今日は、福島県郡山市湖南町の朝日城へ。郡山市は、奥羽山脈の東西に市域がまたがる。湖南町は、奥羽山脈西側の猪苗代湖南岸にあり、会津地方に含まれることになる。主郭…
今日は、相馬郡飯舘村の草野館へ縄張図を描きに行く。 南西山腹に草野小学校の跡地があり、石製の立派な解説板が立つ。伊達氏との境目だけあって、草野館には相馬家中の…
翌13日は、佐野市の佐野城を訪問。唐沢山城の後の佐野氏の本城である。 三の丸の南辺。右奥の橋は、佐野駅と佐野城をつなぐ通路。 三の丸から見た二の丸。 解説板。…
この日の最後は、やはり同じく栃木市の皆川城へ。東北道からよく見えるあの城である。 市役所の出張所がある南麓の曲輪から見た主要部。左手が副郭で、右手の高い方が主…
続いて、同じく栃木市の西方城へ。先ほど訪ねた二条城の占地する尾根を、西へ上っていった山頂を中心に築城された大きな城である。 解説板。 「本丸」から東へのびる尾…
12・13日に栃木県へ遠征。まず訪ねたのは栃木市の二条城。 大手筋は、東方へのびる尾根と思われる。ただし今は、東北自動車道の建設で削られている。その尾根の南付…
ここのところの大雪で、近所の城では縄張図が描けないので、浜通りへ行く。 今日の成果。双葉郡楢葉町の井出城。 2郭北辺の堀切。とても直線的。城外と2郭は木橋で…
今日は、今年最初の城歩きに双葉郡川内村の神山館へ。 西からの近景。 解説板。 主郭北西虎口上からの眺望。奥には年末に訪ねた西館が見える。 主郭北西虎口を下(西…
「ブログリーダー」を活用して、かきおさんをフォローしませんか?
今日は、福島県郡山市湖南町の朝日城へ。郡山市は、奥羽山脈の東西に市域がまたがる。湖南町は、奥羽山脈西側の猪苗代湖南岸にあり、会津地方に含まれることになる。主郭…
暖かな日が続き、ようやく会津に行けるようになった。そこで今日は、耶麻郡猪苗代町の町堤崎館へ。 町堤崎館は、東が開いたコの字形の単郭の構造である。写真は、西辺の…
今日は、福島県郡山市の上篠坂城へ。いままで存在が知られていなかった城館で、単郭の小規模な陣城である。宮城県在住のT氏のご教示で知った。ありがとうございます。西…
最近読んだのはこの3冊。千田嘉博・平山優『戦国時代を変えた合戦と城 桶狭間合戦から大坂の陣まで』(朝日新書 2024年)は、著名な2人による対談を鮎川哲也が編…
今日は須賀川市の松山城へ。 南東尾根の堀切。 堀切内側の土塁。 主郭には、掘り窪めたとみられる小区画が2つある。写真はそのうちの東の小区画。 同じく西側の小区…
今日は、天栄村の大里城を訪問。伊達政宗が小田原に参陣したとき、二階堂遺臣の矢田野氏が籠城し、抵抗した城である。 天栄村ふるさと文化伝承館から遊歩道を鞍部まで下…
ようやく雪が溶けたので、岩瀬郡天栄村へ。天正18年(1590)に大里城を攻囲した伊達方の陣城を訪ねてみた。 まずは松本館。写真は北方向の眺望。木々で見えにくい…
続いて訪ねたのは、同じく南相馬市小高区の上根沢館。先に訪ねた下浦館が標葉領であったのに対し、すぐ近くながら、こちらは相馬領である。 北西に開く虎口。クランクし…
まだ寒波が続いていることもあり、今日も浜通りへ。南相馬市小高区の2城を訪ねた。まずは下浦館。 主郭南西の堀切。左手が主郭で右手が副郭、もしくは城外。 堀切の内…
近所はまだ雪が残っているので、今日も浜通りへ。双葉郡広野町の東禅寺館を再訪した。 東稜線の堀切。左手が城外で、右手が城内。 先ほどの堀切の内側に、もうひとつ堀…
いよいよ今日は、双葉郡楢葉町の木戸城へ。「楢葉城跡」として遺跡登録されているが、諸史料には「木戸城」と登場する。 二郭から見た主郭。南辺がそそり立つ壁のように…
続いて午後は、同じく広野町の堂林館。 城域を限る北西辺の堀切。左手が城内で、右手が城外。 同じ堀切を城外から見たところ。 堀切の内側には土塁がある。左奥に、先…
今年は大雪続きで近所の山城に行けないので、また浜通りへ。まず訪ねたのは双葉郡広野町の高倉城。 北東から。 解説板。 中心となる曲輪の南東辺には石積がある。 比…
続いて双葉郡富岡町の小浜館へ。単郭の小規模な城館のようである。 北辺の横堀。右手が城内、左手は城外だと思うが、60メートルほど先に土塁と横堀がある。横堀は切通…
今日は縄張図を描きに浜通りへ。まず訪ねたのは楢葉町の小山城。先日行った大谷館・名合沢館とは、木戸川を挟んで対峙するような位置にある。 各城館の位置関係。 今回…
続いて名合沢館へ。さきほどの大谷館から、北東へ700メートルほどのところにある。 南東からの近景。 今回の成果。舌状にのびる山上に、横堀で曲輪取りする。ただし…
