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2018/01/09

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  • まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか

    1そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。2「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」3この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。4このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。5さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、6自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。7しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。8それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。(マ...まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか

  • 救いは神にかかっている

    33彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主の御告げ―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを。書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。34そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。―主の御告げ―わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(エレミヤ31:33~34)25わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、26あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あ...救いは神にかかっている

  • 「御霊たいけん」って何?

    パウロが「御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満足させることは決してありません。」と手紙に書いています。だれかに「御霊とは何か」を説明するには、体験を語る方が理屈より分かりやすいと思い書いてみます。これから書くことはあくまで、わたしの個人的体験です。こころを神に向けた瞬間、強い愛がわたしを支配することが分かります。そこで、御霊とは愛だと分かるのです。その愛が非常に強いため、神に支配されているとわたしは感じます。ここからは、理屈を話します。愛は光であり、神の御性質です。さらにイエスさまは「道」「真理」「命」であり、「神のことば」です。次に「聖さ」です。パウロが「肉の業」を聖書で列挙していますが、あれらを一言で表現すると、「世の汚れ」と言えると思います。それらは、「聖さと対極をなすもの」です。つまり...「御霊たいけん」って何?

  • 人にはできないことが、神にはできる

    1いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。27イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」(ルカ18:1、27)上記2~26は割愛させていただきました。金持ちの青年は神の国には入れなかった。富と神の両方に仕えることが出来ないからです。彼は、悲しい顔をして去って行きました。もうひとつのシナリオです。神に仕えることが出来るようにと、この青年が祈ることです。もし、祈り続けるなら、富を売って貧しい人たちに分け与えることが出来たでしょう。こうなった時、イエスが言われた「人にはできないことが、神にはできるのです。」ということばが成就するように思われます。しかし、去って行った青年にはこのことばは成就しなかったのです。こうして、イエスのことばは、信...人にはできないことが、神にはできる

  • わたしの中に住まわれる愛

    栄光の父なる神さまあなたの幸せがわたしの幸せですあなたの喜びがわたしの喜びですあなたの栄光のためにどうか、わたしの命を用いてくださいますようにすべての被造物はあなたの御前に来て賛美の歌を歌います命の光がわたしたちのこころを満たしわたしたちの喜びは全地に満ちるアーメンわたしの中に住まわれる愛

  • わたしたちは自分を医者にたとえる

    父なる神が御子を通して行なわれたことを、例えるなら、病人(罪人)を治す医師です。敵であっても、傷つき、病気になっていれば、治療し、世話をするのです。わたしたちが用いる薬はこれも例えていえば、「愛」です。キリスト教世界には、たくさんの教派がありますが、敵として互いにいがみ合うのではなく、自分が医師であることを忘れないことです。医者は人間であれ、動物であれ、助けを必要とする時、相手を助けるのです。敵を愛する愛はこうして生まれます。これが愛なのです。自分が正しいなんて、どうでもいいのです。神が正しいからです。アーメン。わたしたちは自分を医者にたとえる

  • 世に勝つ者とはイエスを神の御子と信じる者

    1イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。2私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。4なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。5世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(ヨハネ第一5:1~5)信じることは、イエスご自身を信じることです。この方がこの道をまっすぐ行って突き当たったら、右へ行けと言われたら右に行くことです。信じない人は、右には行かないで、立ち止まるか、引き...世に勝つ者とはイエスを神の御子と信じる者

  • 神から出た者は、神のことばに聞き従います

    44あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理には立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。45しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。46あなたがたのうちのだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。47神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」48ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなた...神から出た者は、神のことばに聞き従います

  • 神の愛がわたしを支配している

    世の中の悪に対する義憤、報復感情をわたしは知っているが、神に真剣な祈りをし、願いがかなえられた時などは、神の愛がわたしを支配していることに気づく。いわゆる、報復感情ではなく、敵を愛する愛だ。暖かい気持ち、愛する気持ちは、やはり人間のものではないと気づかされるのです。この気持ちは、長く続くのです。「キリストの愛がわたしに迫る」とパウロが言っていたのとこれは同じものなのかは不明。アーメン。神の愛がわたしを支配している

  • 神に向かって歌い、御名をほめ歌え

    1神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。2煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。3しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。4神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。(詩編68:1~4)上記は主の再臨のことを預言していると思われます。悪者が滅び、正しい者たちはこおどりして喜ぶのです。神に向かって歌い、御名をほめ歌え

  • いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません

    60そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」61しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。62それでも、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。63いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。64しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」―イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである―65そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来るこ...いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません

  • この世界に生まれて来てあなたはしあわせですか?

