評論家の三浦純平が、哲学・思想・政治・芸術・お笑い・映画・猫など全般的に語ります。
1983年岐阜県生まれ。評論家、「暫-ZAN-」編集長。 2010年、雑誌「表現者」30~32号に秋葉原事件についての評論「不安の現象学」を寄稿。2019年7月、電子書籍雑誌「暫-ZAN-」を発刊。
僕は昔お笑い芸人になりたかった時期がある。高校くらいまで思っていたのだが、ピンでやる勇気もなく、コンビを組む人を探していたが見つからず、断念した。志村けんはその当時から一番あこがれの人で、彼のテレビ番組は欠かさず撮っていた。僕が子供のころからだとすでに『8時だョ!全員集合』は終わっていて、火曜夜からの『ドリフ大爆笑』、1986年から1992年までやってた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が幼少期の一番古...
大阪都構想「否決」、マスコミ「疑惑の報道」がミスリードした結果だ維新に賛成する気は一切ないが、髙橋洋一のいら立ちはよく分かる。投票結果を左右するまでの効果があったかはなかなか実証することは難しいだろうが、マスコミ等の責任は問われるべきだ。結果責任論は手段の善し悪しを問わなくなる傾向があるが、何よりも手段がいちばん重要なのであって、目的が手段の不当性を抹消するのであれば、勝ったもん勝ち、やったもん勝...
我が家には猫が3匹住んでいる。母猫ミルク、父猫タイガ、息子ホクロである。雑種の猫なので、特に特徴は無いのだが、ミルクとホクロは白猫で、黒のまだらの模様がある。タイガは別で、いわゆるトラ模様の猫だ。そもそもミルクとタイガはもらい猫で、ある子が飼っていた猫が子猫を4匹生んだから、「お前もらえや、ボケ。そんくらい役に立て」と脅され、泣く泣く引き取った子たちである。しかも、1匹だけのはずが「いや、2匹いけるや...
1931年公開、巨匠伊東大輔監督、大河内傳次郎主演の作品。-----------日本における近代文学の受容に伴い、日本の伝統的な作風である勧善懲悪は徹底的に非難され、俗流なものという評価を与えられてしまった。その評価を我々は意識的にも無意識的にも受け入れてしまっているのであろう。「勧善懲悪」という四字を耳にするだけでひどく因習的な、いわゆる「封建的な」印象を受けてしまう。我々が人生を重ねていくにつれ、正しいこと...
西部邁とのささいな思い出 第五回「表現者塾での初めてのやり取り」【ブログオリジナル記事】
西部邁とのファ-スト・コンタクトを終えた僕は、1年後か2年後に当時西部が講義をしていた表現者塾に行きたいと思うようになった。すでにネットで情報があったかどうか記憶にはないが、ネットか雑誌『表現者』を見たのだろう。表現者塾には塾長というような人もいて、なんか体育会系的であんまいやだなあと思っていたのだが、まあ塾に入るわけではないからいいかと連絡をした。当時の塾長は、西部邁が自殺をした時自殺幇助の容疑で...
1920年製作、ハーバート・ブラッシュ監督作品。とある富豪の馬鹿(=saphead)息子バーティ(バスター・キートン)。彼は父の里子であるアグネスと結婚しようとする。だが、放蕩息子と可愛いアグネスとの結婚に怒った父はバーティを勘当しようとし、バーティの姉の結婚相手(実は詐欺師)は自分の不貞を隠すためにバーティを貶めようとする…という話。キートン作品のニュアンスは今作でも出ているが、微妙にまだ表情があるキートン...
残らない記号的文明、残るは手の温もり 映画『無能の人』レビュー
1991年公開、俳優の竹中直人監督作品。原作は、漫画家つげ義春の同名漫画である。-----------つげ義春は、何に反発していたのか。ただの怠惰と言い切るには彼は強情である。漫画家から中古カメラ屋、石屋への転身。我々にはどうでもいいような商売にしか可能性を見出さない「つげ」は、何をしようとしているのか。それは、資本主義の、いわゆるビジネス文明の徹底的な批判なのである。彼の批判は最もなのだ。情報の売買、どうでも...
