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ルアーなお金たち、言葉たち、命たち https://catsdoodle.muragon.com/

ルアーは刺激と反応の連鎖をもたらす二律同梱の象徴。システムは二律同梱の集積による予定調和世界。

ゴルフができない冬場の楽しみに、気軽にいたずら書きを楽しみます。

キャッツドードル
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住所
原村
出身
諏訪市
ブログ村参加

2018/01/10

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  • 予定と実践:誤魔化すことの費用対効果

    バレリーナの柔らかな身のこなしには 驚くほかはないのだけれど ゴワゴワに凝り固まった私の身体にも あのような柔らかさを宿すことは 不可能とは言えなくもないのだろう 日々 バレリーナ以上に体を動かし続ければ きっといつの日にか 私の身体にも 柔らかな関節が戻るに違いない しか...

  • 予定と実践:水面の波はどんぐりの背比べ

    水面には 山や谷の様の起伏がない あるのは 山や谷に比べ小さな波の起伏のみである 湖の水面も 水たまりの水面も 海の水面も 波はあるものの 巨視的には平たくできている 山や谷を形成する固体の性質と 湖や海を形成する液体の性質の相違が その表面の起伏と平面の違いとなって現れて...

  • 予定と実践:「制約の網」としての構造

    私の命という「制約の網」にかかった水や有機物が 私の体内を循環している こうした物質を支配することで 私は成立し 私という事物を一つの単位として 存在させている 窓際に咲くシクラメンも 「制約の網」を一つの単位として 個体を形成し 鉢の中にある土とは区画されている 鉢は 鉢...

  • 予定と実践:「在るがまま」は何処にあるだろう

    いつも見聞きしているものが 基準となる 慣習の力である この力が宿った思考の中で 見聞きするものに違和感を感じることがある たとえば いつも見ている静かな山から 噴煙が上がったら 何とも落ち着かない心持になるだろう いつも通りを予定している そして その予定を 私だけでなく...

  • 予定と実践:定常の揺らぎについて

    言葉が裏切らないものだとして 私に向かう言葉は 私の自由を奪い 私が心から発する言葉は 私に力を与える ところが 多くの場合 現実には 私に向かう言葉を 私は聞き流し 私から発する言葉は 空回りしてゆく オオカミは 狙ったウサギを 全て捕らえられるわけもなく 全く捕らえられ...

  • 予定と実践:言葉が醸し出す二つの低気圧

    中心に 言論の自由が鎮座して その周辺を 言葉の暴力が吹き荒れる 言論の自由は低気圧みたいなものだろう 一方で 言論統制が中心に鎮座して その周辺を 粛清が闊歩している こちらは低気圧どころか 台風なのだろう 言論統制を妨げるものは 実力行使をもってなぎ倒されるのである 言...

  • 予定と実践:言葉と実在の予定調和について

    ノストラダムスの大予言ではないけれど 予定表に 起こりもしないことを記載することが出来る 日記にも 実際に起こらなかったことを さも本当に起こったことのように記載することが出来る 本来 言葉は 実在から自由なのです 予定からも 実践からも自由なのです この自由を縛り合い 言...

  • 予定と実践:私は私を操り神は神に操られる

    感情や感覚という操り糸に操られ 私の身体や意識が動いている 操っているのは誰? わたし それとも あなた いいや 神様かなあ 感情や感覚という名の操り糸に 予定が刻まれ それが実践されている 操られているのは私 操り糸も私 操っているのも私 どうなのだろう 言葉というのな操...

  • 予定と実践:太陽を見失った地球の公転軸

    どこまでが意識なのだろう 痛みや 便意は意識の内だろうか? それとも 意識の外から来るのだろうか? 視覚だって 意識の内と言えば内だし 外と言えば外になりそうである 記憶も 同じであろう 思い出すという動作で 外から内へ記憶が移動しているように思われるのは 内と外の境界あた...

