前回の続きです。
前回の続きです。
前回の続きです。
京都の嵐電沿線で桜を観賞しました。 阪急で嵐山駅に行き、嵐電嵐山駅を目指します。 渡月橋の手前・中之島も満開の桜でいっぱいです。
桜 2025 六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ) 前編 (2025年4月4日)
前回の続きです。 東寺の北門を通り、六孫王神社にやって来ました。こちらの桜も満開でした。清和源氏の始祖・源経基(みなもとのつねもと)を祭神とすることで知られます。
前回の続きです。
前回の続きです。
前回の続きです。
前回の続きです。
桜の鑑賞で、東寺を訪れました。当ブログでは東寺は複数回取り上げていますが、ようやく桜の時期に訪れることが出来ました。
桜 2025 パーフェクトリバティ(PL)教団大平和記念塔 (2025年3月31日)
パーフェクトリバティ(PL)教団大平和記念塔の前に咲く、枝垂れ桜が満開になりました。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その11 鉄炮鍛治屋敷 井上関右衛門の謎に迫る ⑤ (2025年3月22日)
前回の続きです。 敷地内には道具蔵、俵蔵も存在しています。母屋だけではなく、こちらも堺市の有形文化財に指定されています。内部には入れません。 道具蔵
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その10 鉄炮鍛治屋敷 井上関右衛門の謎に迫る ④ (2025年3月22日)
前回の続きです。 一旦外に出て、西に行くと「鍛冶場」があります。昨年3月から公開されるに当たり、新しく再現されました。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その8 鉄炮鍛治屋敷 井上関右衛門の謎に迫る ③ (2025年3月22日)
前回の続きです。 みせの間から土間を隔てて南側が「座敷棟」です。生活の場でしたが、土間の上に廊下を延長させる仕組みがあり、土間に降りなくても行き来することが出来ました。第1回でお話しした鳥居の奥がこの部分にあたるため、大切な客人をもてなしていたことが推測されます。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その7 鉄炮鍛治屋敷 井上関右衛門の謎に迫る ② (2025年3月22日)
前回の続きです。 建物に入り、まず紹介映像を見ます。その部分の土間はかつて「仕上場(しあげば)」と呼ばれ、最終工程の組み立てや調整が行なわれていた場所でした。 その北側に「みせの間」があります。通りに面しており商談が行なわれていたスペースです。井上家は店売りよりも大名等からの注文生産が多かったようです。みせの間から仕上場が見通せることで、商談にも良い影響を与えていたのではないでしょうか。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その6 鉄炮鍛治屋敷 井上関右衛門の謎に迫る ① (2025年3月22日)
「井上関右衛門の謎に迫る」の時間になりました。こちらは鉄炮鍛治屋敷でのガイドツアーになります。1時間以上を費やした中身の濃いものでした。 井上関右衛門家とは、江戸時代の堺で活躍した鉄炮鍛冶の家系です。1人ではなく代々名前が引き継がれてきました。井上家は元々武士で、戦国時代から加藤家に仕えてきました。加藤家が米子に移封された頃、井上家では兄がそのまま加藤家に仕え、弟が鉄炮鍛冶になったとされています…
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その6 清学院 (2025年3月22日)
前回の続きです。 「火縄銃の解説」から次に予約していた「井上関右衛門(鉄炮鍛冶 同建物の所有者)の謎に迫る」まで1時間程度の空き時間がありました。この時間を利用して、近隣の(裏同士が繋がっています)清学院(こちらも堺市立町家歴史館で、登録有形文化財です。)を訪れることにしました。 2020年の「堺で謎解き」で訪れています。(下記)その際、鉄炮鍛治屋敷はまだ非公開でした。 http://www.cfhtrfphiro.n…