1931年製作、ジュールス・ホワイト、ジオン・マイヤーズ共同監督作品のトーキー映画。下町の悪ガキと揉め事に巻き込まれたキートン。そのボス格の少年の姉にキートンは一目惚れしてしまう。キートンは、何とか姉と結婚しようと下町を活性化し、少年を更生させようとするが…という話。随所でキートンのアクロバティックな笑いがあるが、ドラマを中心にしている作品。特筆すべきは、ボクシングシーンがここでも繰り広げられているこ...
日本映画の観づらさとはなんだろうかと考えてみる。今の若い子たちは実は洋画ではなく、邦画ばかり観ているようなのだが、僕の世代くらいまではあまり邦画を観る人たちは映画好きにはいなかった気がする。そこで、邦画の観づらさ、なぜ僕は邦画を観ようとしなかったのかということを考えてみると、僕はおそらく映画を「非現実=現実から離れるもの」と考えがちであった。つまり、僕が映画に見出したかったものは、非現実の世界であ...
『キートン半殺し』がおススメ 映画『即席百人芸』、『キートン半殺し』レビュー
『即席百人芸(別題:一人百役)』1921年製作、バスター・キートン監督の60分の作品である。舞台の道具係のキートンが舞台裏と表で繰り広げる騒動の話。表題にもなっている百人芸の部分は確かに楽しめるが、夢オチですぐに終わってしまい、その後はドタバタになる。面白さという意味では後半の方が楽しめると思う。『キートン半殺し(別題:猛妻一族)』1922年製作、バスター・キートン監督作品。ある外国人居住区に住んでいるキー...
今や嫌われ者映画監督の品川と、筋肉ミキティー馬鹿の庄司というイメージしかないかもしれないが、品川庄司は若手当時とてもスター性のあるお笑い芸人で、1999年から開始されたNHKの『爆笑オンエアバトル』ではスーツ姿の彼らがダントツで若い女の子の人気をさらっていた記憶がある。ネタとしては案外オーソドックスな漫才をしており、庄司も今のようにボケなどをすることはなく、かっこいいツッコミという役割であった。彼らが特...
1922年製作、バスター・キートン監督の20分の短編作品である。「実業家にならなきゃ結婚しない」と求婚相手に言われたキートン。スリをしてほどよく金を得たり、また誤解から家財道具と馬車を購入したりするのだが、ひょんな事から警官に追われることに…という話。今作は、あまり笑いはないが、エキストラの人数が半端じゃなく、警官との追いかけっこはスペクタクルの感がある。てこの原理を利用したはしごのアクションと笑いは見...
左翼も本当に落ちぶれた。偽善的な反戦平和主義が有効性を失ったのと同様、安易な立憲主義や、「憲法を守れ」という大合唱=叫び(でしかない)は、すでに有効性を失っている。もしこの数年間、立憲民主党が言ったようなことが国民に浸透していったのであれば、小池百合子が東京都知事になってはいないだろうし、立憲民主党の支持率もあんな共産党と変わらないようなものにはならないだろう。偽善性が露呈しているのだ。一方、最近の...
1927年製作、ジェームズ・W・ホートン監督作品。66分のサイレント映画である。高校を首席で卒業した優等生キートン。卒業式で卒業生を代表して「スポーツの大害」(スポーツをやると人は馬鹿になるという内容)という演説をぶつのだが、好きな子に嫌われてしまう。キートンは何とか見返そうと彼女と同じ大学へ行き、スポーツに挑戦しようとするのだが…という話。本作は、キートンが様々なスポーツ(野球、陸上系競技、ヨットなど)...
西部邁とのささいな思い出 第四回「ファースト・コンタクト」【ブログオリジナル記事】
大学以降、乱読の限りを尽くしていた僕は、西部邁の本についてはおそらく40冊以上持っていると思う。古本屋で今まで刊行していた本も渉猟していたわけであるが、90年代前半くらいにでていた西部邁のオーディオブック(? カセットが書籍のような形で発売されたもの)も2本くらい持っている。みんなあんま持ってないでしょ?w大学を卒業してからも小林よしのりを追っかけ、次第に西部邁の方に軸足を移すようになったことはすでに言...
