*マミー(シーラのお母さん)の話マミーは、とても忙しい人でした。彼女は家事をしながら近所の小さなストア(切手の発売、郵便業務もしていた)にパートとして働いていた。そんな訳で午前、午後とも何度も家とストアの間を往復していた。例えば、朝食の準備、後片付け、部屋の掃除、洗濯等して、それからパート労働に出掛け、お昼前に家に戻って昼食の準備と後片付けをし、又出掛けてパート労働、4時半頃戻って“ハイ・ティー”(説明は『食事の話』の中に記述します)の準備、後片付けをし、又またストアへ出掛けていた。マミーは更に夜7時30分頃からクラブで給仕係の仕事もしていた。帰りはいつも10時過ぎであった。マミーはそれから夕食と夜食を兼ねた様な感じの食事の準備と後片付けをしていた。この様にマミーは本当によく働いていた。否、彼女は過重労働気味で...マミー(シーラのお母さん)の話~ウェールズの旅
・昭和43年8月31日(土)晴れ(モーガン家の周りの様子とハイ・ティー)今朝は、起きて暫らくしても腹痛がなかった。1週間振りに平常状態になった。一時はその痛みで苦しみ悩んだが、治って本当に良かった。そして1週間振りに朝食が取れた。モーガン家の朝食は、目玉焼きにベーコン、キュウリ、トマト、チーズ、バター、そして紅茶で昨夜と同じであった。食事の後、シーラの案内でケネフと共に近所へ散策に出掛けた。周りの様子や景色は、昨日書いたので省略します。家から10分位行った所にHendrydFalls(ヘンドリッドの滝)があるので、そこへ行った。シーラの話だと落差は100フィート(30m)、そして冬には滝が凍って氷柱が出来て、その景観は美しいと言っていた。滝の裏側を見る事が出来るので、裏側を歩いて向こう岸まで行った。まさに『裏見...モーガン家の周りの様子とハイ・ティー~ウェールズの旅
*モーガン家の様子の話モーガン家は、1階が6畳程の台所、12畳程のリビングルーム兼ダイニングルーム(新しい壁紙で綺麗にしてあった)、そして、奥まった所に6畳程の部屋があり、そこにピアノが置いてあった。2階は、8畳程の寝室が2部屋、6畳程の寝室が1部屋、そしてバスとトイレが一緒になっている間取りになっていた。4LDKタイプで日本平均住宅より広かった。私の部屋として、2階の6畳程の部屋を滞在中、使用していた。私にとって不便な点が一つあった。それは、トイレと浴室がユニット(2つで1つの空間になっていた)になっているので、誰かがバスを使っている時はトイレが使用出来ず、トイレを使用中はバスに入れなかった。家族同士ならいざ知らず、他人の私が滞在中は彼等にとっても不便であったに違いない。そんなある日、シーラがバスを使っている...モーガン家の様子の話~ウエールズの旅
1時間程で彼女の実家・コルブレンに着いた。その1つのBrynawelonと言う地区、戸数30~40戸位で周りの景色は、小高い山々に囲まれた丘陵や牧草地帯、静かで絵になる様な美しい(牧歌的な)所であった。しかも家々は集中しておらず、あちらに2・3件こちらに4・5件と点在していて、皆立派なたたずまいをしていた。シーラの実家もそんな家の一軒で、セメント作りのSemi-DetatchedHouseセミ・ディタッチド・ハウス(二階建て二軒続きの家)の右半分、両親が共働きして買ったとの事。この様なタイプの家は、ロンドン郊外を始めイギリスではポピュラーなのだ。家に入り(勿論、靴は履いたまま)、シーラのお母さんも愛想良く私を迎えてくれた。お母さんの名前は、Sal(サル。如何にもウェールズ的な名前である)と言って、シーラは「マミ...シーラの実家へ(その2)
・昭和43年8月30日(金)曇り(シーラの実家へ)今日はウェールズのシーラの実家へ行く日であった。『イギリスへ行った際に、是非2週間程滞在したい』と前もって彼女の父に手紙を書いたら、歓迎するとの返事があった。シーラが生まれ育った所、ウェールズに大変興味を持って何日か共に暮らして、ウェールズの生活を肌で感じてみたかったのであった。そんな訳で今日、私はわくわくした気分を感じ得なかった。Paddingtonstation(国鉄パディントン駅)に午後2時30分、シーラと待ち合わせ予定であった。今朝も食事前、胃が痛かった。ユースを去ろうとしたら、ペアレントから芝刈りの仕事を頼まれたが15分で終わった。ユース利用者は清掃等を頼まれる事があった。朝食を例のカフェ店で取った。ここのお店を何度か利用したが、これが最後になった。パ...シーラの実家へ(その1)~ウェールズの旅
*垣間見たイギリスの失業者達の話今日(8月29日)、ロンドン・ブリッジへ行く途中、シティの趣を変えた下町(周りに工場や労働者の住宅があった)を散策中に、その地域の図書館が目に入った。私は興味本位で中に入って見た。その図書館の中には、失業者らしき50人程の中高年齢者が居て、図書館なのに誰も本、新聞等を読んでいる人は居なかった。ほとんどの人は椅子に座り机に顔を乗せ、うたた寝を貪っていた。又、ある者は少人数で何組かがお喋りをしていた。ただそれだけの光景であった。ここが何処なのか、一瞬錯覚する程であった。彼等は皆、薄汚れた服を着ていて、中には生活苦らしい顔さえ浮かべ、居眠り、或いはお喋りだけで、ナッシングの状態であった。この光景は、私にとって奇奇怪怪、唖然とした感じであった。日本では普通、図書館と言ったら主体は、若者が...垣間見たイギリスの失業者達の話~ロンドンの旅
「ブログリーダー」を活用して、旅日記さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。