    もしかしたら、生まれて来なかった方が良かったのでは?ヨブ記3章1その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。2ヨブは声を出して言った。3私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。4その日はやみになれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。5やみと暗黒がこれを取り戻し、雲がこの上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。6その夜は、暗やみがこれを奪い取るように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。7ああ、その夜は、はらむことのないように。その夜には喜びの声も起こらないように。8日をのろう者、レビヤタンを呼び起こせる者がこれをのろうように。9その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。10...この世界に生まれて来てあなたはしあわせですか?

  • 人が幸せならきっと笑顔になる

    イエスさまに「あなたはわたしと共にパラダイスにいる。」と言われた時、あの強盗は、苦しみの中で、イエスさまを見つめて、うなずきながら笑顔を見せたかも知れない。聖書に書いていないけれど。イエスさまに大声で近づいた母。自分の娘に取りついた悪霊が出て行った時、あのフェニキア人の母は、きっとほほ笑んだに違いない。人が幸せならきっと笑顔になる。今は世界中の人々から笑顔が消えている。人が幸せならきっと笑顔になる

  • 福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です

    福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ローマ1:16)キリストはわたしたちの罪の身代わりとして十字架上で死に、葬られ、三日目によみがえらされました。もし、わたしたちが、神の義である「キリスト・イエスの名」を信じるなら、神はその人に「永遠のいのち」を与えると約束されました。「救いを得させる神の力」とは、単なることばではなく、神が信じる人に与える『御霊の力』です。主イエスはあなたに真理(自由)を与え、罪と死から解放し、サタンからあなたを守ります。救いを得させる神の力とは「現実の力」です。追伸パウロ、ペテロ、ヨハネたちが、得ていた上記の「神の力」を現在、体験している方はいらっしゃいますか?自由主義神学(リベラル)の牧師や信徒たちは、創世記を神話だと信じてお...福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です

  • キリストの肉を食べ、キリストの血を飲めば、あなたは救われます

    44わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。45預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる』と書いていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところにきます。46だれも父を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。47まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。48わたしはいのちのパンです。49あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。50しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。51わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与...キリストの肉を食べ、キリストの血を飲めば、あなたは救われます

  • 救いに共に召された愛する兄弟たちへ

    1救いとは、闇の業から光の中へ招き入れられることです(ヨハネ8.12)。2自分の努力は無力です(ローマ7.18)。3主イエスを信じて頼ることで、(使徒16.31)父なる神が、主イエス・キリストを通して与えてくださる「聖霊」の助けによって、(ルカ11.13)4永遠の命が与えられます(ローマ6.22~23)。5神の霊が、肉と罪の支配から救ってくださり、霊の支配下に入ることができます(ローマ8.9~10)。6この神の霊、キリストの霊が義に生きるよう私たちを助け、導いてくださいます(テモテ第二2.11)。7決して一人ではありません(詩篇37.28)。8父なる神の愛(ヨハネ第一4.8)と主イエス・キリストの恵みと真理(ヨハネ1.17)と、聖霊の交わり(コリント第二13.13)があなたがたと共ににありますように。9神...救いに共に召された愛する兄弟たちへ

  • あなたは真のクリスチャン

    なぜなら、あなたの中にキリストの血が流れているからです。神の特別待遇を受けたのです。神が義と認めてくださったのですから、誰が、あなたを罪に定めるのですか?神に感謝の限りを尽くし、喜び躍りましょう。命をもたらす霊の法則をキリストの血と表現しました。もう、罪は犯せません。なぜなら、あなたは、キリストと一つだからです。神ご自身があなたを明るく照らす真理の光です。あなたの内に聖なる命の泉と永遠の愛と真理の光が住まわれているのです。愛は光であり、闇である罪は逃げ去って行きました。あなたは勝利したのです。ハレルヤ、アーメン。あなたは真のクリスチャン

  • 光の中を歩んでいるなら、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます

    7、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。9、もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(ヨハネ第一1:7、9)1、私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。(ヨハネ第一2:1)神の予知に従い、召された人たちすべての罪、すべての悪からきよめられたのなら、引き続き光の中を歩んでゆきましょう。アーメン。光の中を歩んでいるなら、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます

  • 聖書によってどう訓練されればよいか?

    ズバリ、自己中心の人間が、神中心に変革されればよい。自己チューが多くなると、不法が増し、神中心の人たち(神の御国の構成員)が多くなれば、神のみこころが地にもなされるように、多くの人たちが幸せで満たされる。人間が隣人を自分自身のように愛するようになれば、あなたも、隣人も幸せになる。「神の命令はいのち」であり、その命令を守る人たちとまわりの人たちを幸せにする。あなたは同意されますか?もし、同意されるなら、あなたから始めよ。そうすれば、神の怒りの日に或いは隠されるかもしれない。アーメン。聖書によってどう訓練されればよいか?