今日は、双葉郡楢葉町へ縄張図を描きに行く。先ずは大谷館。木戸川が、山間地から平地へと流れ出る部分の山上に占地する。 今日の成果。曲輪内の多くは自然地形だが、背…
今日は、相馬郡飯舘村の草野館へ縄張図を描きに行く。 南西山腹に草野小学校の跡地があり、石製の立派な解説板が立つ。伊達氏との境目だけあって、草野館には相馬家中の…
翌13日は、佐野市の佐野城を訪問。唐沢山城の後の佐野氏の本城である。 三の丸の南辺。右奥の橋は、佐野駅と佐野城をつなぐ通路。 三の丸から見た二の丸。 解説板。…
この日の最後は、やはり同じく栃木市の皆川城へ。東北道からよく見えるあの城である。 市役所の出張所がある南麓の曲輪から見た主要部。左手が副郭で、右手の高い方が主…
今日は、栃木県那須郡那珂川町の武茂城を訪問。宇都宮氏庶流の武茂氏の本城であり、同氏が佐竹氏に従属してからは、佐竹領国西部の要城となる。中心に位置する本城の東西…
今日は縄張図を描きに、福島県石川郡平田村の蓬田館へでかけた。実に、およそ20年ぶりの訪問である。西側から見た蓬田館。手前の平坦地には、土浦藩土屋家の蓬田陣屋が…
城郭史・戦国史のライターとして著名な西股総生氏の著作を3冊読む。『戦国武将の現場感覚』(KAWADE夢文庫 2022年)は、「読みもの」として執筆したとあると…
翌日は、桜川市の真壁城へ。近接する真壁伝承館歴史資料館には、真壁城の出土品も展示してあった。 けっこう多彩な遺物が出土している。 同館に展示の真壁城想定図。筑…
30・31日の土日に、茨城県の2城を訪問。まず訪ねたのは、土浦市の土浦城。二の丸に建つ土浦市立博物館には、正保城絵図の控とみられる「常州土浦城図」が展示してあ…
最近読んだのはこの3冊。岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』(中公新書 2016年)は、古代から現代までを通覧して、中国の二元的な構造を解説。「大夫」「…
高槻から京都への帰り足、京都府大山崎町の山崎城を訪問。山崎合戦後、豊臣秀吉が一時期本拠とした城である。山崎城の築かれた天王山の中腹から、山崎合戦の戦場を見る。…
高槻市に来たからには、ここを訪ねないわけにはいかない。ということで、芥川山城から今城塚古墳まで歩く。陵墓には指定されていないものの、大方の研究者が継体陵とみな…
4日間の京都滞在のうち1日は、大阪府高槻市へ足を延ばした。目的地は芥川山城。摂津北部の拠点である。登り口にあった復元イラスト。 東曲輪群の中心曲輪から南へ延び…
実に三十数年ぶりの上洛。まず訪ねたのは二条城。東大手門と東南隅櫓。東大手門は櫓門を前面に出して、徳川将軍家の権力を示す。 二の丸は土塁で囲まれている。奥に見え…
最近読んだのはこの3冊。Living History in 京都・二条城協議会編『京都二条城と寛永文化』(青幻舎、2022年)は、寛永文化をキー概念に、京都を…
昨20日の土曜は東京へ。目的の1つは、出光美術館の企画展「青磁」。さすがに優品揃い。 出光美術館のロビーからは、江戸城がよく見える。中央奥の建物は外桜田門の櫓…
最近読んだのはこの3冊。佐々木健策『戦国期小田原城の正体 「難攻不落」と呼ばれる理由』(吉川弘文館、2024年)は、文書・絵図などの文献史料と考古学による発掘…
最近読んだのはこの3冊。吉田一彦『『日本書紀』の呪縛』(集英社新書 2016年)は、『日本書紀』の影響力を論じた史料批判の書。「未来は過去と対になるように存在…
翌17日の日曜日は静岡市の駿府城へ。近年の発掘調査や今年の大河で何かと話題の城である。今回の〆。外堀の脇にはこんなものが。さすがは老舗プラモメーカーのお膝元。…
続いて吉田町の小山城を訪問。この城も丸馬出が有名である。 本郭に取り付く丸馬出。きれいに整備されている。 二の郭に建つ模擬天守。築数十年が経過し、これも立派な…
12月16日・17日の土日、弾丸で静岡県へ遠征した。まず訪ねたのは島田市の諏訪原城。諏訪原城と言えば、なんといっても丸馬出。写真は二の曲輪大手馬出を画する横堀…
最近読んだのはこの3冊。加藤一郎『古墳との対話 出土品からみえるこの国のなりたち』(早稲田新書 2023年)は、古墳の出土品のうち、主に埴輪と和鏡を取り上げて…
最近読んだのはこの3冊。森公章『武者から武士へ 兵乱が生んだ新社会集団』(吉川弘文館 2022年)は、天慶の乱から鎌倉幕府の成立までを通覧した武士成立論。相撲…
続いて慈恩寺城郭群を訪問。寒河江荘の古刹である慈恩寺を防御するように構えられたとされる城郭群である。 慈恩寺の旧境内は国史跡に指定されている。そのガイダンス施…