最後にブログを書いてから随分と経った。休みの間何をしていたか。旅行してお金使いまくったが、一緒に分かち合える人はそこにいない。そして心は埋まらなかった。埋まらなかったというよりも寂しさが増した。それを紛らわすため、新たな一歩を踏み出すため試みをした。一つ
最後にブログを書いてから随分と経った。休みの間何をしていたか。旅行してお金使いまくったが、一緒に分かち合える人はそこにいない。そして心は埋まらなかった。埋まらなかったというよりも寂しさが増した。それを紛らわすため、新たな一歩を踏み出すため試みをした。一つ
最終出社日まで怒涛の引き継ぎ。約30年、一生懸命に仕事をしてきた。それも一旦終了する。心残りはない。引き継ぎはほぼ完了している。ただ寂しいのは「お疲れさん」と言える嫁さんがいないこと。遺影に向かって「55歳まで頑張ってこれました。これも嫁さんが居てくれたから
嫁さん、ごめんね。通風になっちゃった。ある日の晩、少し足に違和感を感じた。朝には違和感がなくなるはずと思っていたが、痛みに変わっていた。体重をかけると痛みが襲う。歩くのに足を引きずりながら歩く。歩くたびに痛い。晩は足を冷やし、睡眠薬を服用しながら眠りにつ
来月55歳の誕生日を迎える。その前の明日、退職願いを提出する。やり残したことはない。昨年中ボスが退職した後、苦労した。次の中ボスの時も一から教えるのはしんどかった。そして何より同格のマネージャーをもう1人雇った上層部は私に力がないと言っているようなもの。そん
死別後、5年4ヶ月が経過した。前回、心が痛くなってメンタルクリニックの診療を受けた時のやり取り。先生:いまいまさんいかがでしょうか。私:眠れたら翌日仕事できるし、寝る前にいろいろ思い出したくないからスッと眠りにつきたい。眠る前に嫁さんの写真や旅行した時の想い
中ボスが退職すると連絡を受けた後、先週は通常に活動していた。今週初め…報告書を作成するためにデータを集める。また昨年の年始と同じ状況。周りの人たちはどう思っているのだろう。昨年2月に前任の中ボス退職。今年6月に昨年5月入社した中ボスが退職する。営業の責任者が
今日、中ボスが退職すると連絡を受けた。あと5年一緒に頑張ろうと思っていたけれど、先を越されて退職される。何となくそんな感じがしたと思っていたと言えば感じるし、そうで無いと言えばそうでもない。やっとストレスから解放されたのに、またストレスがやってくる。中ボス
木曜日の朝、6時半の新幹線に乗り仙台へ。東京から仙台へ向かう車内でミーティングに参加。新しい部下へ引き継ぐため、12時のアポイントに向けて準備。最後の仙台での活動に力を注ぐ。その晩、引き継ぎを兼ねて取引先と飲んで楽しかった。あとは頼むよと部下へ託すが…。今日
GW…皆さんはどう過ごされていたのでしょうか。私は27日何していたかも思い出せない。ボケているのか思い出せない。28日、朝早く滋賀へ向かう。琵琶湖でのボートレースを母ちゃんと楽しむため向かう。会って早々にボートレース場の駐車場でケンカ。「さっさと停めろよ」と言
元中ボスから連絡があった。来月会えないか…いずれ新しく設立する会社の起動がのったら呼ぶよって話があった。しかし1年前、中ボスが退職したあと、メチャクチャ苦労した。それを支えてくれた部下たちもいる。誘いにのるべきか…それとも大ボス、小ボスと決別するべきか。た
人生不公平。何が不公平かというと色々なこと。愛する人との死別⇄愛する人は存命金銭的に余裕ある⇄金銭的に余裕がない仕事に恵まれている⇄仕事に恵まれていない。他にもあるだろうが、直ぐには思いつかない。月曜日も朝から忙しく、営業しながらデータを作る。かたや東の
いつも疲れ切っている。平日、出張が続いた日。でも疲れているといって休めない。身体がダルい。早く眠りにつこうとするも眠れずプロチゾラムを1錠。その時はスッと眠れたが3時間後、目が覚めた。エチゾラムォ1錠、また1錠と服用するも効果なし。仕方なしに海外ドラマを観な
立て続けてメンタル的に弱っている人にあった。1人目は先日退職された方。お母様が眠れない人の1人で、いまだに睡眠薬なしには眠れないようだ。そして痴呆になった今でも、持病の薬は飲み忘れてることがあるが、睡眠薬を忘れない。その方もお母様の眠れない様子をずっと見て
久しぶりに嫁さんの夢をみた。何故か嫁さんに怒られ捨てられる夢。言葉をかけても振り向きもしない。午前4時半頃に途中起きる。そしてもう一度眠りにつくも同じ夢。いいかげんクヨクヨするなって言われているのだろうか。そして6時半過ぎに起きると心が痛くなる。その日の晩
日曜日の朝からモノレールに乗って万博へ向かう。遠くからでも桜が綺麗に咲いていることが分かる。小さな嫁さんと一緒に「今年もきたよ」って話しかける。そして嫁さんと歩いた道を辿る。少し涙ぐむ。チラッと横目で見ると嫁さんが、笑っている嫁さんがそこにいる空想。この
4/1は結婚記念日。結婚記念日を忘れるくらいにメチャクチャ忙しかった。良いことなのか、悪いことなのか?その晩はホテルで遺影と共に祝杯。望むことは何か…それは奇跡。嫁さんが戻ってくるという奇跡。現実にはそんなことは起きない。だから酒を飲み、現実逃避をする。シス
退職した人からメールが届く。仮にAさんとしておく。Aさん: こんばんは。3月もお疲れ様でした。Q1の売上は達成できたのでしょうか。明日からは4月ですね。今日はとても暖かというか暑いくらいでした。近所のお寺でヨガのレッスンを受けているのですが、染井吉野はまだですが
