最後にブログを書いてから随分と経った。休みの間何をしていたか。旅行してお金使いまくったが、一緒に分かち合える人はそこにいない。そして心は埋まらなかった。埋まらなかったというよりも寂しさが増した。それを紛らわすため、新たな一歩を踏み出すため試みをした。一つ
しばらくブログを更新していなかったのは、仕事が忙し過ぎること、また仕事がうまくいかないこと、小ボスが最低なヤツで根回して中ボスと私を悪者にし、大ボスに話をしたからだ。ある事、ない事を大ボスと人事部へ報告。それを聞いた私はガッカリする。それを信用した大ボス
何故眠れないか…どうして不安なのか分からない。嫁さんの死別後、最大の恐怖はない。そう…最大の恐怖とは嫁さんとの別れであったからだ。毎日いつまで生きてくれるのか。朝起きたら嫁さんが死んでしまったりはしないかと怯えていた。嫁さんとの結婚できたことは、全ての幸
作日の分を取り返すために改めて部下と8時からミーティング。それが終わり10時のアポイントへ向かう。そこまでは順調。訪問が終わり鞄を持ち上げようとした時に「バリ」と音がした。もしかして…とトイレに入り確認するとお尻が破れていた。次のアポイントまでに家に帰って着
月曜日の朝9時、部下と面談を予定していた。部下から電話が何度かかかっているが応答なし。いまいまさん、死亡説が回る。誰がかけても電話に出ない。9時半過ぎに目を覚ます。「ワォ〜(岡田増田の岡田風)、やっちまったな」と体制を整えようとすると何か良からぬ事が起きた説
今日は疲れた。お昼にお坊さんが来てお経をあげてくれた。そのあとお義父さんとご飯を食べ、そして終わってから実家に戻り母ちゃんとご飯を食べる。微妙な関係。私自身も嫁さんの家族とうちの母ちゃんとは合わないと思っている。ひとりは我が娘を亡くした親、片方は姑だ。嫁
死別して5年、色々なことがあった。立ち直ったようで未だに立ち直っていない。時薬は効いているが、心にポッカリと開いた大きな穴が小さくなっただけ。決して癒えることはない。改めて日記を読み返した。ずっと一緒にいたかったが叶わぬ夢。分かっていたが、少しでも一緒にい
翌日は嫁さんの祥月命日。そんな日にTOTOのショールームに予約をしていた。バスルームをリフォームするためだ。ただ昨日から寝付けない。睡眠薬を服用するも眠りが浅い。そんな時にYahooニュースを見ているとある記事が目に入った。「妻が先立って独りになった。自分が生きて
祥月命日が近く…もう一度でいいから嫁さんと会いたい、触れたい、抱きしめたい。嫁さんの写真を見ているだけで心が締め付けられる。隠れていた悲しみや辛さが込み上げてくる。過去は変えられない。そして夢描いたことは大きく変わってしまった。辞めようと思っていた仕事も5
嫁さんが逝ってしまってから毎年31日、大晦日の日にご飯を食べに行く。朝一に阪神百貨店で並び、お年賀のお漬物を買ってから向かう。お年賀にお漬物を選んだのは嫁さんだ。その頃からの習慣。阪神百貨店は朝から大賑わい。お正月の準備をされる人で混雑していた。幸せそうな
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最後にブログを書いてから随分と経った。休みの間何をしていたか。旅行してお金使いまくったが、一緒に分かち合える人はそこにいない。そして心は埋まらなかった。埋まらなかったというよりも寂しさが増した。それを紛らわすため、新たな一歩を踏み出すため試みをした。一つ
最終出社日まで怒涛の引き継ぎ。約30年、一生懸命に仕事をしてきた。それも一旦終了する。心残りはない。引き継ぎはほぼ完了している。ただ寂しいのは「お疲れさん」と言える嫁さんがいないこと。遺影に向かって「55歳まで頑張ってこれました。これも嫁さんが居てくれたから
