chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ままちゃんのアメリカ https://blog.goo.ne.jp/rell248

家族の歴史、家族、アメリカ社会についての日々雑記と写真

在米が半生以上・主婦・大学院勤務・二人の娘・三人の息子・孫5人・夫はアリゾナ出身同い年・17歳から始めた系図調査、欧米中心の系図調査ではプロになるべく準備中。

ままちゃんのアメリカ
フォロー
住所
アメリカ
出身
渋谷区
ブログ村参加

2017/07/25

  • クォーター硬貨のレッスン

    カリフォルニアの5月の夏の陽光で、駐車場の木陰は大人気私の住むところには異なったチェーン店のグロサリーストアが多数ある。それでも行き付けているストアは、いつ行っても駐車場がぎっしりと使用されて、なかなか思うようなところに駐車できない。それが面倒に感じる時は、オンラインで注文し、支払い、配達してもらう。これは、本当に役に立ち、去年はとてもありがたかった。最近は自分で買い物に行くことが多くなった。そして駐車する場所も、ストアの入り口に近いところよりも少し歩く距離にしている。良い運動になるのが良い。先日も入り口に近いわけではないが、木陰になっている場所が空いていたので、そこへ行こうとすると、前方から来た車にあっという間に駐車されてしまい、しかたないと、別の場所の木陰を見つけてそこへ向かうと、なんと再び同じように...クォーター硬貨のレッスン

  • お気に入り

    今週の乳癌専門癌科医検診で、マモグラムとソノグラム、血液検査、触診のクリーンな結果から鑑みて、晴てキャンサーフリーと判断された。結果が逆であっても、それも人生と思っているし、夫が迎えにくる、という希望さえ抱いただろう私だが、「晴て」の言葉どおり、今悪い細胞がない、とは、ひと時でも「くびき」*の軽さを感じられることだ。*28Comeuntome,allyethatlabourandareheavyladen,andIwillgiveyourest.29Takemyyokeuponyou,andlearnofme;forIammeekandlowlyinheart:andyeshallfindrestuntoyoursouls.30Formyyokeiseasy,andmyburdenislight.*28す...お気に入り

  • アーマの切実なアドバイス

    ErmaBonbeckwritersdigest.com備考:この記事は、2019年4月5日に初投稿したものだが、5年経った今再び投稿することにした。我が身に癌を得て、未だキャンサーフリーというスタンプが押されていないこともあり、彼女のこのエッセイは切実さを私に抱かせる。5年前の投稿文に、多少書き直しあり。ErmaBombeckアーマ・ボンベックというアメリカのユーモア作家をご存知だろうか。彼女は1960年代半ばから1990年代後半にかけて、ごく一般的な郊外の家庭生活を描くことで定評があり、それは新聞コラムで大きな人気を博した。15冊の著書があり、ほとんど全書がベストセラーともなった。ボンベックは中西部郊外の主婦の日常生活を記録していたが、そこには、ユーモアがあり、4000を超える新聞のコラムニストとして...アーマの切実なアドバイス

  • とある母親

    インターネットのReddit*の質問フォーラム(人々が望む質問を投稿できる場所)で、あるユーザーが「物がわかる十分な年齢になってから、ついに暴露された家族の暗い秘密は何ですか?」と尋ねた。下はその質問への回答の1つであった。「母は私を産んで数か月後に亡くなりました。どうやって死んだのかと尋ねると、いつも答えは、眠っている間に亡くなった、で、その理由は誰も知らないと言うばかり。それでも、私はつい数年前に母が癌を患っていて、そこへ私を妊娠していたと知ったばかりでした。つまり私を産んだことで彼女はひどく衰弱し、最終的には死に至ったと思います。私のせいで母は亡くなったのです。そのため、私は到底自分を許せるとは思えません、なぜなら、皆から聞いたところによると、母はとても心の広い、とても優しい女性だったからです。」偶...とある母親

