学ぶ過程 K先生(女子)から借りたノートは、僕のフレスコ画の制作が終わってから初めて目を通した。 この数日で本を読み漁り知ったフレスコ画の知識は、K先生(女子)のノートからも外れた内容ではなかった。 そのことが、良くも悪くも、僕の自信になっていた。 僕が持っている日本画の知識の殆どは、本を読み漁って知ったものだった。 実技ではない講義の先生達の授業や直接会話から、知っていった知識もあるけれど。 実技で、日本画の教員達から教わったのは、入学してから数ヶ月くらいの期間だけで、絵具の溶き方くらいのものだった。 そうなったのも。 僕は教員達の発言に疑問を持ち、そこに質問を繰り返すことでそうなった訳であ…
これから書き綴っていくことは、見る人から見れば、自身で情報収集している人であれば、当たり前の話や予想になってしまう。 そのことに対する僕のいい訳としては、自分の為の書き綴りで、記録しているものだということ。 今の現状 2020.3.28 今流行しているコロナウィルスの問題から、外出やイベント等を自粛する流れが強くなっている昨今。 これからの事では、どうしてもよくないことばかり予想できてしまう。 コロナウイルスとは 外出の自粛が本格的になってきて、今でひと月位経過しているのだろうか。 その程度の近頃でも、中小企業は次々と倒産している事実がある。 目の前の仕事と身の回りのことにばかり目がいっている…
フレスコ画の準備 K先生(女子)から電話をもらい、指定された日時に研究室へいく。 そこにはK先生(女子)がいて、上級生(4年生)の数人も待機していた。 K先生(女子)の書き控えたフレスコ画についてのノートを貸してもらえ、ノートを読んだ上で制作を頑張るように言われた。 それから、上級生はフレスコ画制作の漆喰を塗る直前までの作業を、僕に見せながら作っていく。 漆喰を塗ってしまうと、フレスコ画の完成を急がなくてはならなくなる(数時間以内というタイムリミットが発生する)。 まだ乾燥していない漆喰に絵具を塗り、漆喰(壁面)の乾燥に合わせて染み込ませて色を定着させるのがフレスコ画の描き方なのだ。 この後は…
フレスコ画の授業 日本画の授業のなかで、フレスコ画をやることとなった。 これは課題や提出物という強制的なものではなく、希望する生徒には参加してもらうという程度のものだと聞いていた。 授業での話は少しだけ置いておいて。 まずはそのフレスコ画のことを簡単に説明すると。 フレスコ画は壁画という形式の絵画で、まだ乾いていない漆喰の壁に石灰水で溶いた顔料等で描いく絵画である。 以前の投稿で、ミケランジェロの壁画の話を少ししたけれど、そのシスティーナ礼拝堂の天井画もフレスコ画である。 ミケランジェロ システィーナ礼拝堂 創世記の物語 作品紹介 このフレスコ画を日本画研究の一環として、授業内でやるという話を…
担当教員への求め 画仙紙に墨を主に使い、自画像を描いていた。 僕は研究室(日本画の職員室)へ行く度に「3年生の担当教員であるA先生(男子)に絵を見て貰いたいです」と求める。 しかし、僕の求めに対して、A先生(男子)に会わせて貰うことは一度もなく、いつもS先生ばかりが対応しようとする。 それ迄のやり取りの関係上、僕はS先生の指導等を信用していなかった。 いつもの流れとして。 僕はA先生(男子)からの指導を求めているのだが、S先生は僕の持っている課題等の絵を覗き込んできて、その批評や指示などを出してくる。 僕は、そのS先生の言葉に耳を傾けて聞きはする。 きちんとしたことを言っていれば、その言葉は心…
今回の話の流れとしては、複数の絵柄を持つことについての話を語り、それから破墨(はぼく)という技法を学ぼうとしたことを語る。 実際の処、破墨を学ぶのは中途半端に終わったのだけれど、その破墨をやる過程がK先生(女子)との会話の切っ掛けとなる。 そういう流れで、書き綴っていくつもりでいる。 破墨 『破墨』というのは、紙に塗った淡い墨の濃淡の上に濃い墨の濃淡を描き、立体感を持たせた感じの絵を描く技法だ。 日本画では殆んどの場合、麻紙や絵絹等に滲み止めの液を塗って、紙を加工してから描くことになる。 でも破墨の場合には、滲み止めの加工をしないで描いている制作の過程もあった。 その辺りは、使う紙の兼ね合いも…
帰宅 講評会から、僕は「ふざけんな!」と怒鳴り、アトリエ(教室)を出ていく。 それからずっと苛々しながら、大学から家へと帰っていった。 幾ら自分の反省するべきことを考えようとしても、大学の教員や同級生達の理不尽な言動ばかり頭を過る。 僕は、誰よりも教員達の言葉に耳を傾けてきたし、そのことを深く理解しようと、繰返し質問もしてきた。 絵に費やしてきた労力等でも、僕の上を行っている人物などはいないと考えている。 それでいて、何で僕はこんな状況に追い込まれてしまうのだろう。 僕は、この大学に来たこと自体が失敗だったとしか考えられない。 いつも苛々してばかりで、いつかは堪えきれず、誰かをあやめてしてしま…
