というか、正確には、一年先輩なんだけど。5時すぎ。それはどこでも見かける景色でもあるけれど、その姿がいかにも年寄りじみて。おいおい、俺もこんな感じかね、なんてね。笑ってしまった。そんな中、ドリプラまでの軽いジョギングを敢行。軽いと敢行という文字が不似合いだけどね。朝陽を浴びてまたぞろのビタミンDの産生作業。梅雨前の気持ちの良い朝を満喫している多くの人がいて、おいおい、日本って、平和じゃん、だな。朝の珈琲はタンザニアのスノートップ。朝早くに同級生が歩いていた。
ときた。昨日の研修会でのグループ討論。おもしろいものだね。って、わからないか。というのも、子どもの頃の僕は笑わないというのか、無口でおとなしくて、が大人たちからの声で。なんての、瞬間に、いや、少し経ってからか、思い浮かんだよ。今だって、意識して、笑顔大事ですぞ、みたいな風情ではないんだけど。おもしろくなきゃ、そこから立ち去れる時には立ち去る、ってのが、ほぼほぼの立ち位置で。立ち去れない時には、ま、我慢するのか、あるいは、そこから何らかの意味をかじり取るか。って具合だな。今朝も地の神様へお線香を手向け、ありがとうございます、と。直感だけだけどね、その理由ってのも。ところで、chatgptにお伺いを立てたら、わかりませんので地元の博学な方にお聞きください、ってさ。いい感じだね、AI、まったく引っかからないこと...あなたはいつも笑顔で。
さっきまでは、蒸し暑さを感じていたのだけれど、気持ちよくなってきた。昨夜は、88歳の御仁と飲んだ。2階の階段への登り降りもシャキッとして、大したもんだ。目と歯は自分のモンだという田中城の末裔さんだ。何日か前に、古くからの先輩、こちらは80になろうというお年頃。彼が言うには、同級生たちが出てこなくなった、とね。なんやかんやの理由をつけて、コロナ、ってのも大きかったのかも、だけど。昨夜の御仁も、何回目かのワクチン、打たなきゃ、なんてね。もう一人の同行者は、すかさず、もう打たない方がいいですよ、ときた。なんて言っても、どこからの情報を手にするかで、えらい違いが出てくるんだよな。そんなところとは違う世界を見ている当方としては、まさに、隠れキリシタン、ってわけだ。ところで、やっちゃんという御仁とその昔、行き合ったこ...雨の朝、少し涼やかになった
だな。マックとWindowsの二つのモニターの目の前に並べ、いかにも仕事をしている姿、ってわけだ。とはいえ、僕がExcelブイブイ、ってのは、ちょっとズレてるだろうな、と思いつつ、だ。けれど、社内にはいろんな数字が転がり込んできているんだよね。それを整理整頓したくなっちゃってね。ことに、この業界、建設がらみの業界は、とかいちゃうと、エクスキューズみたいだけどな。基本の基の字に戻っている次第。Excelで思い出すのが、Windows前の、あれなんていうのか、まだ僕が30歳前後か。Excelの前身、Lotus123なんての、あって。あれを教えていただいた師匠が、歴史の旅では大吉さんと呼ばれる御仁。この間、彼とは八ヶ岳へエネルギーワークに行ったんだけど。彼はそういうことが好きな頭に生まれついたのか、その後、自社...またぞろのツインモニターへ
ざっくり、赤丸の少し左側のあたりで戦闘があったと書かれている。ちょうど、我が家のあたりだ。梶原さんが自害された後、どんなことが起こったのかわからないけれど。何らかの経緯があり、七士の墓石が今なお残る、ということになるな。現在リアルに起こっていることだってわからないんだから、そりゃ、800年以上前のことなら尚更。ってことだよね。しかも、今に過去も未来もすべて詰まってる、なんて言説もありだし。このところ、このブログでの写真アップが簡単になったので、頻度上がってるな。icloudの同期が早いから、ついでに、AppleIDの不具合が解消され、なんでね。上記地図、久々に素人郷土研究家に早変わり、ってなもんだな。韮山三左衛門さんを、chatgptとマイクロソフトなんとか、の二つのAIに聞いてみた。chatの方は、申し...今朝も高橋村の手書きの地図を
前の前の御住職が歴史に詳しく、そんな会があったんだよね。僕も一度だけ、相模のなんていうお寺だったか、そこに同行したことがある。梶原景時の愛馬、磨墨(するすみ)という名馬の産地、飛騨の手前、下呂まで行ったり、河口湖畔にある。梶原景時武者姿像、とかを見に行ったりしたらしい。遠く九州のさらに南、なんていう島だったか、そこに住んでらっしゃる梶原さんを訪ねたり、だそうで。あの頃、つまり、梶原一族が鎌倉から京へ逃げる、あるいは再起を図るのか、そんな頃。土地の豪族、高橋、入江、吉川、あと何か、今でも地名として残っている方々が迎え討ったそうで。梶原さんは、結果、今の地名に残る梶原山で自害。ということになっているわけだ。そんな一族、七士の墓石がわが母親の実家に鎮座ましますので、写真、撮ってきた。去年亡くなったおじが書き残し...かつて梶原会というのが菩提寺であった
何年前になるのか、高千穂への旅。高千穂神社で見たのが、こんな姿の鬼八。上から押さえ込んでいるのは、鬼八の親分の健磐龍命(タケイワタツノミコト)。という説が流布されているけれど、神武天皇の兄、ミケイリノミコトが真説なのかも。各地に鬼伝説がある。高千穂の地でもあったわけで、縄文の龍蛇族というのが、後来の、大和朝廷に滅ぼされ、という絵柄。それが、この写真ということになるそうで。なかなかに複雑な様相を呈しているのだけど。八つながりで、出雲の八岐大蛇、信州の安曇野にも八面大王伝説があるそうで。とにかく、八つ裂き、という言葉があるように、頭と胴体をバラバラにしてそこここに埋めた。そこを鬼塚と呼ぶ、とかね。熊野の女酋長ニシキトベもナグサトベも、そんな伝説、残っているしね。わが駿河の地にも、そんな伝説あるのかな、知らない...今朝はのっけから鬼八伝説
以前受講した自己啓発系のセミナー。それはベトナム戦争でPTSDだっけ、精神的な負荷から異常をきたした人を回復させる。というコンセプトで始まった手法、ということだったけれど。その中の一コマ、ここにコップいっぱいの水がある、これしかないのか、あるいは、こんなにもあるのか。なんての、気の持ち方一つで現実が、云々、なんて話、思い出した表題だ。昨日、久々にヘアーカットの大将の話を聞いて、体はすこぶる元気だけど、認知機能が衰えて、って具合だ。そうで。ところで今朝のわがレストランには、どうやらカワラヒワの親子かな、二羽できているんだよね。飛び方の慣れない一羽がスズメ達に混じって餌を啄んでいる。可愛い、という前に、頑張れ!若造!って昔はやったCMだったか、そんなこと、思い浮かんできたな。まだちょっと痩せていてね。あんまり...もう8時だ、or、まだ8時だ
花言葉はあふれる喜びだ。夏至のこのタイミングで、いい感じだな。今朝は写真、貼っておこうか。今、iPhoneをアップデート中なので、後ほど、だけど。このところ、iMacがまたぞろ、旧に復しそうな気配で、例の。AppleIDのなんとかかんとか、って件ですが。うまくいかないものだ、と嘆きをかこち、だな。そうはいっても、その中で、なんとか使い勝手がいいように、と知恵を働かせるのも、これまた妙で。この世、三次元の世界に暮らしているがゆえの、だよ。しかし、長生き時代になっているので、後継の世代はこれはこれで、今までとは違う様相を呈さざるを得ず。なんてことを嘆きと共に語るか、あるいは、そこはそれで、納得しつつの立ち位置を決めるか。だろうか。江戸時代に40代前に隠居、なんてことからすると、だよね。と一応、歴史を振り返りな...白いアサガオが咲いた
