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  • 道鏡(4)

      https://dic.nicovideo.jp/?from=header 道鏡( 700 ?~ 772 ?)とは、奈良時代の僧侶である。 孝謙天皇(称徳天皇)に寵愛されたことで知られており、そのお察しください関係性がよく話題になる。   概要 弓を作る一...

  • イブン=ルシュド(アヴェロエス)(2)

    アブー・アル=ワリード・ムハンマド・イブン・アフマド・イブン・ルシュド(アラビア語 : أبو الوليد محمد بن أحمد بن رشد abū al-walīd mu ḥ ammad ibn ʾ a ḥ mad ibn rušd, 1126 年 4 月...

  • 道鏡(3)

    https://dic.pixiv.net/ 概要 生い立ち 文武天皇 4 年( 700 年)、 河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に弓削櫛麻呂の息子として生まれる。 弓削氏は物部系の名家であるが、彼には天智天皇ゆかりの出自ではないかと言う説も存在する(後述)。 ...

  • イブン=ルシュド(アヴェロエス)(1)

    イブン・トファイルの後を受けて登場するのが、アヴェロエスことイブン・ルシュドである。彼の名は、イスラム屈指の大哲学者として西洋哲学史においては、イブン・スィーナーと並んで必出の思想家である。イブン・ルシュドは 1126 年に、コルドバで生まれ、法学・哲学・医学で名をとどろかしてい...

  • 道鏡(2)「宇佐八幡宮神託事件」

    宇佐八幡宮神託事件は、奈良時代の神護景雲 3 年( 769 年)、宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇の重祚)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との神託を受けて、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった事件である。道鏡事件とも呼ばれる。同年旧暦の 10 月 1 日( 11 ...

  • イブン・バーッジャ

    イブン・バーッジャ(アラビア語 : ابن باجّة Ibn Bājjah 、 أبو بكر محمد ابن يحيى ابن الصائغ ابن باجّة التُجيبي الاندلسي السرقسطي Abū Bakr Mu ḥ a...

  • 道鏡(1)

    道鏡(どうきょう、文武天皇 4 年( 700 年) ? - 宝亀 3 年 4 月 7 日( 772 年 5 月 13 日)以前 [1] )は、奈良時代の僧侶。俗姓は弓削氏(弓削連)。俗姓から、弓削 道鏡(ゆげ の どうきょう)とも呼ばれる。平将門、足利尊氏とともに日本三悪人と称さ...

  • 西方イスラーム哲学

    歴史的に見れば、西方イスラーム哲学が発展したのはアッバース朝が衰退・滅亡した後の 12 世紀 -13 世紀のことである。この時期は、アヴィセンナやガザーリーも既にこの世の人ではなく、ちょうど時期的にも東方イスラームからバトンタッチされた形で西方イスラーム哲学は興隆した。無論、この...

  • 後ウマイヤ朝

    後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう、 756 年 - 1031 年)は、イベリア半島に興ったウマイヤ朝の再興王朝。 756 年から 1031 年までの 24 代 (19 人 ) の君主のうち 16 人がウマイヤ家出身であったため、日本では中国史の用語法を借用して「後ウマイヤ朝」と...

  • カンタベリーのアンセルムス(2)

    イングランド教会の首都大司教の叙任問題は、その後 2 年にわたって続いた。 1095 年、国王はひそかにローマへ使いを出し、教皇ウルバヌス 2 世を認める旨を伝え、パリウムを持った教皇特使を送ってくれるよう教皇に頼んだ。そして、ウィリアム 2 世は自らパリウムを授与しようとし...

  • カンタベリーのアンセルムス(1)

    カンタベリーのアンセルムス(羅 : Anselmus Cantuariensis, 1033 年 - 1109 年 4 月 21 日)は、中世ヨーロッパの神学者、かつ哲学者であり、 1093 年から亡くなるまでカンタベリー大司教の座にあった。カトリック教会で聖人。日本のカトリッ...

  • ガザーリー(3)

    スーフィズム ガザーリーが 1106 年から 1109 年の間に著した自伝『誤りから救うもの』の大部分は、ガザーリー自身の内面の記述に割かれ、スーフィズムの教えが信仰の確信を約束することが示されている。多くの研究者は、 1095 年から始まる遍歴の旅の動機を『誤りから救うもの...