嫁さん、ごめんね。通風になっちゃった。ある日の晩、少し足に違和感を感じた。朝には違和感がなくなるはずと思っていたが、痛みに変わっていた。体重をかけると痛みが襲う。歩くのに足を引きずりながら歩く。歩くたびに痛い。晩は足を冷やし、睡眠薬を服用しながら眠りにつ
来月55歳の誕生日を迎える。その前の明日、退職願いを提出する。やり残したことはない。昨年中ボスが退職した後、苦労した。次の中ボスの時も一から教えるのはしんどかった。そして何より同格のマネージャーをもう1人雇った上層部は私に力がないと言っているようなもの。そん
死別後、5年4ヶ月が経過した。前回、心が痛くなってメンタルクリニックの診療を受けた時のやり取り。先生:いまいまさんいかがでしょうか。私:眠れたら翌日仕事できるし、寝る前にいろいろ思い出したくないからスッと眠りにつきたい。眠る前に嫁さんの写真や旅行した時の想い
中ボスが退職すると連絡を受けた後、先週は通常に活動していた。今週初め…報告書を作成するためにデータを集める。また昨年の年始と同じ状況。周りの人たちはどう思っているのだろう。昨年2月に前任の中ボス退職。今年6月に昨年5月入社した中ボスが退職する。営業の責任者が
今日、中ボスが退職すると連絡を受けた。あと5年一緒に頑張ろうと思っていたけれど、先を越されて退職される。何となくそんな感じがしたと思っていたと言えば感じるし、そうで無いと言えばそうでもない。やっとストレスから解放されたのに、またストレスがやってくる。中ボス
木曜日の朝、6時半の新幹線に乗り仙台へ。東京から仙台へ向かう車内でミーティングに参加。新しい部下へ引き継ぐため、12時のアポイントに向けて準備。最後の仙台での活動に力を注ぐ。その晩、引き継ぎを兼ねて取引先と飲んで楽しかった。あとは頼むよと部下へ託すが…。今日
GW…皆さんはどう過ごされていたのでしょうか。私は27日何していたかも思い出せない。ボケているのか思い出せない。28日、朝早く滋賀へ向かう。琵琶湖でのボートレースを母ちゃんと楽しむため向かう。会って早々にボートレース場の駐車場でケンカ。「さっさと停めろよ」と言
元中ボスから連絡があった。来月会えないか…いずれ新しく設立する会社の起動がのったら呼ぶよって話があった。しかし1年前、中ボスが退職したあと、メチャクチャ苦労した。それを支えてくれた部下たちもいる。誘いにのるべきか…それとも大ボス、小ボスと決別するべきか。た
人生不公平。何が不公平かというと色々なこと。愛する人との死別⇄愛する人は存命金銭的に余裕ある⇄金銭的に余裕がない仕事に恵まれている⇄仕事に恵まれていない。他にもあるだろうが、直ぐには思いつかない。月曜日も朝から忙しく、営業しながらデータを作る。かたや東の
いつも疲れ切っている。平日、出張が続いた日。でも疲れているといって休めない。身体がダルい。早く眠りにつこうとするも眠れずプロチゾラムを1錠。その時はスッと眠れたが3時間後、目が覚めた。エチゾラムォ1錠、また1錠と服用するも効果なし。仕方なしに海外ドラマを観な
立て続けてメンタル的に弱っている人にあった。1人目は先日退職された方。お母様が眠れない人の1人で、いまだに睡眠薬なしには眠れないようだ。そして痴呆になった今でも、持病の薬は飲み忘れてることがあるが、睡眠薬を忘れない。その方もお母様の眠れない様子をずっと見て
久しぶりに嫁さんの夢をみた。何故か嫁さんに怒られ捨てられる夢。言葉をかけても振り向きもしない。午前4時半頃に途中起きる。そしてもう一度眠りにつくも同じ夢。いいかげんクヨクヨするなって言われているのだろうか。そして6時半過ぎに起きると心が痛くなる。その日の晩
日曜日の朝からモノレールに乗って万博へ向かう。遠くからでも桜が綺麗に咲いていることが分かる。小さな嫁さんと一緒に「今年もきたよ」って話しかける。そして嫁さんと歩いた道を辿る。少し涙ぐむ。チラッと横目で見ると嫁さんが、笑っている嫁さんがそこにいる空想。この