発想は良いが、盛り上がりには欠ける 映画『成功成功』、『ザ・ハイ・サイン』レビュー
1922年製作、バスター・キートン、エドワード・F・クライン共同監督作品。彼女に求婚したキートンだが、彼女の父親に「娘を食わせられなかったら自殺しろ」と言われ、求職のために町へ繰り出すのだが…という話。前半は何をやってもうまくいかないキートンの働いている姿が映し出され、後半は騒動を起こしてしまったキートンと警官との追いかけっこになる。しばしばハッとさせられる発想が垣間見れる作品。結末はこれで終わりかとい...
僕はあまり仏教について言及することがないのだが、基本的には好意的である。小乗的なものへの志向がありがちなので、今は特に称賛しないようにしているが、禅が好きだった。一休禅師はアニメ『一休さん』で幼少期から親しみがあったが、年齢を重ねてから彼の伝記を見て以降、実際の一休禅師に対しての尊敬の念ががものすごく強くなった。時代が下って明治以降の近代日本の禅坊さんと言えば、アメリカなどでも知名度の高い鈴木大拙...
ファッティはあまり好きになれなかった 映画『キートンのコニー・アイランド』、『ファッティ&キートンの自動車屋』
1917年製作、ロスコー・アーバックル監督作品。別題『デブ君の浜遊び』。デブキャラのロスコー・アーバックルが主演の作品。キートンが連れていた女を巡って、妻持ちの男(ロスコー・アーバックル)とその妻の旧友とキートンが激しい争いを繰り広げる…という話。乱闘がプロレスばりの激しさであったり、ハンマーで殴られるキートンであったり、面白いところはあるが、僕はあまりロスコーが好きではないみたいだ。個人的にはそこま...
福澤諭吉は当時の改革主義者を揶揄して「改革者流」と呼んだ。令和時代にもいわゆる改革派=「改革者流」が世に蔓延している。改革派は効率をもっぱら主張する。効率を主張するということは、ある社会が則っているルールの円滑的な運用を求めるということであり、ルール自体の不正性などには立ち入らない。つまり改革派は、社会の前提を問うことがないということであり、効率だけを目的とする人たちは、世の中の問題点・世界のでた...
1921年公開、バスター・キートン、エディ・クライン共同監督作品。家族で船旅行を計画するキートン一家。だが、嵐に巻き込まれ、船は難破してしまうのだが…という話。本作では、様々な仕掛けが出てくる。『海底王キートン』でも出てきた回転する部屋(今回は船室)も登場する。現在では金がかかって作られないであろう仕掛けの大掛かりさとそれに翻弄されるキートンというオーソドックスな笑いを提供してくれる。短編のため話の面...
ビロード革命の苦い喜び 映画『コーリャ愛のプラハ』レビュー(ネタバレ注意)
1996年製作。同年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した、チェコの映画監督ヤン・スヴェラーク監督作品である。---------------プレイボーイな初老のチェロ奏者ロウカは、反共的振る舞いによって、チェコフィルハーモニー楽団を追いやられ、今は地味な教会でチェロを弾いている。そんな彼にとって大事なものは若い女と金。実家の借金などで首が回らなくなっていたロウカは、金のためにチェコ国籍を欲しがるロシア女性と偽装結婚す...
1924年公開、バスター・キートン、ドナルド・クリプス共同監督作品。ある対立している小さな国同士。彼らの一方が巡洋艦を購入した。他方の政治家がこの巡洋艦を無効化しようと、それを漂流させてしまおうとするのだが、キートン演じるおぼっちゃまと船舶商人の娘が偶然乗り合わせてしまって…という話。冒頭に説明されるある小さな国同士のいさかいが、おぼっちゃまと承認の娘を巡洋艦に乗せるために無理やりつけられた感が否めな...