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その5 鉄炮鍛治屋敷 火縄銃の解説 (2025年3月22日)
鉄炮鍛治屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)に到着しました。保存修理を行ない、昨年3月から公開活用されるようになった比較的新しい施設です。江戸時代の鉄炮鍛冶の作業所兼住居として、貴重なものであり、堺市の有形文化財に指定されています。鉄炮の炮の字は江戸時代の古文書の字を敢えて採用しています。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その4 本願寺堺別院 後編 (2025年3月22日)
前回の続きです。 本堂向って右奥にある蓮如堂 写真は拝殿で、ガラスの向こうに見える建物が蓮如堂です。蓮如上人の分骨を収め、門徒の遺骨を納骨しています。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その3 本願寺堺別院 中編 (2025年3月22日)
前回の続きです。 経蔵 内部拝観も可能でした。写真はありません。 御成門 この写真は外からです。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その2 本願寺堺別院 前編 (2025年3月22日)
前回の続きです。 阪堺電車で移動し、本願寺堺別院に到着しました。今回は本堂、経蔵内部が公開されました。 明治時代に堺県庁舎として10年間使用されたという歴史を持っています。和泉県、河内県、5年後に大和県も合併し、一時大きな県となりました。
紐解けば堺2025 堺の謎に迫る その1 立礼(りゅうれい)茶席 (2025年3月22日)
「紐とけば堺」昨年は参加しなかったので、2年ぶりです。今年のテーマは「堺の謎に迫る」です。今年は天気に恵まれ、暑いくらいでした。事前に予約を多数入れていたので忙しい1日になりました。 始めは利晶の杜で、黄金の茶碗でのお抹茶体験(立礼茶席)です。
鹿苑寺(ろくおんじ 金閣寺) 方丈 後編 (2025年3月11日)
前回の続きです。 舎利殿を過ぎると、階段を上がっていきます。 フォトスポットより 右手に舎利殿の上層が見えます。 夕佳亭(せっ…
鹿苑寺(ろくおんじ 金閣寺) 方丈 中編 (2025年3月11日)
前回の続きです。 方丈を退出し、通常拝観入口に並びます。100メートルくらいの列になっていましたが、10分位で入場することが出来ました。 鹿苑寺の象徴 舎利殿(金閣)
鹿苑寺(ろくおんじ 金閣寺) 方丈 前編 (2025年3月11日)
前回の続きです。 バスで数分の距離、鹿苑寺(金閣寺)を訪れました。龍安寺より更にすごい観光客です。(バス停の誘導の人に聞くと普段より少ないとのことでした。)
前回の続きです。 今回の特別公開・茶室「蔵六庵」(ぞうろくあん)に向います。 蔵六庵に向う路地に「知足の蹲踞」(ちそくのつくばい)があります。こちらは本物です。ただし、 http://www.cfhtrfphiro.net/article/510451782.html で掲載したレプリカと全く同じで見分けが付きません。
先月訪れた龍安寺ですが、公開される文化財が変更され再度訪れました。寒さはやわらいだものの、一日中、しとしとと雨が降る日でした。しかし、元気な団体のインバウンド観光客が訪れていました。(傘を差さない人が多いです。)
近隣の錦織公園で梅が咲き始めました。この公園はアップダウンがあり、立体的な構成が楽しめます。
前回の続きです。 標記の催しが寺内町センターで開催されています。初めて知ることが多く勉強になりました。
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その8 (2025年2月26日)
昨年12月に開催されたウォークラリーで商品券が当選しましたが、寒い日が続き訪れる機会がなかなかありませんでした。商品券の使用は3月2日までなので、ギリギリ間に合いました。 商品券当選の記事は http://www.cfhtrfphiro.net/article/508515147.html をご覧下さい。 雛人形が飾られています。