  • イエスを信じて神の側に立つ

    聖書には、非常に多くのことが語られています。信者の立ち位置が「この世」か「神の国」かが問題になります。救われた人は神の国の構成員で、神の救いの予知にしたがって、神の側に立ちます。信者にはイエスの弟子たちのように「信仰に応じた霊の実」が伴います。真のクリスチャンは世と妥協はしないため、迫害を受けるでしょう。しかし、迫害で死ぬことがあっても、復活するので、問題はありません。こうして終わりまで忠実であることを彼らは示します。彼らは、義を愛し、不法を憎み、神と隣人を愛し、聖さを保ちます。そして、罪は犯しません。アーメン。イエスを信じて神の側に立つ

  • 神の命令とは?

    23神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。24神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。(ヨハネ第一3:23~24)神の義を行う、キリストの内にいる、新しく生まれた者は、神もまたその人のうちにおられます。互いに愛し合うと書かれていますが、あなたには、愛する人がいますか?もし、いないなら探してください。今からです。愛には、愛する対象が必要だからです。もし、いないのなら、あなたには愛がありません。アーメン。神の命令とは?

  • 古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着る

    5ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。6このようなことのために、神の怒りが下るのです。7あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。8しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。9互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、10新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ3:5~10)上記5節を避けましょう。神の怒りが下るからです。古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着る

  • 神の愛が分かりましたか?

    もし、信仰によって罪の赦しを得られたのなら、神との正しい関係に入ることが出来たのです。もし、罪を赦されたのなら、次の段階は、神からこころの割礼を与えていただき、罪から離れることです。神の愛に内に留まり、こころを神に変えていただきましょう。そして、罪に勝利するのです。聖書に「勝利した者」という表現があります。その「勝利した者」たちが、救われた人たちです。神と隣人を愛する人たちです。彼らは、御霊によって律法を成就したのです。アーメン。神の愛が分かりましたか?

  • 神のみこころとは何か?

    イエスさまは、神のみこころを行う者が天の御国に入る。「主よ、主よと言う者」は入らない。と言われました。神のみこころとは、「神に忠実」であること、すなわち「神が愛されること」「神が喜ばれること」だけを行い、不法を行なわないこと。つまり、愛と聖さ、神の掟とイエスに対する信仰を保つことです。イエスさまは、「神に忠実」であり、「義を愛し不法を憎み」「神の喜ばれること」だけを行いました。「主よ、主よという者」たちを「不法」を行う者たちとして、イエスさまは退けられますが、不法とは罪、悪、汚れ、肉の業等を指します。彼らは、御霊を持っておらず、肉と考えとの欲することを行います。一世紀当時に読まれた手紙は御霊を持っているクリスチャン会衆に宛てて書かれました。神はわたしたちに、聖書を通して、終わりの日に会衆にひそかに入り込ん...神のみこころとは何か?

  • 神に愛される子供として生きてゆく

    こころの乾きを神に満たしていただき、義のために迫害を受ける人。天の御国は彼らのものです。神のみこころを聖書から探さずとも、何が神に喜ばれれるかをもう知っているのです。御霊がすべてを教えてくださるからです。天の御国に入る人は、神に愛される子供として生きてゆく人です。アーメン。神に愛される子供として生きてゆく

  • 愛する人々よ、 神の愛のうちに自分自身を保て

    17愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。18彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。」19この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。20しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、21神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダの手紙:17~21)ユダの手紙の筆者は、どうすれば、あざける者が救われるかは書かなかった。最も聖い信仰を持つ信者が救いを保って生きてゆくように。アーメン。愛する人々よ、神の愛のうちに自分自身を保て

  • 決して救えない現代の人たち

    それは、神を知らず、神に忠実でないからその責任は彼ら自身にあるやはり、この世界が創造される前から神の予知に従って選ばれた人たちに聖書のみことばが彼らのこころに届くみことばにただ同意するだけでなく彼ら自身が、みことばの力によって当たり前のように、毎日主イエスに従う生き方をしていることが必要ですそう考えるとほとんどの人がアウトになるそれが、分かっているクリスチャンはさまざまな方法で神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰を宣べ伝えている自分自身が宣べ伝えておきながらアウトにならないように気をつけながらあと、わたしたちが出来ることは収穫する人たちを遣わしてもらえるように神さまにお願いするだけアーメン決して救えない現代の人たち

  • 偽りを言う者たちは滅びる

    1また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。2私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。3彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。4彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。5彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者...偽りを言う者たちは滅びる

  • 豚の前に真珠を投げてはなりません

    聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。(マタイ7:6)価値あるものは、それにふさわしい者に与えないといけないというイエスさまの教えです。世にいる人たちのほとんどが、不適格者だとしても、あなたはどうですか。失われた羊でしょうか?わたしが探しているのは、犬でも豚でもありません。わたしたちと交わりを持てる人だけです。豚の前に真珠を投げてはなりません

