦にはならない。仙台市内で何軒か回り、郡山へ移動、そのあとレンタカーで白河市へ。ホテルに帰っ
今日は定期検診の日。朝からPCを持って病院へ行く。相変わらず、朝が早い人がいる。7時45分頃来たが21番目。8時半から血液と尿を採取。9時半過ぎに診察室へ呼ばれた。先生:HbA1cと血糖値は横ばいですね。ただ中性脂肪が上がっているのが気になります(前々回441、前回617、今
土曜日「ボートレース行かへんか」と母ちゃんに誘われたが、体が言うことを聞かずと言うか、睡眠薬を服用して効いてきた頃にお誘いがあったので断った。起きた後「日曜日だったらいいけど行かへんか?」と誘う。私の目的は母ちゃんに付き合うのと酒を飲むこと。当たらないし
逃避して酒を飲み睡眠薬を服用するが、1:33に目が覚めた。そのあとすることもなく2:51ブログを投稿。何となくお好み焼きを食べたくて3時半過ぎ材料を買い出しに行く。24時間スーパーだから何人かの人はいる。キャベツや山芋、お好み焼き用の豚肉がない。仕方がないからお好み
13日の木曜日、部下の出産祝いと四半期の成長と西日本セールスの貢献してくれたお陰で成長できたことに感謝するために打ち上げを設定した。当然、子供の話になる。私には子供がいないから全然楽しくも何ともない会話。そしてそれを話している部下たちは、とても幸せそうな顔
人生の核となるもの。それが嫁さんとの暮らし、幸せな時間、寄り添うことであった。それがある時、崩れる。ずっと笑顔でいたのに、心配させたくなかったからか、私は気付けずにいた。そんな後悔をしつつ、遠くにいる嫁さんへ思いを馳せる。最期は寝ている時間が長かったけど
今日は東京で仕事。疲れが相当溜まっている。昨晩、明日早いからと23時に眠りについたが1時半に目を覚まして、そのあと眠れず酒と睡眠薬で無理やり2時間半ほど眠る。朝起きて頭がやられている。精神的にも参っているというのを感じた。ここで行かないと拒否すれば楽になる。
今日から福岡へ出張。そして会社の制度も変わり、経費精算も今までとは違う。今までは宿泊費、日当込みで11000円だったが、これからは宿泊費に上限がつき、差額をもらえない。その代わり1食分の食事代3000円が上限で支給されることになった。ただし、領収書が必要なため飲み
嫁さんが逝ってしまった。誰にささげる人生なのだろうか。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ共に過ごしてきた日々を想い出している。終わって欲しくない幸せ。治ると信じていた。嫁さんの実家から戻ってきて、ずっとベットの部屋いた。今日は孤独。嫁さんの実家ではお義父さん、お
3月の最終日…怒涛のように売上をかき集めた。色々トラブルがあったが、何とか最低限の成長することが出来た。部下たちに感謝だ。やり尽くして疲れ果てた。一気に気力がなくなり、寂しさが襲ってくる。やり切ったという思い、安堵と喜びを分かち合う人がいないこと。そして結
今月もあと1日、何とか前年よりも成長できそうだ。ただまだ乗るそるかの状態。1日でも早く楽になりたいが、それが終わると次の四半期に向けた計画を立てなければならない。土日休みだし、結婚記念日だし、嫁さんの実家へも行く予定だ。でも仕事もしなければならない。そんな
今週退職する人がいる。コストカット、人員削減、外部委と様々な要因はあるにせよ、今週末で退職。部署は違えど苦楽を共にしてきた仲間である。ただ営業からは「仕事しない人、仕事出来ない人」だったことから送別会も行ってもらえない。私が営業のトップなので、いつもバシ
誰も思い返すこともなければ、思い出すこともない。死別したことはいつのまにか忘れ去られる。どう生きて行くのか、答えは私の中にあるが、どう生きていくという目的がない。そして全力を尽くしても幸せは攫むことはできない。何故なら最愛のひとは遥か遠くにいるからだ。今
