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  • 【「ちむどんどん」第三週第十三、十四、十五囘――譬へ理想論だと云はれようとも】

    【「ちむどんどん」第三週第十三、十四、十五囘――譬へ理想論だと云はれようとも】第十二囘に就いては、何故だか近現代のイデオロギーに言及して了ひ、良くも惡くも筆者の癖が出ました。色んな場所で、「坂田さんは學者になるべきだつた」と云はれ續けて來た筆者ですが、之は勿論、皮肉なのです。皮肉の對象は學者ではなく、筆者個人である事は云ふ迄もありません。今囘の「ちむどんどん」にしても、三姉妹は三者三樣で素敵だなあ、とか、長男の賢秀はお馬鹿ではあるけれども、「カムカムエヴリバディ」の算太とは異なり、愛すべきお馬鹿だなあ、とか、さう云ふ風に樂しむのが正解なのでは、とは筆者も思ふのです。タイトルに記した囘に於て、歌子は「翼をください」を歌ひますが、上白石さんの歌は素晴らしいですね。先日の「うたコン」では姉の萌音さんも歌を披露されてゐ...【「ちむどんどん」第三週第十三、十四、十五囘――譬へ理想論だと云はれようとも】

  • 【「ちむどんどん」第三週第十二囘――朝ドラに於けるヒロインと青年達に就いて】

    【「ちむどんどん」第三週第十二囘――朝ドラに於けるヒロインと青年達に就いて】第十二囘に於ては、ヒロインである暢子、長男である賢秀、長女である良子、三女である歌子、其々の御話がありました。一、歌子が智に云ふ事には、賢秀が殴つた相手が、暢子の就職先である會社の社長の息子であり、賢秀が喧嘩の後、名乘つた爲、暢子の事迄知られて、今囘、就職の件はなかつた事にと云はれて了つた訣です。賢秀の事で、暢子が商事會社に謝罪しに行きますが、肝心の賢秀は行かないやうです。處で、不斷はシャイで無口な歌子ですが、智のまへでは、自然と會話が出來るやうです。二、名護の商事會社を一人たづねる暢子です。賢秀と社長の息子との件は兎も角、暢子が入社したばあひの仕事に就いて、會社の人に聽く暢子ですが、その仕事はと云へば……。事務所の雜用とお茶汲みが仕事...【「ちむどんどん」第三週第十二囘――朝ドラに於けるヒロインと青年達に就いて】

  • 【「ちむどんどん」第三週第十一囘雜感】

    【「ちむどんどん」第三週第十一囘雜感】今週は「惱めるサーターアンダギー」と題されてゐます。あれから七年の年月が經過して、1971年(昭和46年)9月、暢子は高校三年生の17歳です。と、まあ、それは良いのですが、今囘のお話に就いて、Twitter抔の投稿を少し讀むと、あれだけ先週迄、借金に就いて騷いで、食ひ扶持を一人分減らさうと家族で思ひ詰める迄だつたのに、その件はどうなつたのか?と云ふ類ひの意見があるやうです。正直、さう云ふ事は、筆者も思ひました。その七年間とこれからに就いては、これから言及されるのかも知れませんが、態々、言及する必要もないのでは、とも筆者は思ひます。社會には嚴しい側面があり、社會の全てが人々に對して優しい要素を持してゐるなんて事はありません。だから、社會の嚴しさに就いて描くドラマがあつてもいゝ...【「ちむどんどん」第三週第十一囘雜感】

  • 【「ちむどんどん」第二週第九、十囘――「ありがたう」「御免なさい」とちやんと云へる人間】

    【「ちむどんどん」第二週第九、十囘――「ありがたう」「御免なさい」とちやんと云へる人間】東京にゐる賢三の叔母が、賢三が亡くなつた事を人傳てに聞き、優子に手紙を書いて寄越したのでした。賢吉が云ふには、その人は母親の代に本土に移住したのであり、本人は金の亡者で氣難しいと云ふ話です。賢三が亡くなつたのなら、自分が子供のうち一人を引き取つてもいゝ、とその人は云つてゐるやうです。さう云ふ話を四兄妹も聽いてゐました。それで、其々が興味ある東京の事に就いて、和彦に聽きに行きますし、其々が自分が東京へ行く、と云ふのですが……。東京の親戚に就いての話は、青柳親子にも知られる事になつたやうです。東京に歸る時、その一人を連れて行つて欲しい、と史彦は善一に頼まれたからです。とある日、史彦は暢子のクラスにて、民俗學に就いての講義をしまし...【「ちむどんどん」第二週第九、十囘――「ありがたう」「御免なさい」とちやんと云へる人間】