世の中、不景気なのだろうか。これだけ外人が増え、インバウンドで景気が活発化しているはずなのに、私の業界では今年は右肩下がり。潤っているはずが、潤っていない。第一四半期、何とか格好がつく形で終わったものの、その代償はあまりにも大きい。既に第二四半期をどうす
新しいiPhoneを買って喜んでいた。YouTubeを見ながら色々設定をしていく。そこで事件が発生した。ウォレットを登録してICOCAを登録…そうしたら嫁さんのICOCAが使えなくなった。何か大切なものを失った気がした。ネットで調べるともう復活することはない。朝になってJRの窓口
昨日はアップルストアへ行く前にヨドバシカメラへ行き、フィルムとケース、充電器を見に行く。現物確認とAmazonより安れけば購入するのが目的。まずはフィルム…探すも欲しいと思っていたものはなかった。仕方なくAmazonでキャンセルしたものを再度購入。カメラのカバーはど
木曜日の朝、少し楽になった。汗をかいて熱が下がったようだ。体調が良くなったが、体調が悪いことを理由に通院はキャンセル。改めて4月4日に変更した。四半期末は忙しい。だから2週間後にした。心より仕事を優先してしまうのもそろそろ見直さないといけない。でも性格的に
月曜日、火曜日と大ボスと同行。特に緊張することもなく「どうだ」という姿を見せると「売上のためにきているのではない。」と怒られる。じゃあ何のために来ているんですか?って聞きたくなるもグッと押える。火曜日も遅くに帰って嫁さんへ報告。そのあとは「お疲れさん」と
久しぶりにボートレースへ母ちゃんと行く。いつものように紙パックの焼酎を持参。7レースまでやって2勝、2000円勝ち、母ちゃんに聞くと全敗だと…小遣いあげるよと一万円上げて、そのまま酔っ払って朽ちていく。11レースが終わると母ちゃんに起こされた。「もうアカン、全く
プライベートの携帯電話を忘れて出張へ行ってしまった。昔なら出張中どうしたものかとずっと悩んでいただろう。家に帰って確認するも月曜日から金曜日、誰からもかってくることのない電話。何のために持っているのか。「あ、忘れた」ってことはなかった。嫁さんがいたころは
62回目の月命日、仕事のメールも飛んでこない。平穏な土曜日であった。昨日は配管掃除の日で、午前中は家にいなければならない。その配管掃除が来たのは11時40分、そのため酒も飲めず、ただ暇を持て余す。順番なので文句はいえない。その間、洗濯や掃除をしてきれにする。そ
凄く落ち込む夜がある。周りが幸せそうに見え、自分が居た堪れなく孤独を感じる。世間が冷たく感じる時だ。人は皆、平等のはず…とてつもない恐怖。嫁さんがいなくてはダメだ。今日、結婚式のビデオを見ていた。ぎこちない嫁さんとお義父さんが式場に入ってくる。私も緊張し
今朝、母ちゃんを連れて山へ行ってきました。山へ行くのはいいのですが、目的はリフレッシュではなく、母ちゃんが足腰が悪くないように毎月山へ行きます。そして2週間に1回はボートレースに付き合ったりして孤独感が感じないようにと会っていますが、仕事が忙しい時にはピリ
おはようございます。返信を書くまでに随分お時間を頂きました。先に、メールも電話も頂いてしまいました。ありがとうございます。少々長くなりますので、お時間のある時に読んで下さい。最終日、皆で会社の近くで飲んでいて、家に帰ったら、いまいまさんからのお餞別が届い
今月末で退社する人から電話をもらう。週明けは非常に忙しい。忙しい時にはピリピリしている。早く仕事を終えたい…そんな気持ちで仕事をしているからだ。退職する人から「お忙しいのは分かっていますが、最後だから何気に電話しました。」とそのあと少しの間普通に戻り、馬
土曜日、今日は母ちゃんとスーパー銭湯へ行き、ランチブッフェを食べる約束をしていた。朝起きてが母ちゃんの連絡待ち、待てど暮せど電話は鳴らず。そして電話がかかってきて「あんたどこおるん?」と「猫の薬もらいに行くって言ってなかった?それが終わってから連絡をもら
寒く凍てついている心。いつになれば心の氷が溶けるのか。その春はいつになるのか分からない。そしてストレスが溜まった1週間であった。3連休初日の今日、大阪ガスのミュージアムへ行く。少し早めに出発して大阪駅に向かった。駅に着き検索すると大阪の大正駅だ。勝手に大阪
金曜日の朝8時からボロカスに中ボスに言われた。そして全員のプレゼンが使われないまま、ミーティングが進む。私が作ったプレゼンとボロカスに言われたことは何も取り上げられない。無駄な作業をさせられ、休みを潰された。時間を取られ、精神的にダメージをくらう。辞めたく
仕事にプライベートの問題を持ち込むな。感情的にならないためにも仕事は仕事、プライベートはプライベート。とはいうものの…。いつもは何気なく休みでも働いている。気にした事はあまりない。仕事が好きなんだろう。今日はメンタルクリニック、血糖内科とハシゴ。その間、P
血糖内科…前回診察したのは昨年の11月13日。メンタルクリニックは今年の1月5日。本来はどちらも2月1日に受診予定だった。しかし仕事が忙しく薬を取りに行く暇すらなかった。血糖内科の担当医は月曜日と木曜日しかいない。メンタルクリニックは土曜日も診療してはいるが、予