  • 予定と実践:「法の下の平等」と「比較衡量」

    「法の下の平等」という言葉がある 法は 誰に対しても平等に規制するように予定されているが この予定は実践されているだろうか? 権力者やお金持ち 上級国民に優しく 平民につらく当たるような法規制が 実践されていやしないだろうか? こうした疑問が確信に変わるような社会であると ...

  • 予定と実践:思考は相対主義の中に漂う

    主体は 周囲との相対において成立している ヨットは 風が変われば 進む方向が変わってゆく そのため ゆきたい方向に進むためには 風を読み 進むべき進路をとるための方策をとらなければならない こうした 周囲との相対において成立している秩序において 周囲の状況を把握することは ...

  • 予定と実践:グローバリズムと反グローバリズム

    ニーチェ先生の「もっと力を」の「力」は 何を意味しているだろう おそらくは 未来を拓く力であろう さらに言えば 良い未来を拓く力であり 悪い未来を拓く力ではないに違いない 未来を主体とすると 現在は環境であり 未来そのものではない その現在が 未来を拓く力で 未来を変えよう...

  • 予定と実践:絶対主義の中に残された相対

    心臓の細胞を培養すると はじめ それぞれのリズムで拍動している細胞が シンクロナイズするようになり やがて 一斉に収縮と弛緩を繰り返すようになる 心臓の細胞は 周囲の細胞と 同じリズムで拍動するように 予定されていて それを実践する能力が備わっている この性質があるので 心...

  • 予定と実践:アプリオリの計画とアポステリオリの計画

    予定を計画することが嫌いであった 夏休みの初めに 宿題を毎日少しづつやる様に計画するように 命令された 自分で計画したという体裁を整えさせられ 計画通りにやらないと 「自分で計画したのに なぜやらないんだ」と叱られるのが 毎年の恒例であった 計画通りに実践することは 容易...

  • 予定と実践:未来誘導の連鎖としての生命

    酵素や言葉には 未来を誘導する力が備わっている この力が備わっているから 酵素や言葉として機能しているともいえるだろう 酵素や言葉がある場合とない場合で 未来の様相が変わってくるのである こうして変わってゆく様相の一環として 酵素や言葉が再び現れるような場合において そうし...

  • 予定と実践:言葉が描こうとする未来について

    小さな正義を大上段に掲げ 他者を威圧しようとする人がいる 他にあるもっと大切な正義をないがしろにして 小さな正義を武器に 必死に社会と闘っている姿は どこか悲しく映るところもあるが 本人はいたって本気であるので気の毒である さて こうした小さな正義を振りかざしている人にして...

  • 予定と実践:自己中心主義と言語中心主義の葛藤

    複雑で繊細な言葉を持たない動物たちも きちんと生きている 動物たちは そんな言葉はなくても 生きてい行ける能力を持っているのである これに引換え 人間は言葉に使い生きている むしろ 言葉に頼り切って生きているとさえいえるのかもしれない 言葉を失い 本能と感情で生きてゆく自分...

  • 予定と実践:未来に自然選択されるということ

    神様というのは 未来にいるのではないかと思う時がある だから今は見えないのである そして その神様がいた未来が今になると その神様はもっと先の未来にいるので どこまで行っても会うことが出来ないのである そんな神様を 畏れ敬う 未来を 畏れ敬うのである そんな未来に 「実り多...

  • 予定と実践:未来に試されるということ

    前例踏襲が承継され 慣習となると そのことについて 命名がされことになる そして 命名に用いられた言葉が さらにその前例踏襲を確固たるものにしてゆく しかしながら その前例踏襲に対峙する勢力が現れると その命名された言葉を否定する言葉が現れる 前例踏襲を良しとする言葉がテー...

  • 予定と実践:前例踏襲がもたらす慣習の力

    前例踏襲するということに 善悪は無縁なところがある 善悪を考える前に 前例を参照してしまうからである もしかしたら 善悪を考えるのが面倒で 前例を踏襲することもあるだろう たとえ その前例が悪てあっても 前例があり 罪に問われていないということになれば どことなく その悪は...