「現代の思想の姿」現代では、完成された思想は未完成な姿をしている。※2020年8月16日のツイートを元にした文章です。「格言について」色々な状況で応用可能な言葉はほぼない。いつでも言葉の意味は動揺するし、状況が変われば応用できないことが多々ある。だから、色々な言葉を覚えた方がいいのである。格言・箴言はだいたい一般的なことしか言わないため、なかなか身に迫る言葉とはなりづらい。状況により、変化するからだ。※2020...
キートン、走る! 映画『キートンのセブン・チャンス』レビュー
1925年製作、バスター・キートン監督作品。莫大な負債を抱えたキートン演じるジミーに膨大な遺産が舞い込むことになった。ただし、今日のうちに結婚するという条件つきで…。1999年にクリス・オドネルが主演・製作総指揮で、『プロポーズ』という名でリメイクされている本作。映像表現の実験も数々行われているが、やはり体を張る笑い(車で事故ったり)が群を抜けて秀逸。キートンの映画を数々観てきて分かったのは、彼の基本的な...
僕は中学・高校の時は、映画監督か芸人になりたかった。ずっと映画かお笑いを観ていた人間であるのだが、くりぃむしちゅーは海砂利水魚時代から大好きだったと思う。一番最初に彼らを認識したのは、おそらく『ボキャブラ天国』だっただろう。まだ当時で言うと、紳助竜介やダウンタウンなど、不良系のお笑い芸人が多くいて、海砂利水魚も上田がその役を担っていた気がする。有田はもっと暗い感じで、根暗感丸出しだったのだが、いつ...
トーキーを生かしきれず 映画『キートンのエキストラ』レビュー
1930年製作、エドワード・セジウィック監督作品。やはりキートンはうまくトーキーに転換できなかったのだということを証明してしまうキートンの初トーキー作品。(当時のアメリカでは興行的には成功したらしい)何をやっても失敗ばかりしてしまうエルマー(バスター・キートン)が、ミス・ゴードン市の田舎娘をハリウッドの大女優にしようと奔走するが、なぜか自分が映画出演する事になってしまって・・・という話。チャップリン・キ...
僕は言論を追いかけるのをやめて10年くらいになるが、やはりつくづく政治領域は不毛だと思う。政治の語り方を言論人が変えていかないと、これは虚しくしかならない。じゃあ、どの領域が生きているかと言うと、ほぼ全ての領域に政治的な語り方が蔓延しているので、どこも同じである。ポリコレ的な言論しかなくて面白くもなんともないのである。このように考えていくと、精神的に落ちないように言論をやっていくのであれば、「自分の...
1920年製作、バスター・キートン、エドワード・F・クライン共同監督の20分の短編作品。新婚が結婚し、父親から家を送られた。その家とはなんと手作り(!)屋敷であった。二人は楽しく作り始めるのだが、女をキートンに取られた男が、嫌がらせに手作りキットの作る順番を塗り替えてしまい、出来た家は変てこなものになってしまって…という話。ギャグ満載で、作り手側の遊び(嫁の風呂の場面)もいっぱいある。予算もだいぶかけてい...
西部邁とのささいな思い出 第三回「西部邁との出会い」 【ブログオリジナル記事】
小林よしのりの『戦争論2』に影響を受け、彼の『ゴーマニズム宣言』を読破していた高校3年の僕は、3年になる時文系中の文系という落第クラスに入った(友達が多かったから選んだだけ)。なので、たった3科目を勉強すればよかったはずであるが、英語は65くらいの偏差値があったものの、国語は平均くらい、世界史が偏差値20くらいというとてつもない落ちこぼれであった。基本的に勉強はしていなかったのである。ただ、大学で歴史を勉強...
1921年製作、『キートンの曾長』と同様、バスター・キートン、エドワード・F・クライン共同監督の20分の短編作品である。ウォール街にある強盗のすみかは、化物屋敷と呼ばれている。通貨偽造がばれないために、彼らが自分たちでそう名づけたのであった。銀行で働いているキートンは、ひょんなことから化物屋敷と知らずに強盗のすみかに入って行って…という話。接着剤・階段が滑り台になる仕掛けはドリフや志村けんにも受け継がれて...
