本当にしばらくぶりの投稿で、ビックリ本ブログが2025年11月で終わりになるということで寂しい気持ち。怠惰でブログをかなり休んでしまい罪悪感ひとしおです。ブログの画面を前に戻したいのだが、忘れてしまったのか、まだ復元できないでいる浦島太郎のような心境
1975<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2d/537c324c57aa3a4553b4d3789c8f41fa.jpg"border="0">朝4時12分から33分間の散歩時の空模様今日は自治医大附属病院腎臓外科の定期受診のため3月45分蒲団から這い出す。ビーグル元気と散歩本当に暫くぶりの朝焼けに遭遇。朝風呂は入り家庭菜園の胡瓜2本もぎ取り義母へのお土産。9時診察予定今日はとりとめのない話で終わりにします通院の日
まだ子どもなのかもしれないときどきメロンソーダを食べたくなり(飲みたくなり)、オーダーすることがある1974老い方死に方にんげん、誰しもこの世に生まれ、生き、そして死ぬいつその生が途絶えるかは、誰もわからない。できれば長生きし幸せに穏かに最期を迎えたい、と思う。自分は齢70を重ね、今夏で71になる。wifeと齢22の差がありwifeが年金受給できる齢までと考えると87歳になる。多病疾患(慢性腎臓病、心不全等10の既往歴を持つ)なため87歳まで生きれるかどうか不安だけれど、そこまでは頑張りたいと思う・・・(年金受給できる年齢が70歳に延ばされてしまうと92歳は厳しい・・・・)。そう思っても人生の幕は突然降りることもある。いつ死んでもいい、と言えるほど,まだ、やりきっていないことがある。ひとそれぞれの老い方、...老い方死に方
1973心配性と物忘れ季節外れの虹97歳のお婆さんの身体介護に出かけようと家を出ようとした。wifeから「居間の引き戸(掃き出し口))の鍵を締めたかどうかわからないので見てきて欲しい」自分「(wifeが)見て来いよ」wife「心配性なんだからわかっているでしょう」玄関を開け家のなかに入り居間の引き戸の鍵は締まっていた。アルトの助手席に乗ろうとしたらwife「事務所(さくらさくら介護支援センター)の窓が開いているよ」「いつも忘れるんだから」自分「締めてきたはずなのに・・・・」wife「私は心配性で不安になるけど、物忘れが目立ち惚けてきたの・・・・」wife「心配性と物忘れは違うよ」また玄関を開け、事務所の窓を締めてきた。アルトに乗ろうとしたら、玄関を締めたかどうか不安になり戻り玄関のドアを開けようと引っ張っ...似ているようで違う
1972自分は、なかなか死ねない訪問診療医師とヘルパーの共同ケア文乃さん(97歳)は約一月前から寝たきりになる前「自分は、なかなか死ねない」、と話していた言葉を思い出した。先週の月曜日初めての訪問診療のとき医師は「あと2,3日かな」と・・・・訪問看護師、ヘルパー、ケアマネも長男夫婦もそう思っていた。2週目の訪問診療に医師が訪れた。背中は猫背になり両足は「く」の字に屈曲しているため先週は医師が一人で、腹部にプラスチック製の針が思うように刺すことができず難儀されていた。看護師がいないため、手助けをしてくれる人がいない。傍で見ていた自分も手助けはしたが、次回からはヘルパーが必要と思い「身体介護」を入れた。腹部に針を刺すとき文乃さんの躰を支えたり、ずれたおむつを直したりしたので、医師としてはとても助かった、と感謝...「床ずれ」なしの看取り
1971一日一日が大切な宝物新堂冬樹『虹の橋からきた犬』集英社文庫『虹の橋からきた犬』の8ページに「犬の一日は、人間の一週間の速さで流れる。人間にはなにげない一日でも、犬には大好きな飼い主と触れ合う一日一日が大切な宝物なのだ」。犬と飼い主との朝夕の散歩は、なににも代えがたい貴重なひとときである。家族のひとりである元気(beagle10歳)は「何を考えているのか」、などと思うことがあるけれどそれは人間の勝手な考えだけで、犬は人間の感情を敏感に読みとります。ワンマン社長であった南野は、隣の老人から子犬のゴールデン・レトリバー”パステル”を一時的に預かったつもりが最後まで暮らすことになった。パステルの純粋さに触れることで、孤独な南野はこころの余裕を取り戻していく。パステルは膀胱癌を患い、「あと、一、二カ月の余命...いまが幸せなんだ
1970名も知らぬ植物暑かったり寒かったりの繰り返しで躰がおかしくなりそう特に犬は毛皮を纏(まと)っているだけに可哀想早朝散歩でも水の携帯は必須阿武隈川の辺を散歩していると無知な自分は綺麗な花に出会っても花の名前がわからないわからないなら知ろうと、机の前に座るわけでもないたんぽぽの花は咲いたあと綿毛となり風に乗り大空に旅立つ今日はたんぽぽの花に似ていて花が散ったあとに綿毛よりも硬い毛となったのかな、と思った。日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家でもあり「知の巨人」と言われた立花隆のように無限な知の世界へのめり込んでいく。いまの仕事を終えたら野花のことを知ろうと思う。名も知らぬ植物
blogでは紫陽花を鑑賞させていただいている。今年初めて「生」の紫陽花を観た。生ビールと同じく紫陽花も「生」がいい。1969嫁に皿を投げる婆さん寝たきりになってもどういうわけか爺に比べ婆のほうが元気である大正14年生まれ91歳になる大熊ステは正岡子規と同じく24時間臥床の生活にあっても気に入ったおかずは食べるが気にいらないおかずは握りつぶすときには皿を投げてしまったりするので長男嫁は発砲スチロールの「皿」に変えてみた瀬戸物の皿に比べまっすぐに飛んでこない当たっても痛くない長男嫁の「勝ち」。発砲スチロールの「皿」に変えた