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最近…思うこと。①仕事が忙しいことから悲しみを忘れる。②辛いことを忘れたいから仕事に没頭する。③その反動で薄れていた悲しみが、突然襲ってくる。④今もどこかで嫁さんを探している。⑤愛していたこと、愛されていたことを改めて実感する。⑥最愛の人、かけがえのない
捻挫してから山には行っていない。踏ん張ると少し足が痛むことがあったからだ。ただ母ちゃんが足腰弱らないようにと土曜日に山へ。登りはなんともない。降りはどうだろうか。特に問題はないが、膝が笑っている。久しぶりということもあるが、体力が落ちているのだろう。山降
午前3時半ごろ、突然体がつった。体がつるということは、筋肉が伸縮バランスを崩している事で、異常な収縮を起こし、元に戻らない状態。 お陰で目が覚めた。激痛で1人ホテルのベットで悶えていた。30分で直ったが、鼻が詰まっている。反対側を向うとしたらまた体が攣り始める
少し熱がある。自力で毛布、オイルヒーター、加湿器を準備。熱が治まるのをジッと待つしかなかった。玄関でピンポンと鳴る。宅急便だ。疲れているが、受け取りだけする。もうお昼過ぎか…また少し嫌悪感がある。熱を測らなくても体の調子で分かる。食べる気が起きない。とり
疲れている。今週も疲れた。月曜日振替休日、木曜日有給…なのに心が疲れている。土曜日、嫁さんの実家でくつろいだが、何故か帰りはぽっかりと穴があく。そこには嫁さんが居ないからだ。そう…年をとっても幸せな人生を2人で共に歩むはずであった。忙しくしているだけで、心
まさかの時に備えてはいなかった。先に逝くと思っていた。そうなるべきだったのではないか…ただ計画通りにならない、そうならないのも人生。残された者として、嫁さんと暮らした家でこの先の人生を見つめ直そうとしている。これからも毎日生きていかなくてはならない。ひと
水曜日、木曜日と仲間に囲まれて酒を飲んでいた。死別したことも忘れているくらい楽しい時間帯を過ごした。このところ出張が多い。家に帰ると、とてつもなく孤独を感じる。嫁さんのことを思い出し涙する。嫁さんの名前を呼べど会えることはない。今週も酒を飲み過ぎるくらい
ある日、森の中熊さんに出会った…そうしたら生きるか死ぬかだね。今、まさにマーケティングと差し違えるつもりで戦っている。マーケティング:貴重な情報共有いただきありがとうございます。セールストレーニングの資料確認しました。競合比較などがメインなので、堂々と社外
ずっと出張が続いている。そして接待などで遅くなる時もある。帰りはいつも夜遅くというか午前様。金曜日、祝日なのに仕事であった。新大阪に着いたのは23時前か…何となく嫁さんの姿を探すも見つからず、頭の中ある残像に心の中で手を振る。ただいま。家に帰ってよく嫁さん
結婚後、様々な変化があった。会社が吸収合併、東日本大震災による不況、コロナ等々…。でも一番大きな変化は嫁さんという大切な人の死。大切にしていたものを喪ったことだ。幸せだったころに戻りたい…今は悲しいだ。嫁さんと過ごした家…いい想い出が詰まっている。最期を
先週の木曜日に出張から帰ってきた。ただ家は空っぽで、部屋は暗闇、嫁さんはいない。いつかは一緒になれる。そう信じている。もしもっと嫁さんのことを気にしていたなら…ほどほどに仕事していたなら…嫁さんは病魔に侵されることなく、それなりに人生を楽しんだのかもしれ
秋晴れの日、空を見て微笑む。暑がりの私にはちょうど良い季節だ。想いに浸る時期でもある。病院から戻り自宅療養していた。死を待っていた嫁さんは何を思っていた。元気に働いている嫁さんを見て、病気(SLE)は現状維持のまま、悪くなることはない。家庭と仕事…どちらも両立
出張で疲れて帰ってきた。だが仕事は残っている。最低限やるべき仕事を終えてお風呂に入る。疲れた体を癒す。お風呂から上がってベットの上に横たわる…誰もいない。孤独の時間がやってきて、心が痛くなる。ご飯を食べるのも、酒を飲むのも疲れ果てた。23時前、気分転換のつ
