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2017/03/19

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  • シドモアが見た明治期の日本22 日光への旅

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。➀日本鉄道 日光鉄道p182今では日光まで鉄道がありますが[明治二三年開通]、宇都宮から最後の美しい日光街道二五マイル[四〇キロ]を人力車で行く旅も楽しく、木々に覆われたまっすぐな街道が鉢石や日光の村々を抜け、長く感ずることも退屈もしません。明治23年に開通した...

  • シドモアが見た明治期の日本21 東京近郊⓶

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。⑧池上本門寺p176ここ池上の地で、仏教宗派の開祖・日蓮が亡くなりました。六〇〇年間、この壮麗な寺院[本門寺]は日蓮上人に対する賛歌で谺し、僧侶は今でも厳格に教義を説きます。日蓮宗は日本最大の組織を持ち、最大の財力を有し、最も強い影響を及ぼしている積極的宗派...

  • シドモアが見た明治期の日本20 東京近郊➀

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。➀飛鳥山p174東京の近郊には、庶民の親しむ行楽地や華族の美しい別荘がいっぱいです。その北東、王子には政府の化学工場や製紙工場[王子製紙]があります。歌川広重『名所江戸百景』より「飛鳥山北の眺望」王子には飛鳥山があり、ここに渋沢栄一は邸宅をたてて住んだ。飛鳥...

  • シドモアが見た明治期の日本19 東京⑬

    50.皇居と離宮p163また一八七三年[明治六]の火事で焼け落ちるまで、旧将軍の居城・本丸は皇居として使用され、内部は京都二条城よりもはるかに壮麗だったと言われています。ともあれ、被災して引っ越しを余儀なくされ、手狭な赤坂台の紀州徳川家の屋敷[赤坂離宮]が一時的に天皇家の避難所となりました。赤坂離宮シドモアは手狭と書いているが、豪邸である。紀州徳川家の屋敷だったというが、こんなに立派だったのだ。p16...

  • シドモアが見た明治期の日本18 東京⑫

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。㊵団十郎p143今日の日本演劇界は、リアリズム派や自然派が主流で、ジェファーソン[米国の俳優]もコクラン[フランスの俳優]も同業者お団十郎以上に役になりきり、沈着かつ完璧な演技をすることは不可能です。「シドモア日本紀行」は1884(明治17)年から1902(明治35年)の...

  • シドモアが見た明治期の日本17 東京⑪

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。※p131~p138にかけて、能・歌舞伎・人形両瑠璃などについて述べられているが、それらの長い歴史を検証するのは大変骨が折れ、また私自身あまり鑑賞したことがないため、それらに対して語る資格がないと感じるwとりあえずこの部分は飛ばして、先に進むことにする。㊵...

  • シドモアが見た明治期の日本16 東京⓾

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。㉞蓮P115そのとき上野公園下の池[不忍池]は数エーカーにわたる青みがかった葉っぱのお皿を見せ、ピンクや白の星々をちりばめます。不忍池p116以前、この無数のブッダの花は、夏一番、最初の暖かな太陽光線を受けて開き、その瞬間城塞の模擬礼砲のように音が鳴り響きました...

  • シドモアが見た明治期の日本15 東京⑨

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。㉗梅屋敷の梅p106この梅屋敷[清香庵]は、かつて将軍[八代・徳川吉宗]のお気に入りの場所でした。p107行儀のよい参観者は、わが米国人、せっかちな田舎者がするようにひらひらする巻紙を不作法にまくったりはしません。奥ゆかしい老詩人たちは威厳に満ち、ひたすら花へ...

  • シドモアが見た明治期の日本14 東京⑧

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。 ※まちがいなどありましたら、教えていただけると嬉しいです。㉕草花信仰p104外国からいかなる悪しき干渉があろうとも、日本の首都における草花信仰は果てることはありません。日本の陰暦[旧暦]は花咲く椿、梅、桜、藤、蓮、菊、楓の時期を分けています。蜜柑と茶の花...

  • シドモアが見た明治期の日本13 東京⑦

    ※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。※まちがいなどありましたら、教えていただけると嬉しいです。㉑火事-2p97地元消防隊の掲げる旗印や隊旗は、外人の目にはびっくり仰天です。軍楽隊長の指揮棒が栄光を称え、巨大なクラブ、スペード、ハート、ダイヤモンド、球、三日月、星、あるいは謎の文字の旗が各救援...

  • シドモアが見た明治期の日本12 東京⑥ 一部閲覧注意(見せ物小屋)

    ⓲両国川開き(隅田川)p94川開きは壮大な夏祭りです。これは夜ごと開かれる水祭りの皮切りで、隅田川の土手には無数の茶屋が開店します。p95おしゃべり、爆笑、三味線の悲しい音色が、高まる歓声やどよめく騒音とともに大気に路、同時に花火が速射砲のごとく打ち上げられ、円球、噴水、滑車、渋木、噴流、彗星となって天食うに広がり、暗い夜空に火炎龍、のたうつ怪獣、虹、滝が光り輝きます。至るところで日本酒が氾濫して...