つい先日、いきなりの脳梗塞で呂律が不如意になった社員さんへのお見舞い。かたがた息子さんとの今後の対応ってわけだ。その前に昨日の経営指針発表会は無事終了。長男坊ともう一人、次世代の経営者が頭から煙を吐きながらの計画策定の成果だ。あれやこれやのことを、二人でこんを詰めて考え、かき、伝え、ってことで。今回の発表会が節目だな。彼らは数字との睨めっこの日々だった。脳みそから水蒸気が見えるくらいの、だったな。さて、どんな未来を決め、形にしていくのか、だ。これだ、これがやりたいことだ、と肚落ちするまでの、諸々の煙出し、アク出し、ってとこだろうな。なんて他人事みたいに語っているね。今日はこんなところでお開きにします。今日はお見舞いだ
隣家の地の神様へのお詣り、ね。二日やったんだけど、今朝は忘れた。これだよね、よく言ったもんだ、表題の如くに、ってね。こんなお茶目な姿が、また、宇宙の根源から眺めたら微笑ましくも映るんだろうな。人間ってやつは、おもしろいね、自分で設定して自分で忘れてそれをいかほどかの罪悪感も交え振り返り。みたいな感じでさ。昨日もなんだか、朝からずっとバタバタと、時間に追われ、なんて日だったな。こちとら、「モモ」を読書中の身なのにね。やい、時間泥棒め、ってなもんだ。そんな今日は10時から、経営指針発表会。これだけでも、7文字の漢字が並ぶよね。漢字でもひらがなでもカタカナでもいいけど、そもそも、言葉で人って、動くのかね。という疑問はつきまとい、しかし、言葉で指示命令嘆き悲しみ辛さなどなどを表現し、だな。なんてことはともかく、そ...三日坊主だな、まったく
のが、シャッターを開け放った向こう側からの挨拶。もちろん、通り過ぎるこちらも手を挙げたんだけどね。いつものご近所の八百屋の大将。寂しさが増しているという青果市場へ出かけるわけだ。この応酬、なんとも言えないね、thisis人生ってなもんだな。一方、わがレストランの今朝は、大挙して押しかけたスズメがあっという間に餌を啄み。今は少し静かになり、鳩くんとも共存状態だ。昨日は、明日の発表会に向けてのミーティング三昧、とでも言おうか。あっという間に一日が過ぎ去り、って具合だったな。そんな中、イフニさんのパプアニューギニア(中深煎り)ってのを買い求め、今朝のお伴だ。なかなかにいい味で、この瞬間瞬間が人生そのもの、って思えるほどだな。ここまでかいてきて、これで今日はいいかな、という気分になった。そう、このイフニさんとの出...車の中から手を挙げて応えた
今朝のわがレストラン、お越しいただいたのはいつものメンバー。たぶん、毎日、やってきているのかものカワラヒワを発見、ってことだ。スズメと似ているけれど、ちょっと美しいんだよね。ところで、昨日の日曜日は、「モモ」ミヒャエル・エンデの、三分の一くらいかな、読んだ。時間泥棒とのたたかい、ってやつ。「隠れキリシタン」と「時間泥棒」がこのところの密かなマイブームかな。金沢での走りから続いたプチ筋肉痛が、昨日の草取りで軽減。これ、おもしろいものだね。体を動かして筋肉痛がなくなる、ま、ストレッチのようなものか。隣家の地の神様へつながる道ができた。通りがいいのは気持ちがいいからね。というか、今まで、そんなことも考えず、伸び放題の草であったのだけど、刈り取る時に。両方にごめんなさいね、と言いつつの所業だったな。刈られる方と刈...カワラヒワ、ひさびさに。
金沢。あれが、とか、これが、とかよくわからないけど、いい街だった、というのが残っている。ジモッティとの会話、対話、もよくできたな。なにせ、旅の楽しみの一つだからね。というか、旅はそれ、つまり、観光だ。光を観る、ついでに、観音、音を観る、でもあり。久々の、そんな体験、体感をしたのが、先週末で。今朝は、それを糧に走ってきた。別に、糧としなくてもいいんだけど、わが物語というわけだ。ストーリーの中の人生、ってなもんだ。ところで、先週だったか、隠れキリシタン、なんて文言に出会い、はたと膝を打った次第。その言葉自体は、いまさら、の言葉ではあるけれど、当方の気分ってのを、うまく表現する言葉だな。と思ったのでした。この話を展開するには、少し早いかも、なので、このくらいにしておいて。いずれにしても、旅に触発されて、わがうち...いい街だったな
この秋に開催のフォーラムの記念講演をお願いしてる方への。表敬訪問。です。こちらは気持ちの良い青空から、表題の如き地へ、ってわけだ。彼の地へは、何回目か。二回は行ったな。一度は会社の社員旅行、近江市場でのボタンエビの美味しいことと言ったら、の時。二度目は、やっぱり同友会の全国大会か。その頃は、神社おたくの名残があり、独自に神社を巡ったのに付き合ってくれた御仁は未だ健在なり、だ。ところで、来週は経営指針発表会。その原稿に難儀しているのだけれど、今回は、他の役員も執筆発表という算段。なので、より具体的にわかりやすく、ということになるはずだけれどね。今日の表敬訪問の会社さんは、この10何年間で、社員さんも200人以上になったわけで、そりゃ。肚合わせにご苦労されたことだろうな。なんてことをお聞きしてくることになる。...雨の石川は金沢への朝
このところ、夜は外食が続き。だな。コロナのおかげさまで自宅での夕食が増えていたのだけれど、だ。あの美味しい食べ物、あの美味しいお酒、みたいなことになりつつあり。どうもね。消費社会、なんて言葉が気にもなるわけだ。とかきはじめると、親父の繰り言みたいになっちゃいそうだけど。自分の中で、今までの価値観ってのを、点検しつつあるんだよね。でないと、今、まわりで起こっていることがよくわからないんだな。まわり、といっても、ネット上が多いのかも、だけど。にしても、いろんな方との会話の中に見え隠れするもの、ってので、確認も取れたりするからね。昨日も、某銀行さんの方がいらっしゃり、株が38000円、いきそうですね、みたいな会話から始まり。なんとかかんとか、って話題ね。でもさ、こういう見方もあるよね、と持ちかけ。ドルがいつ崩壊...表題が出てこない朝
なかなか、柔らかくて、厳島神社のいかめしい名前の真逆かもな。秋の宮島、っていうか。船に乗って、あの平家の島へ渡ったな。これまた、同友会の全国大会の後だったか。この珈琲、富士宮の若手経営者にいただいたんだ。わが社で二回、僕の淹れた珈琲へのお返し、ってなもんだな。律儀に約束を果たす、ってのは、見上げたもんだ。という具合に、ご縁がご縁を生み、って次第で。袖すり合うも他生の縁、ということになると、途方もない数のご縁をいただき、差し上げ、ってなことだね。多逢聖因(たほうしょういん)なんて言葉、安岡正篤さんの本で教わったな。縁が縁をよんで何事かが生まれる、ってなことだな。この宮島といえば、どうしても思い出すのが、わが友人、森町出身の。彼のご先祖さま、厳島神社の宮司さんだったそうで、平家だよな。落ち延びて森町の深山で生...今朝はいただいた宮島珈琲のブレンド
梅雨の合間に青空がのぞく、みたいな表現かね。いきなりだけど、どこかで、時間泥棒、なんて言葉と遭遇した。ミヒャエル・エンデだっけ、「モモ」に出てくる言葉かな。本棚に鎮座ましましているんだけど、まだ、ほんの数ページをめくったのみだ。ずっと以前に読んだような、あるいは、漫画かなにかだったか。この、時間、というのは、なかなかやっかいなものだよね。難しいというか、日常の認識・認知みたいなところから、隔絶し、ってのが必要になりそうな。たぶん、そこを超えないと、宇宙へは行けないだろうな。マヤだったかアステカだったか、いずれあの辺りの先住民族のシャーマンが。どこの星だったか、えらい遠い星からやってきた、と。どうやってきたんですか、の問いに、こうやって、と空間を折りたたんで、というわけだ。それを、非科学的な、無知蒙昧な部族...雨予報が青空だ