  • ガザーリー(2)

    思想 [icon]      この節の加筆が望まれています。 ガザーリーの著作はイスラーム法学、神学、哲学、護教論、神秘主義の 5 つの分野に大別できる。   法学 ガザーリーは、イマームル・ハラマイン・ジュワイニーからシャーフィイー学派の法学を学び、それ...

  • 楊 貴妃(1)

    楊 貴妃(よう きひ、ヤン・グイフェイ)は、中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれている。世界三大美人の一人で古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・...

  • ガザーリー(1)

    ガザーリーことアブー・ハーミド・ムハンマド・イブン・ムハンマド・アッ=トゥースィー・アッ=シャーフィイー・アル=ガザーリー(アラビア語 : أبو حامد محمد بن محمد الطوسي الشافعي الغزالي , Abū Ḥ āmid Mu ḥ ...

  • イブン・スィーナー(4)

    自然科学 イブン・スィーナーは、自然科学の研究にあたって先人の研究を利用するとともに、独自の手法で理論を発展させた。観察と実験によって探究を試みる手法はヨーロッパ世界に大きな影響を与え、ロバート・グロステストやロジャー・ベーコンらが行った実験科学の発展に大きな役割を果たした。...

  • イブン・スィーナー(3)

    思想 イブン・スィーナーは因習に縛られない考えの持ち主であり、同時代の学者であるビールーニーと書簡を通して自然科学の諸問題を議論していた。彼の父のアブドゥッラーフはイスマーイール派を信奉しており、イブン・スィーナー自身はイスマーイール派に入信しなかったが、その思想には共感を示...

  • イブン・スィーナー(2)

    サーマーン朝の滅亡と放浪の始まり イブン・スィーナーは無料で診療を行って経験を積み、医師としての名声を高めていった。サーマーン朝のアミール(君主)・ヌーフ 2 世の病を治療したイブン・スィーナーは彼の信任を得、王室附属図書館を自由に利用することが許された。図書館には希書が多く...

  • 天平文化

    天平文化(てんぴょうぶんか、旧字体:天平 󠄁 文 󠄁 化 󠄁 )は、時期では 8 世紀の中頃までをいい、奈良の都・平城京を中心にして華開いた貴族・仏教文化である。この文化を、聖武天皇のときの元号天平を取って天平文化という。 その後、平安時代になると国風文化となり、日本で...

  • イブン・スィーナー(1)

    ファーラービーに続く哲学者が、アヴィセンナことイブン・スィーナー( 980 年 - 1037 年)である。 彼は、東方イスラーム哲学における絶頂期の哲学者といっても差し支えない。彼は、また独力で数学的な諸学・自然学・哲学・医学を修め、その名をイスラーム中に轟かしていたという...

  • カロリング朝(4)

    分裂後のカロリング朝国家 カール大帝の帝国は、王家の分割相続により瓦解した。 885 年には、カール 3 世によって帝国が再統一されるが一時的なことに過ぎず、 887 年には東フランク王アルヌルフによって廃位に追い込まれた。   翌 888 年には西フランク王位がパリ...

  • 「第二の師」ファーラービー(2)

    イラン系出自説 アル・ファーラービーの最も古い伝記作家である中世アラブの歴史家イブン・アブー・ウサイビア( 1203-1270 )は、アル・ファーラービーの父親はペルシャ系であったと著書『ウユーム』で述べている。 1288 年頃に生きていたアル・シャフラズーリーも、アル・ファ...

  • カロリング朝(3)

    教皇からの帝冠 教皇レオ 3 世は、 800 年のクリスマスにカール大帝にローマ皇帝としての帝冠を授け、西ローマ帝国の地に「ローマ皇帝」が復活した。ローマ教皇との結びつきが強くになるにつれ、帝権は神の恩寵によるものという観念が強まり、宗教的権威を持つようになった。   ...

  • 「第二の師」ファーラービー(1)

    アリストテレスが「第一の師」とイスラム世界で仰がれてアリストテレスの哲学解釈が興隆していく中、それに続く「第二の師」と呼ばれたファーラービー( 870 年頃 - 950 年)は、キンディーが開いた道に基礎を固めた人物として知られている。キンディーのように彼も著作が多く、殊にアリ...

  • ミクロネシアの神話伝説(7)

    https://www.legendaryhawaii.com/ 【魔法のパンの木】 ラオミキアクの孫、ミラッドはバベルダオプ島沖にあるンジブタル島に住んでいました。彼女の家の庭には魔法のパンの木があり、空洞になったその幹は礁湖まで通じており、海で大きな波が起きると、自動...