1968ミミズ昨日は大雨が降り、寒い一日であった。今日の朝、阿武隈川の辺散歩路を歩いていると数多くのミミズの死骸にあった。10分間ほどミミズの死骸を数えてみたら177匹小さな命の終わりに心のなかで合掌した。子どものころ「ミミズに小便をかけてはだめだ」、と親に言われたことを思い出した。地面を這いつくばっているミミズをよく見たことがない。ミミズは目がなく、手足もない、紐状(ひもじょう)の動物と言われ目見えずから「メメズ」、転じて「ミミズ」と呼ばれるようになった。土のなかに棲み、ミミズが棲む畑は「良い土壌」である、と評価されている。過剰な窒素肥料や殺虫薬を使うと、ミミズは棲むことができなくなる。昨日のような大雨が降ると、大雨は酸素が少ないため土壌からミミズは這いだしその結果、数多くのミミズが路頭に迷い、白くなり...目もない、手足もない、ミミズ
1967/老母親の想い、子の想いにんげんは外に出たがる「生き物」。「徘徊」という言葉は不適切。にんげん、何か目的があるから「歩く」のだ。齢(よわい)を重ねるにつれ、物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた土田光代さん(仮名86歳)。息子との二人暮らし。不二雄(長男)さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、日中は一人家で過ごす。数年前から認知症が進み、息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、手つ...その人の持っているやさしさや感情は失われずにある
いつもと違う処から撮った阿武隈川の風景1966『95歳の老人の詩』どこのだれで、どこに住んでいたのかもわからない「出典不明」の『95歳の老人の詩』もう一度人生をやり直せるなら・・・・今度はもっと間違いをおかそう。もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。もう一度最初から人生をやり直せる...もう一度人生をやり直せるなら・・・・
BSNHK『ラストドライブ』を鑑賞した。ドイツでは元ソーシャルワーカー、元消防士、看護師などの人たちがボランティアで、ホスピスで生活している末期癌などの人に対し、最後(最期)に行きたいところへは何処かを聴きだし、その願いを叶えていく。海やレストランや自宅など本人が希望しているところへ外出することができる。車は救急車をモデルにし酸素機器やストレッチャーなども装備されている。砂浜を容易に移動できるタイヤが太い車いすはオランドの海岸にあるレストランで無料で貸し出しをしてくれる。日本ならば「それは無理」、と言われるような状態でも、行きたいところへの願いを叶える。1965躰(み)の置き場がない深夜0時23分に眼が覚めた。躰(からだ)がだるくて眠れない。自分の躰ではない、と思うほど躰(み)の置き場がなかった。躰は疲れ...躰(み)の置き場がない
1964石のぬくもり路傍の石は動くことはできずジッと地面と空を見つめている小石を手のひらにのせ小石を握ってみた小石にもぬくもりを感じた左手は握り拳(こぶし)の如く曲がったまま拘縮両膝は「く」の字に曲がり脚を伸ばせないひとりで寝返りることもできない躰染みついた天井を一日中眺めている老いた妻は野良に出かけねたきりの夫はベッド上で留守番黒電話は鳴ることもなくヘルパーが来るのを待っているジッと寝ている老人の体と心は寂しく石のように冷たくなった躰還暦を過ぎたヘルパーは拘縮した左手の指をゆっくり解(ほど)き解し手のひらを握り言葉のかわりに握り返す老人のぬくもりが微かに伝わってくる温かいタオルで躰を拭くと老人の肌は薄ピンク色に染まってきた路傍に咲いていた名も知らぬ花を小さな花瓶に飾り「また来るね」、と手のひらを握る{加...石のぬくもり
銚子岬から臨む朝の海1963時間がざざらざらと私からこぼれる(再掲)blogno.1273/2019-11-07高見順『死の淵より』講談社文芸文庫の94頁に「過去の空間」がある。『死の淵より』に邂逅したのは(自分は)32歳のときだった「過去の空間」の最初の連に手ですくった砂が痩せ細った指のすきまから洩れるように時間がざらざらと私からこぼれる残り少ない大事な時間が咽頭癌を患い死を宣告された作家高見順夏海辺で子どもと砂遊びに戯れたとき砂山や砂の器など作ったことを思い出すそのとき指のすきまから砂が洩れ落ちる何度も何度も手で砂をすくい砂の山をつくり次に砂山の下を掘りトンネルづくりに挑む高見順の場合手ですくった砂が癌で痩せ細った指のすきまからざらざらとこぼれ落ちる指のすきまから落ちゆく砂も砂時計の砂が流れ落ちてゆく...時間がざざらざらと私からこぼれる
1962呼鈴呼鈴を鳴らすと息子が飛んで来る96歳の文乃婆さん昨日ヘルパーに「(私は)時間がない」、と話しかけた。文乃さん自身そう長くは生きられない、と感じているようだ。つねに傍に誰かが居ないと寂しくて、呼鈴を何度も打ち続ける。口から食べなくなってきた。毎日のようにヘルパーがサービスに訪れる時間に自分も「おじゃま虫」をしている。何もできないのだが、文乃さんの躰の向きを変えるとき反対側に居て頭や躰を支える。「水が飲みたい」、と訴えた。長男嫁は気をきかして「ぬるめの水」を吸い飲みに入れてきた。一口、二口飲んだあと「冷たい水」、と催促した。長男嫁は笑いながら「冷たい水」に入れ直し、口元に吸い飲みの先を入れ、冷たい水は喉元を通った。文乃さんにとり冷たい水が飲めたことそれは生きようとする彼女の姿を感じてしまう。文乃さ...時間がない
1960幸せ幸せって誰かを大切にすること幸せ