この前に、酒に酔えば新しき世を言い合えど、というのが、昭和11年の近藤芳美の歌。どうもね、あの頃から離れないんだな、226前後の頃、当方の意識も。昨日も、パラパラと「B面昭和史」と過ごした。後世に、大事件と記されることとリアルタイムで起きていたこととの乖離とでも言おうか。今も変わらないからね。当たり前と言えば当たり前なのかもな。それほどに、言葉で記録されたものというのは、一面しか捉えられず、なんだけど。日々の生活、仕事の中での出来事でも、言葉を紡ぎ、脳内、体内へ埋め込み、なんてこと。あるある、だからね。この世界の不思議さ、ってなもんだ。昨日は雨ゆえに走らずで、久々の河岸の市へ、だったな。うまそうな本鮪のかまがあったな、小アジもあったな、とか手に入れられなかったものが浮かぶ。ところで、昨日からの七十二候、第...白々しさははや意識せり
お正月の箱根駅伝は第14回、日大が二年連続優勝、2月25日の沢村栄治は敗戦投手、読売巨人軍VS金鯱名古屋軍。その翌朝の出来事。それが、昭和11年の、いわゆる2.26事件。青年将校が決起して、いわゆるクーデターだよね。そんな時間の流れだったらしく、そりゃ、いつの世も変わらないんだろうね、と。その後、一気に戦争へ、南方北方への流れが急加速し、沢村栄治もどこだっけ、戦死しちゃったんんだよな。なんて、「B面昭和史」を読みながら、感慨に耽っていたわけだ。たしか、柳家小さんもクーデター側で現地にいたらしいね。もちろん、確たる思想のもとに、というのでなく、召集されていた軍隊の命令のままに、ってわけだな。その頃、古今亭志ん生は、ほぼほぼ、人生初めての靴を履いて戦争鼓舞の行進、つまり、歩いたそうで。途中で、靴は痛いから、と...民草は箱根駅伝の後、沢村栄治に興じている
と思いきや、二週間前に15km近く走っていた。アナログのノートに記録してあるんだよね。iPhoneのアプリから転機するのが、これまた、もう一つの楽しみでもあり。その下に、覚書を少々書き込み、という作業ね。例えば、今日のメモは、オリンピックモードの克服、なんてのがかかれている。いかにも大仰な、だけど、このところ、一つの関心事項なんだ。ギリシア由来の競い合い、しかし、参加することに意義がある、なんてサブタイトルもある。戦場の勇者を早く遠くまで走る、なんて幻想が2000年以上続き、ということだけど、その実。どうなんだろうね。戦は、どう見ても統治側の話であるからね。とはいえ、それに多大なる影響を受ける人生を送らざるを得ない側もあり、か。ま、そんな朝はケニア、キアマバラの珈琲。今日は、間質性肺炎の御仁をCS60の施...久々の10kmか
昨日のお昼は会社のご近所から少し離れたトンカツ屋さんにて。50年は営業しているという御仁との会話。昔の清水はすごかったからね、というわけだ。どのくらいの昔から栄えたんだろう。次郎長の頃からか、それとも、武田信玄がやってきた頃からか。地元に住みながらも、歴史知らず、ってところだな。これもちょっとググれば、あるいは、chatgptに尋ねれば、たちどころにわかる、ってシロモノだろうな。雨が激しくなってきた。巴川の水嵩も増え、スピーカからの広報静岡の声が思い出される。このところ、といっても、どのくらい前からなのか。何年?このかた、災害放送が多くなっているような気がする。あくまでも、気がする、ってだけだけど。それに加えてネットでの応酬みたいなものも加わり、だな。それをもって、情報が溢れかえり、ともくくれるし、ありが...昭和14年生まれだよ
たぶん、今朝の表題は正確ではないのだろうけど、夕べ。プチ漢方の講習会に早変わりしたお宝発見の委員会。むつごろうさんの語り口がまた、現在横溢している世情とは別次元で。とてもよかったのでしたが、そこでの一コマ。入れる医学と出す医術、なんて括ったら乱暴すぎて医学を志してきた方々の顰蹙ものかも、だけど。表題のことなんだけど、もともと涙腺が弱い、とか、涙脆いとか、そんなわが身を肝臓の観点から眺めると。ってわけだ。モノごとにはそれぞれ、訳があるんだよね、知らないうちの。僕の友人知人関係で、若い頃からお酒の呑みで、肝臓をやられた、なんての、何人かいたんだよね。もちろん、とうの昔に、こちら側の住人ではないのだけれど。そんなことが思い出される、涙は肝臓からの、ある意味贈り物とも言えるな。お宝といえば、またぞろのレナード・コ...涙は肝臓のデトックス
この二日の通夜、葬儀を経ての感想だな。エネルギー充満し、それを周囲へ撒き散らす、というのではなく、という感じ。ただ、坦々とある、ということ。そこだろうな、という直感です。そもそも、もともと、エネルギーというのは、自分の意思と関係なくそこここに存在し。それへのアクセスを遮断するか、それとも、まんま受け止め、受け入れ、ありのままにあるのか。くらいの話なのかもな。頭過重になることさえ注意していれば、なるようになる、会津の「ならぬものはなりませぬ」とは。少し違っているかな、ってくらい。ひょっとしたら、あれも、倫理道徳的にではなく、もともとは、あるがままの世界を言っただけだったのかも。今朝もカワラヒワがやってきていて、すっかり馴染んでいるな。スズメとハトの世界に。どんな出来事が、彼らの中で起こっているのか、なんて興...静かであること
お世話になっていたんだろうし、いるんだろうな。というのが、夕べの通夜行だった。商売始めた頃から、いや、前の会社からのお付き合いか。その方が、76歳の生涯を閉じた。壇上の遺影がいい写真で、まんま、だったのを眺めながらも通夜行の席では珍しく目頭にきた。40年か。合掌しても、ありがとうございました、としか言えなかったな。今日も葬儀に参列させていただく。なんてかいているところへ、長男坊から、今期、いや、前期か、の売上数字云々のLINEが入ってきた。若手二人の役員で数値計算をしてもらっているんだけど、なんとも言えない瞬間でもあった。集団がキュッとしまったとでも言えるか。あるいは、次世代へ繋ぐ端緒、か。いずれにしても、もっともっと面白く楽しく素直な時を迎えていくか、というエネルギーが起こってきた。このところ、来月早々...たぶん自分で気がつかないくらい多くの方に
エチオピアから届けられた。イルガチェフコンガと名付けられている。世界的には景気減衰傾向で、諸々のモノが下落。なんて話、昨日は、藤原直哉さんで聞いていた。彼、金融などのデータ読み得意のようだから、安心感があるんだよね、聞いていて。ゾッコン惚れ込んじゃってる、ってわけだけど、それはそれでやばいよ、って風情でもあるか。いずれにしても、無数の事件の中からの分析、解釈が、ちょっと飛び抜けてるかな、と。大本教の信者だ、と公言しているところもいいんだよね。大本といえば綾部だ。出口王仁三郎の弟子、養子か、の出口日出麿の弟子という宮司さんと一時期、禊の旅をしていたことがあって。鹿島神宮とか香取神宮、白糸の滝、富士山の裾野、三保の海、とかね。大本教については大した知識もないんだけど、その頃。歴史を少し調べたことがあって、戦前...ひさびさのモカ