  • カロリング朝(2)

    イスラム勢力との戦いと名声獲得 トゥール・ポワティエ間の戦い アキテーヌを支配していたウードはイスラム教徒の国境司令官ウスマンに娘を嫁がせたが、イベリア総督アブドゥル・ラフマーンは反乱分子として夫を殺し、嫁がせた娘 ( ランペジア ) をカリフのハレムへ送った。 732 ...

  • 「アラブの哲学者」キンディー

    最初にイスラーム哲学史に登場する人物は、アラブ人哲学者ヤアクーブ・イブン・イスハーク・アル=キンディー( 801 年頃 - 866 年頃)ある。彼は別称として「アラブの哲学者」と呼ばれている。いちいち、アラブ人であることを言及されるのは、前述のように長らく哲学などの思想関係では...

  • カロリング朝(1)

    カロリング朝(独 : Karolinger 、仏 : Carolingiens )は、メロヴィング朝に次ぐフランク王国 2 番目の王朝。宮宰ピピン 3 世がメロヴィング朝を倒して開いた。名称は同家で最も著名なカール大帝(ピピン 3 世の子)にちなむ。なお、「カロリング」は姓ではな...

  • イスラーム哲学(2)

    832 年、アッバース朝第 7 代カリフ・マアムーンは、バグダードに翻訳を行う官庁をおいた。これが、いわゆる知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)であり、ギリシア語やシリア語、パフラヴィー語に加え、インドからもたらされたサンスクリット語などさまざまな文献が集められ、これらを相互に翻訳・...

  • ミクロネシアの神話伝説(6)

    https://www.legendaryhawaii.com/ 【ナンマドールとは】 ミクロネシア連邦の主島、ポンペイ(ポナペ)島の東南に、ナン・マドール(現地語でナンマトル)という古代の巨石海上遺跡があります。その広さは70haにも及び(東京ディズニーランドが84ha...

  • 鑑真

    鑑真(がんじん、旧字体:鑑眞、中国語繁字体:鑑真、中国語簡字体: 鉴 真、 Jiàn zhēn 、 688 年〈持統天皇 2 年〉 - 763 年 6 月 25 日〈天平宝字 7 年 5 月 6 日〉)は、奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。   鑑真...

  • イスラーム哲学(1)

    イスラーム哲学(英語 : Islamic philosophy )は、哲学の中でもイスラム文化圏を中心に発達した哲学である。アラビア哲学とも言われる。   起源 イスラムにおける「哲学」の始まりを広く定義すれば、イスラム教が成立した時点と捉えることも可能であろう。イス...

  • アッバース朝(10)

    https://timeway.vivian.jp/index.html アッバース朝 預言者ムハンマドの近親者で、アブル=アッバースという男がいた。この人はムハンマドの叔父さんの家系で、イスラム教の指導者層の一人なわけだ。だから、自分もカリフになる資格があると思ってい...

  • ミクロネシアの神話伝説(5)

    https://www.legendaryhawaii.com/ 【ギルバート諸島(キリバス)】 昔、世界に「テ・ボマテマキ」と呼ばれる闇しかなかった頃、創造主であり蜘蛛の神でもあるナレアウが水と土をこね合わせてナ・アチブという最初の半神と、ネイ・テウケという最初の人間を...

  • アッバース朝(9)

    https://dic.pixiv.net/ 概要 西暦 750 年から 1258 年ごろまで存在したとされる国家。ムハンマドの親族としてカリフとなったアッバース家の当主が、中東諸地域を統治したもの。つまり宗教上の教主と世俗の帝王が同一人物である教団国家である。先代のウマ...

  • アッバース朝(8)

    イスラームは 9-10 世紀に、法の体系化に伴いアッバース朝の支配領域の多様な文化、人種、生活習慣を飲み込む枠組みとして機能するようになった。住民の改宗・イスラーム化も進行したが、他方で改宗しない住民もイスラームの枠組みに沿った文化、社会を構築するように変容していった。「サービア...

  • ミクロネシアの神話伝説(4)

    https://www.legendaryhawaii.com/ 【エタオとジェメリウットの訣別】 エタオとジェメリウットが、マジュロ島を訪れたときのことです。2人が小道を歩いていくと、向こうから大きなサーフボードを担いだ男がやってきます。2人と出会っても道を譲ろうともせ...