1960ワールド・イン・ユニオンWorldInUnionラグビーワールドカップ公式テーマ曲はホルスト『木星』There'sadream,IfeelSorare,soreal私には大きな夢があるとても大切なすばらしい夢AlltheworldinunionTheworldasoneすべて国々が結びついてひとつの世界になることGatheringtogetherOnemind,oneheartあらゆる人々が手をたずさえひとつの思いひとつの心にEverycreed,everycolorOncejoined,neverapartすべての信条すべての肌の色が垣根を越えてひとつに集まるSearchingforthebestinmeIwillfindwhatIcanbe自らの可能性を探りながらそれぞれの力を発揮していくIf...『インビクタス/負けざる者たち』(2009)
1959ロストケア{3}必要な介護が受けられない葉真中顕『ロストケア』光文社文庫「地獄の沙汰も金次第」という言葉がある。介護も同じである。介護の世界も金次第。『ロストケア』(54頁)「残念ながら、介護保険は人助けのための制度じゃない。介護保険によって人は二種類に分けられた、助かる者と助からない者だ」老人福祉をビジネスとして民間にアウトソーシング(外部委託)すること。それが介護保険の役割だ(54頁)介護保険法が施行される前の老人福祉法では、老人福祉や介護の整備は行政の責任であった。介護保険法施行以後、介護事業所の指定権限は県、市町村にあり、介護事業所の運営は民間業者に任せたことで、行政の責任は免れ、民間の介護事業所を実施指導の名の下で締め付け、そして介護保険サービスが使いずらくなってきている。教員の資格に比...介護の世界も金次第
1958サボテンの開花が待ち遠しいサボテンの育て方もわからぬままサボテンを机に飾ってみました咲きそうなサボテンの花を道の駅喜連川で買ってきた。休眠期と活動期のバランスをとりながら育てていくのが「コツ」らしい。育て方がわからないまま、家族の一員として迎え入れてしまった。花には花の夢があるのでしょう・・・・。サボテンの花に癒され、生きていければ、と思います。小さな小さなサボテンを買ってみました
1957何も混じっていない「ただ」の水が飲みたい小雨に濡れた花冷たい水を浴び喜んでいる紫色の花(路端で)96歳の文乃婆さんが2週間ぶりに家に帰ってきた。「家に帰り~たい」と叫んでいた。ご主人の写真が飾られている仏壇の前にベッドを置き、起きあがるとご主人の顔を見える。彼女の隣に息子の簡易ベッドが置かれていた。最近、誤嚥性肺炎で入院したことから、病院ではトロミを混ぜた水を出されても口を閉じ、飲むことを拒否していた。病室では、「ただ」の水(トロミが混じっていない水)が飲みたい、と訴えても駄目だった。喉の渇きを感じ、冷たい水をどれほど飲みたかったか。体力もかなり落ち、いつ心臓が止まってもおかしくない状態にある。在宅酸素機器も置き、0.5の酸素を流している。家族は、本人の願いを聴き、口から水やお粥ではないご飯を食べ...美味しい~水が飲めて、満面の笑顔
1956故郷の廃家子どもの頃自分が住んでいた故郷の家を思い出す「故郷の廃家」作詞犬童球渓作曲ウィリアム・ヘイス(アメリカ)幾年(いくとせ)ふるさと来てみれば咲く花鳴く鳥そよぐ風門辺(かどべ)の小川のささやきもなれにし昔に変らねどあれたる我家(わがいえ)に住む人絶えてなく昔を語るかそよぐ風昔をうつすか澄める水朝夕かたみに手をとりて遊びし友人(ともびと)いまいずこさびしき故郷やさびしき我家や十九の春連絡船で津軽海峡を渡り青森駅から急行列車に乗り仙台駅で降りた。仙台駅前の交番で安宿の旅館を紹介してもらい半年間その駅前旅館で3畳間の物置部屋に住み掃除をした後、福祉の大学に通った。その後蒲団袋と段ボール箱一つタクシーに乗せ、同級生の貸家に転がり込んだ。福祉学科を卒業し47年が経った。老いたいま、故郷を棄てた自分にイ...帰る生家がない寂しさ
19551954ロストケア{2}路端に咲いていた花たち離婚した羽田洋子(38歳)は生まれたばかりの颯太を連れ、年金暮らしの母(71歳)が住む家に戻ってきた。あれから6年が経ち、母は駅の階段から転げ落ち、腰と両足の骨を複雑骨折した。それがきっかけで母は歩けなくなり寝たきりになり、いま思えばあれが(介護)地獄の始まりだった。洋子は仕事の他に子育ての他に母の介護まで背負うことになった。離婚したとき、乳飲み子を抱えた娘を受け入れてくれた母。今度は私が寝たきりになった老母を受け入れる番だと思い、献身的に(介護を)尽くした。認知症を患った母は、心を尽くして介護をしてくれている娘の名前も顔もわからなくなっていた。認知症は母の人格そのものを変え、母が母でなくなっても、「家族だから、面倒をみなくてはいけない」。そんな義務感...介護殺人で救われた人がいた
1954ロストケア{1}映画『ロストケア』あらすじ早朝の民家で老⼈と介護センター所長の死体が発⾒された。犯⼈として捜査線上に浮かんだのは死んだ所長が務める訪問介護センターに勤める斯波宗典(松山ケンイチ)。彼は献身的な介護士として介護家族に慕われる⼼優しい青年だった。検事の大友秀美(長澤まさみ)は斯波が務める訪問介護センターで老⼈の死亡率が異常に高いことを突き止める。この介護センターでいったい何が起きているのか?大友は真実を明らかにするべく取り調べ室で斯波と対峙する。「私は救いました」。斯波は犯行を認めたものの、⾃分がした行為は「殺⼈」ではなく「救い」だと主張する。斯波の⾔う「救い」とは⼀体何を意味するのか。なぜ、⼼優しい青年が未曽有の連続殺⼈犯となったのか。斯波の揺るぎない信念に向き合い、事件の真相に迫る...介護現場に溢れる悲鳴、介護殺人