イチゴのジャム、作ったんだけど、煮込み方、足りなかったかな。は、ともかく、そのために、いつもの八百屋さん、いや、これは。バローという岐阜からやってきたスーパーだったかな、レモンを買っておいたんだ。それが、表題のようなもので。エルドアンが再選された頃に買ったんだったかな。あの辺りの歴史、詳しくないけれど、オスマン帝国の末裔だ。そんなことを思わされた瞬間が、スーパーの棚にあった一個のレモンだったんだよね。西欧文明とそれ以外、まるで、化外の民という具合の区分けが長く続いたけれど、それもぼちぼち終了。みたいな時代転換の中での、トルコからのレモンだ、なんていかにも大仰だけど。ところで、わがMacの文字変換、というのか、けがい、と打ち込んだ時の変換リスト。化外、が出てこないんだよね。どこの国の人間が作ってんだ、ってな...トルコからのレモンを買ったんだった。
の朝。ひとまず、よかった。昨日の昼間の様相、その後にもう一度ピークを迎える雨、という予報にひょっとしたらわが社の三階も必要か。なんてことを思い立ち、自治会長さんにシャッターの鍵の確認。と、前任者からの引き継ぎがなかったようで、結果、会長さんにお渡しした次第。なんて事のあった夕暮れ時だった。こちら、朝の巴川は穏やかで、ランナーが走り抜けてもいった。傘をさしての散歩の姿もほんの少し、という感じ。今日は、ついこの間、ご近所の八百屋さんで買ったイチゴをジャムにしようかな、とかね。そら豆とマグロの油漬けのサラダ、も。なんてことを画策しているんだけどね。まだ雨が続くという予報の中、静かな朝だな。巴川は氾濫せず
ボブ・ディラン。で、わがブログを検索してみたら、結構、かいてるな。ふとね、そういえば、このパンデミック初期に、彼、この歌、リリースしたんだった、と。JFK暗殺のころのアメリカを歌っていたわけで。つい最近、JFKの甥っ子になるのか、民主党から大統領選に出ますよ、とね。続いて、JFK暗殺の暗部、闇の部分を語り出したりしてるし。もちろん、公文書を披瀝、って感じだからね。「人類は月に行ってない」論を捲し立てていたのは、エキセントリックな思想家、副島隆彦。だけど、そんな秘密も開示したりし始めているし。自由の国、アメリカ。ほんとに、自由だったんだよね、ある意味。なんでもあり、って具合に。今朝は、雨だ。これから大雨になるという話もあり、の巴川を眺めながらのブログアップ。このところ常連さんになりつつあるベランダレストラン...murdermostfoul、を久々に聴いた。
新参者だけど、物おじしないところがいいね。スズメの群れに混じっても動じず、だ。今朝の珈琲は、ケニアから届けられたキアマバラ。甘い、という言葉がやってきた。玄米食にしてからどのくらいになるのか、一回の咀嚼が100回くらいか、そんなでもないか。いずれにしても、咀嚼回数は劇的に増えているわけで、つまり、食材が口の中にいる時間が長くなった。ので、たぶん、わが口腔内の感覚も知らぬ間に鍛えられるのか。なんとなく、微細な味の違いを感得しているような気もする。そのところを楽しんでいる、ということなんだけどね。食べる時は食べるだけ、って感じなんだろうな。知らぬ間に、ね。ながら族からの卒業か。と言いつつ、動画見ながらのネットサーフィン、なんてのは、やまないけれど。月が革ったので来月になるけれど、大学の時の友人が、ご当地、清水...今朝もカワラヒワ
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というか、正確には、一年先輩なんだけど。5時すぎ。それはどこでも見かける景色でもあるけれど、その姿がいかにも年寄りじみて。おいおい、俺もこんな感じかね、なんてね。笑ってしまった。そんな中、ドリプラまでの軽いジョギングを敢行。軽いと敢行という文字が不似合いだけどね。朝陽を浴びてまたぞろのビタミンDの産生作業。梅雨前の気持ちの良い朝を満喫している多くの人がいて、おいおい、日本って、平和じゃん、だな。朝の珈琲はタンザニアのスノートップ。朝早くに同級生が歩いていた。
知って行って観て会って、の実践型というやつだ。とりあえず、まずは、やってみようというわけだ。コロナ禍の、あるいは、パンデミックの中での4年近くは、情報という名の電車に乗っかっていたようなもので。おいおい、そりゃないだろ的な言説から世情からさまざまあった。おおかた、それらの力関係などなどが落ち着いたかな、という気分なので、新たに始めるとするか。ということで、なんだな。旧に復さずの復興みたいなもんだ。新しいネタに出会う。そこに思いもしない出会いがあるだろう、という推測のもとに、ってことだ。百聞は一見にしかず、とは言ったものだ。まずは、やってみる、という立ち位置です。不言実行ではなく、有言実行とでも言えるのか。動き、活動、行動、なんでもいいけれど、動いてみるか。という志の開陳。そんな朝は、エチオピアのモカ、イル...今日からアタック25、開始
久々の、だな。安全部会長をやっていた頃は、毎月の定例になっていたけれど。今は副支部長と役回りなんで、半年に一回か。いや、三月に一回なのか。というわけで、本日は一日、そんなお仕事である。会社の新しい期が始まったんだけど、今期は、知っていって観て会って、をメインにしようかな、と思っている。計画中です。現地、現場で会うこと。そこから何らかのヒントをいただく。SNSが隆盛を極め、の時代だから、なおさらの現場主義を貫く、って具合だな。そんな文化、風土を醸成し、新しい時代を創り上げていくという気概だね。当たり前化していることからの脱却の一つの手法だ。今までとは違う時間の使い方をする、かつ、それは自分にとって楽しくもあり、ワクワクもし、というね。そんな具合に創り上げる時間、そこにいる自分の姿を投影したものが未来、って算...安全パトロール
というのは、谷川健一さんの処女作。誰だったかと、直木賞を争ったけれど、取れなかったそうだ。小説です。民俗学の大家が小説を書いていたんだな、というので、Amazonの中古本、ゲット。佐賀藩、肥前というのか、そこの久留米での明治になってからの話かな。西南戦争なんかのちょっと前か。勤王派という天皇を押し立ててという群と佐幕派という徳川を盛り立ててという群れ。前者を尖り、後者を裏尖りとか称したらしい。まだ、ほんのさわりしか読んでないけれど。勤王派=尖り=反ワクとか、逆がワク推しとか、あるいは、ロシア推しとウクライナ推し。なんて類推も可能かね。いつの時代も、そうやって群れるわけだ。それぞれの正義を押し立てつつ、ということになるね。と書くと、いかにもシニカルではあるけれども。もっとも、ワク云々の話は医学への信頼性の話...最後の攘夷党
というのが、昨日来社された広島からの客人。だから、白人が多いんだ、というんだ。おいおい、グローバルサウスってのを知らないな、ってなもんでもあるけれど、一般的な解釈では。そういうことになるんだよね。西欧文明っての。それがピークアウトしているんだけどさ。それはともかく、彼の地も御多分に洩れずのオーバーツーリズムなのか。安い安い、ニッポン安いの合唱なのかもな。アメリカの時給が3千円とか4千円とか、マックが3千円なんて話が実しやかに伝わってくるしね。そういえば、彼曰く、熊本の、例のTSMCブームについて、だった。大きな工場ができる、そこで働く人たちが集まってくる。すると、住むところが必要になる、という波及的な効果があり、景気いいですよ、ってわけだ。ついでに、時給が3千円くらいで人集めしているらしく、他の業種から人...広島のインバウンドはちょっとレベル高い?