講評会へ向けての約束 僕はS先生と約束していた。 課題制作の方向転換を強要してきた意味や内容について、その説明を講評会で必ず行ってくれると。 しかし、その課題の講評会の当日、約束を交わしたS先生と、担当教員であるA先生(男子)も用事があるということで、講評会には現れなかった。 本来来る筈だった先生の代わりにK先生(男子)とA先生(女子)が講評会を行う。 この状況を当日の講評会で知り、やはり今回もS先生には騙されたのだと感じた。 しかし、少し考え直す。 僕はあれだけしつこく求めて約束したのだから、S先生からのこと付けくらいはしているかもしれない。 或いは、何等かの対処はして貰えているだろう。 S…
裸婦の課題を終えて、いつもの課題に切り替わってからの話。 結論的な話を書いておくと、3年生になってから始まった自由課題を契機に、僕はある先生から「他の生徒の迷惑だから、もう学校には来るな」と怒鳴られる。 そうして僕も、大学でのアトリエ(教室)は利用しなくなり、それ以降、僕の課題の制作場所は与えられなくなる。 今回から何回かの投稿は、その経過をダラダラと書いていく流れだ。 A先生(男子) その自由課題が始まる前、A先生(男子)からは「課題は家でやらずに学校で制作しなさい」という言葉をかけられる。 それ迄の僕の盗難問題の話を、A先生(男子)は知っていたかどうかは判らないのだが。 これからの課題の制…
裸婦のデッサンと着色写生の時の話は、今回まで続く。 放課後に行ったK先生(女子)とS先生と、他の生徒たちとの話し合いのことについて、多少の葛藤もあった。 あの話し合いの場で、僕がこの美術大学で受けている仕打ちを話していくすべきだっただろうか。 もっと、具体的にS先生や他の教員たちの悪いところを挙げていき、あの場にいるS先生を追い込むところまでやるべきだったのではないだろうか。 そういう後悔や迷いの様な考えが、何度も頭を過る。 …いや、あれで良かったのだ…という考えもあり、過ぎたことでありながら、あの時はどうするべきだったかの結論に悩んでいた。 新入生歓迎会 後になって考えてみれば、新入生歓迎会…
放課後に行ったデッサンの話 ここで書いていく話は、K先生が『一枚の葉っぱ』の話をした翌日~数日後辺りでのこと。 裸婦のデッサンを進めている時に、K先生(女子)は教室の生徒たちにこう話す。「みなさん、この授業時間が終わったあとで少しお話ししませんか?これは強制ではないので、残らなくても良いのですが、よかったら絵のことでお話ししましょう。」 そうして、この日の授業を終えたあと(裸婦のポーズの時間が終えたあと)、K先生は数冊の画集を持ってやってくる。その後、話が始まってから少し遅れてS先生もやってきた。 この話に参加した生徒は半分ぐらいで、残る半分は話に参加せずに帰っていた。 急な話で、アルバイト等…
これ迄と違った流れ デッサンでの話は、根本的な部分で同じことを繰り返している。 僕としては。 黒いデッサンに拘るつもりはないが、鉛筆でも木炭でも、濃い濃淡での描きたかを苦手としている。 自身の絵の向上の為には、そこは通らなくてはならない部分と考えていた。 それがこの大学でやっていけないであれば、僕もやりはしない。 それをI先生とS先生は、『彫刻のデッサンみたいだ』『日本画には日本画に適したデッサンがある』と語り、遠回しにやってはいけないことと語っていた。 途中からは、木炭や濃度の濃い鉛筆の使用を禁止することまでもしてきた。 それ等の指示については、後になってから『あの時は機嫌が悪くて…』という…
進歩のない経過 3年生になってからの課題は、裸婦のデッサンから始まった。 デッサンを描くに関して、今回も教員たちからは何ら説明などはなかった。 ただ課題として、裸婦のデッサンと着色写生の課題が始まっただけだ。 2年生の頃は、裸婦のデッサンや日本画制作の件で何度も揉めてきたのだから、今回もデッサン等で揉める覚悟はしていた。 しかし、この時のデッサンや着色写生では、教員たちから何の言葉もかけられない。 それは僕だけではなくて、他の生徒達も同じく、殆ど声をかけられていなかった様に思う。 周りの生徒に関しては、相変わらず僕の絵を見て何かと噂する。 一部には、僕のデッサンが上手だと言って後ろから覗き、話…
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