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  • (86)負のドミノ倒し

    今回このブログを再開するにあたり、過去の投稿を全て読み返したが、やはり父が亡くなってからの十日間。これが全ての始まりだったので、この続きから回想していきたい。 そこからの二年間は正直思い出すのも辛いことの連続だったが、だからこそ書き残すことの意義は大きいのではないかと考える。 父が死に、母に介護が必要だとわかった十日間。 私と姉はそれぞれの仕事に戻らねばならなかったので何人かの親族に母を託した。 忌引き明けで仕事に復帰した私は、まず会社や仕事関係者に事情を話し、しばらくは東京と地元の往復が続きそうなこと、場合によっては突発的な休暇をもらうことになりそうなことを説明した。 みんな親切で、グループ…

  • (85)なにがどうなろうと

    前回の投稿から丸6年が経とうとしている。 前回は丁度転職のタイミングで忙しくなってこのブログを休止したのだと思い出す。 当時は日々進行する認知症の症状と、それに対して施設を拒み頑なに一人暮らしを継続する母、と「詰み」の構図にあったのだ。 私は精神的な救いが欲しくて、ネットの同じような体験をしている方々のブログを巡り、また自身も親の介護を始めてからの一年半の記録を残したくてこのブログを始めたのだ。 現在はというと、その後色々大変な事は多かったものの、なんとか施設に入居することができ、当時に比べれば行き止まりのような焦燥感はかなり薄れてはいる。 ひとえに施設の方々のお陰だと感謝しかない。 本当に何…

  • (84)病死をフラットに考える

    自分が病気になること、いずれ死ぬことはできれば考えたくないことだ。 なぜなら私たちは日々、明るく前向きにといった言葉たちに囲まれている。 楽しいことを考えていれば幸せだし、生活が上手くいくことも知っている。 だから敢えて暗い方は見ないよう無意識が働く。しかし病や死と向き合うことと、明るく前向きに生きることは果たして両立しないのだろうか。 明るく前向きとはいかないまでも、平静な気持ちで見つめ返すことは出来ないだろうか。 そんなことを考える。人生を一つのイベントと考えればどうだろう。 幼少期、少年期は本番に向けての準備期間。明確な目的が見つからないなりにも好きなこと、向いていることを見つけようと苦…

  • (83)病気になるために生まれたんじゃない

    先週木曜日の夜、小林麻央さんが旅立った。 生前彼女が病気、あるいは生死に関してどのような考えを持っていたかは、昨年BBCに寄稿した『色どり豊かな人生』に詳しい。 その死生観は、今まさに闘病生活を続ける患者さんやその家族、これから先の人たちに大きな影響を与えることのできる力を持つ。寄稿には乳癌を宣告されてからブログで公表するまでの心境の変化、闘病を続ける過程で固めた決意が綴られている。 中でも私が感銘を受けたのは次の一文だ。 例えば、私が今死んだら、 人はどう思うでしょうか。 「まだ34歳の若さで、可哀想に」 「小さな子供を残して、可哀想に」 でしょうか?? 私は、そんなふうには思われたくありま…

  • (82)介護に役立つツール

    ここまで書いてきたように手帳と日記アプリを活用することで私は記憶の補助と心の整理を行っている。 他にも介護にあたっては役立つツールがいくつかあるので挙げてみたい。一つはスマホのカメラ。 役所の書類は未だに手書きで提出すべきものがほとんどだ。 電子ファイルなら簡単に手元に原本を残せるが、紙の書類はわざわざコピーをとらねばならない。 そんなときカメラで撮っておけば管理も楽だ。 また、相談相手が高齢者だったりするとメールでのやり取りができず、手紙でのコミュニケーションとなることが多い。 この時も手紙を写真に収めておくと後から簡単に読み返せる。 写真が増えてきたらEvernoteに取り込んでタグをつけ…