慈照寺(銀閣寺) 本堂・弄清亭(ろうせいてい) その5 (2025年2月18日)
前回の続きです。 2つの部屋の拝観が終わり、本堂前の廊下でボランティアの方から、東求堂(とうぐどう)と観音殿(銀閣)及び方丈前庭園の説明を受けます。この位置からは2つの建物がよく見えます。 東求堂
慈照寺(銀閣寺) 本堂・弄清亭(ろうせいてい) その4 (2025年2月18日)
前回の続きです。 特別拝観の時間が近づいてきました。本堂に向います。30名足らずの人員を更に分け、10名足らずの班になり、行動します。(内部が狭いため)建物の中に入ると写真撮影は出来ません。 本堂
慈照寺(銀閣寺) 本堂・弄清亭(ろうせいてい) その3 (2025年2月18日)
前回の続きです。 展望台より 京都の市街地も見渡せます。左奥の銀閣が屋根一面(北側)だけ雪に覆われています。右には本堂と東求堂が見えます。 <…
慈照寺(銀閣寺) 本堂・弄清亭(ろうせいてい) その2 (2025年2月18日)
前回の続きです。 方丈(本堂)前から池泉回遊式庭園を望む。手前が銀沙灘(ぎんしゃだん)白砂を男系に盛り上げ、平面に波紋を表現しています。奥の池が錦鏡池(きんきょうち)。右奥に向月台が見えます。
慈照寺(銀閣寺) 本堂・弄清亭(ろうせいてい) その1 (2025年2月18日)
先週と全く同じセリフで「まだまだ寒い日が続きますが」京都の特別拝観です。今回は慈照寺(一般的には銀閣寺として世界的に有名です。)を訪れました。特別拝観場所がかなり狭いため、予約優先で、当日、飛び込みでは特別拝観場所に入ることが難しかった様子です。 京阪電車で終点出町柳駅まで行き、バスで慈照寺を目指します。 琵琶湖疎水の西岸に沿う「哲学の道」を歩いて行きます。京都帝国大学で哲学を研究した西田幾多郎…
前回の続きです。 五重塔に向います。経蔵から直接行ったため、木の中から五重塔が現われました。 途中の九所明神 本殿・左殿・右殿の3殿か…
前回の続きです。 もう一ヶ所、拝観出来そうだったので龍安寺の隣(? 徒歩で15分)の仁和寺を目指します。 きぬかけの路を歩いて行きます。
前回の続きです。 方丈まで帰ってきました。 方丈前石庭 「虎の児渡しの庭」「七五三の庭」の別名があります。全部で15個の石が配置されていますが、どこから眺めても必ずどこかの1つの石は見えないようになっています。
前回の続きです。 特別拝観場所の仏殿と奥が昭堂 2つの建物は内部で繋がっています。この写真は西の庭から撮影したものです。 仏殿内部は写…
前回の続きです。 方丈に入場しました。こちらの前庭が前回お話しした石庭ですが、こちらは次々回の記事になります。 現在、方丈内には元総理大臣の細川護煕氏(創建の細川勝元の遠い子孫)が3年がかりで描いた「雲龍図」襖絵が填まっています。2年前に奉納されたばかりですが、こちらも今後、通常は非公開になるようです。幼い生まれたての状態から老いた姿になるまで9頭の龍が描かれています。 第1の龍
地蔵院の後、何処を訪れるか、当日まで迷っていました。場所が近い特別拝観場所が多かったからです。結局、龍安寺を撰びました。同寺は特別拝観期間の最後の2週間は、公開される文化財が変更されるため、現在の文化財が公開されているうちに訪問した方が良いと判断したからです。 バスに15分ほど乗り、龍安寺に到着しました。同寺は徳大寺家の別荘を細川勝元(室町幕府菅領)が譲り受けて創建しました。「虎の児渡しの庭」と…
前回の続きです。 同寺の通称の由来となった「五色八重散椿」 豊臣秀吉が北野大茶会の縁で献木したもの。通常の椿とは違い、色とりどりに咲き分け、花びらが一片一片散ります。また、3月下旬頃から咲き始めるとのことで現在は咲いていません。
まだまだ寒い日が続きますが京都の特別拝観に行ってきました。最初に訪れたのは地蔵院(椿寺)、場所は北野白梅町の交差点から南東に徒歩数分です。 山門
京都の特別拝観が引き続き開催されていますが、厳しい寒さに外出を躊躇しています。 本日昼過ぎ、雪が激しく降りあっという間に積もりました。管理人の自宅で日中積もることは滅多にありません。 日本放浪記 自宅 雪