  • アッバース朝(7)

    イスラム科学 アッバース朝では、東ローマ帝国への対抗意識と、アッバース家を権力の座に押し上げたペルシア社会の影響、さらには歴代カリフの個人的好みと名声への野望から、科学分野が飛躍的な発展を遂げた。ソフト面ではクルアーンを読むために必須とされ、イスラム圏で事実上の共通言語として...

  • アッバース朝(6)

    軍事 首都バグダードはペルシアの円型要塞を参考にして建造されており、 3 重の頑丈な城壁に囲まれていた。基部の厚さ 32 メートル、高さ 27 メートルとされる巨大な主壁の内部には、 100 平方メートル近い広さを有する金曜モスク、高さ 50 メートルに及ぶ緑の巨大なドームに...

  • ミクロネシアの神話伝説(3)

    https://www.legendaryhawaii.com/ ここでは、マーシャル諸島から東カロリン諸島で語り継がれている、半神、トリックスター「エタオ」の物語をご紹介します。   トリックスター (trickster) とは創造的で破壊的、いいところもあれば悪い...

  • アッバース朝(5)

    政治的混乱 9 世紀後半になると、多くの地方政権が自立し、カリフの権威により緩やかに統合される時代になった。 892 年にはサーマッラーからふたたびバグダードへと遷都を行ったが、勢力は衰退を続けた。   10 世紀になると、北アフリカにシーア派のファーティマ朝が、イベ...

  • ミクロネシアの神話伝説(2)

    https://www.legendaryhawaii.com/ 【テルケレルとテムドクルの「眼」】 天上界では、番人のテムドクルが盗まれてしまったために誰でも直接ウチェルの宮殿に入り込んでくるので、ウチェルは大弱りです。急いで部下のチェリッド(精霊)達を集め、7人の精鋭...

  • アッバース朝(4)

    アッバース朝の最盛期 建国の翌年の 751 年に、アッバース朝軍は高仙芝が率いる 3 万人の唐軍をタラス河畔の戦いで破り、シルクロードを支配下に置いた。その結果、ユーラシアからアフリカのオアシス交易路が相互に接続する大交易路が成立した。一方で、 756 年に後ウマイヤ朝が建国...

  • アッバース朝(3)

    経過 ウマイヤ朝治下において、アッバース一族はハーシム家の一員として尊敬を集めていたものの、政権からは遠ざけられていた。しかし混乱が広がり、ウマイヤ朝の支配の正統性に各方面から疑問が投げかけられるなかで、アッバース一族はウマイヤ家以上に預言者に近しい血脈を利用し、イスラーム世...

  • ミクロネシアの神話伝説(1)

    https://www.legendaryhawaii.com/ パラウ諸島に、テルケレルという英雄の伝説があります。マーシャルのエタオとか、ハワイ(ポリネシア)のマウイとは違って、こちらはいたってまじめな英雄のようです。また、この物語はパラウの伝統的な踊りやチャントで広く、...

  • アッバース朝(2)

    アッバース朝革命(英語 : Abbasid revolution )は、 8 世紀にウマイヤ朝が滅亡し、アッバース朝が成立した一連の過程を指す歴史用語である。軍事的には 747 年にイラン東部のホラーサーン地方で蜂起が始まり、 749 年に革命軍が革命運動の本拠地クーファに入城、...

  • アッバース朝(1)

    アッバース朝( الدولة العباسية 、 al-Dawla al-‘Abbāsīya )は、中東地域を支配したイスラム帝国第 2 のイスラム王朝( 750 年 –1258 年)。ウマイヤ朝に代わり成立した。   王朝名は、一族の名称となった父祖アッバース・イブ...

  • ハワイ神話(3)

    https://www.legendaryhawaii.com/ タンガロアの世界創生 タヒチでは、タンガロア(ハワイで言うところのカナロア)は全ての神々の先祖でした。世界に空も海も太陽も何も無く、ただ闇だけが拡がっていたころ、タンガロアと彼が住む大きな貝殻だけがこの世界...

  • トゥール・ポワティエ間の戦い(3)

    https://www.vivonet.co.jp/rekisi/index.html#xad15_inca トゥール・ポワティエ間の戦い イスラム軍はボルドーを攻略後、ポワティエのイレーヌ教会を略奪し、トゥールに進軍してきた。カール・マルテルはこれを迎え撃ち、 7 日に...

  • トゥール・ポワティエ間の戦い(2)

    戦闘 宮宰カール率いるフランク王国連合軍は、騎兵の多いガーフィキーの軍隊に対し場所を選んだ。イスラム側の多くは騎兵であり機動力を発揮できないよう、丘や樹木などの地形とファランクスを上手く活用し防衛体制と整えた。歩兵と騎兵の戦闘ながら決着はつかず、 7 日間の小競り合いが続いた...