  • (81)思想と表現の違い

    前回までで私が日記をつける理由はほぼ書いたのだが、補足でどうしてもこれだけは書いておきたい。気持ちを吐き出す文章は、個人が特定されない範囲であればプライベートな日記でなくともブログやSNSでもいいのではないかと言う人もいるだろう。 または友人に愚痴を聞いてもらうでもいいのではないかと。 その方が共感も得られるし承認欲求も満たせるかもしれない。 実際それで均衡を保てている人も多いだろう。ただし、前回私が書いた「誰にも見せることのない日記」と「他者に公開すること」の間には決定的な違いがある。 何かと言うと、自分の中にのみ留める内は「思想」であるが、他者に見せたり話したりした瞬間それは「表現」になる…

  • (80)気持ちに折り合いをつける

    自分の頭の中だけは誰にも侵害されることのない、際限なく自由な領域だ。 上手くいかないことばかりの毎日で、今の自分ではどう抗っても解決できない難問の前で、ただそこだけは最後の砦だと思っている。 「どうしてこんな辛い思いをしなければならないんだ」 そんな理不尽にぶち当たったら、けして誰にも見せることのない日記に全て吐き出せばいいのだと気がついた。私は頭の中を開放することで心が楽になると考える。 心理学のことなどまるでわからないが、きっとそんな療法もあるのではないだろうか。 逆に頭の中でまで自分を偽り常識や道徳心に縛られているとそれがストレスとなり心を蝕むのではないかという気がしている。全て吐き出し…

  • (79)日記の効果

    日記は元々つける習慣はなかったのだが、2004年頃のブログ黎明期、日々の出来事を公開している人たちを見ていいものだなと思った。 行った場所、会った人、食べたもの、観た映画、聴いた音楽、読んだ小説。 これらは活字に残すことで記憶に残り糧となる。 また、何てことのない日常にも意味を持たせることができる。 毎日を大切にできる気がした。私も真似事をしてみるのだが、上手くいかない。 ネットに公開するとなると個人を特定できるような内容は書けないし、どうしても無難な内容にまとまってしまう。 次にプライベートモードで書いてみるのだが、やはり個人情報をネットに預けることに抵抗がある。 かといって手書きの手帳では…

  • (78)メモをとる癖

    ここまでで一旦回想話は終わりにしたい。 この間たくさんのスターを頂き、ありがとうございます。モチベーションに繋がります。今までの人生で最も濃密だった十日間。(最初のタイトルに「九日間」と書きましたがよく見返したら十日間だったため修正しました) 特に何回で書ききろうとは考えずに始めたのだが、終わってみれば全52回となった。 ここまでの母の症状はほんの入り口に過ぎず、この先日々進行していくし、このとき以上に頭を悩ませる大きな事件も起こる。 しかしここまでを総括した話も書きたいので一区切りとする。回想を書くにあたってはなるべく詳細に書こうと心掛けた。 長くなれば日を跨げばいいのだし、文字数制限のない…

  • (77)実家を後に

    荷造りをしていると叔母がやって来る。 母のことをまとめた手紙を渡すため前もって連絡しておいたのだ。 「どう?ちょっとは落ち着いてきた?」 叔母は事情を知った上で母に笑顔で接してくれる。 「まだ父さんが死んだって実感がわかないねえ」 居ることが当たり前だった毎日が突然終わったのだから無理もない。 「一度思いっきり泣いてみるといいよ」 叔母もまた数年前に息子さんと旦那さんを立て続けに亡くしているが、息子さんのことはまだ気持ちの整理がつかず、今でも時折思い出しては一人泣いているのだという。確かに泣くことができたら、気持ちは幾分か軽くなるだろう。 ヒトは泣くことで辛さを和らげる脳内物質が分泌されるとも…

  • (76)認知症は人としての尊厳を脅かす

    いよいよ私も実家に留まることのできる最終日。 家中の灯油を注いで回ったり、古新聞を縛って纏めたりといった力仕事を中心にこなす。 この十日間の様子を見るに、灯油ポリタンク一つはおよそ五日間でなくなる。 一ヶ月では大体6タンクの消費だ。 なくなれば電話一本で配達してもらえるのだ。 エアコンの方が安いのではないかと思うが、隙間だらけの木造家屋である我が家はファンヒーターの方がすぐに暖まるのだと母は言う。 私としても消し忘れのことを考えればファンヒーターであれば時間が経つと自動停止するため、無理にもエアコンとは言わない。 灯油継ぎだけは溢すのが心配であるため、ヘルパーさんが来るまでに灯油が尽きたらエア…