が、始まっているんだろうな、辰野村。先週お邪魔した信州の村なんだけど。七十二候の第26候は、腐れたる草蛍と為る、だ。なんとも素敵な文言だな。腐った草の下で育った蛍が孵化し、光を発して飛びかう頃、とある。コンビニで会ったり喫煙スペースで会ったりのジモッティが、今年の蛍は少ない。と口々に言っていたのを思い出すな。自然が残されている、という言い方がされるけれど、それほどに自然を侵食してきた文明というものがある。とも言えるし、そのおかげで、便利さを手に入れたとも言える。しみじみと感傷的に語ることもできるし、さらに、まだまだもっともっと、と物質や精神の「豊かさ」を求める。なんてことも可能でもあるわけだ。どちらが善で悪で、ということでもないんだろうな、人間の営為の結果、結実だ。当方は、適度に制御された自然、ってのがお...蛍まつり
小芝神社さんからいただいた榊。それを何年になるのか、事務所の神棚に進ぜ、のあと、植木鉢に。それが大きくなっている。大したもんだ。そろそろ、植え替えしなきゃ、だ。自然、わが方もその一部ではあるんだけど、すごいものだね。いつだったかも書いたけど、タラの木の伸び方ってのは、驚きだ。そのほかにも名前の知らない草花、草木が生命力を際立たせ、こちらも刺激を受けるわけだ。ピークアウトしたかも、の学校教育がそのうち、耕作放棄地のようなところを題材に。食をいただく、自然の恵みを体感、体験するということに変わるかも、なんて予感です。どのみち、土から生まれた、地球そのものからいただいた命を日々、味合わせていただいている。そのことの、当たり前さを再認識というのか、再教育というのか、だな。なんて思っていたら、いつもの藤原直哉さんも...榊が育った
なるべくカタカナは使わずに和語で行こう。なんて画策しているのだけれど、そこはそれ、現代っ子のわれでもある。ので、仕方ないか。煎じ詰めれば、漢語だって、つまり、4文字熟語とかさ、それも使えないわけだからね。という前置きはともかく、マスク。このところ、いつもの歩き人、歩行者、ウォーカーの御仁のマスクが取れている。時折、巴川を走るマスク姿の若者を見かける。介護系か医療系か厚生労働省系か。covid-19と言い習わされた感染症というものに対するリスクの捉え方のさまざまな姿があったわけだ。マスク、というのがわかりやすい目印でもあって。それぞれの考え方、立ち位置が白や赤や黒や緑やオレンジで彩られていた。みんな違うんだな、とね。同じように、電車やバスの中でも、最近の人たちはスマホと睨めっこで、なんてぼやきが聞こえてきた...マスクとスマホ
朝早くに彼がやってきて、ああだこうだの話。立ち位置としての死後の世界なんて話も、当然、出てきて。ブログアップが遅れてしまったのだけれど。昨日は久々に札幌の女史とのメッセンジャーでのやりとり、その流れで富士在住の御仁とも会話。これはこれで、また新たな出会いとも言えて。この世はご縁の連鎖でもあるな。そこから喜びをいただき、さらに増幅させる、ということだな。リクツはいろいろと考えられるのかも、だけど、そこに感情を、しかも、より温かな明るい感情をまぶし。というわけだ。さて、短いけれど、今日はこのあたりで。今朝は長男坊との珈琲タイム
死がタブーみたいな世情では今朝の表題は物騒な物言いとなるかも、だな。どうもこのところ、そんな気分でいるんだよね。俯瞰して外から眺めている、という状態。自分が口出ししては身もふたもないし、ということは、たぶん、あちらの世界へ移ったばかりの頃はそうかも。なんてね。眺めるしかない。眺めることを楽しむことができるかどうか。いずれ、やってきた世界へ帰ることになるのだろうから、その予行演習とでも言えるかな。昨日行った歯医者さんでも、娘が大学院出てきて、という前置きとともに、今日は彼女にやってもらう。というお父さん歯医者さんの弁。その立ち位置が表題みたいな感じでもあり、だな。静々と娘に従う姿が、微笑ましいような慣れないような、そんな具合だった。そうだ、東京在住の親戚からLINEに写真が届き、それが母親の若かりし頃のみた...事業承継は死後の世界みたい
いわんや悪人においておや。昨夜、たまたま手にしたのが「歎異抄」。親鸞だね。たまたま開いたページが第三章だったか、表題だ。善き人であろうという自力とすべて弥陀に任せ切る他力というやつについての、親鸞の思索、修行の結果だ。弥陀に任せ切って生き切ることだ、と言い捨てるとでも言おうか。朝からなんとも香ばしい話題だけど、どうも今回のこの言葉との邂逅はこれまでとは違って、そりゃそうだ。なんて感想が湧いたんだな。なぜかはわからないけれど。善人なをもて往生をとぐ
と書き始めて、どのくらいの方に通じるのか。なんてふと思った朝。いつだったか、彼が、そう、フォークシンガーにしてランナーの彼が、アメリカだったかで走ることを始めたその日。隣の友人だったのか、なぜ、そんなに歯を食いしばって走るの?と言われた。という逸話に出会ったんだな。競技としての走りというのが、あのフォークシンガーにしてもその残滓が残っていたわけだ。走るってのは、根性だぜ、的な。この話はおもしろいなと思いつつ、このところ、そんなことを意識しながらのわが走りなのです。もっとも、それぞれの想い、価値観、考え方、人生観、ま、いろいろな言い回しはあるけれど、それはそれで。って具合だな。当方にはこの逸話が響いた、というだけのことだ。何日かぶりの朝の定位置からのブログアップなのです。傍には、ブラジルセラードブルボン、コ...高石ともやが
今日は写真のみ。朝の走りの写真も。釜山空港にて。
晴れ晴れ、って朝だ。釜山。何回目になるのか、何年か前にホームステイをさせてもらったお宅も、今はどうなっているのか。ご夫婦はこちらにはもはやいないわけで。歳月というものは嫌も応もなく過ぎ去るんだな。なんて当たり前のことを宣ってもいるんだけど。爽やか晴れ晴れなので、巴川べりを歩く方々も明るい会話だ。というわけで、久々の飛行機に乗り釜山へ行ってきます。釜山への朝
昨日もふれた成長が早いという話。地の神様への道を通せんぼ状態で、これ、2年もしたらジャングル状態になるかもな、と。自然に見習うことはたくさんありそうだ。ほっとけば、見栄えはともかく、彼らの生態系を創り出し、紡ぎ出し、って具合だ。そんな大自然の一部たるわが方も知らぬが仏という間に、人間的に言えば、淘汰、整理整頓が進み、だな。人間関係にしても、こだわる御仁もいらっしゃるし、飄々となすがままに、なるがままに、という御仁も。おもしろいもんだ。人それぞれに誕生前に人生物語を決めてきた。なんていう言説もあり、そう、高校生チャネラーのまりなちゃん、という女史が明るく語っていたな。明日からは釜山だ。昔からお世話になっている御仁方との旅。任那へ行ってみたいな、という思いはありつつ、実現するかどうか、わかりません。白村江の戦...タラの木が道を塞いでいた。
