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2018/06/26

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  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版1/5~5/5)

    尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版1/5~5/5)(1/5)https://blog.goo.ne.jp/katokeijiban/e/e64cf3d6242fc26d9b7ea5b36b7cfbb4(2/5)https://blog.goo.ne.jp/katokeijiban/e/57cb053aeaa536938a3217853ec6fa76(3/5)https://blog.goo.ne.jp/katokeijiban/e/8cbb109a87bffe8ac9d9a525bb701999(4/5)https://blog.goo.ne.jp/katokeijiban/e/ac0acf88c8a9d54a1aa39aa12f8fdf0d(5/5)https://blog.goo.ne.jp/kato...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版1/5~5/5)

  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説 (暫定版 1/5)

    尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版)☆カトリックの教え☆1)はじめに「信じる者は救われる」と誰かが言ったら、それはキリスト教をからかっていると考えられます。しかし、この言葉はキリスト教の本質を捉えていると言えます。キリスト教は信仰をとても大切にする宗教ですから。聖書には「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」とあります(ヘブライ11章、6)。イエスもしばしば「私を信じなさい」と言われました。ただ、カトリック教会はその信仰が盲信でよいとは言いません。なにを信じるのか、なぜ信じるのかを、ちゃんと筋道を立てて説明できないといけないと言うのです。昔ある友人に聞いた話です。彼は大学生のときにカトリックの洗礼を受けた人で仏教にも興味を抱いていました。そして、あるお寺に高名なお坊さんが定期的に講話に来られ、講話...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版1/5)

  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説 (暫定版 5/5)

    55)罪―5(小罪)外国のお話しです。ある高校生が机に聖母の御絵を置いて勉強していました。それを授業中に見つけた先生が、大きな声で皮肉っぽく「お前は毎週日曜日にミサに行っている奴らの一人か」と言ったところ、彼は「いや違います。僕は毎日ミサに行っている奴らの一人です」と答えたのです。授業が終わるとクラスメートから拍手を受け、もっと宗教について教えてくれ頼まれたそうです。ミサに参加するとは、神様を称え礼拝し全人類のために祈願することですから、これは恥ずべきことではなく、自信をもってしかるべき行動です。それを茶化す先生とあの高校生の態度は対照的ですね。さて、今は罪について見ていますが、罪の中に大罪と小罪があり、前者は霊魂の死、後者は霊魂の病気のようなものだと前回話しました。もしそうなら、大罪さえ気をつければ、小罪をい...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版5/5)

  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説 (暫定版 4/5)

    42)教会-5(教える権能、3)また大きな会社の不祥事が明るみに出ました。昨今マスコミをにぎわす不祥事は、単に失敗したということではなく、人の道(道徳)を平気で無視していたと言う点にあります。もし何か技術的な失敗であるならば、それを犯した人の力量が疑われますが「悪人」とは呼ばれません。ところが道徳に反した場合には、その人は人として失格の烙印を押され、社会で普通の待遇を受けることができなくなるのです。こういうことを考えると、人間の最大の不幸は善悪の判断を誤ることだということがわかるでしょう。実は、道徳的な判断の正誤は、単に社会生活において大変な結果を生じせしめるだけでなく、その人の幸せ、そして永遠の命を左右すると言う意味できわめて重要な問題なのです。この道徳と密接な関係にあるのが信仰です。実に教会が教えることは、...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版4/5)

  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説 (暫定版 3/5)

    31)イエス・キリスト-9(三位一体)ここ数回にわたってイエス・キリストが人間であると同時に真の神であったという点を見てきました。これがキリスト教の信仰の核心です。イエスが神であると信じる最大の理由が復活であって、パウロは「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です」(1コリント、15章、14)とまで言っています。さて、ここで新たな問題が出てきます。つまり、もしイエスが神ならば、イエスが「天の御父」と呼ばれた神はどうなるのか。また御父とイエスが弟子たちにお送りになると約束された聖霊はどうなのか。神はお三方おられるのか、という問題です。イエス自身、「イスラエルよ聞け。われわれの主なる神は唯一である」と神が唯一であるというユダヤ教の信仰を断言されました(マルコ、12章、29...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版3/5)

  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版 2/4)

    17)人間―1私たちはみな人間で、人間社会の中で毎日無数の人間と顔をつきあわせて生きていますが、それでも「人間とは何か」と改めて問われれば、答えにつまるのではないでしょうか。ルルドで病人の治癒の奇跡を目撃し改心したノーベル賞受賞者アレキシス・カレル氏(1944年没)に『人間、この未知なるもの』という著書がありますが、このタイトルは今も色あせていません。この難問に対するキリスト教の答えには非常に深いものがあると思います。今回から教会が「人間とは何か」についてどのように教えているかを見てみましょう。人間について考えるとき、最初にぶつかる質問は「人間はどこから来たか」という問でしょう。ご存知のように、聖書と教会は人間の創造には神が特別に介入されたと教えます。これに対して、自然科学者の多くは、人間はサルのようなものが進...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版2/4)

  • 尾崎明夫神父のカトリック要理詳説 (暫定版 1/3)

    尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版)☆カトリックの教え☆1)はじめに「信じる者は救われる」と誰かが言ったら、それはキリスト教をからかっていると考えられます。しかし、この言葉はキリスト教の本質を捉えていると言えます。キリスト教は信仰をとても大切にする宗教ですから。聖書には「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」とあります(ヘブライ11章、6)。イエスもしばしば「私を信じなさい」と言われました。ただ、カトリック教会はその信仰が盲信でよいとは言いません。なにを信じるのか、なぜ信じるのかを、ちゃんと筋道を立てて説明できないといけないと言うのです。昔ある友人に聞いた話です。彼は大学生のときにカトリックの洗礼を受けた人で仏教にも興味を抱いていました。そして、あるお寺に高名なお坊さんが定期的に講話に来られ、講話...尾崎明夫神父のカトリック要理詳説(暫定版1/3)

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