東本願寺 宮御殿・桜下亭(みやごてん・おうかてい) 後編 (2025年1月21日)
前回の続きです。 宮御殿は大宮御所(皇太后・太皇太后の御所)の一部を現在地に建設したものです。こちらは写真撮影可でした。 池泉式庭園 御影堂を山に見立てて借景にしています。防火用の石垣に盛り土して傾斜を付けています。
東本願寺 宮御殿・桜下亭(みやごてん・おうかてい) 前編 (2025年1月21日)
前回の続きです。 JRで京都駅に行き、東本願寺を目指します。今回は御影堂より東の部分の通常は立ち入れない場所のうち、宮御殿と桜下亭が今回公開されました。 2年前、大寝殿と白書院が公開されたときの記事は http://www.cfhtrfphiro.net/article/498383744.html をご覧下さい。 御影堂門近景
天龍寺 祥雲閣・甘雨亭(しょううんかく・かんうてい) 後編 (2025年1月21日)
前回の続きです。 祥雲閣・甘雨亭とも内部の写真は禁止ですが、室内から外の写真は撮影してもかまいません。 多宝殿への渡り廊下の間は露地庭園になっており、川が流れ蹲踞(つくばい)があります。 甘雨亭から
天龍寺 祥雲閣・甘雨亭(しょううんかく・かんうてい) 中後編 (2025年1月21日)
前回の続きです。 予約時間が近くなったので、書院の奥、多宝殿に至る廊下の向って右にある特別拝観の祥雲閣・甘雨亭に向います。両方茶室です。 内部は写真撮影禁止なので、事前に外観の写真を撮影しましたが、木が生い茂っているため、見えずらい状態になっています。 祥雲閣
天龍寺 祥雲閣・甘雨亭(しょううんかく・かんうてい) 中前編 (2025年1月21日)
前回の続きです。 引き続き庭園を巡っています。
天龍寺 祥雲閣・甘雨亭(しょううんかく・かんうてい) 前編 (2025年1月21日)
前週に引き続き、「京都特別拝観」です。今回は天龍寺、東本願寺という規模の大きな寺院を訪れました。管理人はまず事前予約をして、天龍寺を訪れました。今回は祥雲閣と甘雨亭という茶室が初公開されました。 阪急嵐山駅から渡月橋を渡ります。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その51 清水寺 随求堂(ずいぐどう) 後編 (2025年1月14日)
前回の続きです。 轟門を潜ると本堂です。 本堂から見た音羽の滝
先達 西国三十三観音巡礼旅 その50 清水寺 随求堂(ずいぐどう) 前編 (2025年1月14日)
前回の続きです。 坂を上り、清水寺に到着しました。相変わらずの観光客数です。 今回、塔頭寺院・慈心院の本堂である随求堂(ずいぐどう)が…
西福寺(さいふくじ)・日體寺(にったいじ) (2025年1月14日)
前回の続きです。 清水寺に向う途中です。平安時代から葬送の地とされていた鳥辺野(とりべの)への入口にあたる「六道の辻」に西福寺があります。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その49 頂法寺(六角堂) 後編 (2025年1月14日)
前回の続きです。 隣接する頂法寺会館の8階に売店があり、巳の花器を購入しました。 3階の「いけばな資料館」に向います。 資料館の室内は…
先達 西国三十三観音巡礼旅 その48 頂法寺(六角堂) 前編 (2025年1月14日)
今年も恒例の「京都特別拝観」が開催されています。今年のお題は「世界遺産登録30周年」と「洛陽三十三所観音霊場再興20周年」です。洛陽三十三所観音霊場は、西国霊場が広域で廻りづらいという考えから平安時代に定められ、江戸時代に隆盛しましたが、(当時は徒歩のみなので当然の考えでしょう。)その後、衰退し近年再興されました。札所はすべて京都市内です。 今回の公開場所で西国三十三ヶ所霊場の「頂法寺(六角堂)…
先達 西国三十三観音巡礼旅 その47 園城寺(三井寺) 後編 (2025年1月7日)
前回の続きです。 本堂である金堂 金堂で「光る君へ」記念展が開催されていました。紫式部の父・藤原為時は同寺で出家しています。源…