  • (75)昔の記憶、これからのこと

    夕食を終えると、洗い物は母がしてくれる。 私は部屋から薬を持ってきて手渡す。 明日には私も帰るため、以降の薬は伯母に託すことになっていた。お茶を飲みながら、また母の昔話に耳を傾ける。 毎度のことながら、私が生まれるずっと前の事柄も鮮明に記憶していることに驚かされる。ついさっき見たはずの病院の予約日時はすぐに忘れるのに。 「脳に焼き付ける」という慣用句があるが、記憶とはまさにそんなメカニズムなのかもしれない。 一度見聞きした事柄は脳にうっすらとしか記憶されない。 それを反復して呼び起こす度に記憶はより鮮明に色づき、輪郭を帯びて焼き付いていく。 つまり母が語る昔話は、これまで何度も思い返してきた記…

  • (74)外食したいと言うが…

    姉が帰りその日の晩。 母は外食して鰻でも食べないかと言う。 これから節約するから、これで最後だと言う。 私はしばらく考える。 外食をするなとは一度も言っていない。 ただ、父が死に年金の受給額が減るのだから、今まで通りの支出では赤字になってしまうと言ったのだ。 というのも母の金銭感覚がもはやまともではないと感じていたからだ。 家には似たような服や鞄がたくさんある。一緒に買い物に出かけるとすぐに高い刺身をカゴに入れる。 節約という意識はあるが、行動が伴っていない。それでもまだ外食は贅沢なことという認識はあるようだ。 本当ならその日限りの外食など何の問題もないのであるが、ここで外食をしてしまうとスト…

  • (73)ほとんどの家電に自動停止機能がない

    翌日、姉が帰る日。 分担しできることは全てやっておこう。 まず私は家と金庫の合鍵作り。金庫は家の重要書類を入れ、母が間違って何処かにやらないようにするためで、私と姉で鍵を保管する。 鍵を作っている間に掃除用具の買い出し。 いくらヘルパーさんに頼むといっても少しくらいは自分でやらなければ本当に廃人になってしまう。 粘着テープをローラーで転がす掃除用具や、風呂掃除用に柄のついたスポンジを買う。 これであれば足腰に負担をかけずできるだろうと考えたのだ。一方姉は家電店へ行き安全装置つきのガスコンロと電気ケトルを買ってくる。 ガスコンロは一定の時間が過ぎると自動で止まり、また吹きこぼれも検知してくれると…

  • (72)信頼関係が崩れていく

    ヘルパーさんに来てもらえるようになるまでは母を極力一人にしないようにせねばならない。 姉は関東に済む母の妹さんに連絡を入れ、母の状態を説明し何日か一緒に寝泊まりして欲しいとお願いした。 妹さんは先日父の葬儀で来たばかりであったが、了承してもらえた。それまでリハビリの予定はないだろうか。 母に聞くと、もう三日後には予約していて、ご近所の方と一緒に行く約束もしているのだという。 リハビリセンターには先程着いていったので分かるが、予約しているのなら予約券があるはずだから見せて欲しいと母に言う。 鞄から出てきた予約券を見てみると、やはり次回の予約日は三日後などではなかった。 「予定を立てたらまず手帳に…

  • (71)老後の蓄え

    雪は午前中で止んだ。 六日間の滞在を終え、妻と娘が先に帰るため私は駅まで見送る。 途中だだっ広い駐車場にまだ足跡もないふかふかな雪が積もっていたのを見つけ、娘が遊んでいいかと聞く。 いいよと言うと喜んで駆け出した。私も笑顔になりたいが今はできない。 母は帰りのバスでもやはり降車ボタンを押すことができなかったのだ。 認知症の可能性。10年、20年とかかるかもしれない介護が見えてきた。 今年はDIYを趣味にしようと思って、ホームセンターでペンキや刷毛など一式を買い揃えたけど、そんな余裕はなさそうだな。 だけど娘は育ち盛りだ。 父親と公園を走り回ったり一緒にお絵描きや工作をしたり。それらは今しか出来…

