カーネーションの花びらが束ねられている一点(流れあうもの)
ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。その一点をみていたら、こんな疑問がわきました。意識・精神と目の前に見えているものは一点に束ねられるかどうかということです。それに関連して『正法眼蔵』の(即心是仏の巻)に次のような文がでてきます。「此の身は即ち生滅有り。心性は無始よりこのかた未だかって生滅せず。身生滅するとは、龍の骨を換ふるが如く、蛇の皮を脱し、人の故宅を出づるに似たり。即ち身は是れ無常なり。其の性は常なり。南方の所説、大約此の如し。」「我...カーネーションの花びらが束ねられている一点(流れあうもの)
2018/04/27 07:19