今回は、1996(平成8)年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。 1996(平成8)年は、「日本武尊川上梟帥を誅す図」です。弘前医師会のねぷたは、数あるねぷたの中でもかなり大型
最初は私が運営している「長谷川流ねぷた塾玄龍庵」塾生作品発表会のことです。「玄龍」とは、長谷川達温先生の雅号で、ねぷた塾を開設する時に塾名に使わせていただいたものです。塾開設以来、多くの方から本当に先生の雅号なのか確認されていますが、弘前市駅前の「虹
今回は、1992年とその翌年の弘前市医師会のねぷたです。 1992(平成4)年のねぷたは、水滸伝から「九紋龍」です。 この絵は、壽一先生のオリジナルでないかなと思っていま
今回から長谷川壽一先生が描いた「弘前市医師会」のねぷたを見ていきます。弘前市医師会のねぷたは、長い間長谷川達温先生が描いておられましたが、達温先生が亡くなられた翌年の1990(平成2)年から壽一先生が引き継いでいます。今回は、1990年とその翌年のねぷた
今回まで長谷川壽一先生の「樹木ねぷた愛好会」をみてきましたが、最後の2002(平成14)年とその翌年のねぷたです。 2002(平成14)年は、関羽の千里行から「卞喜(べんき) 勢を伏せて関羽に鉄槌を投ずる図」(元絵の絵本通俗三国志の題名)です。 卞喜は、魏の五
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