  • ある砂浜の話

    神戸市須磨区にある須磨浜かなり以前になるが、かのビーチボーイズが1979年にリリースしたアルバムの中にSUMAHAMAという歌があった。1995年頃、たまたま購入したCDに入っていたのだった。ビーチボーイズが好きだった夫は仕事で出張した折、運転中の退屈を凌ごうと、そのCDを持参し、車のプレイヤーにかけて初めて聴いた。夫は帰宅して、早速私に聴かせてくれた、「ちょっと悲しくて、寂しいんだけど。」と言いながら。当初SUMAHAMAは、SUNAHAMAのミステイクかと思ったが、同時に須磨海岸のことだろうか、とも思った。何故ならその歌詞に日本語の箇所があり、「綺麗な白い浜」とあり、いつか目にしたカラー写真の須磨海岸の、その砂浜が白かったのを覚えていたからだ。かつて系図関係で罹った調査熱が再び上がり、ちゃんと調べてみ...ある砂浜の話

  • 親というもの

    母の日はあと2週間ほどで再びやってくる。実際に父親、母親となり、育児をして成人して子供を送り出しても、(母)親業に終わりはない。自分を後回しにすることはほぼ癖になっているのは否めない。それが良いかどうかではなく、私自身は子供と共に親の私も成長させてもらったと思う。下記は、そんな母親についてのメモをいつかどこかで新聞から切り抜いた作者不詳のもので、「なんでもとっておきたいファイル」から取り出したみた。誰かは、出産後、物理的にあるいは精神的に通常状態に戻るのに約6週間かかると言った…その「誰か」は、母親になると、「通常」は過去のものになるということを知らない。母親になる方法は本能で学ぶ、と誰かが言った…その誰かは3歳児を連れて買い物に行ったことはなかったのだろう。母親であることは退屈だと誰かが言った…その誰か...親というもの

  • いつか

    不意の来訪者が応接間に入る時、「あ、散らかし放題ですみません。子供たち(孫たち)がまだ小さくて。」と、言い訳がましいことを口にする経験は母親・祖母のどなたでもおありではないだろうか。あるいは、私だけかもしれない。少なくとも私はそれを15年以上続けてきたし、空の巣時代に突入しても、子供たちの雛形の子供たち(孫)という戦陣が控えている。現役の育児期には、いつか、子供たちが成長したら、親の人生は「変わる」、「変わるはずだ」、「変わるかもしれない」、やがて「おそらく無理かもしれない」という変遷を経ている。冷蔵庫のドアに色とりどりの付箋が貼られ、「子供#3午後2時に小児科医」や「#2,#3,#4木曜日午後6時カブスカウト101隊のパック・ミーティング」、「#1~5水曜日ピアノレッスンは金曜日に変更」(注:#1~5は...いつか

  • 出ていけ、と言ったのは

    1999年から2004年にかけてCBS局ではジェーン・クレイソンという当時トップクラスのジャーナリストが時事問題的な会話をゲストと交わす番組があった。あれは2001年以降だったと思うが、彼女がアン・グラハム・ロッツにインタビュウした。あのビリー・グラハム*氏の次女である。その番組で、ジェーン・クレイソンは、2001年9月11日の出来事について、アン・グラハム・ロッツ氏に尋ねた。クレイソンは「どうして神はこのようなことが起こるのを許すことができたのでしょうか?」と尋ねた。グラハムは非常に深く洞察力に富んだ回答をした。彼女はこう言った。「私たちと同じように、神様もこの件で深く悲しんでいると思います。しかし、私たちは何年もの間、神を学校から、政府から、私たちの生活から、抜け出すように神に言い続けてきました。そし...出ていけ、と言ったのは

  • 恩返しのバトン

    以前アメリカ映画でPayItForwardという題名の作品が人気を博したが、日本でも「恩送り」という言葉は、古来より久しく存在している。ことわざの「情けは人のためならず」は、昨今往々にして、情けは人のためにならない、と誤訳されるが、意味は、PayItForwardと同じだ。人に思いやりを持つことは、その困っている人のためだけではなく、思いやりといういわばバトンを回すように、やがてそれは巡り巡って自分を幸せにするものであるという意味である。日本の文化に深く根付いている大切な考え方である。ほぼ1日用事があって留守をしていた私が、ドライブウェイに車を乗り入れた途端、ちょうど袋小路を散歩していた隣人のキャシーが近づいて来るのを目にした。私は運転席の窓を開けて、「キャシー、お元気?」と言うと、彼女は「ええ、ありがと...恩返しのバトン