  • トゥール・ポワティエ間の戦い(1)

    トゥール・ポワティエ間の戦い(フランス語 : Bataille de Poitiers 、アラビア語 : معركة بلاط الشهداء ‎ )は、 732 年にフランス西部のトゥールとポワティエの間で、フランク王国とウマイヤ朝の間で起こった戦い。ツール・ポアティエの戦...

  • 源信(3)

    https://xn--udsw7h21snjj.jp/ 15才、天皇に説法 源信は良源の期待に応え、学問では比叡山で一二を争うほどになります。 その上、頭が良いだけでなく、修行もすばらしいもので、源信の評判はついに時の村上天皇にまで聞こえたのでした。やがて天皇から「...

  • ハワイ神話(2)

    ペレ (Pele) は、ハワイに伝わる火山の女神。ペレホヌアメア(「聖なる大地のペレ」の意)、ペレアイホヌア(「大地を食べるペレ」の意)、ペレクムホヌア( Pele-kumu-honua 、「大地の源」の意)という呼び名でも知られている。   ハワイの神々の中ではもっと...

  • レコンキスタ(5)

    https://www.vivonet.co.jp/rekisi/index.html#xad15_inca レコンキスタの開始 西ゴート王国が滅亡しても、その家臣ペラーヨ (Pelayo) はカンタブリア山脈に逃れて抵抗を続けた。彼はアストゥリアス王国を建国してレコン...

  • 源信(2)

    https://xn--udsw7h21snjj.jp/ 源信僧都の生い立ち 源信僧都は、今から 1082 年前、平安時代の中頃の 942 年に、大和国(今の奈良県)の当麻(たいま)という里にお生まれになりました。 お父さんを卜部正親(うらべまさちか)といい、お母さん...

  • レコンキスタ(4)

    https://www.vivonet.co.jp/rekisi/index.html#xad15_inca イスラムのイベリア半島進出 シリアのイスラム帝国 ( ウマイヤ朝 ) は東ローマ帝国からエジプトを奪還し、西方のマグリブ ( 日が没するところ:チュニジア、アル...

  • 源信(1)

    源信は、平安時代中期の天台宗の僧。恵心僧都(えしんそうず)、横川僧都(よかわそうず)と尊称される。天台宗恵心流の祖。学才に恵まれ、浄土教のみならず、因明、性相、天台など幅広い分野に亘って著作を残した。   生涯 ※年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つため、旧暦(...

  • ハワイ神話(1)

    創世神話 ハワイ先住民の宗教での創世神話は、ハワイ王朝年代記である『クムリポ』(ハワイ語で「起源」の意味)に語られている。ハワイ王家に代々口承で伝えてきた 2102 行からなる叙事詩で、カラカウア王が 1889 年に公表し、ハワイ王朝が終焉したのちの 1897 年に英訳されて...

  • レコンキスタ(3)

    アストゥリアスの反乱と後ウマイヤ朝の建国 718 年、西ゴート王国の貴族を称するペラヨが、アストゥリアス地方でキリスト教徒を率いて蜂起し、アストゥリアス王国を建国した。多くの史家は、レコンキスタの開始をこの年に設定している。   722 年(あるいは 718 年、 7...

  • 空也

    空也(くうや)は、平安時代中期の僧。阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも称される。   人物 観想を伴わず、ひたすら「南無阿弥陀仏」と口で称える称名念仏(口称念仏)を日本において記録上初めて実践したとされ、日本における浄土教・...

  • レコンキスタ(2)

    711 年、北アフリカからターリク・イブン=ズィヤード率いるイスラーム勢力のウマイヤ朝が侵入し、西ゴート王国はグアダレーテ河畔の戦いで敗れて 718 年に滅亡した。この征服の結果、イベリア半島の大部分がイスラーム治下に置かれ、イスラームに征服された半島はアラビア語でアル・アンダル...

  • 空海(7)

    弘法大師の伝説 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。   概要 弘法大師に関する伝説は、北海道を除く日本各地に 5,000 以上あり、歴史上の空海の足跡をはるかに越える。柳田國男は...

