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2018/03/09

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  • ヨガスタジオ&カフェtotti

    yogastudio&cafétotti(ヨガスタジオ&カフェtotti)開業をお手伝いしたyogastudiototti(屋号)は、2018年4月に山﨑さんが江東区清澄3丁目にオープンしたヨガ教室が始まりで、女性を中心に若い方から比較的年齢が高い方までが生徒となっています。近くに新たに現状より大きな物件を借りてカフェ・有機野菜販売とヨガ教室のハイブリット型コミュニティスペースをオープンします。店長は、山崎さんの旦那さんで、イギリスロンドンの有名カフェ店にて6年バリスタを勤め、その後日本で8年、世界展開するコーヒーメーカーAllpressespressoJapanにて、コーヒー焙煎責任者、クオリティーコントロールを務めた実績を持つ方です。場所は、江東区清澄2-10-5清澄白河駅から5分ぐらいのところで、か...ヨガスタジオ&カフェtotti

  • フランス料理 Paraiso

    フランス料理Paraiso創業をお手伝いしたフランス料理Paraisoさんです。店主の内山さんは、長年銀座や日本橋にあるフランス料理店の店長やマネージャーを務めていた方です。お店は、元々増林寺の宿坊で、入り口の門はお寺の総門づくり、中に入るとテラスになり、テーブルが3つほどありますが、夏の間は休業です。お店の中はコンパクトな造りで、2人席が5テーブルあり、2階には5・6人すわれる丸テーブルとカウンター席があります。住所:江東区深川2-19-2増林寺西門近くの駅は、門前仲町駅か清澄白河駅になります。フランス料理Paraiso

  • 四谷荒木町「策(むち)の池」

    四谷荒木町「策(むち)の池」四谷荒木町界隈は、町の中心に南北に伸びる大きく深いスリバチ状の谷があり、その谷底の一角に「策(むち)の池」と呼ばれる小さな池があります。現在は長さ10m弱、幅5m弱の小さな池ですが、かつては長さ130m、幅も20〜40mある大きな池だったそうです。周りの山や丘から雨水などが流れてきて池となったのでしょう。江戸時代、荒木町は街全体が松平摂津守の屋敷の敷地でした。その中にあった庭園の中心にあったのが、策の池といわれる池です。池の片隅には小さな中島がつくられ、津の守(つのかみ)弁財天が祀られています。昨日は、えりまきラーメンという店があるが車力門通りから谷底に降りる風情のある階段を下りながら策(むち)の池に向かいました。周辺には石畳の道がいくつかあり、階段を上ると荒木町のレトロな飲み...四谷荒木町「策(むち)の池」

  • 古希の祝い

    古希の祝い診断士協会から、「古希の祝い」が71歳になってから送られてきました。今年は、診断士歴21年目、区の経営相談員歴16年目と区切りが多い年になりました。古希は、中国唐代の詩人杜甫の『曲江詩』にある「人生七十古来稀なり」という詩句に由来するそうです。「稀」と「希」は同義語で、70歳まで生きることは古来まれという長寿の祝いになります。古く、長寿の祝いは40歳以上で10歳ごとにされていたが、杜甫の詩の影響や、昔に比べて長生きになったことから「古希」のみが残ったと考えられます。長寿の祝いには「還暦」や「喜寿」「傘寿」などもありますが、これらは近世からの風習だそうです。古希の祝い方は、基本的に還暦と同じですが、祝いの色は喜寿・傘寿・卒寿と同じく紫です。古希の祝い

  • 新宿荒木町(あらきちょう)

    新宿荒木町(あらきちょう)荒木町は、東京都新宿区の町名で「丁目」の設定のない単独町名です。新宿区の南東部に位置していて、東部は津の守坂通りに接し、南部は四谷三丁目に、西部は舟町に接しています。町域中央部の荒木マンション裏(北側)にある池を最底部とした摺鉢状の地形になっています。交通機関としては、都営新宿線曙橋駅、メトロ、丸の内線四谷3丁目駅が最寄になります。業務のついでに、興味のあるまちを訪れるのが、楽しみになっています。明治時代には屋敷や庭園が一般にも知られるようになり、荒木町一帯は東京近郊でも名の知られた景勝地となり料理屋が軒を連ね芸者らが行き交う風情ある花街となったそうです。町域内には今でも車力門通りや杉大門通りの通り沿いや路地裏などに各種飲食店が散見され、昭和30年代の雰囲気を残した町として散策に...新宿荒木町(あらきちょう)

  • グリーン ガーデン ストリート

    グリーンガーデンストリート都営新宿線の新宿3丁目駅から御苑に向い新宿2丁目の交差点を渡ると古びたアーチがあります。入り口は階段状になっていて、直線で300メートル弱位のビルの谷間の通りがあります。アーチの上部にグリーンガーデンストリートとありますが、ストリートという割にはただのビルの間の細道といった感じで、お店の看板が少しあり、古い店舗が少しあります。定かではありませんが、左右のビルが建つ前はココに飲食店が並んでいて、ビルに建て替えられて今は看板ゲートだけが撤去されずに残っていようです。看板ゲートについての情報では、ここは「緑苑街」という安い酒が飲める横丁だったそうで、新宿二丁目のゲイタウン発祥の地だそうです。かつてはここが二丁目の中心でしたが、のちに「千鳥街」へと中心が移っていったそうです。グリーンガーデンストリート

  • 新宿の玉川上水の歴史

    新宿の玉川上水の歴史都営新宿線新宿3丁目でおりて、新宿御苑の北側を通り支援先まで向かうときに通りました。昼下がりの肌寒い午後でとても気持ちの良い場所でした。以下は新宿区のHPより新宿区には、江戸時代から明治時代にわたって、江戸そして東京の町に水を送っていた玉川上水が流れていましたが、今は道路下の暗きょとなっています。江戸の飲料水を確保するために、承応3年(1654年)に開設された玉川上水は、多摩川の羽村堰(羽村市)から四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43kmの区間を、土を掘り抜いただけの開渠で造られていました。四谷大木戸から江戸市中へは、石や木で造られた水道管を通じて、水が供給され、淀橋浄水場が完成した明治34年(1901年)ころまで、玉川上水は、江戸・東京の人々の貴重な水源でした。新宿で...新宿の玉川上水の歴史

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