1953家に帰りたい~第2の故郷筑波山(画像は本文とは関係ありません)主治医から「食べない。点滴だけでは6分の1程度の栄養しかとれない。廃用性症候群もみられ老衰の状態にある」長男は「明日にでも退院させて欲しい」、と訴えるも聞き入れてもらえず駄目だった。今日にでも連れて家に連れて帰りたいくらいだ、という思いは強かった。結局は来週の月曜日に退院となった。個室で痩せた老母(96歳)と面談、缶詰のミカンを食べさせようと老母に寄り添う。自宅の畳で逝かせたい、と願う息子。本人も最期は自宅で死にたい、と願っている。息子の呼びかけに応えようと、老母は一粒のミカンを口にした。「12日に退院できるからね」「あと三日だね」、とはっきりした言葉で話す。それでも最後は病棟中に響きわたる声で「家に帰りたい~」と叫んでいた。訪問診療、...家に帰りたい~
1952夢?希望?妄想?私は植物に関しても全くの無知で、「美しい紫色の花に見惚れていました。あなたの名前を知らず大変申し訳ございません」。にんげん、寝ているときは至福の時間(とき)。いい夢見は余計に眠ったまま夢の世界に留まりたい。老人の寿命も延び、おくやみ欄をみると90代の人が増えてきた。今日の福島民報のおくやみ欄では106歳のお婆ちゃんもおられ大往生の人生。最後まで元気だったのか、それとも介護を受けていたのか、おくやみ欄からではうかがい知れない。自分はいつまで生きられるか、わからない。長生きはしたいけれど、残された時間、何をしていくのか・・・・。短編夢世界では、これからのデイサービスの在り方を数人の人と熱く語りあっていた。これから老人は「冬の季節」を迎え、子どものように厚い政策は期待できない。「介護は金...夢?希望?妄想?
1951高いクリームを買っても皺(しわ)は伸びない早朝散歩のとき野生の鹿?に遭遇まだケアプランを作成していない84歳の女性から、寂しくなると電話をかけてくる。急ぎの用事はないのだが、なにかサービスを使いたいような感じで話すのだが、翌日訪問すると、彼女は「まだサービスは使わなくても大丈夫。躰がしんどくなったからお願いするから」、と。誰も彼女の家に訪れる人はいなく、その代わりに私に「来て」と誘惑する。「死に物狂いで働いてきた、自分の幸せを考えずに生きてきた。養女を育ててきたが、優しい言葉もかけてくれない」。「84歳になった。いつも玄関先の壁にかけてある鏡をチラ見するだけ。手鏡で自分の顔を見たら、皺がたくさんあり、そして染みだらけ。皺と染みの顔をみてビックリ。高いクリームを買って顔に塗っても皺は伸びない」。左右...死ぬまで生きるしかない
1950老いに生かされてきた.白髪混じりの60才過ぎの女性が相談に訪れた。自分の年齢も60才を越え体力的に限界です。義母はリウマチを患い、歩くこともままならない。“ボケ”もではじめ、夜間大きい声で独りしゃべりをしたり、おむつを外し布団の上にオシッコをしたりなど、隣の部屋にいても落ち着いて寝ることができないのです。年老いた義母にとって“家”が一番いいとわかっていても・・・・、これ以上女手一つで義母の面倒を看ていくのは困難です。長い間義母の面倒を看てきて、いろいろと苦労もありましたが、“義母に生かされてきた”という思いです。13年前に主人が亡くなり、ずっと義母との二人暮らしでした。血の繋がりがない義母であっても、義母の存在は一つの心のはりになっていました。自分の親は、(他人である)長男の嫁に世話になり、自分は...老いに生かされてきた
1949老母親の想い、子の想い.齢(よわい)を重ねるにつれ、土田光代さん(仮名86歳)は、息子との二人暮らし。物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた長男の不二雄さんは、新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、日中は一人家で過ごす。数年前から認知症が進み、息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができないため、家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、手つかずのご飯が残されており、夕食を食べていないことがわかる。「長男がお腹を空かし、そろそろ帰って来るだろう...老母親の想い、子の想い
1948沁みる砂時計Google「砂時計」無料画像から引用しました老いた現在(いま)、何故か砂時計を見ていると「人生の砂時計」に映ってしまう。砂地に水がこぼれ落ちると瞬く間に染み込むように、老いを意識するようになってから人と「ひと」とのかかわり、路端に生きる小さな生物や自然の風景から心のなかにしみじみと感じてしまう。もうその出来事に再会することはないかもしれないだけに、そのことに感謝し、そこで遭遇した一瞬の時間(とき)にときめいてしまう。齢七十を越え、躰は衰え、左膝はサポートを巻きsnoopyのイラストが入った杖をつきながら阿武隈川沿いの小路をbeagle元気と歩けるのはいつまで続くか、その先はわからない。それだけにいま自分の足で「歩ける」ことに感謝せずにはいられない。人生の砂時計
孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩
1947孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩(2016.06.18)老人ホームで孤独に最期を迎えた男性が残したという一編の詩が、今年の初めに海外メディアを少しだけ賑わせました。訪れる家族もなく、老人ホームの職員たちもあまり深く関わろうとはしなかった老人。価値のある遺品などはありませんでしたが、彼が人生を振り返ったその詩、老いについて本人が表したその詩は、確実に人々の心に残りました。その詩がこちらです。「風変りな老人」皆さんには何が見えていますか?いったい何が?あなたは何を考えていますか、私を見ているそのときに?風変りな老人…そんなに賢くもないどんな性格なのかもわからない、遠くをただ見つめている食事をこぼしたのは誰かと聞...孤独のうちに施設で最期を迎えた「風変りな老人」が残した一編の詩