  • 【「ちむどんどん」第二週第六七八囘雜感】

    【「ちむどんどん」第二週第六七八囘雜感】第二週は、「別れの沖繩そば」と題されてゐます。一、父である賢三が心臓發作を起こして亡くなります。その際、賢三は、賢秀、良子、暢子、歌子、そして優子に語り掛けますが、暢子に對しては、頷くのみなのでした。その事に就いて、「その儘でいゝと思つたから」だと良子が暢子に云ひます。嘗て賢三は暢子に「自分の信じた道を行け」と云つてゐたのでした。この邊、「暢子」と云ふ名前どほりでいゝと云ふ事でせうか……?餘談ではありますが、筆者は小學校に上がるまへ、祖父を亡くした事を思ひ出しました。それから、色々な事があつたやうでして……。二、賢三亡き後、家を賣る事は免れた比嘉家ですが、優子は朝早くから工事現場の賄ひ婦として働きに出ねばなりません。子供達も其々仕事を受持ち、暢子は料理擔當です。が、未だ中...【「ちむどんどん」第二週第六七八囘雜感】

  • 【久し振りに映畫舘で映畫を觀ました】

    【久し振りに映畫舘で映畫を觀ました】令和4年4月18日(月)。本日は評判が良いと聽いてゐる「コーダあいのうた」を映畫舘にて觀ました。映畫舘で映畫を觀るのは、「マスカレード・ホテル」以來ですし、洋畫であれば、何年まへ迄遡りませうか……?作中にて扱はれる歌の歌詞が、ヒロインとその家族に就いて、語つてをり、その意味合ひは字幕の日本語を讀めば分るでせう。が、矢張り、英語での臺詞や歌詞を直接聽いたはうが、作品そのものに就いて、感ずる事が出來ます。後、Callと云ふ言葉が二三囘以上は用ゐられたものと記憶してゐます。Call(ing)とは神に纏はる召命、天職を意味します。映畫では、轉じて運命と云ふ意味でも使はれてゐたものと記憶します。この言葉が何故だか印象に殘りました。#コーダ#あいのうた【久し振りに映畫舘で映畫を觀ました】

  • 【「ちむどんどん」第一週第五囘――島崎藤村作詞の「椰子の實」を歌ふ歌子】

    【「ちむどんどん」第一週第五囘――島崎藤村作詞の「椰子の實」を歌ふ歌子】この囘の演出に就いてはシェアする「サンスポ」さんの記事にてよく纏められてゐます。だから、そちらを讀んで下さい、と云つて了へば、それ迄なのですが、いちわう筆者も感想を記して置きます。「シークワーサーの少女」と題された週の最終日です。扨、御馳走の御禮にと、青柳親子に那覇のレストランに招待された比嘉家一同です。暢子にとつて、その煌びやかな雰圍氣と洋食料理とは、頗る印象的であるやうです。ナイフとフォークとは、料理毎に使ひ分け、外側から順に使ふ、なんて事を青柳親子から教はる幼い暢子です。どうでもいゝ事ではありますが、筆者はさう云ふ事を女性に話した際、「馬鹿にしてゐるの?」と云はれた事があります。まづは「あさりのクリームスープ」ですが、さう云ふ料理名を...【「ちむどんどん」第一週第五囘――島崎藤村作詞の「椰子の實」を歌ふ歌子】

  • 【「ちむどんどん」第一週第四囘――生きる事は命を頂くと云ふ事】

    【「ちむどんどん」第一週第四囘――生きる事は命を頂くと云ふ事】第二囘に就いては戰爭に言及して、今囘は命に就いて、なんて書くと實際の放送を觀てゐない人には、何だか重い雰圍氣のドラマなのかな、と思はれさうです。が、實際のドラマは、非常に明るい雰圍氣です。同作の公式Instagramでは、#ちむどんめしと云ふタグが記されてをり、その囘にて扱つた料理の畫像と簡單なレシピとがアップロードされてゐるやうです。ドラマと併せて見ると樂しいです。今囘は比嘉家にて、(青柳)史彦と和彦の親子に數々の沖繩料理がふるまはれました。正月でもないのに豚迄食べられるなんて、と賢秀は云ひ、盆と御正月がいつぺんに來た見たいだね、と良子が云ひます。「ラフテー」「ジーマミー豆腐」を和彦に説明する優子です。そして、暢子がつくつた「沖繩そば」も、皆にふる...【「ちむどんどん」第一週第四囘――生きる事は命を頂くと云ふ事】

  • 【「ちむどんどん」は朝ドラ版「若草物語」?――Typicalな家族構成】

    【「ちむどんどん」は朝ドラ版「若草物語」?――Typicalな家族構成】比嘉家の母親である優子(仲間由紀恵さん)は、美しくおほらかでその名のとほり優しく、子供達を包み込むやうな存在ですが、沖繩戰に關して、悲しい過去を有してゐるやうです。長男である賢秀(竜星涼さん)は、氣は優しくて力持ちではあるけれども、何處かお馬鹿な處があり、「賢秀」と云ふ名前どほりではないキャラクターなのでせうか……?長女である良子(川口春奈さん)は、その名のとほりのしつかり者で、後には母校にて教職に就くやうです。賢秀とは正反對な性格である爲、二人は喧嘩する事もあるとか……?次女である暢子(黒島結菜さん)は、本作のヒロインです。御轉婆で明るい性格であり、料理に就いては父である賢三から影響を受けて、やがて、上京します……。三女である歌子(上白石...【「ちむどんどん」は朝ドラ版「若草物語」?――Typicalな家族構成】