  • イエスの名による救い

    わたしたちの内に神の命が宿っている闇は命の光に勝つことはできないわたしたちは罪とサタンに勝利した下を向いて歩くことは神のみこころではない福音を保ち人々にイエスを証しして行こう時が良くても悪くてもイエスの名による救い

  • もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいる

    1こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。4それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。5肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。6肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。7というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しませ...もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいる

  • 神がわたしたちに与えてくださったもの

    アダムの血は、古い人格、情欲、欲望、汚れ、死など呼び方はさまざまですが、肉の働きを生むものです一方、キリストの血はわたしたちに永遠の命を与える神の義ですイエスさまを十字架につけて殺したのは自分たちだという考えを聞くことがありますしかし、あなたがたが知らなければならないもっと重要なことは神が、イエスの十字架を通して、除去されたものは何かですそれは、「アダムの血」と「サタン」です信じる者にとっては、キリストの血がわたしたちの内に流れており、イエスが「罪とサタン」から、わたしたちを守っているのですこうして、すでに救われた者はキリストと一つになっているのですこれを正しく知ることで、あるわたしたちは神の力により、罪に勝利し、光の中を歩むことが可能となりました補足:体を切ってもキリストの血が出てくるわけではありません...神がわたしたちに与えてくださったもの

  • イエスの血とアダムの血

    信仰によってその人にイエスの血が流れている人は、罪から解放されており、不信仰のためにアダムの血が流れている人は、罪に定められている。アーメン。イエスの血とアダムの血

  • 黙っているのに時があり、話をするのに時がある(伝道者の書 3:7)

    その人が誰だか知らないひとこと、ふたこと、話をする親切な人とのたった一度の出会いそして永遠の別れ人の善良さをこの地に見い出すときわたしは神の愛を思い出すその時、ソロモンの言う「空の空」はあわてて、わたしの前から逃げてゆく黙っているのに時があり、話をするのに時がある(伝道者の書3:7)

  • こころの中で神が与えてくださったことを覚えていましょう

    思い出せるだけでいいのです。たとえば、雨と実りの季節を与えてくださったこと、みことばとイエスさまを与えてくださったことなど。一つだけでもいいのです。あなたがまだ知らない星の数ほどの父なる神の愛。その愛がいつか、あなたに追いつくことを信じて待ちましょう。あなたが、神の国のために、何か出来ることに気づく日が来ますように。こころの中で神が与えてくださったことを覚えていましょう

  • 神は愛であり光である

    神は愛であり光である。愛と光は分離することは出来ない。光のあるところに闇は共存できない。主イエス・キリストが終りの日に退ける「ヤギ」や「主よ、主よと言う者たち」は愛のない闇に属する者たちであった。だから小さな者にしなかったといわれ、不法を働く者たちと呼ばれた。罪は不法であり、闇である。キリストの律法は神と兄弟、隣人を愛すること。愛は光であり、父、子、聖霊の神である。あなたがたの間に愛があればキリストの真の弟子である。聖化は愛する時に瞬時に起こる。愛は光であるため、闇を遠ざけ、光の中を歩むことになる。愛することで罪を犯さなくなることが父なる神の御心。しかし私たちはまだ、第一の復活時に与えられるキリストに似た体をいただいていないため、罪深さを持つ。しかし、もし罪を犯してもイエス様がいる。そうであっても、愛と罪...神は愛であり光である

  • 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ

    あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「なんの喜びもない」と言う年月が近づく前に。太陽と光、月と星が暗くなる前に、また雨の後に雨雲が戻って来る前に。その日、家を守る者は震え、力ある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。通りの扉は閉ざされ、臼をひく音もかすかになり、人は鳥の声に起きあがり、歌を歌う娘たちはみな、うなだれる。人々はまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、バッタは足取り重く歩き、風鳥木は花を開く。人は永遠の家に向かって行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸の傍らで壊される。土のちりは元あったように地に帰り...結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ

  • しもべをことばだけで戒めることはできない

    1責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。16悪者がふえると、そむきの罪も増す。しかし正しい者は彼らの滅びを見る。19しもべをことばだけで戒めることはできない。彼はそれがわかっても、反応がない。(箴言29:1、16、19)悪者、うなじのこわい者、わかっていても、反応がない者、つまり、どうしようもない者、手を焼く者たちは、いつの時代にも大勢います。神は彼らに警告を与えてから滅ぼします。ダビデはこう言っています。「悪者と罪びとはもやはいなくなりますように」と。同感です。神はそのようにされるからです。ペテロはこう言っています。「彼らが滅びるのは、神に従わないからですが、そうなるよう定められてもいた」と。その通りです。神はそのようになさいます。警告を聞かないのは、不信仰だ...しもべをことばだけで戒めることはできない

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