1946口から食べたい激しく降りしきる雨のなか老いた妻は軽自動車のハンドルを握り病院に向かった。数カ月前老いた妻は膀胱脱を手術されたばかりの躰。長年連れ添った夫。幾たびかの苦難を乗り越え苦労の数よりもはるかに少ない幸せに喜び生きてきた。その夫が食道癌を患い、経鼻経管になり8mmの細い管が胃まで届き、夫の命を繋いでいる。その管のお陰で体力を快復した夫入院前の顔表情に戻ってきた夫に安堵した妻。消化器内科の医師は言葉を選びながら平易な説明をしてくれる。80代半ばを過ぎ、年齢的に食道から胃までを開腹手術することは難しく、放射線治療を主体とし、ときには抗がん剤投与を併用させ可能性としての話だが、大腸癌や胃癌に比べ食道癌の放射線治療は効果がある。食道癌を抑える放射線治療は、口から食べらるようになるかもしれない。食道癌...口から食べたい
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本当にしばらくぶりの投稿で、ビックリ本ブログが2025年11月で終わりになるということで寂しい気持ち。怠惰でブログをかなり休んでしまい罪悪感ひとしおです。ブログの画面を前に戻したいのだが、忘れてしまったのか、まだ復元できないでいる浦島太郎のような心境
2046根深い”コロナ感染”75歳になるひとり暮らし老人から「喉が痛い、いがらい(いがらいぽっい、えがらっぽい)」と訴えがあった。喉が赤く腫れ、ヒリヒリする感じなのであろうか。透析をしているのに、「市販のかぜ薬を買ってきて」とヘルパーにた頼む。ヘルパーから電話があり、彼の場合は透析糖尿性腎症があり市販のかぜ薬は厳禁であることを話す。チョッとした「咳がある」「微熱がある」「腹が痛い」などの症状があるとかぜ薬、腹痛を抑える薬で「治そう」とするのは危険なのです。どんな原因による発熱なのか、わからない。「かぜである」と安易に判断し、市販の薬に手を出してはいけない。医師から処方された薬との「飲み合わせ」があり、副作用が心配。どんな原因による腹痛なのか、わからない。昔の人は、何かあると「正露丸」。正露丸は万能薬のよう...ひとり暮らし老人のコロナ感染の疑い?
2045wifeの誕生日10月20日、wife50歳の誕生日「わたしが70歳になっても生きていてね」「92歳になるね。多病息災であるがそれまで「健康」で元気で頑張らないとね」「それまで”大切にしてね”」、と話したら「甘やかしすぎないから」、と言葉を返したとき二人で笑ってしまった。beagle元気はいま、11歳の老犬。いつも老いぼれの二人で散歩しています。今年の夏は暑かったので一日の散歩は3000歩にも満たなかった。結果循環器内科の女医(主治医)から「血栓の数値が悪いね。歩いている?」、と尋ねられた。「暑いので余り歩かなかった」、と言い訳すると「歩いた方がいいね」いま、7000~8000歩の散歩に回復元気のお陰です。「(わたしが)70歳になっても生きて欲しい」
2044老犬がいつもわたしの隣にいる85歳を過ぎたある婆さんの話です。細腕で建てた2階建ての家に、ひとり暮らす。糖尿病と視床出血後遺症と認知症を患い、自らセダンタイプの車を運転しながら近くの病院に通う。腎臓もボロボロになり、本来ならば血液透析治療をしてもおかしくない状態なのである。20~30キロ走行なので、彼女の後は大渋滞の様相になってしまう。かかりつけ医から、検査データーは超最悪で「生きていることが不思議なくらい」「他の婆さんならばもう死んでいてもおかしくない数値です」、と言われ彼女はとうとう観念し10月15日入院した。世の中は便利になったもので、金さえ払えば手ぶら姿で入院できる。入院中は、アメニティセット(入院時に必要な「寝巻・タオル類・紙おむつ・日用品等」の有料サービス)で事足りるのです。彼女は、そ...やっと入院した
2043無に帰る無帰人間死んだら無になる自分の躰も煙となって消え逝く遺骨となって墓に埋葬されるそう想うと寂しくなる自分は無になったら何が遺るのか遺るものが無くなってもいいあの世に何も持って逝くことができない自分はとても小さな墓に「無」と刻む一輪の花を飾れればそれでいい無に帰る
2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛
2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい
2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号
2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号
白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる
2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン
2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている
2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる
2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う
2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み
2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である