4/1は結婚記念日。結婚記念日を忘れるくらいにメチャクチャ忙しかった。良いことなのか、悪いことなのか?その晩はホテルで遺影と共に祝杯。望むことは何か…それは奇跡。嫁さんが戻ってくるという奇跡。現実にはそんなことは起きない。だから酒を飲み、現実逃避をする。シス
退職した人からメールが届く。仮にAさんとしておく。Aさん: こんばんは。3月もお疲れ様でした。Q1の売上は達成できたのでしょうか。明日からは4月ですね。今日はとても暖かというか暑いくらいでした。近所のお寺でヨガのレッスンを受けているのですが、染井吉野はまだですが
世の中、不景気なのだろうか。これだけ外人が増え、インバウンドで景気が活発化しているはずなのに、私の業界では今年は右肩下がり。潤っているはずが、潤っていない。第一四半期、何とか格好がつく形で終わったものの、その代償はあまりにも大きい。既に第二四半期をどうす
新しいiPhoneを買って喜んでいた。YouTubeを見ながら色々設定をしていく。そこで事件が発生した。ウォレットを登録してICOCAを登録…そうしたら嫁さんのICOCAが使えなくなった。何か大切なものを失った気がした。ネットで調べるともう復活することはない。朝になってJRの窓口
昨日はアップルストアへ行く前にヨドバシカメラへ行き、フィルムとケース、充電器を見に行く。現物確認とAmazonより安れけば購入するのが目的。まずはフィルム…探すも欲しいと思っていたものはなかった。仕方なくAmazonでキャンセルしたものを再度購入。カメラのカバーはど
プライベートの携帯電話を忘れて出張へ行ってしまった。昔なら出張中どうしたものかとずっと悩んでいただろう。家に帰って確認するも月曜日から金曜日、誰からもかってくることのない電話。何のために持っているのか。「あ、忘れた」ってことはなかった。嫁さんがいたころは
62回目の月命日、仕事のメールも飛んでこない。平穏な土曜日であった。昨日は配管掃除の日で、午前中は家にいなければならない。その配管掃除が来たのは11時40分、そのため酒も飲めず、ただ暇を持て余す。順番なので文句はいえない。その間、洗濯や掃除をしてきれにする。そ
凄く落ち込む夜がある。周りが幸せそうに見え、自分が居た堪れなく孤独を感じる。世間が冷たく感じる時だ。人は皆、平等のはず…とてつもない恐怖。嫁さんがいなくてはダメだ。今日、結婚式のビデオを見ていた。ぎこちない嫁さんとお義父さんが式場に入ってくる。私も緊張し
今朝、母ちゃんを連れて山へ行ってきました。山へ行くのはいいのですが、目的はリフレッシュではなく、母ちゃんが足腰が悪くないように毎月山へ行きます。そして2週間に1回はボートレースに付き合ったりして孤独感が感じないようにと会っていますが、仕事が忙しい時にはピリ
おはようございます。返信を書くまでに随分お時間を頂きました。先に、メールも電話も頂いてしまいました。ありがとうございます。少々長くなりますので、お時間のある時に読んで下さい。最終日、皆で会社の近くで飲んでいて、家に帰ったら、いまいまさんからのお餞別が届い
今月末で退社する人から電話をもらう。週明けは非常に忙しい。忙しい時にはピリピリしている。早く仕事を終えたい…そんな気持ちで仕事をしているからだ。退職する人から「お忙しいのは分かっていますが、最後だから何気に電話しました。」とそのあと少しの間普通に戻り、馬
土曜日、今日は母ちゃんとスーパー銭湯へ行き、ランチブッフェを食べる約束をしていた。朝起きてが母ちゃんの連絡待ち、待てど暮せど電話は鳴らず。そして電話がかかってきて「あんたどこおるん?」と「猫の薬もらいに行くって言ってなかった?それが終わってから連絡をもら