  • ソウルメイトとの出会い

    アール・ハインツ氏は、アメリカで認定起業家アドバイザープログラムをUCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)、USC(南カリフォルニア大学)やその他のカレッジなどで教え、合衆国有数の会計事務所で税務マネイジャーを務め、多くの独立公認会計事務所を設立してきた。コペンハーゲンで税務マネイジャーをしている次男が目指したい、と思うような人物である。この高名な方はビジネスや税務や会計のことばかりが、彼の頭脳を支配していると思っていた私は、しばらく前にハインツ氏の別の面に甚く(いたく)感服した。そして彼の語ったことは夫や私の考えていたことにとても近かった。私たち夫婦も大学時代に出会い、最初のデートから、お互いがお互いに唯一無二だと「わかっていた」(というよりもピンときた)ので、5人の子供たちに話してきていたのであ...ソウルメイトとの出会い

  • 皆既日蝕に思ったこと

    Baily'sBeads*ベイリーのビーズは、1999年2月16日の金環日蝕中にオーストラリアのグリノーでこのように複雑な現れ方をした。©1999撮影:フレッド・エスペナク皆既日蝕(食)が月曜日にあり、ここ加州の中央部では皆既ではなく、日蝕度40%台で、10時過ぎに起こり、陽が雲に隠れたような程度だった。7年前2017年8月の日蝕は食度が80%台で、割と薄暗くなった。その以前の1994年5月の日蝕は金環日蝕で、金環蝕帯に近くあった場所だったので、幼い子供を抱きながら庭のコンクリート小道の水たまりにその欠けた太陽の姿を見た。あの時はかなり薄暗くなり、暗くなると、途端に野鳥が庭の木々に戻ってきて、ざわざわとした気配があったのを覚えている。今回はネットワーク局の中継で観たが、驚いたのは、普段は悲惨な戦場報告や虐...皆既日蝕に思ったこと

  • それでも明けない夜はない

    夜が更けてから受け取る電話は不安にさせるが、テキストにも同じ効果があると今晩わかった。ごく親しい人から、ご子息夫人がまだ40歳にもならないのに、悪性リンパ腫に罹患、化学療法を始めたが、それによってますます症状が悪化している、と。息子たちの友人が30歳代で、同じ病気を罹患した。彼は即時に化学療法と放射線治療を受けた。美しかった波打つ頭髪を失い、同時に体力も衰え、失意のどん底にあり、彼も見守る者も祈りがすべてだった。しかし、その青年は、見事にその戦いに打ち勝ったように寛解して数年になる。そして苦しかった治療を乗り越えたご褒美のように、あの美しい頭髪も蘇ってきた。"Itisbetterinprayertohaveaheartwithoutwordsthanwordswithoutheart."(祈りにおいては、...それでも明けない夜はない

  • 夢のいくつか

    イースターの日曜日は光り輝くような日:集う教会の駐車場で二人の娘たちは、よく父親の夢を見る。特に末娘の夢は往々にして、胸に迫る思いを伴うことが多い。日曜に集う教会の礼拝堂に隣接する板敷床の大きな部屋は、バスケットボールやバレーボールのできるコートにもなるし、クリスマスやイースターの季節の食事の機会には大きな丸いテーブルがいくつも置かれる。又カルチャーホールともなり、若い人々のダンスも行なわれる。ステージも併設されていることもあり、簡単な音楽コンサートや青少年や子供たちによるお芝居なども催す。緞帳を引くとそこはステージで、ステージの両端は裏方さんや出演者が出入りする狭い場所がある。末娘の夢では、その小さな場所に父親が座っていた。娘はチェロ奏者として演奏することがあり、夢でもそんな設定らしい。ある時の夢では、...夢のいくつか

  • 北の癒し

    これは加州のシェラネヴァダ山脈(アンドロイド使用ではないが、新画像はフォルダーに取り入れられず、とりあえず現在のシェラを)北部州の長姉の元へこの2年来初めて訪問し、2週間ほどゆっくり過ごしてきた。お互い未亡人となってしまった今、時には涙をながしながら、積もる話は尽きなかった。木々に囲まれた家で、北国の遅い春を、スェーデン製の50年という年季の入ったストーブで頻繁に暖を取った。庭の林から切り出した薪は10年近く乾燥させてあり、気持ちが良いほど燃えてくれた。7年前に他界した義兄がそれまでに切り出した木々を薪にしたもので、いまだに薪は底を尽いていない。春分の日を過ぎても、病後から手足が冷たくなりがちの私は、燃える薪を見ながら暖を取るのは、まるで世界一のカウンセラーやそれこそ主と話をするが如くに、心身共に癒される...北の癒し