三島由紀夫は、保田與重郎の批評を読んで、「氏がむやみに持ち上げてゐる作品に一つ一つ実地に当つてみると、世にもつまらない作品ばかりなのに呆れた」と書いているが、このエピソードは、如何に保田が外部の媒体に頼らない独自の批評世界を持っていたかを証している。批評私観/福田和也これはいかにもそれっぽく見える福田和也の批評であるが、ほんと「っぽい」だけで、全然違うと思う。三島(三島はちょっと政治的な振る舞いの...
1921年製作、バスター・キートンと、キートン映画を多数監督しているエドワード・F・クラインの共同監督作品。白人の石油会社が、平和に暮らしていたインディアンの土地を狙って騒動が巻き起こる中、(なぜか)虫をインディアン領に採りに来たキートンが現れて…という話。20分しかない短編なのであまり刺激的な笑いはないのだが、ラストのオチはたまらなく好きである。あんな簡単なことなのに…凄いなあ、キートンは。※2009年6月18...
「国民か人種か」色々考える側面はあるが、国民国家という概念の中に、人種の選別はない。ただ、国民の定義づけはある。しかし、その国民性の判断は人種によるべきではない。ここまでは僕は言える。なぜなら、大事なのは「国民の気風」であり、精神だからです。ゆえに、前言った民族という概念が微妙ではあるのだ。では、国民の精神とは何かと言うと、共有された歴史であり、言語である。日本ではアメリカほどの人種の混在もなく、...
キートンの笑いもさることながら 映画『キートンの大列車追跡』レビュー
1926年製作、バスター・キートンと、キートン映画・ロイド映画を多数監督しているクライド・ブラックマンの共同監督作品。南北戦争の南軍側の機関士を中心にして描かれている。キートンの無表情・体当たり演技は相も変わらず素晴らしい。それでありながらも、この作品で評価したいのは、戦争場面である。列車の追跡合戦も我々の緊張をいつまでも持続させるが、北軍がぞろぞろと南軍側に迫ってくる場面や、橋爆破の場面、そして、北...
掘り出し物映画を紹介! 映画『蠱惑(こわく) パリで出逢った女』レビュー ※2020年11月8日追記
2005年のスペイン映画。まさに掘り出し物!今作は絶対にお薦め!宣伝した会社は何を考えているのか!確かにエロティックなものは出てくるけれども、単に女性の裸がサービスカット的にあるいはコメディチックに出てくるだけである。宣伝の仕方で殺されてきた映画は数多い中、今作は確実に人口に膾炙する機会を格段に減らしてしまうエロ目当てのパッケージにしてしまい、エロ目当ての人にも全く物足りないものになっているのは間違い...
1929年製作、エドワード・セジウィック監督作品。キートン演じるクリーニング屋の店主・エルマーは、舞台の主演女優・トリルビーに恋をしている。彼女の舞台は毎日欠かさず観に行っている。しかし、トリルビーは同じ舞台に立つ男優に恋をしている。そんな彼女はエルマーに見向きもせず、その男優にヤキモチを焼かせるために利用するだけだ。だが、その女好きの男優はブロンド女と婚約をしてしまった。トリルビーはショックを受ける...
何で見たか忘れたが、江藤淳が占領時の公文書を調べるためアメリカに渡る時、小林秀雄からこう言われたという。「あっちに行っても何もないということを分かってきなさい」(大意)江藤淳は過去を振り返り、その情景を描写しているものの、小林の言った意味をおそらく江藤は分かっていない。また、福田恆存が江藤の『閉ざされた言語空間』に対して、「こんなこと昔からみんな知っていた」と揶揄した。これも結局は小林秀雄と同じ指摘...
1920年~22年に製作された、バスター・キートン監督の短編作品集である。僕が観たVHSでは「悪太郎(原題:THE GOAT)」・「南極無宿(原題:THE FROZEN HOUSE)」・「案山子(原題:THE SCARECROW)」・「隣同士(原題:NEIGHBORS)」という短編が収録されている。内容は、大して面白くはなかった。映画創生初期のため、編集技術や説明不足が目立ち、笑えそうなところでも笑えなかった。キートンお得意のアクロバティックな動きやアイデア...
