制作に対する指示 裸婦の日本画制作は、それまでに制作した着色写生やデッサンを見ながら制作する。 この時の下図相談も、見て貰うのはS先生だった。 僕自体は、それ迄のS先生とのやり取りなど全く意識せず、それ迄通りというか、臆せず堂々と話しかけるように意識した。 S先生自体も、特に変化は見られなかったのだが。 後にして思えば、その場面にはたまたま他の教員達もいた為、S先生側もそうせざる負えなかったのかもしれない。 裸婦の日本画制作では、以下の内容でやるという話にまとまった。 ・いつもより絵具を塗り重ねる回数を増やす(S先生の指示)。・デッサンや着色写生時の様な、メリハリを意識した色調にはせず、モデル…
先に結論を S先生から『絵を描くのに、モラルなんか関係ない』という言葉をかけられて、当時の僕は、日本画画家の安田靫彦のことを頭に浮かべた。 安田靫彦の話の前に、今回の話の結論を書いておくと。 僕個人は、絵とモラルは関係あることを信じている、となる。 でも、関係のない人にとっては、関係ないのだと思う。 この後は、絵のうんちくばかりの話になるし、読み飛ばしても、この後の話に関係はないことを伝えておく。 安田靫彦(やすだゆきひこ) この頃の僕は、安田靫彦の絵を見ても難しいイメージばかり持っていて、よくわからないという感想が先行していた。 安田靫彦は歴史画を多く描いていて、僕の教養の無さも手伝って、そ…
Toの手紙 モデルさんでの一件の後、S先生とA先生(女子)からは、時折、挑発の様な批判を受ける。 この頃によく言われていたのは、僕の考えていることは、何もかもが全て勘違いだということ。 同級生との件ばかりではなく、日本画教員達が教えていることに対して、疑問に思い質問を持ちかけてきた過去の僕の行為もそうだという。 余計なことを考えず、何かがおかしいと感じても、必ず間違っているのは僕の考え方であるから、何もせずにまわりに合わせ、黙っていなさいとのこと。 同級生達も、みんな僕と仲良くしようと話しかけているだけで、僕のことを悪く言ったり考えている者は一人としていない、ということ。 モデルさんの件も、モ…
辻褄合わせの行動 裸婦の写生の為に教室に行き、自分の制作場所に座る。 教室内では、昨日に起こった問題を同級生達はヒソヒソと噂している。 これくらいの声なら聞こえないだろう、という意識もあるのだろうが。 僕はこれまでずっと、何を言われても知らない振りをして、自分のことだけに集中しようと心がけてきた。 だから、僕には聞こえていないだろうと思って話していても、結構聞こえている上で、相手にしてこなかったのである。 いつもなら、まわりの噂話などどうでも良かったのだが、この時のこの会話だけ、僕はどうしても耳を傾けてしまう。 それはYが、それまであまり会話をしていなかった女子生徒達に対して、自分はこの件に関…
翌日の動向 モデルさんの件で、トラブルのあった日の翌日。 午前中の授業では、特に何もなかった。 僕に気付かれないように、ヒソヒソと話しているのはあるが、そういうものまでもをどうこう言うつもりはない。 この何もないとこと自体は当たりことなのだが、この当たり前の状況は、1年次からずっとなかったことで、違和感を感じてしまう。 それでも、これからの僕は、絵を学ぶことに集中するだけだと考えていた。 同級生達から孤立していることは変わらないが、変なちょっかいを出されることは少なくなるだろう。 教員達も昨日のことでは、僕だけを悪者として考えているだろう。 とはいっても、1年次からずっと僕のことを毛嫌いしてい…
教員達からの質問 その日の裸婦の写生の時間が終わった後、K先生(男子)から「研究室に来なさい」と言われて研究室に行く。 因みに、その日はたまたまS先生は学校に居なく、S先生以外の先生全員が研究室で僕を待っていた。 K先生(男子)は「それで、何があったんだ」と聞いてくる。 僕は、この件で誰かから話を聞いたかを質問し、K先生(男子)は「何も話は聞いていない」という。 僕は、アトリエ(教室)で語ったのと似通った話をする。 この問題が起こるよりもずっと前から、同級生間では色んなトラブルが起きていて、今回の件は、かなり込み入ったものの断片であること。 そのことで、僕は全部を話すか、必要最低限のことを話す…
焦燥 いつまでも繰り返すToの騒ぎに、僕は焦りと苛立ちを覚える。 その焦りの一番の要素は、早くモデルさんに謝りたいという気持ちで、ポーズの時間が来たり、細々とした事柄等で、謝るタイミングを逃してしまうということ。 少し前まで、Toと一緒に僕やモデルさんの悪口を言っていたメンバーの内の1人は「喧嘩は外でやれ!」等と、自分は無関係であることを前提の発言をしている。 そういう事ではなく、このアトリエ(教室)内の生徒全員の問題なのだ。 後で考えれば、幾らでもやりようはあったのだが、僕は痺れを切らして相手にする。 「いつまでやってんだ。いい加減にしろと言ってるだろ!」僕はそう怒鳴ってToに詰め寄り、胸ぐ…