  • 赤い狐と共に

    仕事を退いてから、皮のハンドバッグやショルダーバッグは、あまり使用しなくなった。教会やあらたまった会食などには、それなりの小さめの皮のバッグを用いるが、普段の買い物や図書館あるいは本屋でのひやかし、孫たちのスカウト関係の集まり、スポーツ観戦、学校での表彰会、そして自身の検診などに、バックパックを利用することがはるかに増えた。これにはラップトップ(ノートブック型パソコンやマック)を入れるパッド付きポケットが背中側にあり、普段使いに、ちょっとした旅行に便利だ。このバッグはかなり容量があり、私が化学療法をしていた時は、膝掛けや肩掛け(療法は8月1日からの酷暑下でも常に私には寒気があった)、64オンスのキャンティーン(療法中は特に、頻繁な水分補給が必要)、軽いスナック、本、アイパッド、エアポッズ、騒音を消し、音楽...赤い狐と共に

  • 謙虚にさせた何か

    先日花を買いに行った時、通りがかりに出会った友人が、先週の金曜日の午後に起こったことをちょっと話したい、と私に言った。それは彼女が夫と小さな息子とでとあるレストランで食事をした時のこと。友人家族がレストランで食事を終えんとする時、ホームレスの男性が持ち物を満載した小さなカートを引きずってレストランへ入ってきた。外を歩きまわり、明らかにとても疲労し、明らかにお腹が空いていて、また喉も渇いている様子だった。支払いを済ませた友人一家が帰ろうと席から立ち上がると、その人は私たちの前を通り過ぎて、私たちが座っていたテーブルに座り、残りのチップスを食べ始めた。友人たちは、レストランのスタッフが、そのテーブルを片付けるようにお互いに合図しているのに気づいた。そのまま外に出ると、誰かが「失礼ですが、」と言う声に呼び止めら...謙虚にさせた何か

  • 大きなハグ

    多くの陽の光、微笑み、そしてハグが今日あなたにありますように!大学院で働いていた時の同僚のリンダは、すでに引退を数年前に済ませ、悠々自適な生活をしている。そして私の病中、病後の今でも日々励ましのテキストを送ってくれる。そんな彼女のテキストの一つをご紹介。*******今日、セルフサービスのレジに行ったとき、後ろの人がほんの少ししか品を持っていなかったので、私の先に行かせました。この可愛らしい女性は知的障害があり、支払いの段になると、カード専用の機械が小銭を受け取らないことを知り、非常に動揺し、混乱してしまったよう。そこで私は手を伸ばして「ちょうど、これを持っていますから」と言ってカードを機械にタップしました。すると女性は満面の笑みを浮かべました。彼女:「まぁ、よろしいんですか?」と彼女は言いました。私:「...大きなハグ

  • 隣人

    先日、日本の某新聞オンラインで、読者が色々なことを投稿する欄に目を通していた時のこと。ある一つの投稿に思わず気持ちが動いた。それは投稿主のお宅の隣に建てられたばかりの家に越してきたまだお若い家族から、「なんの挨拶もない」という憤慨気味のものだった。住宅事情も、ナワバリ意識があるのかと多少驚いたが、「新入り」さんが下手(したで)に出て「先住民」にご挨拶をするというマナーがない、と言うことらしい。そして私は思い出した。我が家が南加からセントラルヴァレーに越してきた27年前のことを。越してきて最初の日曜日朝に家族7人で教会へ行き、帰宅後にホームメイドクッキーをペイパープレイトに沢山盛り、新居の我が家へ初来客がお見えになった。その朝教会でお会いしたばかりの3人の息子さんをお持ちのご夫婦(ケヴンとビバリー)で、「よ...隣人

  • 奉仕の喜び

    「自分自身を見つける最良の方法は、他人への奉仕に没頭することです。」マハトマ・ガンジー、1869-1944アウシュヴィッツの司祭について。第二次世界大戦中、ポーランド・カトリック教会の司祭マクシミリアン・コルベはユダヤ人やポーランド難民をナチスから匿った罪でドイツのゲシュタポに逮捕された。アウシュヴィッツ強制収容所から3人の囚人が失踪したとき、副収容所長はさらなる逃亡の試みを阻止するために餓死させる10人を選出する命令を出した。これら10人のうちの1人、フランチェスコ・ガヨヴニチェクが泣き叫び始めた。「妻よ!私の子供たち!もう二度と会えないことになってしまった!」この時点で、コルベは前に進み、帽子を取り、こう言った。「私はカトリックの司祭です。私に彼の代わりを務めさせてください。私は年をとりました。彼には...奉仕の喜び