皆さんは死別したひと、愛するひとの声が聞こえるだろうか。姿も見えないが、嫁さんの姿を見えることがある…憶測か、空想か、それとも錯覚だろうか。家の中は変わっていない。幸せだった頃の状態、その状態に囲まれて生きている(嫁さんのと思い出の写真なんかはなかったが、
土曜日は嫁さんの実家でくつろいだ。日曜日は家で酒を飲み、眠っては酒を飲むの繰り返し。嫁さんの月命日の月曜日は母ちゃんを誘ってスーパー銭湯へ行ってきた。79歳だが元気だ。お風呂に入ってバイキングで一緒にご飯を食べる。喜んでいた。私としても喜んでくれることは嬉
私に嫁さんはいない。5年と8ヶ月もすれば退職、キャリアも終える。生きる支えが無くなってしまう。嫁さんの写真を見ながら何を思う…死別後の生涯、働き続け仕事に捧げて何も残らない。死別後とは別の恐怖に襲われるかもしれない。今から変われるほど柔軟ではなく、自分の中
死別に支配される辛さ。無力感に苛まれて必死で自分を守るために壁を作る。そうするしかないと自分に言い聞かせる。弱味を見せられないと感情を押し殺す。でないと外面の私が壊れてしまう。だから外的要因を撥ね付ける。いつも仕事に対してひたむきになる。そうしない時間を
何故死別から逃げる。それは怖いからだが何が怖い?何もかも…嫁さんがいない何もかもだ。昔は毎日の暮らしに目的があった。死別後、それがなくなってしまった。どこへ行けば嫁さんとの大切な時間やひと時を体験できるのか?家にいても落ち着ける場所が薄らいできている。時
ふと考える。嫁さんの人生はどうだったのか?誰が奪った。神様なのか、仏様なのか、それとも私なのか。生き返ることはない。助ける術もなく、過去へ戻ることもできない。私を楽にしてくれるものはなんだろう。それは嫁さんが迎えにきてくれること。欲を言えば苦しまずに迎え
昨日、データが違っていると連絡があった。グローバルで反映されるのは翌日の日曜日。朝早く起きて検証する。どの週が間違っていたのか…そのあと月曜日する仕事の一部をこなした。9時前に終わりと酒を飲む。飲み終えて眠る前に携帯を見る。見るもんではないのは分かっている
今朝、健康診断へ行ってきた。やはり中性脂肪と血糖値のことを言われる。健康診断の問診票に「生活習慣を改善しようと思いますか」いう項目があるが、私は「ない」に○、他にも「最近イライラすることありますか」に「部下」、「不安なことありますか」に「リストラ」と正直
金曜日の晩は23時まで働いていた。そして眠りについたのは1時過ぎ、5時半起きなければならない。母ちゃんと山へ行く日。お風呂入り目を覚ます。そのあと準備してPCと小さな嫁さんを入れて出かけた。母ちゃんの待ち合わせ場所まで仕事。そのあと山登りする最寄り駅までひたす
先週の金曜日…母ちゃん:明日、あんたん家行く事になっていたかな?私:そうやでぇ、一緒にボートレースする予定や、ご贔屓の選手はどうなん?母ちゃん:サッパリや。そうかやっぱり行く事になっていたよな,。今日、金曜日忙しいから先に電話した。私:土曜日、〇〇に7時集合で
11/23は仕事であった。少し出張続きで疲れが溜まっている。前日、上司の飲んでいてホテルへ戻ってきたのは2時、朝7時起床。まだ酒が残っている。体がいうことを聞かない。限界に近づいているのだろう。来週の月曜日は午前中に健康診断がある。深酒は控えたいと思っているが、
今日もまた出張。4年前の今日はどんな日だったか覚えてない。私の記憶力などそんなもんだ。そんな時アプリで日記をつけていて良かったと思う。しかし悲しい想い出…緩和ケア病院で医療用麻薬を投与した日だった。私は何もしてやれず、ただ側にいるだけしか出来なかった。そん
木曜日はご飯を食べると眠たくなるからご飯を一切食べない。頭が全く回らない状況。そしてコーヒー飲み過ぎで気持ち悪い。頭から脳が飛び出そうなくらい眠過ぎる。そんな状況でも仕事をしなければ…サボりたい。「サボろうよ」と悪魔の声が聞こえてくるが、売上が悪いのにサ
月曜日と火曜日の午後は福島県、火曜日の晩から水曜日の夕方からまで仙台。その足で愛知へ移動、そして勉強会に参加。勉強会を終えて懇親会。そのあと2次会だ。前日1時過ぎまで飲んでいた私は既にギブアップ状態なのに「チョロっとだけ行きますか?」と誘うと皆んな「チョロ