この3連休何していたのだろうと振り返ってみた。初日は嫁さんの実家へお義父さん、お義母さんとご飯を食べて帰った。翌朝、母ちゃんとボートレースに行く。母ちゃんは数百円負け。私は6千円負け。眠たくて一緒に晩御飯も食べず帰って寝ていた。寝ていたと言っても横になって
嫁さんの気持ちを少し考えてみた。病魔に囚われて逃げ出せない。そんな状態が続いていた。ある時は調子が良く、ある時は調子が悪く…。それでも救いがくる、最終的には健康になると信じていたに違いない。私も最期の瞬間までそう信じていた。だが神様なのか、何なのか分から
内乱勃発!昨晩、小ボスの部下が私にメールしてきた。色々問題点があり、おかしくないかというところを指摘した。そうすると小ボスがそれに対して大ボス、中ボス、途中入社した同格のマネジャーも入れて返信してきた。言っている意味が分かりませんから説明してくださいと明
とある一戸建ての家。嫁さんと楽しく暮らしていた。そこに友達夫婦らしき人が訪ねてくる。嫁さんと私は快く迎え入れた。楽しく家の中を案内する。次の場面では力を絞って書いたメモが目につく。「いつ行こうか。いつ行くべきか。行って戻ってこられるかな。戻ってこられなか
しばらくブログを更新していなかったのは、仕事が忙し過ぎること、また仕事がうまくいかないこと、小ボスが最低なヤツで根回して中ボスと私を悪者にし、大ボスに話をしたからだ。ある事、ない事を大ボスと人事部へ報告。それを聞いた私はガッカリする。それを信用した大ボス
何故眠れないか…どうして不安なのか分からない。嫁さんの死別後、最大の恐怖はない。そう…最大の恐怖とは嫁さんとの別れであったからだ。毎日いつまで生きてくれるのか。朝起きたら嫁さんが死んでしまったりはしないかと怯えていた。嫁さんとの結婚できたことは、全ての幸
作日の分を取り返すために改めて部下と8時からミーティング。それが終わり10時のアポイントへ向かう。そこまでは順調。訪問が終わり鞄を持ち上げようとした時に「バリ」と音がした。もしかして…とトイレに入り確認するとお尻が破れていた。次のアポイントまでに家に帰って着
月曜日の朝9時、部下と面談を予定していた。部下から電話が何度かかかっているが応答なし。いまいまさん、死亡説が回る。誰がかけても電話に出ない。9時半過ぎに目を覚ます。「ワォ〜(岡田増田の岡田風)、やっちまったな」と体制を整えようとすると何か良からぬ事が起きた説
今日は疲れた。お昼にお坊さんが来てお経をあげてくれた。そのあとお義父さんとご飯を食べ、そして終わってから実家に戻り母ちゃんとご飯を食べる。微妙な関係。私自身も嫁さんの家族とうちの母ちゃんとは合わないと思っている。ひとりは我が娘を亡くした親、片方は姑だ。嫁
死別して5年、色々なことがあった。立ち直ったようで未だに立ち直っていない。時薬は効いているが、心にポッカリと開いた大きな穴が小さくなっただけ。決して癒えることはない。改めて日記を読み返した。ずっと一緒にいたかったが叶わぬ夢。分かっていたが、少しでも一緒にい
翌日は嫁さんの祥月命日。そんな日にTOTOのショールームに予約をしていた。バスルームをリフォームするためだ。ただ昨日から寝付けない。睡眠薬を服用するも眠りが浅い。そんな時にYahooニュースを見ているとある記事が目に入った。「妻が先立って独りになった。自分が生きて
祥月命日が近く…もう一度でいいから嫁さんと会いたい、触れたい、抱きしめたい。嫁さんの写真を見ているだけで心が締め付けられる。隠れていた悲しみや辛さが込み上げてくる。過去は変えられない。そして夢描いたことは大きく変わってしまった。辞めようと思っていた仕事も5
嫁さんが逝ってしまってから毎年31日、大晦日の日にご飯を食べに行く。朝一に阪神百貨店で並び、お年賀のお漬物を買ってから向かう。お年賀にお漬物を選んだのは嫁さんだ。その頃からの習慣。阪神百貨店は朝から大賑わい。お正月の準備をされる人で混雑していた。幸せそうな
朝5時に目が覚めた。もう一度眠ろうとするが眠れないから仕事をし始める。部下たちの業績評価だ。その後は今年の振り返りを作成する。10時半にエアコンの取り付けにくる。前のエアコンはまだ使えるのだが、今年の夏エアコンが効かない日があったのでもう寿命かと判断した。19
今年一年何とか乗り切った。出だしに中ボスが辞め、その後メチャクチャ大変だった。営業もしながら戦略や戦術も考えなければならない。ストレスで潰れそうにだった。そんな時に後任の人が入った。数字には厳しい人だが、部下のことを理解してくれる良い人で安心する。1年が終
仕事を最優先にするな。家族を一番に考えろ。とは言うものの、不正をする部下がいる。インセンティブがかかっていて自分の力で取ってきていないものをあたかも取ってきてますという。そんなことアリか?指摘すると誰々も…とか。これは…とか。お金がかかっているのだからこ
冬の澄み切った空気、晴れ晴れとした空。冬将軍がやってくる。5年前、悲劇の真っ只中にいた。自宅で最期の時を暮らす…そう選択した。結婚してから最期の時間まで嫁さんが私を成長させてくれた。夫婦共に生きていた。お陰で今の私がある。サヨナラを言う前に「ありがとう」っ
気がついた時には嫁さんはもう…。最愛の人を亡くし、破滅の人生。嫁さんの面影を探して悲しみを繰り返す。もうしばらく、もう少し嫁さんの側にいたかった。人生を誤魔化し生きている。寂しいが寂しくないフリをしている。大声で言いたい。「嫁さんが恋しい、嫁さんに会いた