生徒の絵の傾向 着色写生を進めていても、やはり僕の作品だけは感じが違う。 美術大学の同級生のなかには、S(男子)の様に、多浪して入学してきた者も何人かはいた。 でも、多浪しているから力があるかというと、そうでもなくて。 特に2~3浪もしていると、本当に力があると見てとれる人と、1浪以降からは力のついていかない人とに別れている気がする。 僕も一年の浪人してきた訳で、自分のことを棚にあげているかもしれない。 自分で考える自分の絵というのは、実際より幾つか上の段階に考えてしまう傾向にあり、僕自身も端から見れば、ここで偉そうに語っている程の腕ではないのかもしれない。 だからこそ、僕の描いた絵を貼付した…
デッサンから着色写生へ 1年次から、特にS先生とA先生(女子)から、デッサンも日本画制作も、まわりの生徒の制作をお手本として見て、それと同じ絵を描けと言われてきた。 だが、僕には同級生の絵を、そんな風には見れない。 漫画や浮世絵の様に輪郭線を探って描き、ぬり絵の様に、肌の部分は鉛筆を寝かせて薄く塗り込むように描いている。 これ等を、I先生は『日本画に適したデッサン』という。 それがなぜ日本画に適しているのか、そういう説明なんかもしない。 僕からしてみれば、基礎を知らない素人のデッサンでしかない。 いつも高評価を貰っているTaは、デッサンに関しては上手く描けず、「デッサンなんか描けなくても、いい…
I先生との会話 裸婦のデッサン。 モデルさんのポーズが終わった後、僕はI先生とデッサンの話をしようと、研究室へ行く。 その時には、I先生から怒鳴られた時のデッサンも持って行った。 研究室に行くと、そこには目的のI先生は一人でいた。 僕はそのI先生に話しかける。 「さっき怒鳴られていた件で質問にきたのですが、質問しても良いですか?」 I先生「いいよ」僕「このデッサンの何が悪いのでしょうか?」 I先生「どうせこのデッサンは、消ゴムであの時より色を落としてるんだろ?」僕「落としてませんし、あの時より濃い鉛筆を使って加筆してます」I先生「ふぅ~ん。俺が見たときはこれよりももっと真っ黒だったぞ。まぁいい…
この時に行われたデッサンや着色写生は、後に始まる『裸婦の日本画制作』の為のもの。 実際に日本画制作を行う時には、この時のデッサンや着色写生を見て描くことになる。 その前提でやりなさい、というものであった。 今回は、これ迄に書き綴ってきたことを、繰返し書いている部分が多いと思う。 それを自覚していながら書いているのは、これ迄に積み重ねてきた事柄が、これから始まる新しい問題の下地になっているからなのだ。 これまでと同じ流れ そうして始まった裸婦のデッサン。 この時に来たモデルさんは、前回のデッサンの時とはまた別のモデルさんだった。 時間が経過し、教室内で各自のデッサンの制作がある程度進んでくると、…
大学2年次では、裸婦の写生関係の課題は多かった。 そういうことと、1年次から違和感を感じ続けていた部分もあり、これまでに書いてきた内容と重複してしまい部分も多く出来てしまうと思う。 モデルさんへの配慮 裸婦というのは裸の女性である。 女性で裸のモデルさんを雇って絵を描くというのは、絵画を学び経験する上では、ととも大事なことである。 その分、モデルさんを雇う為のお金や、モデルさんにじっとしてもらう行為や、女性に裸になってもらうことなど。 どうしても、神経質になったり気を使う部分というのは出来てくる…などと僕は考えてしまう。 しかし、この大学では僕が一年生の頃から、そういうことを軽く考えられている…
ここでの話は、アメーバブログで書き綴っていた頃に、書くのを遠慮してしまった部分になる。 アメーバブログを書き綴っていた当時は、大学時代の同級生をネット上で見付け、少しだけ会話をしていた。 そういう兼ね合いで、僕のブログはその同級生に見られている可能性も高かった。 ここでの内容自体は問題ないのだけど、ここでの話から繋がる後々の内容に、迷って省いてしまった部分だ。 今回、はてなブログで追加したとして、後々に、書こうとしている内容に繋げたり、きちんと書き起こせるかはわからない。 でも、やれるだろうと考えて、今回は書いていうと思う。 渡辺包夫 高校生か浪人生くらいの頃からだろうか。 テレビ番組で『開運…
今回の話は、前回に投稿したテレビ番組の話に繋がる話である。 偶然なのか、必然なのか、当時の僕は竹内栖鳳に興味を持っていて、番組内で解説の中心となるパリ万博には、その竹内栖鳳も絵を出品し、出席までしている。 竹内栖鳳の件だけではないのだけど、それまでよく解らないと思いながら読んできた幾つかの話が、番組の内容に直結していた。 そういうこともあり、もう少し細かく、竹内栖鳳について書いていこうと思う。 竹内栖鳳 概要 竹内栖鳳の産まれた京都は、古い町並みや文化を残す。 この町並みや文化を作り、残す意味合いにはこんな話もある。 戦国時代に天皇は京都に疎開していて、天皇の居る町としての町並みや文化を作って…
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