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子育ての科学
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2018/12/03

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  • 虐待が連鎖するのはなぜか

    虐待された子が大人になって自分の子を虐待してしまうのはなぜか?そこには実は根深い問題が隠れているかもしれない。最新の科学(DOHaD学説)で説明する虐待の真実とは・・・ 自分の子にイライラしてしまう最近、こどもへの虐待がたびたびニュースになっています。時に体や心に重大な傷を負ったり、虐待が原因で亡くなってしまう子さえいることを知ると、本当に悲しい気持ちになります。 もちろんどんな理由があるにせよ、虐待は許されることではありません。なんでこんなことが起こってしまうんだろう・・・自分のこどもが可愛くないのかな・・・と不思議に思う反面、一概に普通ではない人が起こした稀な事件と片付けていいのだろうかと思うこともあります。これは、自分とは無関係な別の世界の話ではなく、自分の身近でも起こりうる話だと感じるのです。もちろん半ば信じられないような行き過ぎた事例というのも存在します。今回は、そのような事例を除外して考えてみてください。 しつけや体罰との境目が難しい事例は確かにありますし、子育て中のご両親が自分のこどもに対して必要以上にいらいらしてしまったり、実は虐待にまで至らなくともそれに発展しかねない事例は実はけっこうあるのではないかと思います。それでも一線を超えないのが通常の子育てだとは思うのですが・・・・こどもにやさしくできなかったとか、自分のいらいらを抑えられず、大きな声でどなってしまったとか、手をあげてしまったとか、もしかしたらケガさせそうになったとか、子育てを経験している親御さんならたいていそれに近いことは経験しているのではないでしょうか?もしかしたら、虐待する親の気持ちも分からなくはないと感じる方さえいるのではないでしょうか?

  • 生きる意味などもともとないのだ

    小児科医、新生児科医として、沢山の赤ちゃんの"死"に立ち会って思うことがある。それは、人にはもともと生きる意味などないのではないか…ということだ。 織田信長や徳川家康、坂本龍馬の人生には意味があったように感じる。本人たちがそう考えていたかはわからないが、彼らは正に歴史を動かした人物だし、彼らがいなかったら今の日本はないわけだから…。でも彼らは何かを成し遂げたから生きる意味があって、何も成し遂げられなかった人は生きる意味がなかったということなのだろうか。 生まれてきて直ぐに亡くなってしまう赤ちゃんがいる。例えば、色々な病気を持って生まれ大手術を繰り返し行い、結局すぐに亡くなる赤ちゃんもいる。彼らは生きてきて良かったと思っていたのだろうか…。例え短い間だったとしてもきっと生まれてきて良かったと思っているに違いない、家族に会えて良かったと思ってるに違いない、そう思う、思いたい反面、おうちに帰りたかっただろうな・・・とか、こんなことも経験させてあげたかったな・・・とか、どこか結果に納得できない自分もいて、彼らの生まれてきた意味を自らに問うと、複雑な気持ちになることもある。 例えば生まれてきて、生きて家族に会うこともなく亡くなってしまった赤ちゃんさえいるわけだけど、彼らはどうだろう。家族に会えて良かったという生きる意味さえなかっことになるのだろうか…。生きる意味ってなんなんだろう。長生きすることが必ずしも一番の目的ではないけど、とてもとても儚いその人生をみると、それでも本当に良かったのだろうかと締め付けられる思いが溢れてくるのだ。 一方で、五体満足で生まれながら、生きる希望をもてず、自分の生きる意味を見いだせず、その人生を自ら終わらせる人も決して少なくない。そのような人は程度の差こそあれ、抑うつ状態になっているので、不安や孤独感、無力感にさいなまれて、そのような判断をせざるを得なかった人なのだと思う。ただ一方でこうも思う。そもそも"生きる意味"がないと生きてはいけないのだろうか。何かを成し遂げなければ、何か意味のあることをしなければ、生きる価値がないのだろうか。

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