新しい上司に少し心を許す。「1/9休みを取っているのは嫁さんの命日だからです」新しい上司は「いまいまさんのようにハードワークな人が何で年初のこの時期に休むのかと思っていました」と嫁さんの命日だけはゆっくりとさせてもらいたい。それだけは譲れないと伝える。そして
2週連続で4泊5日の出張は体に疲れが溜まる。その体で母ちゃんと山へ。久しぶりにハードな山。母ちゃんはもう来ることはないだろうと山頂で記念写真を撮る。翌日、体がガタガタ、あちこち痛い。痛むということは生きているということだ。布団を干し、嫁さんの仏壇をきれいにす
師走…12月はイベントが多い。周りは浮かれているシーズン。この時期は心が痛くなる。この切ない気持ちは何だろうか。眠る前に長い道のりがある。嫁さんの写真を見て、嫁さんを想いながら少しずつ意識が遠のく。死別後、彷徨っている。心が定まっていない。日常的なこと、非
最近…思うこと。①仕事が忙しいことから悲しみを忘れる。②辛いことを忘れたいから仕事に没頭する。③その反動で薄れていた悲しみが、突然襲ってくる。④今もどこかで嫁さんを探している。⑤愛していたこと、愛されていたことを改めて実感する。⑥最愛の人、かけがえのない
捻挫してから山には行っていない。踏ん張ると少し足が痛むことがあったからだ。ただ母ちゃんが足腰弱らないようにと土曜日に山へ。登りはなんともない。降りはどうだろうか。特に問題はないが、膝が笑っている。久しぶりということもあるが、体力が落ちているのだろう。山降
午前3時半ごろ、突然体がつった。体がつるということは、筋肉が伸縮バランスを崩している事で、異常な収縮を起こし、元に戻らない状態。 お陰で目が覚めた。激痛で1人ホテルのベットで悶えていた。30分で直ったが、鼻が詰まっている。反対側を向うとしたらまた体が攣り始める
少し熱がある。自力で毛布、オイルヒーター、加湿器を準備。熱が治まるのをジッと待つしかなかった。玄関でピンポンと鳴る。宅急便だ。疲れているが、受け取りだけする。もうお昼過ぎか…また少し嫌悪感がある。熱を測らなくても体の調子で分かる。食べる気が起きない。とり
疲れている。今週も疲れた。月曜日振替休日、木曜日有給…なのに心が疲れている。土曜日、嫁さんの実家でくつろいだが、何故か帰りはぽっかりと穴があく。そこには嫁さんが居ないからだ。そう…年をとっても幸せな人生を2人で共に歩むはずであった。忙しくしているだけで、心
まさかの時に備えてはいなかった。先に逝くと思っていた。そうなるべきだったのではないか…ただ計画通りにならない、そうならないのも人生。残された者として、嫁さんと暮らした家でこの先の人生を見つめ直そうとしている。これからも毎日生きていかなくてはならない。ひと
水曜日、木曜日と仲間に囲まれて酒を飲んでいた。死別したことも忘れているくらい楽しい時間帯を過ごした。このところ出張が多い。家に帰ると、とてつもなく孤独を感じる。嫁さんのことを思い出し涙する。嫁さんの名前を呼べど会えることはない。今週も酒を飲み過ぎるくらい
ある日、森の中熊さんに出会った…そうしたら生きるか死ぬかだね。今、まさにマーケティングと差し違えるつもりで戦っている。マーケティング:貴重な情報共有いただきありがとうございます。セールストレーニングの資料確認しました。競合比較などがメインなので、堂々と社外
ずっと出張が続いている。そして接待などで遅くなる時もある。帰りはいつも夜遅くというか午前様。金曜日、祝日なのに仕事であった。新大阪に着いたのは23時前か…何となく嫁さんの姿を探すも見つからず、頭の中ある残像に心の中で手を振る。ただいま。家に帰ってよく嫁さん
結婚後、様々な変化があった。会社が吸収合併、東日本大震災による不況、コロナ等々…。でも一番大きな変化は嫁さんという大切な人の死。大切にしていたものを喪ったことだ。幸せだったころに戻りたい…今は悲しいだ。嫁さんと過ごした家…いい想い出が詰まっている。最期を
先週の木曜日に出張から帰ってきた。ただ家は空っぽで、部屋は暗闇、嫁さんはいない。いつかは一緒になれる。そう信じている。もしもっと嫁さんのことを気にしていたなら…ほどほどに仕事していたなら…嫁さんは病魔に侵されることなく、それなりに人生を楽しんだのかもしれ
秋晴れの日、空を見て微笑む。暑がりの私にはちょうど良い季節だ。想いに浸る時期でもある。病院から戻り自宅療養していた。死を待っていた嫁さんは何を思っていた。元気に働いている嫁さんを見て、病気(SLE)は現状維持のまま、悪くなることはない。家庭と仕事…どちらも両立
出張で疲れて帰ってきた。だが仕事は残っている。最低限やるべき仕事を終えてお風呂に入る。疲れた体を癒す。お風呂から上がってベットの上に横たわる…誰もいない。孤独の時間がやってきて、心が痛くなる。ご飯を食べるのも、酒を飲むのも疲れ果てた。23時前、気分転換のつ
皆さんは死別したひと、愛するひとの声が聞こえるだろうか。姿も見えないが、嫁さんの姿を見えることがある…憶測か、空想か、それとも錯覚だろうか。家の中は変わっていない。幸せだった頃の状態、その状態に囲まれて生きている(嫁さんのと思い出の写真なんかはなかったが、
土曜日は嫁さんの実家でくつろいだ。日曜日は家で酒を飲み、眠っては酒を飲むの繰り返し。嫁さんの月命日の月曜日は母ちゃんを誘ってスーパー銭湯へ行ってきた。79歳だが元気だ。お風呂に入ってバイキングで一緒にご飯を食べる。喜んでいた。私としても喜んでくれることは嬉