  • (70)「ここから、長いですよ」

    「まだら痴呆であるかもしれません」 と医師は言う。 ただし彼は外科医であり、専門の診察をしたわけではないのであくまで参考意見の域を出ないのであるが。 「まだら痴呆」とは脳の血流が悪くなることによる認知症の一種で、アルツハイマー型とは異なるらしい。 第三者の口から「痴呆」あるいは「認知症」という言葉が出てきたのはこれが初めてだったが、私からするとそれは想定内の回答だった。「施設入居も考えた方がいいでしょうか」 事前に姉と打ち合わせてきた質問をぶつける。 これに対して、医師は懐疑的だった。 当院でも介護老人保健施設を併設しているが、これはあくまで治療目的で患者さんが入院し、在宅復帰を目指すものだ。…

  • (69)椎間板ヘルニアと担当医

    母の担当の外科医は先日の心療内科医と同様複数の医院掛け持ちであるため、診察は月に一度だけ。 やはり高齢者ばかりの待ち合いロビーで順番を待つ。 母は「トイレに行ってくる」とソファを立つ。その際財布の入った小さな手提げバッグはソファの上に置き去りだ。 私たちが居たからのことかもしれないが、置き引きは充分に考えられるからこれもまた注意せねばならない。 それとバッグの中が手帳や不要なレシートで一杯で、やっとボタンを留められるという状態なのも気になる。何かを取り出すときに別の何かを落としてしまう危険性が高い。順番が来て診察室に入る。 「あれ?新年のご挨拶?」 母の後ろから私と姉が入ってきたのを見て医師が…

  • (68)バスの乗り降りも覚束ない

    雪道を考慮し余裕を持って家を出たためバス停には早目に到着する。 前の日に私は市が発行する高齢者用の半年間有効フリーパスを購入し、それをパスケースに入れて母に渡してあった。 バスの営業所にも赴き、そこで路線図と時刻表も入手していた。営業所の駐車場には運行前のバスを整備している運転手が一人。 時刻表を貰いたいのだがと話しかけると、たった一人の所員しかいない、それにしては広すぎる事務所に通される。 達磨ストーブ、使い古したデスクやスチール製のロッカー、今も現役で使われている黒板。 昭和で時間が止まったようなその空間は趣があった。最寄りのバス停から病院まではバスで片道10分もかからない。しかし系統は二…

  • (67)雪に覆われた町

    ドス、ドスと鈍くて低い音が断続的に、夢見心地に聴こえてくる。 懐かしい感覚だ。 昨晩の内に降り積もった雪が屋根から滑り落ちる音である。 その重厚な塊は木造の我が家を僅かに揺らすほどの振動をもたらす。 もう少し寝ていたいが不規則な周期で眠りの海から引きずり出される。娘が帰る最終日、ようやく雪が積もった。 私は娘を起こすと窓を開け、一晩の内に一変した真っ白な景色を見せる。 初めて見る雪ではないが、元々今年の帰省はこれを楽しみにしていたのだから喜びも一潮だ。居間に降りると母は既に起きていてお茶を淹れている。 「昨日は眠れた?」「うん、よく眠れた」 不眠症の話を聞いてから毎朝確認するのだが、必ず同じ答…

  • (66)詐欺は見抜けない前提で

    仏壇屋の営業を家に上げたことは私と姉にとって新たな悩みの種となった。 それより遡ること2年前、母は一度振り込め詐欺に騙されかけている。実家に私の名前を騙る男からの電話があった。 声も似ていたため、すっかり信じて話し込んだのだという。 ところがその内容は滅茶苦茶だ。 ・耳の病気にかかってしまった ・携帯を水没させ、電話番号が変わった ・既婚女性を妊娠させてしまった ・そのためまとまったお金が必要だ テレビや新聞で盛んに話題になっていた典型的な振り込め詐欺だ。 第一トラブルを詰め込みすぎだし、今時こんな手口に引っ掛かる者がいるのかと思うような内容だが、母は一度はそれを信じ「そんな大変なことがあった…