というのが、今晩の顛末とあいなり、って具合だ。寂しいような嬉しいようなだな。昨夜も少し遅がけに一献やり、あれやこれやの話に花が咲いた。明日もどうやら一献、って感じでもあるから、ね。飲んでばかりいるじゃんか、ってなもんだけど、それも人生の、宇宙の流れ、と言っておきますか。というわけで、朝から雨だ。それにしても、この時期の草木の成長度合いったらありゃしない。早い。凄まじく早い。今朝の地の神様への手向どき、ほぼ1mは伸びたんじゃない、ってほどで。他にも、草がさらに青々としていて、これほどの天啓、僥倖といったらないくらいのものだ。心静かに眺めると、見えていたものが見えなくなり、見えてなかったものが見えてくる、なんてこともありか。今朝は後からの客人への珈琲のため、朝一珈琲はなし。ちょっと寂しくもあり、だけど、それま...大雨につき懇親会は中止
昨日に続きの、だな。くどいかも、ではありますが。これ、当たり前と言えば当たり前で、日常生活の中でもその通りのことが起こっているにすぎず。こと改めて、というわけでもない、とも言えるけれど。それにしても、こうした動きのあるフレーズというのはいいものだ。どうみても、西洋文明と呼ばれてきたものがピークアウトしていて、では、その変化の先は。ってことだな。ズブズブのニッポンすんごい運動かい?でもあるし。西洋との真の融合かい?なんてね。声の大きい側がよく聞こえてくるうちに、なんとなく、その声に引きずられていました、なんて話でもあるな。どのみち、この先は、人類であったり、人間存在のほんとの姿であったり、なんてところに焦点が定まり、かな。そのあたりから説き起こさないと、うだうだになっちゃう、ってなもんだろうな。そんな朝は、...変化の先へ
なんて表題に書くといかにも、って具合だけど。これ、おもしろくて。環境が変わるとそれぞれの人の中で、ある種の事件となる。事件は現場で起こっているんだ、という室井さんへの青島の言葉だな。現場はどこにあるのか、ってのも、話題の一つではあるけれど。この間の同友会の総会、パネルディスカッションのコーディネータを務めたの、だけど。その総会で発表された言葉が、どうも気に入っちゃって。それは、「変化の先へ」というものなんだけどね。とても動きのある言葉だな、と感心しているわけだ。先へ、というのね。と同じようなもので、事務所の風景が変わるとそこに自動的にエネルギーが発生し、なんだな。失恋したら髪を切る、とか、鬱々としたことがあったら通勤経路を変える、とかね。早い話が、ルーティンの変更、ってやつだ。いつの間にか、ルーティン化し...フリーアドレスの意味と意義
彼、毎日なのか、二日に一回なのか。とにかく、巴川べりを走っているわけだ。運動をすると、鬱やら認知症やらになりにくい、という本、お借りしていたんだった。来週には珈琲タイムにお招きして、だな。なんやかやとイベントが後から後からやってくる、いや、こちらから仕掛けているのでもあるんだけど。サンデー毎日にはならないな。とはいえ、季節とともに歩く人も多くなっている。正直なものだ。カラダを動かしたくなるんだろうね。人類史から見たら、今ほどカラダを動かさない時代はない、とも言えそうだし。食べることも、当たり前になっている、三食なのか一食なのかはともかく。高校だったか中学だったかの先生が話していた、発掘された頭蓋骨に残る飢餓線なんての、覚えてるな。必ず、人生に一度や二度は飢餓の世界を彷徨う、みたいな話ね。もっとも、人類は6...今朝も一人ランナーが
が、巴川べりを走っていく。そうだ、そうだ、それでいいんだ、みたいな掛け声を心の中で呟く。初心者もベテランも、って感じだったな。昨日のことだ。今朝は三人さんだ。なんとも平和な光景だ。事務所内は、フリーアドレスの机の並び。この件についての感想は、またの機会に、ということにしておくか。なんにしても、やってみないとわからないことだらけ。やってみる、結果を検証し、変えるところは変え、とPDCAってことになるな。すべての物事が。それについてのフットワークの軽快さがあれば、ほとんどのことは明るい未来を描いてくれもし。あれが悪いこれがいけない、という具合に感情に流されたままだと、そりゃまた、めんどくさい話になる。わがベランダレストランでは、猫の襲来にもめげずに、小鳥たちがやってくる。ちょっと、数は減ったような気もするけれ...朝早くに四人のランナー
このところ、夜は外食が続き。だな。コロナのおかげさまで自宅での夕食が増えていたのだけれど、だ。あの美味しい食べ物、あの美味しいお酒、みたいなことになりつつあり。どうもね。消費社会、なんて言葉が気にもなるわけだ。とかきはじめると、親父の繰り言みたいになっちゃいそうだけど。自分の中で、今までの価値観ってのを、点検しつつあるんだよね。でないと、今、まわりで起こっていることがよくわからないんだな。まわり、といっても、ネット上が多いのかも、だけど。にしても、いろんな方との会話の中に見え隠れするもの、ってので、確認も取れたりするからね。昨日も、某銀行さんの方がいらっしゃり、株が38000円、いきそうですね、みたいな会話から始まり。なんとかかんとか、って話題ね。でもさ、こういう見方もあるよね、と持ちかけ。ドルがいつ崩壊...表題が出てこない朝
なかなか、柔らかくて、厳島神社のいかめしい名前の真逆かもな。秋の宮島、っていうか。船に乗って、あの平家の島へ渡ったな。これまた、同友会の全国大会の後だったか。この珈琲、富士宮の若手経営者にいただいたんだ。わが社で二回、僕の淹れた珈琲へのお返し、ってなもんだな。律儀に約束を果たす、ってのは、見上げたもんだ。という具合に、ご縁がご縁を生み、って次第で。袖すり合うも他生の縁、ということになると、途方もない数のご縁をいただき、差し上げ、ってなことだね。多逢聖因(たほうしょういん)なんて言葉、安岡正篤さんの本で教わったな。縁が縁をよんで何事かが生まれる、ってなことだな。この宮島といえば、どうしても思い出すのが、わが友人、森町出身の。彼のご先祖さま、厳島神社の宮司さんだったそうで、平家だよな。落ち延びて森町の深山で生...今朝はいただいた宮島珈琲のブレンド
梅雨の合間に青空がのぞく、みたいな表現かね。いきなりだけど、どこかで、時間泥棒、なんて言葉と遭遇した。ミヒャエル・エンデだっけ、「モモ」に出てくる言葉かな。本棚に鎮座ましましているんだけど、まだ、ほんの数ページをめくったのみだ。ずっと以前に読んだような、あるいは、漫画かなにかだったか。この、時間、というのは、なかなかやっかいなものだよね。難しいというか、日常の認識・認知みたいなところから、隔絶し、ってのが必要になりそうな。たぶん、そこを超えないと、宇宙へは行けないだろうな。マヤだったかアステカだったか、いずれあの辺りの先住民族のシャーマンが。どこの星だったか、えらい遠い星からやってきた、と。どうやってきたんですか、の問いに、こうやって、と空間を折りたたんで、というわけだ。それを、非科学的な、無知蒙昧な部族...雨予報が青空だ