  • アイヌ神話(4)

    ≪昔、この世に国も土地もまだ何もない時、ちょうど青海原の中の浮き油のような物ができ、これがやがて火の燃え上がるように、まるで炎が上がるように立ち昇って空となった。 そして後に残った濁ったものが、次第に固まって島(現北海道)となった。 島は長い間に大きく固まって島とな...

  • レコンキスタ(1)

    アル=アンダルス(スペイン語 : Al-Ándalus 、アラビア語 : الأندلس ‎ 、 al- ʾ andalus )は、アラビア語によるイベリア半島の名称であり、 711 年の征服以降は半島内のイスラム支配地域を意味するようになった。その最大の地理的範囲では、その領土...

  • 空海(6)

    評価 真言宗の開祖として 空海は、江戸時代には、「お大師さん」として人々から親しまれていた。その一方で、「純正の日本に仏教という外来の不純な思想を持ち込んだ」として本居宣長などから批判もされた。明治時代には、廃仏毀釈運動によって一時期評価が下がることもあった。   ...

  • 平城京(2)

    発掘・調査 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。   北浦定政が、自力で平城京の推定地を調査し、水田の畦や道路に街の痕跡が残ることを見つけ、 1852 年(嘉永 5 )『平城宮大 內 裏...

  • 空海(5)

    彌勒大師(みろくだいし) 空海は弥勒菩薩と関わりが深い。高野山奥之院御廟の柱に一対の「聯」が掲げられている。その聯には 「我昔遇薩埵 親悉傳印明發無比誓願 陪邊地異域晝夜愍萬民 住普賢悲願 肉身證三昧 待慈氏下生」 と記されている。 この文章は空海の言葉とされ、一...

  • アイヌラックル (アイヌ神話)(3)

    大鹿退治 あるとき、巨大な鹿が人間たちを襲うという噂がアイヌラックルの耳に届いた。さらには、夜中に魔女らしき者が現れるという噂もあった。神々の助言により、アイヌラックルはこの一連の噂こそ、魔神たちが勢力を増す兆しだと知り、地上の平和を守る神として、魔神たちと暗黒の国に戦いを挑...

  • 平城京(1)

    平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう/ならのみやこ)は、奈良時代の日本の首都。 710 年に藤原京から遷都するにあたり、唐の都長安城を模倣して大和国に建造された都城。現在の奈良県奈良市、大和郡山市に存在する。   中央北域に宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西 8 坊 ...

  • 空海(4)

    弘法大師誕生佛 「聖徳太子弘法大師一體鈔」には、空海は聖徳太子の生まれ変わりであるという説が記されており、聖徳太子に酷似した像が造立される基となったとされる。そのためか「聖徳太子二歳像」に酷似している。また、大江匡房が記した大師讃に「合掌シテコソ生ケル」、要集に「宝亀五年甲寅...

  • 白鳳文化(2)

    https://hugkum.sho.jp/ 白鳳文化の特徴 白鳳(はくほう)文化は、いつ頃、どのようにして発展したのでしょうか。白鳳文化の担い手や特徴を見ていきましょう。   律令国家建設期に花開いた仏教文化 白鳳文化は、 7 世紀後半から 8 世紀の初めに...

  • 空海(3)

    天長 8 年に病を得て以降の空海は、文字通り生命がけで真言密教の基盤の強化と、その存続のために尽力した。とくに承和元年 12 月から入滅までの 3 か月間は、後七日御修法が申請から 10 日間で許可され、その 10 日後には修法、また年分度者を獲得し金剛峯寺を定額寺とするなど、密...

  • アイヌラックル (アイヌ神話)(2)

    アイヌラックルは、アイヌ伝承の創世神話における英雄神で、アイヌ民族の祖とされる地上で初めて誕生した神。アイヌ語で「人間みたいな神」という意味。エピソードを通じて人々の日常生活を支える多くの品々の起源が語られることから、アイヌ神話の上での文化英雄の役割を持つ。オイナ、オイナカムイ、...

  • 白鳳文化(1)

    白鳳文化(はくほうぶんか)とは、 645 年(大化元年)の大化の改新から 710 年(和銅 3 年)の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化であり、法隆寺の建築・仏像などによって代表される飛鳥文化と、東大寺の仏像、唐招提寺の建築などによって代表される天平文化との中間に位...

  • 空海(2)

    帰国 大同元年( 806 年) 10 月、空海は無事、博多津に帰着。大宰府に滞在し、呉服町には東長寺を開基し、宗像大社神宮寺であった鎮国寺を創建した。 10 月 22 日付で朝廷に『請来目録』を提出。唐から空海が持ち帰った多数の経典類、両部大曼荼羅、祖師図、密教法具、阿闍梨付...