寒く凍てついている心。いつになれば心の氷が溶けるのか。その春はいつになるのか分からない。そしてストレスが溜まった1週間であった。3連休初日の今日、大阪ガスのミュージアムへ行く。少し早めに出発して大阪駅に向かった。駅に着き検索すると大阪の大正駅だ。勝手に大阪
金曜日の朝8時からボロカスに中ボスに言われた。そして全員のプレゼンが使われないまま、ミーティングが進む。私が作ったプレゼンとボロカスに言われたことは何も取り上げられない。無駄な作業をさせられ、休みを潰された。時間を取られ、精神的にダメージをくらう。辞めたく
仕事にプライベートの問題を持ち込むな。感情的にならないためにも仕事は仕事、プライベートはプライベート。とはいうものの…。いつもは何気なく休みでも働いている。気にした事はあまりない。仕事が好きなんだろう。今日はメンタルクリニック、血糖内科とハシゴ。その間、P
血糖内科…前回診察したのは昨年の11月13日。メンタルクリニックは今年の1月5日。本来はどちらも2月1日に受診予定だった。しかし仕事が忙しく薬を取りに行く暇すらなかった。血糖内科の担当医は月曜日と木曜日しかいない。メンタルクリニックは土曜日も診療してはいるが、予
この3連休何していたのだろうと振り返ってみた。初日は嫁さんの実家へお義父さん、お義母さんとご飯を食べて帰った。翌朝、母ちゃんとボートレースに行く。母ちゃんは数百円負け。私は6千円負け。眠たくて一緒に晩御飯も食べず帰って寝ていた。寝ていたと言っても横になって
嫁さんの気持ちを少し考えてみた。病魔に囚われて逃げ出せない。そんな状態が続いていた。ある時は調子が良く、ある時は調子が悪く…。それでも救いがくる、最終的には健康になると信じていたに違いない。私も最期の瞬間までそう信じていた。だが神様なのか、何なのか分から
内乱勃発!昨晩、小ボスの部下が私にメールしてきた。色々問題点があり、おかしくないかというところを指摘した。そうすると小ボスがそれに対して大ボス、中ボス、途中入社した同格のマネジャーも入れて返信してきた。言っている意味が分かりませんから説明してくださいと明
とある一戸建ての家。嫁さんと楽しく暮らしていた。そこに友達夫婦らしき人が訪ねてくる。嫁さんと私は快く迎え入れた。楽しく家の中を案内する。次の場面では力を絞って書いたメモが目につく。「いつ行こうか。いつ行くべきか。行って戻ってこられるかな。戻ってこられなか
しばらくブログを更新していなかったのは、仕事が忙し過ぎること、また仕事がうまくいかないこと、小ボスが最低なヤツで根回して中ボスと私を悪者にし、大ボスに話をしたからだ。ある事、ない事を大ボスと人事部へ報告。それを聞いた私はガッカリする。それを信用した大ボス
何故眠れないか…どうして不安なのか分からない。嫁さんの死別後、最大の恐怖はない。そう…最大の恐怖とは嫁さんとの別れであったからだ。毎日いつまで生きてくれるのか。朝起きたら嫁さんが死んでしまったりはしないかと怯えていた。嫁さんとの結婚できたことは、全ての幸
作日の分を取り返すために改めて部下と8時からミーティング。それが終わり10時のアポイントへ向かう。そこまでは順調。訪問が終わり鞄を持ち上げようとした時に「バリ」と音がした。もしかして…とトイレに入り確認するとお尻が破れていた。次のアポイントまでに家に帰って着
月曜日の朝9時、部下と面談を予定していた。部下から電話が何度かかかっているが応答なし。いまいまさん、死亡説が回る。誰がかけても電話に出ない。9時半過ぎに目を覚ます。「ワォ〜(岡田増田の岡田風)、やっちまったな」と体制を整えようとすると何か良からぬ事が起きた説
今日は疲れた。お昼にお坊さんが来てお経をあげてくれた。そのあとお義父さんとご飯を食べ、そして終わってから実家に戻り母ちゃんとご飯を食べる。微妙な関係。私自身も嫁さんの家族とうちの母ちゃんとは合わないと思っている。ひとりは我が娘を亡くした親、片方は姑だ。嫁