この前に、酒に酔えば新しき世を言い合えど、というのが、昭和11年の近藤芳美の歌。どうもね、あの頃から離れないんだな、226前後の頃、当方の意識も。昨日も、パラパラと「B面昭和史」と過ごした。後世に、大事件と記されることとリアルタイムで起きていたこととの乖離とでも言おうか。今も変わらないからね。当たり前と言えば当たり前なのかもな。それほどに、言葉で記録されたものというのは、一面しか捉えられず、なんだけど。日々の生活、仕事の中での出来事でも、言葉を紡ぎ、脳内、体内へ埋め込み、なんてこと。あるある、だからね。この世界の不思議さ、ってなもんだ。昨日は雨ゆえに走らずで、久々の河岸の市へ、だったな。うまそうな本鮪のかまがあったな、小アジもあったな、とか手に入れられなかったものが浮かぶ。ところで、昨日からの七十二候、第...白々しさははや意識せり
お正月の箱根駅伝は第14回、日大が二年連続優勝、2月25日の沢村栄治は敗戦投手、読売巨人軍VS金鯱名古屋軍。その翌朝の出来事。それが、昭和11年の、いわゆる2.26事件。青年将校が決起して、いわゆるクーデターだよね。そんな時間の流れだったらしく、そりゃ、いつの世も変わらないんだろうね、と。その後、一気に戦争へ、南方北方への流れが急加速し、沢村栄治もどこだっけ、戦死しちゃったんんだよな。なんて、「B面昭和史」を読みながら、感慨に耽っていたわけだ。たしか、柳家小さんもクーデター側で現地にいたらしいね。もちろん、確たる思想のもとに、というのでなく、召集されていた軍隊の命令のままに、ってわけだな。その頃、古今亭志ん生は、ほぼほぼ、人生初めての靴を履いて戦争鼓舞の行進、つまり、歩いたそうで。途中で、靴は痛いから、と...民草は箱根駅伝の後、沢村栄治に興じている
と思いきや、二週間前に15km近く走っていた。アナログのノートに記録してあるんだよね。iPhoneのアプリから転機するのが、これまた、もう一つの楽しみでもあり。その下に、覚書を少々書き込み、という作業ね。例えば、今日のメモは、オリンピックモードの克服、なんてのがかかれている。いかにも大仰な、だけど、このところ、一つの関心事項なんだ。ギリシア由来の競い合い、しかし、参加することに意義がある、なんてサブタイトルもある。戦場の勇者を早く遠くまで走る、なんて幻想が2000年以上続き、ということだけど、その実。どうなんだろうね。戦は、どう見ても統治側の話であるからね。とはいえ、それに多大なる影響を受ける人生を送らざるを得ない側もあり、か。ま、そんな朝はケニア、キアマバラの珈琲。今日は、間質性肺炎の御仁をCS60の施...久々の10kmか
昨日のお昼は会社のご近所から少し離れたトンカツ屋さんにて。50年は営業しているという御仁との会話。昔の清水はすごかったからね、というわけだ。どのくらいの昔から栄えたんだろう。次郎長の頃からか、それとも、武田信玄がやってきた頃からか。地元に住みながらも、歴史知らず、ってところだな。これもちょっとググれば、あるいは、chatgptに尋ねれば、たちどころにわかる、ってシロモノだろうな。雨が激しくなってきた。巴川の水嵩も増え、スピーカからの広報静岡の声が思い出される。このところ、といっても、どのくらい前からなのか。何年?このかた、災害放送が多くなっているような気がする。あくまでも、気がする、ってだけだけど。それに加えてネットでの応酬みたいなものも加わり、だな。それをもって、情報が溢れかえり、ともくくれるし、ありが...昭和14年生まれだよ
たぶん、今朝の表題は正確ではないのだろうけど、夕べ。プチ漢方の講習会に早変わりしたお宝発見の委員会。むつごろうさんの語り口がまた、現在横溢している世情とは別次元で。とてもよかったのでしたが、そこでの一コマ。入れる医学と出す医術、なんて括ったら乱暴すぎて医学を志してきた方々の顰蹙ものかも、だけど。表題のことなんだけど、もともと涙腺が弱い、とか、涙脆いとか、そんなわが身を肝臓の観点から眺めると。ってわけだ。モノごとにはそれぞれ、訳があるんだよね、知らないうちの。僕の友人知人関係で、若い頃からお酒の呑みで、肝臓をやられた、なんての、何人かいたんだよね。もちろん、とうの昔に、こちら側の住人ではないのだけれど。そんなことが思い出される、涙は肝臓からの、ある意味贈り物とも言えるな。お宝といえば、またぞろのレナード・コ...涙は肝臓のデトックス
この二日の通夜、葬儀を経ての感想だな。エネルギー充満し、それを周囲へ撒き散らす、というのではなく、という感じ。ただ、坦々とある、ということ。そこだろうな、という直感です。そもそも、もともと、エネルギーというのは、自分の意思と関係なくそこここに存在し。それへのアクセスを遮断するか、それとも、まんま受け止め、受け入れ、ありのままにあるのか。くらいの話なのかもな。頭過重になることさえ注意していれば、なるようになる、会津の「ならぬものはなりませぬ」とは。少し違っているかな、ってくらい。ひょっとしたら、あれも、倫理道徳的にではなく、もともとは、あるがままの世界を言っただけだったのかも。今朝もカワラヒワがやってきていて、すっかり馴染んでいるな。スズメとハトの世界に。どんな出来事が、彼らの中で起こっているのか、なんて興...静かであること
お世話になっていたんだろうし、いるんだろうな。というのが、夕べの通夜行だった。商売始めた頃から、いや、前の会社からのお付き合いか。その方が、76歳の生涯を閉じた。壇上の遺影がいい写真で、まんま、だったのを眺めながらも通夜行の席では珍しく目頭にきた。40年か。合掌しても、ありがとうございました、としか言えなかったな。今日も葬儀に参列させていただく。なんてかいているところへ、長男坊から、今期、いや、前期か、の売上数字云々のLINEが入ってきた。若手二人の役員で数値計算をしてもらっているんだけど、なんとも言えない瞬間でもあった。集団がキュッとしまったとでも言えるか。あるいは、次世代へ繋ぐ端緒、か。いずれにしても、もっともっと面白く楽しく素直な時を迎えていくか、というエネルギーが起こってきた。このところ、来月早々...たぶん自分で気がつかないくらい多くの方に
エチオピアから届けられた。イルガチェフコンガと名付けられている。世界的には景気減衰傾向で、諸々のモノが下落。なんて話、昨日は、藤原直哉さんで聞いていた。彼、金融などのデータ読み得意のようだから、安心感があるんだよね、聞いていて。ゾッコン惚れ込んじゃってる、ってわけだけど、それはそれでやばいよ、って風情でもあるか。いずれにしても、無数の事件の中からの分析、解釈が、ちょっと飛び抜けてるかな、と。大本教の信者だ、と公言しているところもいいんだよね。大本といえば綾部だ。出口王仁三郎の弟子、養子か、の出口日出麿の弟子という宮司さんと一時期、禊の旅をしていたことがあって。鹿島神宮とか香取神宮、白糸の滝、富士山の裾野、三保の海、とかね。大本教については大した知識もないんだけど、その頃。歴史を少し調べたことがあって、戦前...ひさびさのモカ
