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2018/12/23

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  • 相手と対等になる手段

    絵は私にとって、同級生と(表面的には)仲良くやっていくための手段でした。 今の土地にに引っ越してきた時、 【頭悪い】【オドオド】【どんくさい】…というのび太的要素を兼ねそろえていた私は、よく虐めのターゲットにされていました。何もしてないのに暴言を吐かれたりしました。どうやら私はクラスの中でヒエラルキーの最下層に位置していたらしく、比較的大人しい女子からも悪口を言われました。彼女達にとって、私は適度なガス抜きに丁度よかったのかもしれません。 あまり書きたくはないですが、 「ハゲ~(笑)」とからかわれることもあれば、 クラス総員で私を“汚物”であるかのように扱ってくることもありました。 (ちなみに…

  • いつも不満な人

    よく「親の敷いたレールを歩んできた」とか「良い子として生きて来た」という話を聞きますが、私の場合はちょっと違うなーと思っています。私は「褒められたい」とは思っていても、「親にとって良い子」であろうとしたことは多分ありません。「これだけは譲れない」という、どうでもいいような細い事を頑固一徹で来た記憶があります。今でも何故か分かりませんが、「このコップは使えない。このコップは使える」とか、自分でも法則のよく分からないルールに縛られることがあります。 これが所謂発達障害の強い拘りなのか、私の我儘なのかはわかりませんが、何となく後者な気もしています。 (この「気がする」という表現も、「そうじゃない可能…

  • 「認められたい」という病

    誰かが評価されると、私はその人に対して強い敵意を抱きます。 「あの人は恵まれている。」 「あの人は贔屓されている。」 それに引き換え私は頭も悪いし見た目も悪い。加えて成績も悪い。どうしたらダメな自分から脱却できるだろうか。どうしたら人から評価されるだろうか。常に褒められたい、認められたい、構ってほしい。それにはどうしたらいいのか。 私は『デザイナーである』という事にアイデンティティを置いていましたが、よくよく考えてみたらこの仕事を選んだのも“自分の手が届く範囲”で『凄いと言われたい』という欲求から来ていたように感じます。この“手が届く範囲で”というのも、我ながらセコいと思っています。多分、私は…

  • 老後がこわい。

    ASDはIT系に向いているなんて言われていますが、順序立てて話すことが苦手な私は簡単な報連相にも苦労しました。そこではチームでの仕事が基本だったので、コミュニケーション能力が重視されていたのです。 発達障害者の中には「自分は他人とは違うと思っていた」と表現する人がいるけれど、私の場合は「自分の頭がおかしいと思っていた」といった方がしっくりきます。漠然とした不安は物心ついた時から抱えていて、夜中一人、枕を濡らすこともよくありました。でもその不安感をうまく言語化できなかった事と、「おかしな子供」だと思われたくないという気持ちもあって、それを誰とも共有する事が出来ないまま大人になりました。当時は『普…

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