ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。一点にシューと束ねられていることをあれこれ考えていたら次の言葉に出会いました。ハイデガーの『存在と時間』に次のように書かれています。「「存在」は意のままになる概念としてではない。「存在」を問いたずねる場合、問う者であるわれわれが、存在者にほかならない。この存在了解内容は結局は現存在自身の本質機構に属するわけである。」また道元の『正法眼蔵』(現成公案の巻)に次のように書かれています。「仏道をならふといふは、...カーネーションの花びらが束ねられている一点(本質機構)
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