カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』の帰敬偈の戯論)

カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』の帰敬偈の戯論)

ダイニングテーブルの上にカーネーションの花が挿してありました。それを何気に見ていたら、花びらが一点にシュッと束ねられていることを気持ちいいなと感じている自分に気が付きました。一点に絞られているというのは潔さとか簡潔とかを連想させて、自分の中に潜在的にこうなりたい願望があるからいいなと感じるのかもかもしれません。この一点にシュッと束ねられているというのに関係するかもしれないという言葉が、龍樹の『中論』の帰敬偈のなかにありました。その偈とは以下のとおりです。「不生亦不滅不断亦不常不一亦不異不来亦不出(不生にして亦た不滅不常にして亦た不断不一にして亦た不異不来にして亦た不出なる)能くこの因縁を説き善く諸々の戯論を滅す我稽主して礼す仏を諸説中第一なりと」このなかで龍樹は(戯論)を滅するためにこの『中論』を説くといってい...カーネーションの花びらが束ねられている一点(『中論』の帰敬偈の戯論)