当事者として回復のヒント、統合失調症当事者のライフスタイル模索、ご家族への情報提供等の試みです。
AWトウザー著 「神の再発見」 四 聖三位一体(49p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネ1:18) だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。(ヨハネ3:13) 人類をあがなうために、永遠の御子は、父のふところを離れませんでした。御子は、人々の間を歩まれたとき、ご自分を「父のふところにおられるひとり子の神」とされ、またご自身について、「天にいる人の子」と語られました。ここに神秘を認めます。しかしそれは混乱ではありません。御子は、受肉においてご自分の神性にベールをかけられましたが、それを無にされたのではありませんでした。神格の統一性ゆえに、…
レキサルティを服薬して、イライラする場合、合わないケースが多いらしい。
kyupin先生によるとレキサルティが合っている指標として いくつかの基準をあげている。 1 よく眠れるようになる 2 神経過敏がない事 3 幻覚が減る 4 体が動くようになる 5 アカシジアなどの副作用が減少ないし消失 6 不安が減る 7 表情が改善する 8 体重が減る(太りやすい薬からの変更の場合) 9 体重が増える(穏やかな生活となってカロリー消費が少なくなる) 自分もレキサルティへの変薬を試みてみたが、イライラと不眠が出て エビリファイに戻した。 するとイライラは収まり、不眠も改善された。 まさに1と2においてレキサルティがマッチしていない例であった。 kyupin先生によると2につい…
AWトウザー著 「神の再発見」 四 聖三位一体(49p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。(ヨハネ14:28) アタナシウス信条の作者たちは、三つの人格の相互関係を、非常な注意を払ってつづり、霊感を受けたみことばの限界内にとどまりながらも、人間の考えにあるギャップを、できるかぎりなくそうとしています。「この三位一体においては、どのおかたも、前に来たり、あとに来たりしない。また上であったりすることはなく、三つの人格すべてが等しく永遠であり、共に等しくありたもう」と。…
AWトウザー著 「神の再発見」 四 聖三位一体(46p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:23) わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:30) キリストは、父と御霊とともにご自身について語っておられる時に、複数形を用いることをちゅうちょなさいませんでした。「わたしたちは、その人のところに来て、その人とともに住みます。」けれども、再びキリストは言われました。「わたしと父とは一つです。」神を統一体の中における三位一体として考え、人格を交えず、本質をわかたないことは、非常にたいせつなことです。そう…
陰性症状や鬱にいいかも。アスコルビン酸(ビタミンC)を水に溶かして飲む
アスコルビン酸(ビタミンC)2gをペットボトルの水に溶かして飲む。 口の中に爽やかな清涼感とともにすっぱさが広がってくる。 そしてなぜかハイ気味になっている。 ”ビタミンC うつ”などのキーワードをネットで調べてみると、ビタミンC摂取が 自律神経を調整する働きをもたらすとの研究があるというブログ報告例や、NIKKEI STYLEという日経電子版では、ビタミンCが、興奮した時に分泌される、神経伝達物質、アドレナリンの合成に欠かせない物質であるという記述がなされていた。そのことから、不足すると抑うつ症状が出てくるという。 ストレスによってもビタミンCは失われてゆき、アドレナリンが合成できにくくなっ…
AWトウザー著 「神の再発見」 四 聖三位一体(45p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
地よ、地よ、地よ、主のことばを聞け。(エレミヤ22:29) 神が宣言したもうことを、信者はそれ以上の証拠を必要とせずに信じます。確かに、証拠を求めることは疑いを認めることであり、証拠を得るということは信仰を不必要なものとします。だれでも信仰の賜物を有している者なら、初代のクリスチャン教父の次のような大胆なことばの知恵を認めることでしょう。「私は、キリストが自分のために死んでくださったことを信ずる。なぜならば、それは信じがたいことだからである。私は、キリストが死からよみがえられたことを信ずる。なぜならばそれが不可能だからである。」 それがアブラハムの態度でした。アブラハムは、あらゆる証拠に敢然と…
AWトウザー著 「神の再発見」 四 聖三位一体(41p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
では知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。それはすべての生き物の目に隠され、空の鳥にもわからない。滅びの淵も、死も言う。「私たちはそのうわさをこの耳で聞いたことがある。」 しかし、神はその道をわきまえておられ、神はその所を知っておられる。 (ヨブ28:20~23 20~22は個人的補足) 人はみな、それぞれの信仰によって生きています。未信者も聖徒と同様です。すなわち、一方は自然の法則への信仰により、他方は神への信仰によって生きているのです。 人はみな、その生涯を通して理解することなく絶えず受け入れています。最も学問のある聖人も、一つの単純な「何?」という質問で沈黙させられます。その質問…
AWトウザー著 「神の再発見」三 神の属性、神についての真実な事がら(38p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。 (Ⅰコリント2:11) 「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」神は同等の者に対してのみご自分のご神格の奥義を伝達することがおできになるのですが、しかし、実際問題として、神と同等のものが存在すると考えることは、知的に不合理なことです。 神の属性は、神について真実であると、私たちが知っているものです。神は特質として属性をお持ちになっているのではありません。神がご自分を被造物に現わされるときに、神がいかにいましたもうかを現わ…
AWトウザー著 「神の再発見」三 神の属性、神についての真実な事がら(33p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(マタイ5:8) 神は、私たちの質問に対して答えを備えてくださいました。確かにすべての答えではありませんが、私たちの知性を満足させ、心をうっとりさせるのに足るものでした。神は、これらの答えを、自然の中、聖書の中、また御子のご人格の中に備えてくださったのです。(「神の再発見」 33p) 神はこの三重の啓示によって、神に関する私たちの質問に対する答えを備えてくださいました。しかし、その答えは決して表面に横たわっているものではありません。このような答えは、祈りや、みことばに関する長い黙想や、また熱心でよく訓練された苦労によって求められなければなりませ…
AWトウザー著 「神の再発見」二 理解しがたい神(25p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
