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一主婦の「正法眼蔵」的日々さんのプロフィール

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ブログタイトル
一主婦の「正法眼蔵」的日々
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/adiosother
ブログ紹介文
道元禅師の著書「正法眼蔵」を我が家の猫と重ねつつ
更新頻度(1年)

4回 / 266日(平均0.1回/週)

ブログ村参加:2019/01/13

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一主婦の「正法眼蔵」的日々さんの新着記事

1件〜30件

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』の帰敬偈

    『中論』の帰敬偈ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。この一点に関係するかもしれないという言葉が、龍樹の『中論』の帰敬偈のなかにありました。その偈とは以下のとおりです。「不生亦不滅不断亦不常不一亦不異不来亦不出(不生にして亦た不滅不常にして亦た不断不一にして亦た不異不来にして亦た不出なる)能くこの因縁を説き善く諸々の戯論を滅す我稽主して礼す仏を諸説中第一なりと」不生不滅というのは、なにも生ぜずなにも滅しないということでしょう。すべて幻想・イル...カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』の帰敬偈

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(作「さ」)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。この一点に関係するかもしれないという言葉が、『中論』の注釈書の『プラサンナパダー』のなかにありました。それは「作(さ))」という言葉です。「作(さ)」という名詞の元になる動詞の語根の意味は、(作る・為す・形成す・構成す・実行す・履行す・生ず・顕す・示す等)となっています。この「作(さ)」に関連して次の文が『プラサンナパダー』にでてきます。「すでに見られているものは見られない。いまだ見られていないものは見ら...カーネーションの花びらが束ねられている一点(作「さ」)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(作「さ」)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。この一点に関係するかもしれないという言葉が、『中論』の注釈書の『プラサンナパダー』のなかにありました。それは「作(さ))」という言葉です。「作(さ)」という名詞の元になる動詞の語根の意味は、(作る・為す・形成す・構成す・実行す・履行す・生ず・顕す・示す等)となっています。この「作(さ)」に関連して次の文が『プラサンナパダー』にでてきます。「すでに見られているものは見られない。いまだ見られていないものは見ら...カーネーションの花びらが束ねられている一点(作「さ」)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(根と根眼)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。花びらが一点にシューッと束ねられているのを見るとスッキリするのに関連して反対論者の次の文に目がとまりました。『中論』(「眼等なる根を考察すること」と名づけられる第三の章)の第一げに次のように書かれています。「眼・耳・鼻・舌・身・意という、六つの根力が存在する。これらにおいては、色・声・香・味・触・法の六つの境が存在する。」ここで眼等が存在するといってないで、眼根等が存在するといっていることに興味がわきまし...カーネーションの花びらが束ねられている一点(根と根眼)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(自と他)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。潔さとか簡潔とかに関連して『中論』の第三章(眼等なる根を考察することと名付けられる第三の章)の第二偈の言葉が関心をひきました。「実に、それ、〈見るもの〉は、ほかなるそれこそを、すなわち自らのアートマンを、見ない。〔自らの〕アートマンを見ないもの、それは、どのように、他なるもろもろのものを見るであろうか。」「眼(根)等は自らを見ない。自らを見ることができないもの、それはどうして他を見ることかできるであろうか...カーネーションの花びらが束ねられている一点(自と他)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(刹那消滅)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。なんで一点にシューッと束ねられているのを見るとこころが落ち着くのかと考えていたら、ああそういうことかと思いつきました。それは、この宇宙もビッグバンの一点からでてきたといわれていますし、私たち生物も最初は一個の細胞から細胞分裂してできています。また、一個の電子がいろいろな形、りんごや恐竜や魚や両生類に生り変わりしているといわれています。このようにある一点から規則性をもっていろいろ広がっているから、その起源の...カーネーションの花びらが束ねられている一点(刹那消滅)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(あたたかいこころ)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。ある一点にシュッと束ねられているというのはこういうことではないかと以下に書いてみようと思います。まず、以下のようではないかと思った発端はネコのクーちゃんのネットを見てからです。ネコのクーちゃんが認知症の柴犬のムギちゃんに寄り添っていろいろ助けてやっているネットです。犬のムギちゃんがよろよろ歩こうとすると倒れないように支えになろうとします。またいつも寄り添って添い寝をしてあげます。ネコのクーちゃんは義務感で...カーネーションの花びらが束ねられている一点(あたたかいこころ)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(本質機構)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。一点にシューと束ねられていることをあれこれ考えていたら次の言葉に出会いました。ハイデガーの『存在と時間』に次のように書かれています。「「存在」は意のままになる概念としてではない。「存在」を問いたずねる場合、問う者であるわれわれが、存在者にほかならない。この存在了解内容は結局は現存在自身の本質機構に属するわけである。」また道元の『正法眼蔵』(現成公案の巻)に次のように書かれています。「仏道をならふといふは、...カーネーションの花びらが束ねられている一点(本質機構)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(流れあうもの)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。その一点をみていたら、こんな疑問がわきました。意識・精神と目の前に見えているものは一点に束ねられるかどうかということです。それに関連して『正法眼蔵』の(即心是仏の巻)に次のような文がでてきます。「此の身は即ち生滅有り。心性は無始よりこのかた未だかって生滅せず。身生滅するとは、龍の骨を換ふるが如く、蛇の皮を脱し、人の故宅を出づるに似たり。即ち身は是れ無常なり。其の性は常なり。南方の所説、大約此の如し。」「我...カーネーションの花びらが束ねられている一点(流れあうもの)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(向きあうもの)

    ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。そこで自分が一つに束ねられるのはどういうことなんだろうかとふと思いました。そのことを考えていたら、そのことのヒントになる言葉がある本のなかに書かれていました。「『自分が自分が』と自分自身のことをまるで確固としたもののように言う人がいますがそんな確固とした自分の核なんてあるんでしょうか。少なくとも世間でいう『自分』などというものは、単なるキャラクーであり、役どころのようなもので、そのようなものは関係性の変化...カーネーションの花びらが束ねられている一点(向きあうもの)

  • カーネーションの花びらが束ねられている一点(コア)

    ダイニングテーブルのうえにカーネーションが挿してありました。そのカーネーションをみていたら、花びらを束ねている一点に目がとまりました。その一点を見ながらなにげにいろいろ思い巡らせていたら、これはコア・核心といえないこともないなと思いました。コアというのはどんなことを言うのかと考えてみると、たとえば私が毎日の食材を買いに行った場合何のコアもないと、これも安いからこれも食べたいから買おうと買っていきます。でも何らかコアがあるとこれこれの基準のもとに買い物をして、一ヶ月いくらいくらで食費を納めようとすることです。コアがないと何基準に買い物をしたらいいのかわからなくてパシッとしません。そういう点に関連して、龍樹の『中論』の註釈書を読んでいて、私はこれがコアというのに今まで気がつかなかったという点がありました。それは以下...カーネーションの花びらが束ねられている一点(コア)

  • カーネーションの花の中心(ゼロ)

    カーネーションの花をなにげに見ていたら、花びらを束ねられている一点に気をとられました。ある一点に花びらが納められてられているのを見るとなぜか安心感を感じます。そんなことを感じながらある一点をみながら、これって「ゼロ」と関係あるんではないかとふと思いました。なんである一点にすべてが納められているのに「ゼロ」と関係あるんだろうと思いますが、仏教でいう「ゼロ」というのは、私たちが目の前にものがあるかないかの「ゼロ」とは違って、あるものとの相対関係で「ゼロ」とします。たとえば電車が走っている速度と電車の外の景色が同じ速度で動いていれば、こころが気を取られるものがないので「ゼロ」とします。また、綱引きで左右どちらも同じ力で綱を引けば、綱の中心は動かないのでこころが気を取られるものは何もありません。そのように互角の力がある...カーネーションの花の中心(ゼロ)

  • カーネーションの花の中心(虚妄)

    カーネーションの花びらはある一点から出ているのと、アットランダムにあっちこっちから出ている差を考えていて、こういうことではないかとふと思いました。ある一点から出ているということは、ある一つのものがいろいろに変化して他のもののように見せて別個なものだと私たちをだましているけれども、実は根っこは同じだということです。昨日寝ながらふと考えてました。うちの猫は二匹とも死ぬときは本当に身ひとつで死んでったよな、と。それと、カーネーションの花びらがある一点からでているのとなにか関係があるような気がしてその関係を明らかにしてみたくなりました。猫は、目にみえない根っこの一点を見据えていて、その一点がいろいろ変化していて私たちをだまそうとしているのに気がついていたから、その変化しているものは無視してある一点をジーッと観じていたの...カーネーションの花の中心(虚妄)

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