私に嫁さんはいない。5年と8ヶ月もすれば退職、キャリアも終える。生きる支えが無くなってしまう。嫁さんの写真を見ながら何を思う…死別後の生涯、働き続け仕事に捧げて何も残らない。死別後とは別の恐怖に襲われるかもしれない。今から変われるほど柔軟ではなく、自分の中
死別に支配される辛さ。無力感に苛まれて必死で自分を守るために壁を作る。そうするしかないと自分に言い聞かせる。弱味を見せられないと感情を押し殺す。でないと外面の私が壊れてしまう。だから外的要因を撥ね付ける。いつも仕事に対してひたむきになる。そうしない時間を
何故死別から逃げる。それは怖いからだが何が怖い?何もかも…嫁さんがいない何もかもだ。昔は毎日の暮らしに目的があった。死別後、それがなくなってしまった。どこへ行けば嫁さんとの大切な時間やひと時を体験できるのか?家にいても落ち着ける場所が薄らいできている。時
ふと考える。嫁さんの人生はどうだったのか?誰が奪った。神様なのか、仏様なのか、それとも私なのか。生き返ることはない。助ける術もなく、過去へ戻ることもできない。私を楽にしてくれるものはなんだろう。それは嫁さんが迎えにきてくれること。欲を言えば苦しまずに迎え
昨日、データが違っていると連絡があった。グローバルで反映されるのは翌日の日曜日。朝早く起きて検証する。どの週が間違っていたのか…そのあと月曜日する仕事の一部をこなした。9時前に終わりと酒を飲む。飲み終えて眠る前に携帯を見る。見るもんではないのは分かっている
午前5時目が覚めた。今日は母ちゃんとボートレースへ行く日。まだ疲れが残っているが、やるべき仕事があるから仕事机に向かう。7時半そろそろ出かける時間だが仕事は終わらない。小さな嫁さんとPCをカバンに入れて出かける。尼崎ボートレース場に着いたのが9時前。そんな時間
西日本で達成していなかった部下が最終日に達成できた。おめでとうさん。朝イチから一緒にどこへ電話しようか。それぞれな成果をメールでやり取り。お互いに競っている(元担当は私なので一緒にお願い電話をしていた)。そしてやっと肩の荷が降りた。一気にどっと疲れが出てし
月曜日から水曜日まで午前様。木曜日に出張から帰ってくると疲れが溜まっていた。5年前と一緒。インセンティブ獲得のため、走り回り水曜日個人目標を達成する。そして木曜日、西日本チーム全体で達成した。ひとりだけ達成できていない部下のため金曜日はサポートに徹する。今
土曜日は母ちゃんが、ボートレースをやりにくる。和やかに時が過ぎていく。その時に母ちゃんにあることを聞いた。「人生つまらないと思わないか」と聞くと「私もやる気が起きなくてね。でもボートしていると色々考えるし、一喜一憂するから面白いよ」と別の返答になった。土
結局、今日は眠れずに乗り切った。昨晩というか今朝というべきか。足掻いて気がつけば6時…日が昇るのも段々と遅くなりつつある。そう…このくらいの時期に発熱した嫁さんを家に置いて出張へ行ったことなどを思い出していた。繰り返される悪夢。2018年9月24日の晩、その当時
酒を飲んでは寝て、起きては飲む。繰り返す悪循環。眠りも浅く熟睡する事がない。今日一日そんな日であった。何もする事がないからエアコンの買い替えを考えたり、お風呂のリフォームを考えたりとしていた。そこで問題点…どこからそのお金を捻出するのか…ボーナス時期か?
土曜日、嫁さんの実家へ行く。いつものように小さな嫁さんとお出かけだ。茹だるような暑さ…もう9月半ばというのに汗が滲み出る。1時間くらい電車、バスを乗り継ぎ到着。暖かく迎えてくれるお義父さん、お義母さんに感謝だ。お酒を飲み、お昼寝してから夕食を取る。なんとな
内紛?が起こった。ある人からある人への攻撃。そのメールを転送されて怒りが込み上げた。攻撃した人へ朝イチで電話するも繋がらない。そらそうだ。宛先に私が入っていない。私だったら激怒するからだ。何が許せないって片一方の人の話は聞くが、もう片一方の人はメールで攻
日曜日、懇親会があり、そのあと2次会へと行き飲み過ぎた。飲み過ぎてタクシーへ掘り込まれ家に帰る。気持ちが悪くなり起きる。出張へ行かなければならない。準備はしているが、それでもなかなか起き上がれない。ただ持ち物はあるか確認。PCある、携帯ある、財布ある、家の鍵
朝起きるとワクワク感がなくなっていた。ワクワクすることもなく、淡々と仕事こなす。「なんで嫁さんの月命日、休みの日に仕事としているんだ」と急にやる気を失った。何となく会える気がしていたが、そんなことある訳ないことは分かりきっている。会えない現実に涙がこぼれ
今日も頑張っているよ。嫁さんは見てくれていたかな。新しい中ボスとの同行。緊張もしなければ何もない。ただ淡々と仕事しているだけ。私という個体がない。明日が月命日からか、早く眠りにつこうとしている。何故か、明日になったら嫁さんに会える気がしている。会えるわけ
改めて「あいたい」という曲を聞いた。話したい触れたい抱きたい見つめたいこれを超える気持ちが今もうまれない僕は生きているよ 君のいない世界でたまに笑ってみたり 何か夢中になったりまさにその通りだ。悲しみを何となく誤魔化している。そう…嫁さんがいなくてもいい
何故か昔から休みの日は早く起きてしまう。一日がもったいないとか、嫁さんが寝ている間に仕事を終わらそうとか思っていたのが今も続いている。6時半に目を覚ましシャワー浴びてPCに向かう。11時前に仕事を終えた。昔なら嫁さんが起きてくる少し前。「おはようさん」と嫁さん