  • 家族の時間

    昨年は夫の発病と葬儀で2回訪米した次男は、今回は慶事で来加した。アリゾナ・メサで妻の親族の結婚披露宴があるためだが、ついでに南アリゾナのツーソンへ足を伸ばして伯父夫婦へ挨拶に伺いたいと言うので、長男と二人で訪う。次男の義理弟がアメリカ人と結婚し、アメリカでの披露宴を開く。スェーデンからは義理両親も出席するのだが、次男の妻は再び大学へ戻り、今度は教師となるため勉強しており、小学校での実習に入り、我が子7歳と4歳を置いていけないとのことである。それで次男が来米となった。披露宴は今週末でそれまで次男は長男と共に我が家で過ごす。思いがけない小さなヴァケイションになり、ちょうど母親の様子を見に、そして姉妹兄弟、甥たちに会いたいとのこと。私?私は死ぬまで死なないし、大丈夫よ、と言ったが、去年2回来て、里心がついたか、...家族の時間

  • 嗚呼月の明かりよ

    セントラルヴァレーから冠雪したシェラ・ネヴァダ山脈をのぞむが、麓の丘は緑、そして葡萄棚と麓の丘の間にはアーモンドが花盛りの2月である。PhotoCredit:PaulMarshall/BillMcEwen2/17/20242月の満月は、スノウ・ムーンで、ハングリームーンともアメリカ原住民の諸族では言われてきたが、確かに2月はここカリフォルニアの野山にさえ積雪は見られる(上記写真)し、冬故に食糧にも事欠くことが度々あったことだろう。特に北東部居住の種族は苦労が絶えなかったに違いない。そんな満月を撮影してみたい、と急に思いついた私は、部屋の灯りを全て消し、暗闇の庭に植えてある8本のレッドウッドの上に浮かぶはずの月を探した。ところが、いくら庭用に売られているレッドウッドでも25歳になれば、かなり丈がある。結果枝...嗚呼月の明かりよ

  • 怪しいフォグ

    婚約の話が浮上した頃贈られた花束の薔薇の花びらとメッセージ*長い時が過ぎ去ったと言うのに褪せもしない花びらメッセージは二人の合言葉であり、信じていること。ストレスの鬱積、睡眠不足、不規則・不適切な飲食生活、極端な運動不足などによって、人は往々にして、頭がモヤモヤしている感覚を持ち、集中力や記憶力などが低下して、よって判断力や意思決定能力が欠けてしまう状態をブレイン・フォグと言うが、文字通り脳に靄なり霧なりが湧いていることである。誰でもそのような状態に陥るが、未亡人の91%はブレイン・フォグに見舞われると言う統計がある。(ModernWidowsClubが2020年に行った523人を対象にした調査による。)日本で頻繁に起こる「おれおれ詐欺」などは、おそらくお連れ合いをお亡くしになった年配者が被害者なのは、そ...怪しいフォグ

  • 小さなことの小さな話

    ヴァレンタインズ・ディの朝長女が持ってきた薔薇。「ダディがいたら絶対に忘れないわよね。」と。ありがとう。末娘の夫は可愛いチューリップの花束をくれて、その心遣いに感謝。夫がこの世という大役を無事終えて旅立ってすぐ、病院ベッドなどをホスピスに返却後、伽藍とした一階の寝室に、ポツンと置かれたリクライニング・チェアがいかにも寂しげで、ハイダベッドのカウチを新調した。スティーム洗浄でさほど汚れてもいないカーペットを洗浄し、リクライニング・チェアをカウチの横に置き直した。私はその部屋のその椅子に座り、一人見えない夫に話しかけたり、祈ったり、黙考に、祈りに使うことにした。泣く時も、そこで。ある日、あれは夫の旅立ちからそう日が経っていない朝、いつものようにあの椅子に座ろうとした時、椅子の右前の足元になにかがきらりと光った...小さなことの小さな話