2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く
2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」
2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく
2042目に見えない病は「わかりにくい」2日間余りの日々いろんなことが重なりすぎブログから離れてしまった。義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときにwifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い3月3日の日曜日救急外来受診。wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。「断腸の思い」だった。wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかりできるものなら、自...群発性偏頭痛
2041外傷性脳出血シャンプーしてきました。4月8日で11歳になります。事業所から車で50分余り走ると、89歳の浅香婆さんの家が在る。浅香婆さんは、玄関先の庭で後ろに転倒し石に頭をぶつけてしまった。急いで娘は、かかりつけの病院に連れて行った。CTの結果、頭頂部のあたりに、外傷性脳出血と診断され即入院となった。10日経過したが、リハビリを行うもつかまり歩行は難しく、20分程度の坐位保持がやっと。夫は5年前病気で亡くなり、ひとり暮らしになり同じ町内にある娘さんが住んでいる町営団地一階で暮らすことになった。娘さんは2交代勤務制の工場で働いている。要介護認定区分変更され、要支援2から要介護4にレベルダウン。要介護2かな、と予想していたのだが・・・・・歩行は不安定であり、介護用ベッドと手すりの貸与サービスのプランで...歩けるようになって欲しい
2040老いのねがい在宅訪問を終えた帰り路関の里池に白鳥と遭遇白鳥が寄ってきた復刊銀の輝き第53号2024年3月1日老人のねがいよく老人は「ぽっくり死にたい」と口にします。それは老人のねがいにも聞こえます。「寝たきりや痴呆(認知症)だけになりたくないから、ぽっくり死にたい。子どもに迷惑をかけたくない」。それが老人のねがいだとしたら、寂しい気がしてなりません。いまや人生百歳の時代になり、脳卒中(脳血管障害後遺症)や認知症を患い、不自由さを抱えながら懸命に生きておられる老い人たちがいます。老人の手を握り、老人の語る言葉に頷(うなず)き、耳を傾けていきたいと思います。「いまなにを考えておられるのか」「死にたいと思っているのか、生きる望みをもっているのか」「なにを悩んでいるのか」「なにを欲しているのか」「なにに戸...復刊銀の輝き第53号
2039銀の輝き2024.2.24am7:18阿武隈川;朝陽に照らされた銀の輝き『ドアとドアを結ぶどこでもドア』創刊号2024年3月1日いつでも、どこでも、あなたの側らに安全・安心をお乗せしている気持ちで移動支援(通院送迎)を行います。玄関先までお伺いします。福祉タクシーをご利用できる人総合事業・要支援者・要介護認定者(介護保険外サービス)の方、身体に障がいをお持ちの方、ご病気・骨折などによりお一人での移動が困難な方、移動に杖や車いすが必要な方、一般のタクシーや公共機関の利用が困難な方など。利用目的の制限はありません。病院までの送迎・買い物の付き添い・冠婚葬祭の付き添い・コンサート、墓参り、旅行や観光の付き添いなどさまざまな移動のサポートをします。福祉タクシー利用者運賃ぐっとへるぷ東北運輸局認可乗車時間運...ドアとドアを結ぶどこでもドア創刊号
白河の関を越えた地にも春が訪れる縁石の淵にみどりの名も知らぬ草が生きる。今日は寒風となり小雪が降る2038生きるとはここ3,4日、89歳のひとり暮らし老人と接し、ほとほと心身ともに疲れてしまった。老夫婦の家を訪問したとき、「疲れた顔しているね」、と言葉をかけられた。「大丈夫です。体調は変わりないです。元気です」と言葉を返すも、気持ちのなかで「疲れた顔に見えたさせたのは失敗」、と呟いてしまった。その日は眼鏡をかけることも忘れていた。眼鏡をかけると、気持ち的に老けてきた顔を少しでも隠すことができる。在宅訪問のときは、疲れた顔を見せず、元気な表情と声を出すことが大切。反省をしてしまった。疲れると蒲団に入ってもなかなか眠れなかったり夢が途切れ目を覚ましたとき、あれこれと頭のなかで言葉が飛び交う。何のために此の世に...疲れると頭は働かなくなる
2037仙台泉プレミアムアウトレット今日は気分転換を兼ね昼食は、wifeと仙台牛タンを満喫した。その後、仙台泉プレミアムアウトレットを「歩く」wifeはアンダーアーマーで黒のランニングシューズを購入他に衣類3点(その内1点は自分のもの)wifeが、東北自動車道下りを走行しているときだった。スマホが鳴った。画面を見たら「東部包括支援センター」の文字が見えた。「要支援の認定を受けていない89歳の男性老人はベッドからずり落ちてしまい、立ち上がれず救急車を呼んだ。急変の症状ではなかった。老人は救急隊員に紙オムツの交換を頼んだ。救急隊員は「紙オムツを取り替え」、そのひとり暮らし老人の家を後にした。要介護相当の状態にあり、明日11時、男性老人の家にお伺いし地域包括支援センターのスタッフと引継ぎを行い、ケースを受けるこ...牛タン