  • (65)仏壇屋の便乗商法

    次に私たちがしたことは家から火気を極力遠ざけること。 良くか悪くか、母はフライパンを使う料理はほとんどしなくなっていたため、火を扱う機会は減っている。 しかし好きな煮物料理はまだたまにするようだ。これはグリルと同じく取り上げるわけにはいかないので安全装置つきのガスコンロに買い替えることとする。後は薬罐だ。 朝晩お茶を淹れて飲むのでおそらくこれが最も使用頻度が高い。 これに関しては、電気ケトルの方がすぐに沸いて便利だからと説得に成功。そして一度胆を冷やした仏壇周り。 住職から許可を得たからと、蝋燭、線香、マッチ、ライターは全て片付けることを母に進言。 母は笑いながら、そんなに心配しなくても大丈夫…

  • (64)通帳カード印鑑が見つからない

    約束の時間になり、父がメインバンクとして利用していた銀行へ向かった。 事前に伝えておいた名前を言うと別室に通され、おそらく私よりも若いと思われる担当者と名刺交換をする。 この日の目的は父の預金口座の相続だ。 最初に、私には予備知識がまるでないことを伝え一からの説明をお願いした。まず法定相続人の説明について。 我が家の場合該当するのは、被相続人の配偶者およびその子であるため、母と姉と私の3名だ。 遺言書がないので相続にはこの全員分の戸籍謄本と印鑑証明書が必要になる。 更に被相続人である故人の除籍謄本と戸籍謄本も必要と教えられる。父の口座は解約か名義変更が選べるが、いずれにしても相続先である私名義…

  • (63)選ばなかった方のシナリオ

    翌日は金曜日。 平日の内に私と姉は役所や金融機関を回らねばならないため、妻にはその日まで居てもらい、家事を任せることになっていた。 この間、娘にとってはよほどストレスであったことだろう。 大人には相手をしてもらえず、友達もいない。天候不順で外でも遊べない。自宅であればオモチャや絵本もたくさんあったが、ここまで長居することになるとは思わなかったため、持参した絵本やDVDにも飽きてしまった。 家の中でも大声を発し駄々をこねるようになってきているが、無理もない。私は銀行へは午後に行くことにし、娘をボルダリングで遊べる屋内施設へと連れて行った。 よほど嬉しかったらしく、黙々と壁をよじ登り、失敗してはま…

  • (62)伯母のこと

    心療内科から帰宅し、私と姉は伯母の家へと向かった。 父には姉と妹がおり、葬儀の際に忙しく立ち回ってくれたのは妹(叔母)の方。 だが距離的に我が家から近いのは姉(伯母)の方なのだ。伯母も当然高齢だ。近年は大きな手術もしているし、補聴器が必要な程耳が遠くなっている。 だから葬儀の準備はあまり頼るわけにはいかなかった。 しかし母のことは知っておいてもらわねばならない。 私たちは伯母の家で、葬儀の後から先程までの出来事を洗いざらい話し、私たちがいなくなってからヘルパーさんに来てもらえるようになるまで、母の薬の管理をしてもらえないかとお願いした。 伯母は快諾してくれた。 のみならず私たちの心労を気遣って…

  • (61)「世間体」が残った

    医師はカルテに目を通しながら母の来院歴を私たちに教えてくれた。 最初に鬱病と診断されたのが3年2ヶ月前。医師はその原因となった伯父の病気のことも知っていた。 抗鬱剤を処方したところ、最初の3ヶ月で改善が見られた。 そこからは量を調整しながら、それは前年の九月まで続いたという。 躍りの稽古を再開したのが十一月なので、本人にとっても幾分か気持ちが楽になったのであろう。 その矢先に父が死んでしまった。 ここ1ヶ月くらいはうつの症状がまた顕れるかもしれません、と医師。介護認定の件に関しては、意見書は書くが、近年は高い介護度はなかなか認定して貰えないのだと言う。 特に母の場合、他人と話す際の受け答えがし…

  • (60)病名は「薬物依存症」

    介護認定の申請には主治医の意見書と、本人の身長体重を申告せねばならない。 診察を終えると、母は隣の部屋で身体測定を行う。 これで残った私と姉は医師に母の症状を包み隠さず伝えることができる。足のふらつき、薬を飲みすぎる他にも、こういったことが気になっている。 ・億劫だと言ってお風呂に入りたがらない ・相談してから決めようと言ったのに勝手に父の車を処分するなど思いつきの行動が多い ・ガスコンロを手離さない。その拒み方が以前にはなかった程に頑固である ・常に手持ちぶさたな様子が見られ、突然黙って散歩に出る ・ゴミ出しの時間と曜日を間違える ・忘れるのは仕方ないとして、カレンダーと分別表を見比べればよ…