  • 【「ちむどんどん」第一週第二囘――生き殘つた事に纏はる後ろめたさ】

    【「ちむどんどん」第一週第二囘――生き殘つた事に纏はる後ろめたさ】1964(昭和39)年、本土復歸まへの沖繩にて。因みに頗るどうでもいゝ事ではありますが、筆者が生まれたのは、そのちやうど十年後である昭和49年です。ですので、ヒロイン達は現在であれば、中高年になつてゐる世代です。昭和39年は、勿論、東京五輪が開催された年でもあります。沖繩の本土復歸は昭和47年です。比嘉家は、賢三と優子の兩親、賢秀、良子、暢子(ヒロイン)、歌子の四兄妹です。賢三は何やら、毎朝、御祈りしてゐるやうで、三姉妹も父に倣つてゐるやうです。賢秀が賢三にたづねます。毎朝、何を御祈りしてゐるのか、と云ふ風に。「御願ひしたい事と謝らないと行けない事がある訣さ」と賢三は云ひます。御願ひは家族皆が仕合せに暮らせますやうに、謝らないと行けない事に就いて...【「ちむどんどん」第一週第二囘――生き殘つた事に纏はる後ろめたさ】

  • 【「カムカムエヴリバディ」最終週、木曜日雜感】

    【「カムカムエヴリバディ」最終週、木曜日雜感】かなり以前(※)、るいの額の傷はたゞの身體的な傷にあらず、心の傷でもある、と云ふ風に書きました。そんなるいはその額の傷を前髪で隱して、長年、暮らして來ました。が、ひなた篇も後半に移ると、るいの髪型はショートカットへと變り、今囘、るいが安子と再會し、親子の和解が成立するに當り、るいは前髪をわけてをり、その額を見せてゐました。化粧のせゐもあつてか、年月の經過により或程度の恢復が爲されたお蔭か、額の傷は可也薄れてゐるやうです。そして、るいが安子へ云つた言葉は、Ihateyou.からIloveyou.へと變り、その際の安子は若く、るいは幼い時代の儘であつた、と筆者は記憶してゐます(記憶違ひでしたら、濟みません)。とすれば、大袈裟な云ひ方ではありますが、二人は親子としての人生...【「カムカムエヴリバディ」最終週、木曜日雜感】

  • 【「カムカムエヴリバディ」最終週、火曜日雜感】

    【「カムカムエヴリバディ」最終週、火曜日雜感】ひなたは英語を用ゐた藝能關係の仕事をしてゐますが、そんなひなたにNHKの小川と云ふ女性からメイルが屆き、NHKにて二人は會ひます。どうやらひなたは二年振りに日本に歸國したやうです。小川と云ふ人物が「拜讀」したと云ふひなたに就いての記事には、以下のやうに記されてゐます――。キャスティングディレクター大月ひなたさん"日本のアクターと海外映畫の架け橋に"――と云ふ風にです。その隣の頁には「ブン・イガラシさん」に就いて書いてあり、彼はアクション監督のやうです。英語はラヂオ講座で身につけられたとは、驚きましたと云ふ小川に對して、四十を過ぎてから留學したものゝ、それ迄は缺かさずラヂオ講座を聽いてゐました、と云ふひなたです。カムカム英語に就いてひなたに語る小川ですが、その「何處か...【「カムカムエヴリバディ」最終週、火曜日雜感】

  • 【「カムカムエヴリバディ」最終週、月曜日雜感】

    【「カムカムエヴリバディ」最終週、月曜日雜感】最終週では、慥か2025年迄描かれるとの事です。三代に亙るヒロイン達百年(1925-2025)の物語ですか。西暦ではなく、大正、昭和、平成、令和と考へれば長いです。月曜日である本日、最初のシーンではひなたがマスクを裝著してをり、るいと錠一郎は老けてゐましたから、ドラマに於てもコロナ禍と云ふ事なのでせう。前作「おかえりモネ」では、最終囘、百音と菅波とのシーンで、コロナが終熄した事が仄めかされてゐました。また、百音と菅波とは互ひを大事に思ひ合ひ乍らも、二人が結婚する話迄は描かれませんでした。「カムカムエヴリバディ」ではドラマの御話の中に於て、當時の朝ドラが登場します。朝ドラには珍しくヒロインが結婚しなかつた作品に就いて言及された後、ひなたが五十嵐に振られるシーンがあつた...【「カムカムエヴリバディ」最終週、月曜日雜感】

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