イチゴのジャム、作ったんだけど、煮込み方、足りなかったかな。は、ともかく、そのために、いつもの八百屋さん、いや、これは。バローという岐阜からやってきたスーパーだったかな、レモンを買っておいたんだ。それが、表題のようなもので。エルドアンが再選された頃に買ったんだったかな。あの辺りの歴史、詳しくないけれど、オスマン帝国の末裔だ。そんなことを思わされた瞬間が、スーパーの棚にあった一個のレモンだったんだよね。西欧文明とそれ以外、まるで、化外の民という具合の区分けが長く続いたけれど、それもぼちぼち終了。みたいな時代転換の中での、トルコからのレモンだ、なんていかにも大仰だけど。ところで、わがMacの文字変換、というのか、けがい、と打ち込んだ時の変換リスト。化外、が出てこないんだよね。どこの国の人間が作ってんだ、ってな...トルコからのレモンを買ったんだった。
の朝。ひとまず、よかった。昨日の昼間の様相、その後にもう一度ピークを迎える雨、という予報にひょっとしたらわが社の三階も必要か。なんてことを思い立ち、自治会長さんにシャッターの鍵の確認。と、前任者からの引き継ぎがなかったようで、結果、会長さんにお渡しした次第。なんて事のあった夕暮れ時だった。こちら、朝の巴川は穏やかで、ランナーが走り抜けてもいった。傘をさしての散歩の姿もほんの少し、という感じ。今日は、ついこの間、ご近所の八百屋さんで買ったイチゴをジャムにしようかな、とかね。そら豆とマグロの油漬けのサラダ、も。なんてことを画策しているんだけどね。まだ雨が続くという予報の中、静かな朝だな。巴川は氾濫せず
ボブ・ディラン。で、わがブログを検索してみたら、結構、かいてるな。ふとね、そういえば、このパンデミック初期に、彼、この歌、リリースしたんだった、と。JFK暗殺のころのアメリカを歌っていたわけで。つい最近、JFKの甥っ子になるのか、民主党から大統領選に出ますよ、とね。続いて、JFK暗殺の暗部、闇の部分を語り出したりしてるし。もちろん、公文書を披瀝、って感じだからね。「人類は月に行ってない」論を捲し立てていたのは、エキセントリックな思想家、副島隆彦。だけど、そんな秘密も開示したりし始めているし。自由の国、アメリカ。ほんとに、自由だったんだよね、ある意味。なんでもあり、って具合に。今朝は、雨だ。これから大雨になるという話もあり、の巴川を眺めながらのブログアップ。このところ常連さんになりつつあるベランダレストラン...murdermostfoul、を久々に聴いた。
新参者だけど、物おじしないところがいいね。スズメの群れに混じっても動じず、だ。今朝の珈琲は、ケニアから届けられたキアマバラ。甘い、という言葉がやってきた。玄米食にしてからどのくらいになるのか、一回の咀嚼が100回くらいか、そんなでもないか。いずれにしても、咀嚼回数は劇的に増えているわけで、つまり、食材が口の中にいる時間が長くなった。ので、たぶん、わが口腔内の感覚も知らぬ間に鍛えられるのか。なんとなく、微細な味の違いを感得しているような気もする。そのところを楽しんでいる、ということなんだけどね。食べる時は食べるだけ、って感じなんだろうな。知らぬ間に、ね。ながら族からの卒業か。と言いつつ、動画見ながらのネットサーフィン、なんてのは、やまないけれど。月が革ったので来月になるけれど、大学の時の友人が、ご当地、清水...今朝もカワラヒワ
なんてカタカナ語、あったな。という表題からの始まりですが。今朝のわがレストランには、スズメと同じくらいの、体に黄色が少し混じった鳥がやってきていた。外を見やったら塀の上にいるな。なんていう名前なのか、と今調べたら、カワラヒワというのかな。便利なものだ。すべてがわかってしまう、わかるのが当たり前の世界。なんて錯覚しちゃうのも宜なるかな、ということになるね。わかる、は、わかつ、に通じ、ってのは、安岡正篤さんがどこかで書いていたな。わける、というのが、そのものと隔つ、ということで、わかった事にならない。という何ともへんてこりんな展開になっちゃったけれど。カワラヒワは一羽で、群れているスズメたちに混じって餌を啄んでいる。見上げた根性でもあるな。そうだ、昨日は、パワポの教科書を買っちゃいました、だな。ちょっと勉強し...雨だす。
生きることにおいて、という意味ではなく、ブログをかくのが、と注釈付きですが。なんだろうな。というのも、宇宙人と言われてしまうのだろう人、とも違うようだけど、そんな会話が。妙に心に残りつつ、なんだよね。アシュタル・シェランと名付けられた存在。「ニシキトベの復活」をかかれたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿がお気に入りで。この間、熊野から来清された三石さんもご存知だったな。どうもね、認識の仕方そのものの変容、変換、転換みたいな具合だ。認識だから、人間関係なんかにも通じ、だな。そんな今日は、財務省の出先機関の方々との懇話会。楽しみでもあって、ね。どないなりますやら、ってなもんだ。そうだ、昨日は、母親のところへ行ってきたんだった。久々の面会。なかなか、僕ということは理解できなかったようだけど、そ...今朝は気が乗らないな。
ということで、本の帯のような投稿にしようかな。一筆書きともいうか。八ヶ岳は気持ちがよかった。久々だ。八ヶ岳倶楽部は今頃どうなってるかな、なんてふと、亡くなった柳生さんのことも思い出され。山の師匠に連れて行ってもらった11月の零下10度の時の昼食、自分史上最高に美味しかったカップヌードル。なんてのも。過去も未来も一緒に、今この時に存在する、というデンで、そのうちに八ヶ岳ツアーもありそうだ。単に、山を登る、ということではないツアーだけど。そういうわけで昨日は、走らなかったんだな。週末の、しかも、雨でない日に走らないというのは、相当の覚悟がある。なんてかくといかにも、だな。そうだ、この間、三石さんにいただいた本、「熊野から読み解く記紀神話」というの。その中に中上紀さんという中上健次の娘さんの文章があり、ふと、親...ヘヴィーな話はやっぱりかけないな。
エネルギーワーク。E=MC2乗の御仁を引き連れての、久々の訪問とあいなる。中部縦貫道開通で、近くなったな。1時間半か。虹の郷ができる頃の修善寺もそのくらいかかったな。とにかくそういうわけで、行ってきます。今日は八ヶ岳へ
すごいものだね。振り返ればあっという間でもあり。今朝は三保の松林の入り口くらいまで走り、海岸沿いの遊歩道も少しばかり。なんだけど、あの頃、6700日前ね、そんな自分を想像したことがあったかな。まったくないな。まさかね、この歳になって走ってるなんて、まさに、まさかの坂ってわけだ。とはいえ、それが楽しいのでやっているわけで、今日で345回目だ。今朝の出だしは、走り始めた頃に、ちょっと、チャレンジで海を見てこよう、なんて掛け声で。初めて走った道を選び、今度はもう少し大きな海を見ようか、なんて具合の松林ってことだな。とにかくそういうわけで、走ってきたのであります。そしてルーティンの珈琲。これもまた、まさか、だな。6700日前の自分に教えてあげたいくらいで。おい、おまえ、って感じでね。あるいは、きみ、か。6700日...ブログ開設6700日だそうだ。