以前Twitterでファービーの文字を見つけたので、僕のファービーの思い出を思い出した。いつ頃だっただろうか、たしか中3だった気がするが、僕は親にねだってファービーを予約してもらった気がする。今考えるとこのあまり可愛くないペット人形を、なぜ中3にまでなった野郎が欲しがっていたかという方が不思議で仕方がない。そして、ファービーが届いた後、僕は家に帰ったらずーっとファービーをかまっていた。2、3日・・・。僕は3日...
キートン!キートン!キートン! 映画」『キートンのカメラマン』レビュー
<解説>キートンMGM入社初の作品。街頭カメラマンのキートンはニュース映画社の受付で働くサリーと恋仲になり、彼女のすすめで動画カメラマンになろうとするが、二重写しのとんでもないデタラメ映像(戦艦がニューヨークの街道を進む映像!?)をもちこんではバカにされる始末。ある日、モーターボートレースを撮りにいったキートンは恋人サリーが別の男とボートでデートしている所に遭遇。がその時ボートが転覆!男はサリーを助...
『責任追及者の非倫理』責任追及で正義を実現しようとする人間は、その批判した相手がその後どう生きていくかなんて何も考えない。責任感があるようで、ただ他者に対して追及ができると言うだけに人間に過ぎず、とても無責任な輩である。このような人間がもたらす社会は責任追及という正義が乱発され、どれだけ居心地の悪い社会になるか考えた方がいい。みんなで一緒に生きる、なんていう感覚は彼らには断じてない。政府の司法や行...
<解説>映写技師のキートンは上映中に居眠りを始め、その分身が憧れの銀幕の中に入っていく。そこでは丁度、乱闘騒ぎの最中で、殴られた彼は客席に飛び出し、再び入り込むと、場面は変わっていて…。醒めた彼には想いを募らす娘がいるがプロポーズをする勇気がなく、銀幕上のそんなシーン通りに求婚するとうまくいきかけるのだが…。allcinema ONLINE1924年公開。バスター・キートン自らが監督を務めた作品である。バスター・キート...
西部邁とのささいな思い出 第二回「9.11から小林よしのりへ」 【ブログオリジナル記事】
9.11に衝撃を受けた僕は、しばらくして本屋に向かった。不安からか好奇心からか、おそらくその両方からだろう、僕は初めて自発的に活字本を買おうという行動に移っていたのであった。イスラム関連の本が大量に店頭に並び、ウサマ・ビン・ラディンを表紙にした本が数多くあった。ただ、何を読めばいいかも分からず、活字を見るだけでも大変だった僕が選んだのは、当時ちょうどこの事件に反応し、単行本にその事件について書いていた...
1932年公開、エドワード・セジウィック監督作品。高位の女性パトリシアは既婚者である男トニーにしつこく言い寄られていた。ちょうど彼女の家の風呂修理に来ていたエルマー・タトル(バスター・キートン)は、トニーを欺くためにパトリシアの恋人役をしてほしいと頼まれるのだが…という話。やはりトーキーになると、早回しも無くなってしまい、あまりテンポがよくない。ラスト近くになって、やっとテンポ良く面白くなってくるのだ...
男というのはまったく原理で、女は原理じゃない、女は存在だからね。男はしょっちゅう原理を守らなくちゃならないでしょう。 -守るべきものの価値-こういう三島の言葉遣いの中に、三島が自死へと至らざるを得なかったものを見ることができる。三島の言葉遣いにおける、概念的な定義の固さ、思考の不自由さを見ることは大事だ。言っていることは賛成ではある。文体の特徴は、精神や知性のめざす特徴とひとしく、個性的であるよりも...