2036情け(思いやり)出だしから「硬い話」で申し訳ないけれど住み慣れた家で最後(=最期)まで暮らしたい、と願っている老人「老親の願いに添いたい」、と思いをかける同居家族。「地獄の沙汰も金次第」ではなく、「介護の沙汰も金次第」と思ってしまう。国民年金の受給額で暮らしている老夫婦の伴侶が、寝たきりになると介護に使えても1万円がやっとである。さらに追い打ちをかけ、訪問介護の介護報酬は減額され潰れる(倒産する)訪問介護事業所が増えてくる。さて、現実のヘルパーたちは介護の最前線で何を感じ、何に憤りを覚えているのか(悲しみを感じる)。先日、鼠屋敷で暮らす婆さんのことを書いた。テーブルの上、台所、洗い篭、窓の桟(さん)、床などあらゆる処に鼠の糞が連なっている。お椀やお玉、鍋のなかに糞はある。そのような状況のなかで、婆...その人は生きている
2035あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい自分の足を食べる蛸、と言われるが本当は、人間につかまって狭い所に入れられたときに自分の足をちぎって食べたりする。他の動物に食いちぎられたりした足はまた生えてもとだおりになるが、自分で食べた足はもうさいせいできないらしい。「やってみよう」、と始めた介護事業だったが小規模(零細)介護事業所はやり繰りが大変。赤字から黒字に転換するのは容易ではない。ここ数年、無給で働いていて、それは何とも思わなくなってきたが赤字から脱却し収支「とんとん」に持っていきたい、と思うも・・・・「借りたお金」をほぼ完済するにはあと3年。あと3年、老いた病み付きであっても「父ちゃん健康」でいたい。wifeから「自分で始めた仕事、やり遂げるしかない」、「誰も頼んだ訳ではない。...自分の足を喰いながら生きる
2034明けない夜はない朝は必ず夜になり、夜は必ず朝を迎えます介護タクシーの運転をしていても、今日の外気温は18℃。春の陽気です。白河の関を越えると福島県。透析治療者の送迎のとき、蕗の薹に遭遇。蕗の薹は雪の下でジッと寒さに耐え、春を待つ。雪水は蕗の薹にとり栄養となり地上に現われた蕗の薹を見ると春の訪れを感じさせる。でも東北の地は3月に入っても雪が降ることがある。過去において桜が咲いたときに雪が降り積もったことがあった。透析は1日おきに行うため透析患者は、せわしく感じてしまいできたら週2回の透析だったら気分的に「ゆっくり」できるのにな、と言葉にする。「患者」という感じからどんなイメージを受けますか?「患」の漢字から「串刺し」を連想する。魚を串で刺し通す。痛々しく感じてしまう。患「串」+「心」2つのものを縦に...突き刺された心は、痛み(傷み)を伴う
2034今日は18℃の気温で「春気分」wifeの病院送迎の帰りいつもと違う場所から那須連山を撮りました東北自動車道も見えます明日7時15分から透析治療者の送迎があるためもう寝床に入りますそのため今日はブログお休みます。また、明日・・・・・今日はブログお休み
2032『病牀六尺』と介護の在り方正岡子規『病牀六尺』岩波文庫●正岡子規著『病牀六尺』(びょうしょうろくしゃく・岩波文庫)を初めて読んだのは24年前のことであり、書き出しは「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである」(7㌻)で始まる文章はいまも印象に残っている。彼は23歳のとき、結核により喀血した。子規と号したのも、血を吐いて死ぬ時鳥に我が身をなぞらえてのことであるという。結核は脊椎を侵し、34歳の頃人力車で外出したのを最後に臥床生活に入る。●子規は、『病牀六尺』の六十五のところで、介抱(看病、介護の言葉に置き換えてもよい)の問題について述べている。「直接に病人の苦痛に関係する問題は・・・介抱の問題である。病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護...病床六尺、これが我世界である
2031しもつかれ咲き頃の梅の花を花瓶に生けて浴室に置くことによって香りがこもる梅の香りは、ストレス解消に効くとのこと“しもつかれ”は北関東、特に栃木県で冬季に限られる郷土料理で新巻鮭の頭や節分の豆、大根、人参、油揚げ、酒粕(さけかす)と一緒に煮込んだもの味付けは醤油・砂糖など家によって独特の味がある見た目は酔っ払いの「副産物」にしか見えない(これは失礼)7軒分のしもつかれを食べると中気にならないといわれている栃木県では学校給食にも出るが子どもたちからはすこぶる評判が悪いとか余は義父がつくる“しもつかれ”だけは口にする(他界されたので義父がつくる”しもつかれ”を食べることができなくなった)なぜなら新巻鮭の頭ではなく身を入れるのでいやな匂いがなく舌触りもいい赤飯の上にしもつかれを載せて食べるとさらに上手い(...梅の香りは、ストレス解消に効く
2030老人はいぶし銀のような存在素敵な木造家茨城県筑西市(旧下館市)介護に関わってから老人の代名詞として「銀」という文字が気になりだした銀は金とは違い地味で華やかさはないが長年の経験につちかわれた渋みを感じさせるそれを人はいぶし銀の輝きと呼びくすんだ灰色の銀ではあるが味わいのある灰色となる老人はいぶし銀のような存在でありそれぞれに人生の労苦や歓喜が顔や手指に皺が刻まれ無二の存在であり輝きを放す「銀の紬」は老人の持っている人生のアートや可能性を引き出し最後の糸を紡(紬)ぎ編むそんな想いを抱きながら自分の老いとも重ねあわせ銀の糸を紡ぐ「銀の紬」
2029薬剤師に聞いてみよう、気軽に脚(足)がつるときに効く漢方薬68「お婆ちゃん」と「婆ちゃん」言葉の響きを聞くと「婆ちゃん」の方がいいかな。言葉の頭に「お」をつければいいといものでもない。「お婆ちゃん」よりは「婆ちゃん」の方が若い印象を受けるような気がする。本ブログで「婆ちゃん」と呼ぶこと(書くこと)にする。今日は、90歳になる婆ちゃんの通院等乗降介助を行った。自宅から9分程度の走行で整形外科クリニックに到着。杖をつきながらどうにか歩けるのだが、ふらつきがあり転ぶ危険性もある。婆ちゃんの左手を握り、一緒に歩く(婆ちゃんは手を握ってもらうのを楽しみにしている)。椅子に座り、靴を脱ぎスリッパを履いた方が楽で安楽に行える。60分余り待たされ(予約11番目だった)、順番がきたので診察室に入った。通院等乗降介助...芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