死別した皆さんも会えるなら会いたい。寂しい…そう思っていませんか。それは家族だからだと思います。人生であとひとつ夢が叶うのなら嫁さんのことを抱きしめたいと願う…儚い夢。寝る前によく見ているYouTubeは、犬や猫の動画。なんとくだが、心が休まる。いつか大型犬を飼
ミーティングで、部下たちへ「マインドをチェンジしろ!殻を打ち破れ!!」と伝える。しかし私は口先ばかりだ。死別という殻を打ち破れずにいる。悲しみというマインドから脱却出来ていない。そんなヤツのこと誰も聞かないよ。昨日夢見たこと…ある日、よく眠れたと起きる。
捻挫した足が痛いし、やる事がないとベットに横になるも眠れず、睡眠薬を1錠また1錠とかじるも眠りが浅かった。ウトウトしたのは3時過ぎ、カクンと落ちては目を覚ます。日曜日の朝、やる事がないと出張の用意。11時を回った。お昼ご飯食べながら東京へ移動しよう。新幹線の中
捻挫…そんなもの気合いで何とか乗り切れると腫れている足を無理矢理革靴に押し込む。火曜日、水曜日と我慢に我慢を重ねたが限界がきた。親指以外全部青く変色している。もしかしたら骨にいっている(骨折)かもしれない。朝イチで整形外科へ行くことにした。結果は骨には異常
月曜日、取引先のBBQに参加した。楽しくも何ともない。周りは家族連ればかり、そしてライバル会社も参加しているが、子供の話ばかり。楽しくも何ともない。いい肉が食えるだけ。それでも手土産(自腹)持参して11時から21時まで拘束。その間に火曜日の会議の連絡をもらう。「帰
昨日は午後から仕事。難なくこなして翌日を迎える。朝6時起床、いつのもように仕事をし始める。8時メンタルクリニックへ向かい、9時に診察。先生:ご機嫌いかがでしょうか。私:プレッシャーから解放されて、お盆休みは平穏な日々でしたが、相変わらず眠りは浅いです。先生:も
ボートレースへ行く予定であったが翌日電車が運休することから母ちゃんと会うのは別の日になった。お腹減ったがどうしよう…そう言えばパン粉が残っている。いつのだろうか。賞味期限ご2019年3月。嫁さんが入院してからハンバーグは作っていないということだ。久しぶりにハン
お盆休み3日目はずっと家にいた。前日からもがくも全く眠れない。そうだ、カレーを作ろう。9時にスーパーへ買い出し。人参、ジャガイモ、玉ねぎ、牛肉、らっきょ、たくあん…忘れ物はないか確認。家に戻り作り始めると「マサランほんの少ししかあらへんやん」ともう1度買い出
お盆休み2日目、前日飲み過ぎていたから気持ち悪くて朝5時には起きていた。何するでもなく、ただぼうっとしていた。外は暑そうだな。洗濯、掃除機をかけていたらそこそこ時間が過ぎた。今日は前中ボスとの飲み会。待合せは16時に新大阪。まだ2時間ほど時間があると少しお昼寝
休み1日目、3時40分突然目が覚めた。もう一度眠りにつこうか考えだが、睡眠薬を服用するほどでもない。何故ならば今日はお休みで、いつ眠っていても就業時間ではないからだ。いつ眠酒を飲もうと咎められることはない。では何をしようか…今日やる予定であった1つコンプライ
やった!明日からお盆休みだ!!気持ちは既に休みモードになっている。ただ休みモードといっても仕事はしている。9日から15日まで休み、16日仕事、17日から21日まで休み。新しい中ボスからは「仕事を離れてリフレッシュしてみては?」と心遣いがあったが「気楽に仕事できるの
先日に続いて嫁さんと夢で会えた。しかし何故か怒られているシーン。何について怒られているのか分からないが、おそらく今週飲み過ぎていることではないか。日曜日から木曜日まで飲み歩き、毎朝少し気持ちが悪い。そんな感じて飲んでいた。多分そのことだろうと推測。6時前に
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最後にブログを書いてから随分と経った。休みの間何をしていたか。旅行してお金使いまくったが、一緒に分かち合える人はそこにいない。そして心は埋まらなかった。埋まらなかったというよりも寂しさが増した。それを紛らわすため、新たな一歩を踏み出すため試みをした。一つ
最終出社日まで怒涛の引き継ぎ。約30年、一生懸命に仕事をしてきた。それも一旦終了する。心残りはない。引き継ぎはほぼ完了している。ただ寂しいのは「お疲れさん」と言える嫁さんがいないこと。遺影に向かって「55歳まで頑張ってこれました。これも嫁さんが居てくれたから
嫁さん、ごめんね。通風になっちゃった。ある日の晩、少し足に違和感を感じた。朝には違和感がなくなるはずと思っていたが、痛みに変わっていた。体重をかけると痛みが襲う。歩くのに足を引きずりながら歩く。歩くたびに痛い。晩は足を冷やし、睡眠薬を服用しながら眠りにつ
来月55歳の誕生日を迎える。その前の明日、退職願いを提出する。やり残したことはない。昨年中ボスが退職した後、苦労した。次の中ボスの時も一から教えるのはしんどかった。そして何より同格のマネージャーをもう1人雇った上層部は私に力がないと言っているようなもの。そん
死別後、5年4ヶ月が経過した。前回、心が痛くなってメンタルクリニックの診療を受けた時のやり取り。先生:いまいまさんいかがでしょうか。私:眠れたら翌日仕事できるし、寝る前にいろいろ思い出したくないからスッと眠りにつきたい。眠る前に嫁さんの写真や旅行した時の想い