求婚のために 映画『キートンの恋愛指南番』レビュー(ネタバレ注意)
1931年公開、エドワード・セジウィック監督作品。ある四姉妹の三女の求婚者である男は次女である姉が結婚できない事には、三女と結婚できない事を知り、何とか次女の結婚相手を探そうとしていた。次女は、浮気性の男を求めていて男探しもうまくいかない。 だが、そこに通りかかった広告貼りの仕事をしているキートン。キートンは次女に一目惚れし、ボーっとしている所を三女の求婚者に轢かれてしまう。その介抱に来た次女はなぜか...
だいぶ前の文章になってしまったが、安倍首相辞任の前日、「安倍首相が辞任するのではないか」という憶測が出てきた時からのツイートを元にした文章である。当時辞めないだろうという予想をしていたが、その予想が裏切られ、ものすごい怒っているようです、僕wまあ、そのまま基本的には変えずに収録しておく。<8月27日(※安倍首相辞任前日)>8月28日に安倍首相が会見開くと話題になっているようだが、期待はいつも裏切られる。何...
孤独の唯一の道―利他 映画『八日目』レビュー(※ネタバレ注意)
1991年の『トト・ザ・ヒーロー』でカンヌ国際映画祭のカメラ・ドールを受賞、第2作目の本作では主役を演じたダニエル・オートゥイユとパスカル・デュケンヌにカンヌ国際映画祭主演男優賞をもたらした、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督の1996年の作品である。--------------エリートビジネスマン・アリーは日々の仕事に忙殺され、機械的な人生を送っている。他人から見ればうらやむような人生かもしれないが、「よくも悪くもない」人...
歩兵キートン 映画評『キートンの決死隊』(ネタばれ注意) ※2020年10月27日更新
1931年公開、エドワード・セジウィック監督作品。ある女性(サリー・アイラース)の下に通いつめている富豪エルマー(バスター・キートン)だが、いつもその女性にそっけなく扱われる。ある日、雇っていた運転手をクビにしたエルマーは、新たな運転手を雇うために雇用事務所に行くのだが、そこは陸軍志願兵募集の事務所だった・・・。ということで、歩兵”doughboys”となったエルマーの話が始まるのだが、エドワード・セジウィック監督...
僕は最近いわゆる真正の保守=保守ぶる保守を批判しているが、それは保守の保守性を批判しているのではなく、彼らの左翼性を批判しているのである。吉本隆明の丸山眞男批判に代表されるような、1960年代の左翼内部の議論における旧左翼批判が一番今当てはまるのが保守ぶる保守なのだ。なんか保守ぶる保守と言うと、プチブルみたいでウケるけれども。ただ、彼らに対してエリート的であるという批判をしたとしても、彼らの教理の中に...
<あらすじ>病院のベッドで目覚めた男(中井貴一)は一切の記憶がなく、病院を抜け出して見たテレビで、自分が国民から石を投げられるほど嫌われている総理大臣の黒田啓介だと知る。国政の混乱を避けるため、記憶喪失になったことを国民や家族には知らせず、真実を知る3人の秘書官に支えられながら日々の公務をこなす中、アメリカの大統領が来日する。シネマトゥデイ最近の三谷幸喜映画はあまり好きではない。今回もそれに外れるこ...
倒すべき左翼という前例主義~これからの共同体は擬似共同体であるべきか~ ※2020年10月31日更新
イギリスの批評家であったチェスタトン(G.K.Chesterton)はこう言った。闘うべきはこういう相手である。「前例主義」という巨大な異端だ。ムチャクチャのなかに入り込んだのだから、もっとムチャクチャになればいい。間違った道を歩んでいるのだからそのまま前進するほかない、後戻りはできない。道に迷ったのだから、ついでに地図もなくしてしまえばよい。理想をなくしたなら、そんなのは忘れてしまうのがよい。とこういうわけで...
左翼系はすぐ国家を幻想とか想像とか言いたがるのだが、それではその人が考えている事実、現実とはどんなものなのだろうかと問い詰めていくと、結局は国家の幻想性と同様のものしか想定していないことが分かり、こいつは何を言っているのか分かっていないのだろうとしか思わない。本当のリアルなどというものを、自分たちは認識できるとでも言うのだろうか。そんなん言ってしまえば、現実も想像であり、妄想です。抽象性の批判は事...
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