  • 大宝律令(3)

    https://hugkum.sho.jp/249209 中央政府の仕組み 中央政府の仕組みとして、「二官八省(にかんはっしょう)」の官僚体制が作られました。二官とは、国政を担う「太政官(だいじょうかん)」と、祭祀(さいし)を担う「神祇官(じんぎかん)」です。神祇官は新嘗...

  • 空海(1)

    空海(くうかい、 774 年〈宝亀 5 年〉 - 835 年 4 月 22 日〈承和 2 年 3 月 21 日〉)は、平安時代初期の僧。諡号は弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の開祖。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお。   日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が今...

  • 天地開闢 (アイヌ神話)

    天地開闢(てんちかいびゃく)では、アイヌ民族における天地開闢と国造り神話について説明をする。   以下は、 1858 年( 19 世紀中頃・本州の時代区分でいう幕末)の夏に、タツコプ・コタン(現夕張郡栗山町字円山)の 83 歳になるエカシ=おじいさん( 1775 年前後の...

  • 大宝律令(2)

    https://hugkum.sho.jp/249209 大宝律令とは、どのようなものなのでしょうか? 大宝律令の概要と、その後に制定された「養老(ようろう)律令」との違いも解説します。   701 年に施行された法典 大宝律令は 701 年、文武(もんむ)天...

  • 最澄(6)

    書 書における師承は明らかでないが、延暦 23 年( 804 年)に入唐し、帰朝に当って王羲之の十七帖、王献之、欧陽詢、褚遂良などの筆跡や法帖類を持ち帰った。その書風は空海の変幻自在なのに比べて、楷書と呼ばれるものに近い。真跡として現存するものには、次のようなものがある。 ...

  • 大宝律令

    大宝律令(たいほうりつりょう)は、 701 年(大宝元年)に制定された日本の律令。「律」 6 巻、「令」 11 巻の全 17 巻。唐の律令を参考にしたと考えられている。   概要 大宝律令の意義に挙げられるのは、中国(唐)の方式が基準の制度への転換にある。   ...

  • 最澄(5)

    事績と評価 日本天台宗の開宗 中国天台宗は 6 世紀に隋の智顗が開いた宗派であり、のちに日本に伝来した南都仏教よりも歴史が古い。最澄は自身が受け継いだ教えについて『内証仏法相承血脈譜』に、達磨大師付法・天台法華宗・天台円教菩薩戒・胎蔵金剛界両曼荼羅・雑曼荼羅の 5 つを挙...

  • インカ神話(2)

    https://www.manabi.pref.aichi.jp/contents/10005011/0/index.html 神話と儀礼 太陽神に関わるインカの始祖神話はいわば国家宗教の頂点ですが、その他の神々の信仰はどのようなものだったのでしょうか。太陽神の他に重要な...

  • 藤原京(3)

    阿波説 大和朝廷の前身としての邪馬台国は、奈良盆地の箸墓古墳やホケノ山古墳のルーツとなる墳墓が発掘され、弥生時代の大集落遺跡群があり、 3 世紀の丹(水銀朱:辰砂(硫化水銀))採掘遺跡が全国唯一発掘され、鉄器製作のための国内最古級の鍛冶炉を備えた竪穴建物が発掘された阿波で成立...

  • 最澄(4)

    大乗戒壇の設立 最澄の弟子で朝廷との交渉役であった光定が著した『伝述一心戒文』によれば、弘仁 9 年( 818 年)に最澄は天台法華宗を広めるために大乗寺を建て、光定に一乗の号を名乗らせると告げた。光定は、この事を藤原冬嗣を通じて天皇に上奏するが、南都の僧の反対にあって叶わな...

  • 藤原京(2)

    藤原京の遺構 木簡約 1200 点が出土している。金石文や、後年になり日本書紀など潤色が疑われる史料とは異なり、木簡は現場の律令の実践で使用された潤色の必要性のなかった史料とされる。このため、大宝律令の内容の復元も期待されている。「大宝元年」という年号や「中務省」・「宮内省」...

  • 最澄(3)

    空海との関係 前述のように、唐から戻った最澄が伝えた密教は歓迎される。『叡山大師伝』は、桓武天皇の喜びを「真言の秘教等は未だ此の土に伝るを得ず。しかるに最澄はこの道を得、まことに国師たり」と伝える。最澄が唐から戻った翌大同元年( 806 年)、長安で密教を学んだ空海も帰朝する...

