一つ逸話をいえば、宣教師たちの借りていた館の庭園には竹林があって、見事な竹が豊かに茂っており、良質そうな筍も見つかった。現地では筍を食する習慣がないらしい。そしてアフリカ人、ドイツ人の宣教師も、その竹になにも価値をおいていない。日本人の宣教師たちも、筍を食べるという事はしていなかったようだ。何せ不細工な男たちが、料理の方法も知らず、しかも開拓となればそもそも犠牲と苦労の道を覚悟している。筍を見てもすぐに料理に結び付かないくらいに苦労していたのかも知れない。でも我々が行くとたちまち目に留まり、この竹は十分に利用価値あり、と思った。これが、同じ日本人でも、その地で骨を埋める覚悟の宣教師と、一時的巡回で、宣教師たちを慰労しようとしている私たちの立場の違いがハッキリと解ったような気がする。よく森の中を見てみると立派な筍...新聞の摂理(47)ローデシア(2)
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