あなたは神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何をしりえよう。(ヨブ11:7~8) すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。(マタイ11:27) あなたは神の深い事を窮めることができるか。全能者の限界を窮めることができるか。それは天よりも高い、あなたは何をなしうるか。それは陰府よりも深い、あなたは何を知りうるか」とナアマ人ゾパルは尋ねています。主は「父のほ…
AWトウザー著 「神の再発見」二 理解しがたい神(24p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。 (ヨブ22:21) もし神が私たちの考えるとおりのおかたでないとするならば、どのような神であると考えたらよいのでしょうか。もし信条が宣言するように、神がまことに理解しがたいおかたであり、またパウロが言うように近づきがたいおかたであるならば、私たちクリスチャンは、どのようにして神へのあこがれを満足させればよいのでしょうか。「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい」という望みに満ちたことばは、何世紀も過ぎ去ったのちの今でも変わりません。しかし、どのようにして人間の考えによる懸命な努力をお避けになる神と和らいだらよいのでしょうか…
AWトウザー著 「神の再発見」二 理解しがたい神(21p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
彼らの頭の上、大空のはるか上のほうには、サファイヤのような何か王座に似たものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。私が見ると、その腰と見える所から上のほうは、その中と回りとが青銅のように輝き、火のように見えた。その腰と見える所から下の方に、私は火のようなものを見た。その方の回りには輝きがあった。その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。(エゼキエル1:26~28) エゼキエルが、燃える御座に近づけば近づくほど、自分のことばが確かなものでなくなりま…
AWトウザー著 「神の再発見」二 理解しがたい神(21p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
それらの生きもののようなものは、燃える炭のように見え、たいまつのように見え、それが生きものの間を行き来していた。火が輝き、その火からいなずまが出ていた。 (エゼキエル1:13) 霊感を受けた人たちが、言い表せないものを言い表そうとする努力は、聖書の中で、黙想の上にもことばの上にも大きな困難をもたらしました。これらは、自然を越えた世界の啓示であり、一方それを書きしるした思考は、自然の一部であるので、記者たちは、自分の言おうとする意味をわからせるために、非常に多くの「似た」ことばを、余儀なく使うことになったのです。御霊が、私たちの知識の領域を越えたところにある何かを知らせようとなさるとき、御霊は、…
AWトウザー著 「神の再発見」一 なぜ神について正しく考えなければならないか(16p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。(ローマ1:21) 偶像礼拝とは、「ただ単に目に見える礼拝の対象の前にひざまずくことだけであり、それだから文明国の国民は偶像礼拝とは関係がない」というような誤った考えを、思いあがって受け入れることのないように気をつけようではありませんか。偶像礼拝の本質は、神についてふさわしくない考えを心にいだくことです。偶像礼拝は、まず、心の思いに浮かび、明らかな礼拝行為が行われなくとも存在しうるのです。「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせ…
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AWトウザー著 「神の再発見」一 なぜ神について正しく考えなければならないか(15p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる。(詩篇50:21) 人間の心が傾きやすい多くの罪のうち、神にとって偶像礼拝ほど憎むべきものはほかにはありません。なぜなら、偶像礼拝は、その根底において、神の人格に対する侮辱だからです。偶像礼拝の心は、神を、ほんとうの神以外のもののように思い込みーそのこと自体の中に恐るべき罪がありますー自分自身に似せて作ったものをもって真の神の代わりにします。この神は、それを作った者のイメージと常に一致するので、それを現わす製作者の道徳状態のように…
AWトウザー著 「神の再発見」一 なぜ神について正しく考えなければならないか(11p~) 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 (ヨハネ1:1) 疑いもなく、頭で考え出すことのできる最も強力な思想は、神についての思想であり、どの国のことばにとっても、最も重みのあることばは神ということばです。思想と言語は、神のかたちにかたどって造られた被造物への神の賜物であり、これらは神と密接な関係があって、神から離れてはありえないのです。最初のことばが「ことば」であったということは、非常に意義深いことです。「ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」私たちは、神が語りたもうゆえに語ることができるのです。神にあっては、ことばと観念は切り離すことができません。 …
AWトウザー著 「神の再発見」 序 引用聖句 と引用聖句周辺の本の引用。
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」 (詩篇46:10) この本のメッセージは、この時代から脱皮しようとするものではなく、この時代にふさわしいものです。教会にしばらく存在し、なお確実に悪化しつつある一つの状態のために必要となっています。私は一般の宗教的な考えから尊厳の観念が喪失していることを言っているのです。教会はかつていだいていた高い神観念を放棄し、思考したり礼拝したりする人間に全くふさわしくない、非常に低い、非常に卑しいものをその代わりに置き換えてしまいました。教会は、故意にではなく、少しずつ、そして知らないうちにこのことをしてしま…
適切に処方されている薬を飲み続けている中で なんだか、薬の効力を疑いたくなる時がある。 この薬本当に効いてるのかな?やめたとしても 別に生活に支障は出ないのではないかと思う瞬間である。 こういった、感想から、薬を飲まなくなってしまうケースが 多々あるらしい。しかし、適正に処方されていて、的確に薬が 効いている場合、薬はある意味で目立たず、陰で支えているような 状態にあり、その効力を実感しない。日常生活に近い水準で行動できている時 薬は目立たない。目立ってしまっては変でもある。 通常の生活に、プラスアルファとして薬が何かを加えるような作用をもたらす場合 それは多くの場合、望んでいない物であること…
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