  • 質疑応答とヴァレンタインズ・デイ

    「ホワイト・デイって聞いたことありますか?」と末娘の夫がまるで法廷審議さながらに口を開いた。「それは日本国においてのみ通じる言葉です。もっとも私が日本で若者をやっていた頃には今ほど浸透していなかったと思います。(あるいは私が鈍感だっただけ、という説もある。)」と答える私。「ご説明願います。」とムコ殿。「それはヴァレンタインズデイのひと月後に男性が女性にヴァレンタインズデイのチョコレートのお返しをする、という日です。つまりチョコレート会社がもうひと月儲けを出したい、と設けた完全な商業的目論見です。」「日本では、女性が積極的に男性に対して求愛する、ということでしょうか。」「そう思われても仕方ないかもしれません。」「あなたは、そういう経験がおありですか?」「。。。」「もう一度お聞きします。あなたにはその経験があ...質疑応答とヴァレンタインズ・デイ

  • ペパーミントティと本たちと孫と次男と

    かなりの日数をかけてようやく喘息症状は軽くなり、もちろんCovidも陰性になった。それでも子供たちは無理しないで、と私を休ませようとする。私が、あら、もう平気よ、と言っても、「お父さんが承知しないわよ」とばかり。はいはい、それなら、好きなミントティでも入れて、本でも読むわ、とお気に入りの椅子に腰掛ける。と手元には、ジャンルの全く異なる本二つ。一つは夏からちょこちょこと読んでいるカール・ユングの回想的な本。かたやもう一つは確かアニメイション部門でアカデミー賞受賞した「少年ともぐらと狐と馬」の話。児童書のようだが、私のように年を寄せた元子供も十二分に楽しめる。むしろ4歳の人が読み理解できたら、その人は天才的な感受性の持ち主に違いない。去年の夏、この本は年長の孫#1にあげた。すると、しっかり理解し、感動し、好き...ペパーミントティと本たちと孫と次男と

  • どんな雲にも

    「大気の川」がやってきた日の空。雲の美しさに見惚れる。「大気の川」と呼ばれる気象現象は、前線に向かって大量の水蒸気が流れ込む現象で、ヨーロッパやアメリカに限らず、日本やアジア諸国でも起こり、アメリカ西部海岸地方では、この現象が往々にしてハワイ諸島周辺で発生し、そのまま西へ向かうので、パイナップルエクスプレスと呼ばれている。それが今週始めにやってきて、ほぼカリフォルニア全地を降雨と降雪で覆った。洪水、土砂崩れによって死者も一桁あったことや、建物やインフラ設備に大きな被害があり、心痛の極みである。さらに強風も併走して、サンディエゴやオレンジ郡では、竜巻さえ発生した。それに比べ、加州中部平野に住む私の地域は昨年ほどの目立った被害はなく、幸いであった。そんな中、Covidが蔓延し始めた2019年来、私は5年も感染...どんな雲にも

  • バッハを聴きながら

    子供たちと私はクリスマス休暇以来、いくつかのジグソーパズルをこなしている。当初は次男が送ってくれたストックホルム風景画(1000ピース)、次はクリスマスクッキーの写真画(500ピース)、ピーナッツ(1000ピース)、そして現在始めたのは1500ピースのディズニー画。同じピーナッツで3000ピースのパズルがあり、誘惑されるが、長男はこの箱を開けたばかりの1500ピースをまず終えよう、と賢い判断を下す。これは手こずった、というより私が飽きた。雪の地面は同色。最後は長男がひとりで仕上げていた。そして下のような画面が一部ある。この真ん中の土星のような形。この部分周辺は末娘の夫がさっと数秒で組み立てた。これが土曜日から挑戦している1500ピース。このパズルは簡単なようでなかなか手強い。ご覧のように額縁が二重になって...バッハを聴きながら

  • 小さな人々のいる家

    かなりの間、10年以上、夫と二人きりの家で、週末には孫たちがどっと押し寄せてきてはいたが、のんびりと二人のペースで生活していた。昨年それこそ怒涛の一年を過ごし、最後の月には小さな二人のいる一家4人が加わった。そして家の様子は変わった。朝階下へ向かうとき、ウッデイが階段の途中で行き倒れている。「あらまあ、どうなさったんですか」と思わず声に出して拾い上げる。居間には、新しい「図書館」がすっかり出来上がっていて、来館者のヘッジホッグのソニック、ディズニー映画モアナのチキンたち、パンダ、グローワームのトーディ、ちっとも怖くないドラゴンのスクウィッシュマロウなどの面々が、すでに子供コーナーでひしめき合っている。そしてキッチンのマイクロウェイブ・オーヴンの上には、Dr.Seuss(ドクタースース)の登場生き物のような...小さな人々のいる家