  • 予定と実践:とんだ心得違いが生まれる場面にて

    正義は 仲間への忠誠である この道理において 仲間外れを促すことが 正義にもなる 忠誠がない場合 それを罰することが 正義であるからである それはおかしいということになり 仲間外れを避けようとすると 忠誠がない仲間を増やす結果となりかねず 仲間意識を 脆弱にしてしまう ここ...

  • 予定と実践:前例踏襲の美学

    寝苦しい夜の終わりに 雨が降っていた 今日も何も起こらないだろう もっとよい明日を求めながら 昨日と同じ今日を過ごす 不満も 昨日のままである 同じを繰り返す 今日も 明日も きっと同じを繰り返してゆくのだろう 命は 踏襲を美学とする組織である 喜びも 不満も その美学を旨...

  • 予定と実践:痛みを感じたり感じさせなかったりさせる心

    戦争をしていると 味方と敵で 命の重みが全然違っている 敵の痛みはわからず 味方の痛みは恨みに変える このように 仲間で集団を作り 闘い合うということは 痛みとか 命とか 同じものを 異なるものとして扱う道理があって 成立している 神経でつながっている身体と 神経でつながっ...

  • 予定と実践:神経中心主義と内臓中心主義

    神経でつながっているから 火にかけた鍋に触れると指先が熱いのも 転んでぶつけたところが痛いのも 実感できる 神経でつながっていない他人の指が 火にかけた鍋に触れても熱いと感じないし 誰かが転んで大泣きしていても どこが痛いのかわからない 神経でつながっているのか つながって...

  • 予定と実践:記憶に結びつかない言葉に真実はない

    言葉は腐りはしないけれど 言葉は忘れ去られてしまうことがある 使われない言葉は消えてゆく 使われる言葉には それぞれが真実を持ち 使われるたびに その真実が伝えられてゆくのである 話者が伝えようとした真実が 聴者に正確に伝えられ 言葉は存続してゆくのである こうした実態を鑑...

  • 予定と実践:言葉の中の真実と戯れること

    カエルという言葉は 真実のカエルではないので 生きてもいないし 死んで腐ることもない このように 言葉というものは そもそも真実でない ところが それを真実であるかのように扱うところに 人間の醍醐味がある 「カエル飛び込む水の音」と聞けば 「ぽちゃーん」といった風の音が聞こ...

  • 予定と実践:安らぎを求めて暗躍するということ

    人は 他人に干渉したがる生き物らしい そしてまた 他人に干渉されたがる生き物らしい こうしようと思っていても 「どうすればいいだろう?」などと 他人に相談さえする 承認が欲しいのである 仮にそれが失敗した時 「あんなことをするから」などと 批判されない為の布石でもあろう 親...

  • 予定と実践:生きているという奇跡的な出来事

    フェアウェイの真ん中に 一本アカマツが植えられている 会心のドライバーショットで打ち抜いたボールは まっすぐにその赤松に向かって飛んで行き 「当たるなー」と声をかけたのだけれど 見事に当たり真横にはねて フェアウェイの左側の林の中に消えていった ボールに目があり 進行方向を...

  • 予定と実践:過去がぼんやりとかすんでゆくということ

    空気の中で 無数の気体分子が それぞれのベクトルをもって動いている こられのベクトルの大きさや方向は 分子同士の衝突で変わるし 光の衝突でも変わってゆく 私の吹きかける息でも 無数の気体分子のベクトルが変わってゆくのである こうした外因により ベクトルは変わるのであるからし...

  • 予定と実践:割れ鍋に綴じ蓋という協調関係

    空気の中で 酸素分子や 二酸化炭素分子 窒素分子がぶつかり合っている 温度が高いと このぶつかり合いの頻度も大会らしい ところで 私の感覚では 温度を感じることはできるが 分子の衝突は認識できない * 視覚障碍者は 光を見ることが出来ない けれど 光の暖かさを感じることはで...

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