2028「おまけ」「付録」グリコのキャラメルに付いて「おまけ」楽しみだった誰でも買い物をしたとき“これ、おまけに付けておくよ!”と言われると何か得したような気分になる一粒口に入れると300メートルが早く走れるというグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いていた現代の子どもはシールよりもゲーム機器の方に手がいってしまうが昭和30年代の子どもたちはキャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった若い女性向けの雑誌にも“豪華な付録”が付いている本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとかちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と本当にそうだったら素敵な話である死んだら星となって輝き天から大切な人を見...星を見上げ元気をいただく
2027乗り遅れそうな乗客を待つバスの運転手味噌汁は“おふくろの味”ともいわれ、家庭によって味が違う。三木春治さんにとって家庭の味といえば妻志乃さん(77歳)がつくる“味噌汁”であり、元気の源でもあった。しかし、桜の花弁が散る4月の或る日の朝の出来事。春治さんは、今日の朝起きてみると腹が脹れ(はれ)あまり朝食を食べたいとは思わなかった。けれども、妻が想いをこめて作ってくれた豆腐入りの味噌汁を味わった。ご飯は茶碗半分余り残し箸を置いた。どうもお腹の脹れと胸のあたりが急にむかつきはじめ苦しくなり、食卓にうつ伏せ状態になり倒れた。救急車で病院に搬送されるも力尽き永眠された(ご冥福をお祈り申し上げます、78歳)。昨日まで元気な様子であっただけに、突然の訃報は驚きと同時に深い悲しみを抱いたのは、わたしだけではなかっ...一杯の味噌汁
2026雪かきができない躰力茨城県筑西市から東北自動車道経由で白河の関を越え東北の玄関口の地に着いた。積雪30cmあり、数年ぶりの雪雪でした。揺れる車中、スマホで『老い生いの詩』を操作していたら昨日のブログのコメントを書き終えとところで車の振動で指先が狂い消去されてしまい、茫然(ぼうぜん)となった。不慣れなことはするものではない。小さな平屋(30坪、築15年)の小さな庭は30㎝の雪。心臓に負担がかかり、躰力もなく雪かきは「出来なくなった」。wifeは自分と同じ屋根の下で生活する前までは雪かきがしたことがない。いまは雪かきは手慣れてきた。読売新聞日曜版のトップ記事に旅を旅する、だったかな城崎温泉の写真が掲載されていたのをスマホで「パシャリ」した。明日から介護の世界に戻る。数年ぶりの30cmを越える積雪
2026盲腸8㎜のポリープ切除ご縁地蔵筑西市五所神社付近3回目の大腸検査初回は15年前、腎臓移植のとき2回目は2023年12月21日胃の検査、大腸検査検査の結果、食道裂孔ヘルニア、萎縮性胃炎(C-1)、盲腸ポリープ8㎜があると告げられた。問題のないポリープだが放置しておくと良くないので、切除した方がいい、と説明された。3回目は盲腸ポリープ切除術を施行するためには腸管洗浄をしなければならない。切除術前に2時間という短い時間に腸管洗浄剤(2ℓ)を飲むのが苦痛だ。齢71の自分、wifeは「便失禁防止に紙パンツわ穿かないとダメよ」と言われ渋々紙パンツのお世話になることになった。紙パンツを穿くのは2回目になる。初めての紙オムツ体験初めての紙パンツを穿いたのは平成3年のとき。紙パンツを穿いた状態でオシッコをした(尿失...苦痛の大腸検査
鉄線はつづくよどこまでも鉄塔の隙間から筑波山を眺める遙かな先の線路は終着駅遙かな先の路は終点(行き止まり)遙かな先の海は帰港地遙かな先の鉄線は我家の電燈始発点の先は終着点オギャ〜と産ぶ声をあげた先は死そう考えてしまうと虚しくなってしまうキッズソング せんろはつづくよどこまでも 童謡 I'veBeenWorkingontheRailroad(coverdbyうたスタ)線路は、はるかなまちまでぼくたちのたのしいたびのゆめつないでいる『せんろはつづくよどこまでも』の詩は遙かな先きまで夢をつないでいる。夢は無限である。オギャ〜と産ぶ声をあげた赤ん坊は無限の可能性を秘めている。線路も路も海も鉄線も遙かな先の町はどんな処か想像してしまう。こどもごころの頃山の向こうはどんな風景なのか、と想像していた。どこまでもつづく鉄...遙かな旅の夢
2024鉄線は続くよどこまでも筑波山が見える関東平野、鉄塔が立ち並ぶ昨日は事務的な仕事に追われて、筑西市(茨城県)に帰るのが遅くなり21時前に着いた。wifeの父の一周忌法要。「家に帰ったよ」、帰ってくるような感じさえする。。短い時間ではあったが最後は寝たきりになったものの自宅の畳の上で妻、二人の娘と大の親友に看取られながら逝った。別れの言葉を交わし、穏やかな顔だった。実家(wife)から福島に帰るときは「気をつけて帰れよ」といつも言葉をかけてくれた。「パチンコに行こう」、と誘う。不自由ながらも杖をつき歩き軽トラに乗りパチンコ屋に向かった。二人とも大当たりはなく損したまま帰るも、楽しかった。筑波山朝夕合わせて100分余りの散歩。夕暮れ前の筑波山を眺め見る。旧下館市は第二の故郷。関東平野は閉塞感がなく、開放...先の向こうにはどんな風景かな・・・・・