  • ふとした事

    私たちが後に残すものよりも、はるかにはるかに良いものがこの先にある。C.S.ルイス末娘一家4人は新年早々から風邪引きで、しかも私を含めて喘息持ちだから、ネビュライザー使用とインヘイラー2種使用で忙しいこと。治りは遅々としているが、先週よりはましになった。娘はいわば病み上がりの私の「世話」をするのも同居の目的と一人で決めていたが、実際は逆で、私が一家の世話をする方が多くて、申し訳ないと言う。勤めていた大学院を引いた私は、それが今の仕事だと思うし、幼子2人を抱える娘の手助けをするのは一向に構わない。かつては5人の子供たちが全員水疱瘡にかかったことも経験している。一応今のところ、キャンサーフリーの状態なのは、ありがたく、再発すればすれで、夫が早く迎えにきてくれれば、などと構えている平和さ。私の喘息も多少落ち着い...ふとした事

  • 新しい年に

    人生に大きな変化の風が吹いて、吹き飛ばされそうになったとき...目を閉じて、しっかりと耐えて、信じる。最後の投稿から早半年も経て、ようやく記事を書くことになった。夫の葬儀・埋葬の翌日から私の化学療法が始まり、3ヶ月余りで終了後、すぐに放射線療法が始まり、11月の感謝祭の週に終了した。夫が私の半身を持って行ったかのような自己喪失感は変わらないが、師走に末娘一家4人が越してきて、自分の声のエコーを聞かずに済んでいる。5寝室、書斎、フロントルーム、居間、食堂、キッチンダイニングというかつて7人家族が賑やかに住んでいた家は、私一人が住まうのには、あまりにも無駄で、用心も悪いからである。拙宅の後と横の庭にはストーンフルーツ類(核果ー硬い種のある桃、チェリー、杏、ネクタリン)や柑橘類一揃い、それにイチジクの果樹があり...新しい年に

  • しばしの別れ その2

    実家近くに住む娘たちやホスピスと葬儀社に知らせると、深夜の我が家に集まった。やがて葬儀社が遺体を引き取りやてくる間に、スエーデンの次男一家、マサチューセッツ州の三男一家に連絡したが、二人ともついこないだカリフォルニアへ父親の見舞いに来ていたばかりだった。私は葬儀の予定が決まるまで急いでくることはないと言い、また本人たちも変わり果てた姿を目に焼き付けるよりも最後に話しのできた顔を覚えていたい、と希望した。同様に末娘は5月に次男を出産したばかり、4歳の長男もいることで深夜に疲れている娘に、もう話せない父親に会わせるのは酷だと思い、明日でも子供たちといらっしゃいと告げた。末娘も数時間前土曜日の晩に、「また明日くるわね」と父親に話していたのだった。下3人の子供たちは、痩せ衰えた父親の姿に涙していたのを私は知ってい...しばしの別れその2

  • しばしの別れ #1

    planetnatural.com/Forget-Me-Not夫の介護に専念したく、大学をついに引退した私は、週3日ホスピス看護師の訪問に助けられつつ、この7ヶ月余、つきっきりで毎日本当に楽しく過ごせた。5月に私自身の癌が見つかり、除去手術をしたが、その回復は早かった。一言も苦痛を訴えず、常に思いやりに溢れた夫の介護・看病は、決して辛いことはなく、むしろ今まで大切に私や子供たちを支えてくれてきたことの恩返しができる嬉しささえ感じていた。自身の健康問題があっても、滞りなく介護を行えたことは幸いであった。夫は最後の数時間荒い呼吸をして、その晩寝ずに私は夫のそばにいたが、その荒い息が静かになった途端に彼の霊がこの世を旅立ったとわかり、その両頬を触り、胸に耳をあてて、すぐ時間を見た。7月16日午前12時23分。す...しばしの別れ#1

ブログリーダー」を活用して、ままちゃんのアメリカさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ままちゃんのアメリカさん
ブログタイトル
ままちゃんのアメリカ
フォロー
ままちゃんのアメリカ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用