中ボスが退職すると連絡を受けた後、先週は通常に活動していた。今週初め…報告書を作成するためにデータを集める。また昨年の年始と同じ状況。周りの人たちはどう思っているのだろう。昨年2月に前任の中ボス退職。今年6月に昨年5月入社した中ボスが退職する。営業の責任者が
今日、中ボスが退職すると連絡を受けた。あと5年一緒に頑張ろうと思っていたけれど、先を越されて退職される。何となくそんな感じがしたと思っていたと言えば感じるし、そうで無いと言えばそうでもない。やっとストレスから解放されたのに、またストレスがやってくる。中ボス
木曜日の朝、6時半の新幹線に乗り仙台へ。東京から仙台へ向かう車内でミーティングに参加。新しい部下へ引き継ぐため、12時のアポイントに向けて準備。最後の仙台での活動に力を注ぐ。その晩、引き継ぎを兼ねて取引先と飲んで楽しかった。あとは頼むよと部下へ託すが…。今日
GW…皆さんはどう過ごされていたのでしょうか。私は27日何していたかも思い出せない。ボケているのか思い出せない。28日、朝早く滋賀へ向かう。琵琶湖でのボートレースを母ちゃんと楽しむため向かう。会って早々にボートレース場の駐車場でケンカ。「さっさと停めろよ」と言
元中ボスから連絡があった。来月会えないか…いずれ新しく設立する会社の起動がのったら呼ぶよって話があった。しかし1年前、中ボスが退職したあと、メチャクチャ苦労した。それを支えてくれた部下たちもいる。誘いにのるべきか…それとも大ボス、小ボスと決別するべきか。た
人生不公平。何が不公平かというと色々なこと。愛する人との死別⇄愛する人は存命金銭的に余裕ある⇄金銭的に余裕がない仕事に恵まれている⇄仕事に恵まれていない。他にもあるだろうが、直ぐには思いつかない。月曜日も朝から忙しく、営業しながらデータを作る。かたや東の
いつも疲れ切っている。平日、出張が続いた日。でも疲れているといって休めない。身体がダルい。早く眠りにつこうとするも眠れずプロチゾラムを1錠。その時はスッと眠れたが3時間後、目が覚めた。エチゾラムォ1錠、また1錠と服用するも効果なし。仕方なしに海外ドラマを観な
立て続けてメンタル的に弱っている人にあった。1人目は先日退職された方。お母様が眠れない人の1人で、いまだに睡眠薬なしには眠れないようだ。そして痴呆になった今でも、持病の薬は飲み忘れてることがあるが、睡眠薬を忘れない。その方もお母様の眠れない様子をずっと見て
久しぶりに嫁さんの夢をみた。何故か嫁さんに怒られ捨てられる夢。言葉をかけても振り向きもしない。午前4時半頃に途中起きる。そしてもう一度眠りにつくも同じ夢。いいかげんクヨクヨするなって言われているのだろうか。そして6時半過ぎに起きると心が痛くなる。その日の晩
日曜日の朝からモノレールに乗って万博へ向かう。遠くからでも桜が綺麗に咲いていることが分かる。小さな嫁さんと一緒に「今年もきたよ」って話しかける。そして嫁さんと歩いた道を辿る。少し涙ぐむ。チラッと横目で見ると嫁さんが、笑っている嫁さんがそこにいる空想。この
4/1は結婚記念日。結婚記念日を忘れるくらいにメチャクチャ忙しかった。良いことなのか、悪いことなのか?その晩はホテルで遺影と共に祝杯。望むことは何か…それは奇跡。嫁さんが戻ってくるという奇跡。現実にはそんなことは起きない。だから酒を飲み、現実逃避をする。シス
退職した人からメールが届く。仮にAさんとしておく。Aさん: こんばんは。3月もお疲れ様でした。Q1の売上は達成できたのでしょうか。明日からは4月ですね。今日はとても暖かというか暑いくらいでした。近所のお寺でヨガのレッスンを受けているのですが、染井吉野はまだですが
世の中、不景気なのだろうか。これだけ外人が増え、インバウンドで景気が活発化しているはずなのに、私の業界では今年は右肩下がり。潤っているはずが、潤っていない。第一四半期、何とか格好がつく形で終わったものの、その代償はあまりにも大きい。既に第二四半期をどうす
新しいiPhoneを買って喜んでいた。YouTubeを見ながら色々設定をしていく。そこで事件が発生した。ウォレットを登録してICOCAを登録…そうしたら嫁さんのICOCAが使えなくなった。何か大切なものを失った気がした。ネットで調べるともう復活することはない。朝になってJRの窓口
昨日はアップルストアへ行く前にヨドバシカメラへ行き、フィルムとケース、充電器を見に行く。現物確認とAmazonより安れけば購入するのが目的。まずはフィルム…探すも欲しいと思っていたものはなかった。仕方なくAmazonでキャンセルしたものを再度購入。カメラのカバーはど
朝5時に目が覚めた。もう一度眠ろうとするが眠れないから仕事をし始める。部下たちの業績評価だ。その後は今年の振り返りを作成する。10時半にエアコンの取り付けにくる。前のエアコンはまだ使えるのだが、今年の夏エアコンが効かない日があったのでもう寿命かと判断した。19
今年一年何とか乗り切った。出だしに中ボスが辞め、その後メチャクチャ大変だった。営業もしながら戦略や戦術も考えなければならない。ストレスで潰れそうにだった。そんな時に後任の人が入った。数字には厳しい人だが、部下のことを理解してくれる良い人で安心する。1年が終