起床午前4時半、始発に乗って空港行きのバスに乗る。その間、ずっと仕事をしていた。新しい土地というか担当地区。東北は人は皆暖かい。初めて会う私を受け入れてくれた。しかしながら何時間仕事をしているのだろう。電車に乗ってからPCを開け、空港行きのバスに乗り、出発ま
昨晩だが、22時過ぎまで仕事をしていた。お腹が痛くて下痢。酒もご飯も食べる気力すらない。早々にプロチゾラムを服用して眠りに落ちた。午前1時…目が覚めてしまう。手と耳たぶが熱く感じる。何かがおかしい。今朝から下痢で、どこが悪いのか思い出してみた。朝起きてウーロ
今朝は疲れていた。出張から帰ってきたからと切なさが増しているからだ。これから徐々に増してくる。それをどう乗り切るか…11月11日は血便が続いた日でもあり、嫁さんの親友に誕生日メッセージを代筆した日でもある。朝からミーティングをやって部下は不平不満を言う。不平
月日も流れ46回目となる月命日。嫁さんが逝った時間は飛行機の中。早く嫁さんの側に戻りたいという一心でいるが、実際に戻ってきたのは22時半過ぎ。遅くなりましたと…まずは花の水を変え、線香とお水をお供えする。「嫁さんちょっと待っててよ」と小さい嫁さんを元に戻して
今週は山形へ出張。嫁さんと訪れた場所をレンタカーで行き来する。その度に喜んでいた嫁さんの顔を思い出す。旅行へ行ったのはいつだろう…調べると2017年だった。それから5年経ったが、ご飯を食べた場所、立ち寄ったところ、変わっていない。変わっていないから悲しくもなる
休日は本当にボロボロだ。今日何していたかというと昨晩睡眠薬を服用して何とか眠れたが、5時に起きて少し仕事をして、その後は酒を飲んでいた。嫁さんの遺影を見つめて「病院で過ごした日々が懐かしね。良くなることを期待していたけれど願いは叶わなかった」と嘆き悲しんで
今日は朝から大忙しだ。6時に起きて仕事をし始める。8時になりクリーニングとゴミを出しに行き、帰ってきたらすぐにお出かけ。出かける先はメンタルクリニックと嫁さんの実家。土曜日のメンタルクリニックは空いている。その待合室でもPCを開けて来週のプレゼン作成。嫁さん
水曜日、取引先と飲みに行きホテルに戻ってきたのは2時過ぎ。スローなペースでゆっくりと飲むことが出来た。色々と昔話もできたし、引き継いだ部下の悪い面も見えてきた。コロナ禍になり活動が制限されていたこともあるが、育てられなかった私に責任がある。これからは私がフ
この2日間眠りは浅く、3〜4時間くらいしか眠れていない。その割には体も頭もある程度働いている。体のライフサークルが狂っているのか、自分がおかしくなっているのかどちらかだろう。今週は明日取引先と食事、その日のうちに帰られないから宿泊。酒を飲みに行っているだけな
10月も終わる。体がギシギシ…悲鳴を上げている。足はそうでもないが上半身が少し炎症しているかのように熱を持っている。久しぶりに体を動かした影響だろう。そのせいか仕事も捗らない。眠りながらヨダレ垂らしていた。歯を守るためマウスピースをしている。無理してる入れ
久しぶりのボートレース場。紙パックの焼酎と昨日の残りを持参する。前半2レースは仕事をしていた。その仕事が終わり、母ちゃんに声をかける。「当たったか?」…「当たったけどマイナスや!」と出だしは良くなさそう。年金暮らしの母ちゃんへ小遣いを渡して、楽しんでくれと
週に1度、母ちゃんへコールする。「元気にやっているか」「何か問題ないか」という安否確認。先週の土曜日会っていたが、今週土曜日にボートレースへ行くからその待合せ時間の確認もある。母ちゃん:はい。何か?私:土曜日は何時集合にする?母ちゃん:じゃあ最寄りで8時半にお
死別した人たちは皆んな心の傷を持っている。いつになったら癒えるのだろうか。それともいつまでも我が身が無くなるまで癒えずに生きて行くしかないのか。 私の場合は痛みを紛らわすことはあっても、夜には心の傷みが疼く。誰もいない部屋、出張で嫁さんへ電話できない日々