カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』自らより生ぜず)
ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。この一点にシュッと束ねられているというのに関係するかもしれないという言葉が、龍樹の『中論』の観因縁品第一章第三偈のなかにありました。その偈とは以下のとおりです。「諸法は自らより生ぜず亦た他より生ぜず共ならず無因ならず是の故に無生なりと知る」この偈のなかの「自らより生ぜず」についてどんなことだとうと考えていると、最近おこったあることが思い浮かびました。ここ数日のあいだにいろんな人間関係に変化があって落ち込ん...カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』自らより生ぜず)
2020/02/14 10:30