仕事を最優先にするな。家族を一番に考えろ。とは言うものの、不正をする部下がいる。インセンティブがかかっていて自分の力で取ってきていないものをあたかも取ってきてますという。そんなことアリか?指摘すると誰々も…とか。これは…とか。お金がかかっているのだからこ
冬の澄み切った空気、晴れ晴れとした空。冬将軍がやってくる。5年前、悲劇の真っ只中にいた。自宅で最期の時を暮らす…そう選択した。結婚してから最期の時間まで嫁さんが私を成長させてくれた。夫婦共に生きていた。お陰で今の私がある。サヨナラを言う前に「ありがとう」っ
気がついた時には嫁さんはもう…。最愛の人を亡くし、破滅の人生。嫁さんの面影を探して悲しみを繰り返す。もうしばらく、もう少し嫁さんの側にいたかった。人生を誤魔化し生きている。寂しいが寂しくないフリをしている。大声で言いたい。「嫁さんが恋しい、嫁さんに会いた
新しい上司に少し心を許す。「1/9休みを取っているのは嫁さんの命日だからです」新しい上司は「いまいまさんのようにハードワークな人が何で年初のこの時期に休むのかと思っていました」と嫁さんの命日だけはゆっくりとさせてもらいたい。それだけは譲れないと伝える。そして
2週連続で4泊5日の出張は体に疲れが溜まる。その体で母ちゃんと山へ。久しぶりにハードな山。母ちゃんはもう来ることはないだろうと山頂で記念写真を撮る。翌日、体がガタガタ、あちこち痛い。痛むということは生きているということだ。布団を干し、嫁さんの仏壇をきれいにす
師走…12月はイベントが多い。周りは浮かれているシーズン。この時期は心が痛くなる。この切ない気持ちは何だろうか。眠る前に長い道のりがある。嫁さんの写真を見て、嫁さんを想いながら少しずつ意識が遠のく。死別後、彷徨っている。心が定まっていない。日常的なこと、非
最近…思うこと。①仕事が忙しいことから悲しみを忘れる。②辛いことを忘れたいから仕事に没頭する。③その反動で薄れていた悲しみが、突然襲ってくる。④今もどこかで嫁さんを探している。⑤愛していたこと、愛されていたことを改めて実感する。⑥最愛の人、かけがえのない
捻挫してから山には行っていない。踏ん張ると少し足が痛むことがあったからだ。ただ母ちゃんが足腰弱らないようにと土曜日に山へ。登りはなんともない。降りはどうだろうか。特に問題はないが、膝が笑っている。久しぶりということもあるが、体力が落ちているのだろう。山降
午前3時半ごろ、突然体がつった。体がつるということは、筋肉が伸縮バランスを崩している事で、異常な収縮を起こし、元に戻らない状態。 お陰で目が覚めた。激痛で1人ホテルのベットで悶えていた。30分で直ったが、鼻が詰まっている。反対側を向うとしたらまた体が攣り始める
少し熱がある。自力で毛布、オイルヒーター、加湿器を準備。熱が治まるのをジッと待つしかなかった。玄関でピンポンと鳴る。宅急便だ。疲れているが、受け取りだけする。もうお昼過ぎか…また少し嫌悪感がある。熱を測らなくても体の調子で分かる。食べる気が起きない。とり
疲れている。今週も疲れた。月曜日振替休日、木曜日有給…なのに心が疲れている。土曜日、嫁さんの実家でくつろいだが、何故か帰りはぽっかりと穴があく。そこには嫁さんが居ないからだ。そう…年をとっても幸せな人生を2人で共に歩むはずであった。忙しくしているだけで、心
まさかの時に備えてはいなかった。先に逝くと思っていた。そうなるべきだったのではないか…ただ計画通りにならない、そうならないのも人生。残された者として、嫁さんと暮らした家でこの先の人生を見つめ直そうとしている。これからも毎日生きていかなくてはならない。ひと
水曜日、木曜日と仲間に囲まれて酒を飲んでいた。死別したことも忘れているくらい楽しい時間帯を過ごした。このところ出張が多い。家に帰ると、とてつもなく孤独を感じる。嫁さんのことを思い出し涙する。嫁さんの名前を呼べど会えることはない。今週も酒を飲み過ぎるくらい
ある日、森の中熊さんに出会った…そうしたら生きるか死ぬかだね。今、まさにマーケティングと差し違えるつもりで戦っている。マーケティング:貴重な情報共有いただきありがとうございます。セールストレーニングの資料確認しました。競合比較などがメインなので、堂々と社外
ずっと出張が続いている。そして接待などで遅くなる時もある。帰りはいつも夜遅くというか午前様。金曜日、祝日なのに仕事であった。新大阪に着いたのは23時前か…何となく嫁さんの姿を探すも見つからず、頭の中ある残像に心の中で手を振る。ただいま。家に帰ってよく嫁さん
結婚後、様々な変化があった。会社が吸収合併、東日本大震災による不況、コロナ等々…。でも一番大きな変化は嫁さんという大切な人の死。大切にしていたものを喪ったことだ。幸せだったころに戻りたい…今は悲しいだ。嫁さんと過ごした家…いい想い出が詰まっている。最期を
先週の木曜日に出張から帰ってきた。ただ家は空っぽで、部屋は暗闇、嫁さんはいない。いつかは一緒になれる。そう信じている。もしもっと嫁さんのことを気にしていたなら…ほどほどに仕事していたなら…嫁さんは病魔に侵されることなく、それなりに人生を楽しんだのかもしれ
秋晴れの日、空を見て微笑む。暑がりの私にはちょうど良い季節だ。想いに浸る時期でもある。病院から戻り自宅療養していた。死を待っていた嫁さんは何を思っていた。元気に働いている嫁さんを見て、病気(SLE)は現状維持のまま、悪くなることはない。家庭と仕事…どちらも両立