  • インカ神話(1)

    インカ神話はインカ民族(ケチュア族)に伝わる神話であるが、ここでは、『ペルーの神話』『アンデスの神話』などと呼ばれるアンデス山脈の諸民族の神話の総称と定義して解説する。   皇帝アタワルパ アンデス山脈の高地や海岸の砂漠地帯に発展したアンデスの諸民族は、それぞれが民族...

  • 藤原京(1)

    藤原京は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。壬申の乱により即位した天武天皇の計画により、日本史上で初めて唐風の条坊制が用いられた。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。   『日本書紀』などの正史には「新たに増した京」という意...

  • 最澄(2)

    入唐求法 『叡山大師伝』によれば、桓武天皇の詔問を受けた弘世は最澄に相談し、唐の天台山国清寺への還学生と留学生各 1 名を派遣の必要性を訴える上表文を記す。   (前略)天台独り、論宗を斥けて特に経宗に立つ。論は此れ経の末、経は此れ論の本なり。(中略) 伏して願わ...

  • 天智天皇(2)

    即位に関する諸説 この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。( 2020 年 5 月) 中大兄皇子が長く即位しなかったことは、 7 世紀中葉の政治史における謎の一つであ...

  • アステカ神話(2)

    建国神話 ウィツィロポチトリの誕生 ウィツィロポチトリはメシカの守護神であり、その母はコアトリクエである。コアトリクエがコアテペトル(ヘビの山)の上の神殿で掃除をしていたとき、天から羽根が落ちてきた。その羽根の力で、コアトリクエはウィツィロポチトリを妊娠した。コアトリクエ...

  • 天智天皇(1)

    天智天皇(てんじてんのう / てんぢてんのう、 626 年〈推古天皇 34 年〉 - 672 年 1 月 7 日〈天智天皇 10 年 12 月 3 日〉)は、日本の第 38 代天皇(在位 :668 年 2 月 20 日〈天智天皇 7 年 1 月 3 日〉 - 672 年 1 月...

  • 最澄(1)

    最澄(さいちょう、 766 年〈天平神護 2 年〉もしくは 767 年〈神護景雲元年〉 - 822 年〈弘仁 13 年〉)は、平安時代初期の日本の仏教僧。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師(でんぎょうだいし)として広く知られる。近江国(現在の滋賀県)滋賀郡古市郷(現:大津市)も...

  • 壬申の乱(2)

    白村江の敗戦 天智天皇は即位以前の 663 年に、百済の復興を企図して朝鮮半島へ出兵し、新羅・唐連合軍と戦うことになったが、白村江の戦いでの大敗により百済復興戦争は大失敗に終わった。このため天智天皇は、国防施設を玄界灘や瀬戸内海の沿岸に築くとともに百済遺民を東国へ移住させ、都...

  • 不二一元論(シャンカラ)

    不二一元論(ふにいちげんろん、サンスクリット : अद्वैत वेदान्त 、 Advaita Vedānta 、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ、 Kevalādvaita )とは、インド哲学・ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派において、 8 世紀のシャンカラに始まるヴェーダン...

  • アステカ神話(1)

    アステカ神話(英 : Aztec mythology )は、アステカ時代の中央メキシコで伝えられた神話である。   アステカの中心都市であるテノチティトランの建設は 14 世紀、アステカ帝国の成立は 15 世紀であるが、メキシコ盆地ではそれよりはるか以前から文明が発達して...

  • 壬申の乱(1)

    壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年 6 月 24 日 - 7 月 23 日に起こった古代日本最大の内乱である。   天智天皇の太子・大友皇子( 1870 年(明治 3 年)に弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した。反乱...

  • シャンカラ

    初代シャンカラ(梵 : आदि शङ्कर , Ādi Śa ṅ kara 、 700 年頃 - 750 年頃)は、マラヤーリ人の 8 世紀に活躍した中世インドの思想家。不二一元論(アドヴァイタ)を提唱した。   概略 「神の御足の教師」として知られた彼は、アドヴ...

  • 【体操女子】宮田選手を応援

    女子体操の宮田選手が、オリンピックの前に「飲酒喫煙をしていたことが発覚した」ということが、まるで罪人であるかのような論調で実にケシカラン話である。   宮田は何も悪くない。 悪いのは他人の才能に嫉妬するマスゴミなどハイエナどもだ。 さらに言えば、このタイミングでの...

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