  • シドモアが見た明治期の日本11 東京5

    ⓮日本の記念行事p89日本人ほど祝祭日を作るのが好きな国民はおりません。一二ヶ月すべて祝祭日の機会を設け、さらに昔は三百六十五日、祭と記念行事が催されました。中国歴[陰暦]に載る重要な記念日の全てが尊重され、さらに君主の誕生日に代わって命日が尊重されました。伝統行事を思いつくまま書きだしてみよう。(他にも多数あると思うが)もともと伝統行事は旧暦または二十四節気の日付で行われていたもので、明治に新暦を...

  • シドモアが見た明治期の日本⓾ 東京4

    ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。⓬仲見世商店街雷門をくぐると仲見世商店街がある。明治末期の仲見世はこんな感じだった。上の写真向かって左上のほうに、現在存在していない建物が写っている。凌雲閣という建物である。浅草公園に1890年(明治23年)に建てられた12階建ての展望塔で、当事の日本で最も高い建築...

  • シドモアが見た明治期の日本⑤ 東京3

    歌川国利 上野不忍池競馬の図ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。❼不忍池p84台地は左側へ急傾斜し、裾のは大きな蓮池[不忍池]があり、真夏には花の水槽となります。弁天堂と小さな茶屋が中央の島にあり、桜並木のアーチがかかる池の周りは競馬コースになっています。不忍池には行ったことがないので、写真はPh...

  • シドモアが見た明治期の日本⑧ 東京2

    ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。❹サンジロウ  p81鉄道駅では、いつも人力車の一団が乗客をまっています。その中に、踵に翼をもった日本版マーキュリー[ローマ神話の神]、サンジロウ[三次郎?]がいて、サムライ時代の頭の剃上げ[月代]と銃の撃鉄[髷]を付けています。彼の電気には日本政府役人に従って...

  • シドモアが見た明治期の日本⑦ 東京1

    ❶馬車鉄道p75道路の大部分に、外国を手本にした月並の建物、縁石、緑陰が並んでいますが、その道を鉄道馬車[馬車鉄]がプープー音を響かせ、軽乗合馬車がガラガラ走るので、街の風景をかなり不調和にしています。明治中頃の旧新橋駅周辺純和風のものを好んだシドモアはお気に召さなかったようだが、現代人である私から見れば馬車鉄道の風家はかなり萌えるw馬車鉄道はレールに乗った客車を馬が引くものである。馬車鉄道手前に...

  • シドモアが見た明治期の日本⑥ 横浜5

    ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳 講談社学術文庫」よりの引用です。❶鎌倉 つづきp70明るい春の朝、男、女、子供らが海草を集め、砂浜に乾かすために収集物を広げ、乾燥後は米国のアイスランド苔と同じ美味な食べ物に変わります。https://blog.excite.co.jp/ICELANDia1/4488608/↑ この方のブログ記事によれば、アイスラン苔はお茶にしたり、...

  • シドモアが見た明治期の日本⑤ 横浜4

    ❶鎌倉の大仏p69ここは日本の観光でも数少ない得意な見せ場の一つなのに、配置場所が悪く適切な門もありません。日光の楼門や五重塔のように、長い並木道の先、大空に向かってシルエットを描くのであれば、偉大なるブッダ・大仏はもっと堂々と見えることだろう。シドモアはこのように書いているが、下のチャールズ・W・バートレットの木版画(1916年)は美しい。チャールズ・W・バートレットによる木版画(1916年)私は鎌倉へは...

  • シドモアが見た明治期の日本④ 横浜3

    ❶妙法寺 杉田梅林p59海や桜の林の中に古刹[妙法寺]があり、二月と四月の梅や桜の咲く時期、ここでも日本二代花の祭典が祝われます。p60梅の開花は春一番の前触れです。毎年決まって宮廷貴婦人、たくさんの皇族方、偉い役人が杉田梅林にやってきて、山手地区の下に咲く花のうねり、古刹門前のピンクや深紅の雲海に包まれた梅林を見物します。梅の死性器が過ぎると、杉田は全く無視されます。緑茂る絶壁を背景に湾の曲線部に...

  • シドモアが見た明治期の日本③ 横浜2

    ❶豊顕寺p56神奈川県海岸通り裏側には、半ば荒廃した古刹・豊顕寺[神奈川県三ツ沢西町]があり、まれに開かれる祭礼日には参拝者、浮かれ物、屋台で込み合います。調べてみるとこの寺にはローラー滑り台があったり、戦没者慰霊塔、多数の墓があり、白い服を着た女性の霊があらわれるなどといわれているらしいwいちおう、自分用メモとして。❷生麦事件横浜外国人墓地にあるリチャードソンの墓。近年、有志によって、マーシャルとク...

  • シドモアが見た明治期の日本2 横浜1

    ❶家船p28波止場の舟には四、五千人もの民衆が生活し、あちこちに艀を渡しながら生計を立て、警察の厳しい規則は秩序を保ち、かえって暮らしを安定させます。よその国にあるような波止場税はなく、たくさんのサンパン船の中で家族全員が辛抱強く暮らしています。サンパン船とは小型の舟のことを言っているようだ。そして横浜の港に舟で生活する人々がいたというのである。港の波止場に舟を停泊させてえおいても、税金がかからな...

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