  • (59)眠れぬ苦しみ

    順番が来て診察室に入る。 主治医は母と一緒に私と姉が来ることは事前に受付から聞いていたはずだがそれには触れず、初対面の挨拶を交わす。 父が亡くなったこと、今日の目的は介護認定のための意見書を貰うことも改めて話す。 普通であれば医師との話があまりにスムースに運ぶことや、なぜ外科医ではなく心療内科医の意見書なのかといったことを疑問に思うところだが、母はそのことに対して全く触れない。 最初の内、母は私たちが陰であれこれ立ち回っていることに実は気づいていて、わざと触れないのかと思ったが、次第に本当に気づいていないのだ、物事に対し疑問に思うことがほとんどなくなっているのだということが分かってくる。医師の…

  • (58)待合室とワイドショー

    午後からはいよいよ母の心療内科の受診だ。 元々月二回の受診日の内の一日ではあったのだが、主治医は他の診療所とかけ持ちであるため週に一、二回ほどしか顔を出さない。 この日を逃してしまえば私も姉も仕事復帰してしまう。 何としてもこの日、主治医に母の症状の全てを伝えねばならない。そして介護認定が下りるよう意見書を書いていただくことをお願いするのだ。 私と姉は前の晩にこちらから伝えることと、逆に先生から聞くことを打ち合わせの上まとめておいた。診療所にも事前に電話で、家族から少しお時間を頂きたい旨を伝えておく。 準備は万端、私と姉はいつもお世話になっている先生に挨拶するという名目で母に付き添った。診療所…

  • (57)初七日の朝

    初七日を迎えた朝もまた慌ただしい。 仏花やお供えの支度をしつつ、木魚やおりんといった仏具を並べるのだが正しい配置がわからない。 こういう時はスマホが役立つ。 「何でもそれでわかるんだねえ」と母はしきりに感心する。約束の時間より少し早く住職が到着した。 私は住職が木箱から取り出した掛軸を受け取ると、竿を用いて鴨居に掛ける。 仏が描かれた掛軸で、四十九日が終わるまではお借りして祭壇の背後に飾っておくのだ。父の仏前、お経が読まれる。 娘は後ろの方で幼児向け雑誌を読ませていたが、最後まで大人しくしていた。 この数日間ですっかりお経を聞き慣れて、自ら木魚を叩いてはお経の真似事をするようにまでなっていた。…

  • (56)職人の血

    戦後の昭和20年代後半、日本中にパチンコブームが興ったという。 私の地元も例外ではなく、駅前をはじめとし市内には何軒ものパチンコ屋が林立した。 母の父、つまり私の母方の祖父は知り合いに話を持ち掛けられ、共同出資でパチンコ屋を開店したのだそうだ。 しかしやがてそのギャンブル性の高さに批判が集まり規制が敷かれ、全国の多くのパチンコホールは店を畳まざるを得なかった。 同じく祖父のパチンコ店も潰れ、負債を抱え家を手離すこととなった。 そのため母が床屋の主人とお隣同士だったのはその頃までということになる。 私はそのことを二人との会話から初めて知ったのだ。祖父は元々、下駄職人であった。 私の記憶にある母の…

  • (55)母の幼なじみ

    私と母はカメラ屋さんを後にし帰路につく。 正月明け早々とはいえ、町の商店はどこも閑散としていた。 花屋の前には軽トラックが停まり、エプロン姿の若い女性店員が重そうな鉢植えを荷下ろししている。 過疎化の進むこの町で、若者はどんなことを考え日々暮らしているのだろう。 郊外の大型パチンコ店は人気だし、夜になれば酒場は活況を呈する。 しかしそのような享楽に浸れない者も少なくないだろう。私は長男にも関わらずこの町を出た。 その経緯はまたいずれ書きたいと思うが、私とは違い、この町に残った同世代やそれより若い世代には多少の後ろめたさが拭えない。ある床屋の前を通りかかったとき、突然母が寄っていこうと言い出した…

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