先達 西国三十三観音巡礼旅 その46 園城寺(三井寺) 中編 (2025年1月7日)
前回の続きです。 前回お話しした勧学院にやって来ましたが、内部には入れません。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その45 園城寺(三井寺) 前編 (2025年1月7日)
前回の続きです。 路面電車に乗り15分程度で三井寺駅に到着しました。徒歩で園城寺を目指します。 過去は先に本堂、中をめぐり、最後に観音堂というルートでしたが、今回は観音堂から先に訪問することにしました。お寺の受付は2ヶ所あります。 観音堂 西国三十三ヶ所霊場の御朱印はこちらで頂きます。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その44 石山寺 後編 (2025年1月7日)
前回の続きです。 寺の名前の由来となった桂灰石 上部に多宝塔が見えます。 本堂 特別に内陣に入ることが出来ました。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その43 石山寺 中編 (2025年1月7日)
前回の続きです。 左 紫式部 右 紫式部が使えた藤原彰子(一条天皇中宮 演・見上愛) ドラマで使用された扇子 藤原道長が紫式部に褒美と…
先達 西国三十三観音巡礼旅 その42 石山寺 前編 (2025年1月7日)
昨年の大河ドラマ「光る君へ」に関連して、石山寺、園城寺(三井寺)で特別展が開催されています。もっと早く訪れるつもりでしたが、終了ギリギリの訪問となりました。 今回は公共交通機関を利用して訪れました。JRで石山駅下車、バスで石山寺山門前バス停から石山寺を目指します。 いつもは車だったので、違う方向からの景色です、奥に山門が見えます。
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その7 (2024年12月6日)
前回の続きです。 佐藤家住宅
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その6 (2024年12月6日)
前回の続きです。 奥谷家住宅 前々回の記事で岩永橋の由来をお話ししました。
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その5 (2024年12月6日)
前回の続きです。 昼食の時間になりました。「バンリノハルビアホール」を訪れました。 1983年に廃業した「万里春」で知られた酒…
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その4 (2024年12月6日)
前回の続きです。 杉田家住宅
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その3 (2024年12月6日)
前回の続きです。 じないまち展望広場 展望広場と富栄戎神社との間が、山中田(やまちゅうだ)坂です。
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その2 (2024年12月6日)
前回の続きです。 旧杉山家住宅 寺内町開発に関わった八人衆の一人といわれ、歌人石上露子の生家です。また、現在再放送中の「カムカムエヴリバディ」の雉真家の外観としてロケが行なわれました。
寺内町 歴史探偵ウォークラリー その1 (2024年12月6日)
皆さんあけましておめでとうございます。 寺内町で昨年1月に開催された歴史探偵ウォークラリーが、新たに昨年秋~年末にかけて開催されました。 番号といろはが振られた場所に行き、観察するだけでなく、今回は設問が難しくなっており、当日一旦持ち帰って、ホームページで調べ物を行ない、後日最終的に提出することが出来ました。
前回の続きです。 2階の与謝野晶子エリアにやって来ました。 晶子の生家和菓子商の「駿河屋」の復元
前回の続きです。 その後、さかい利晶の杜を訪れました。「千利休」と「与謝野晶子」という堺出身の歴史上の偉人を中心にして、堺の歴史と文化の展示、イベントが開催されています。管理人は何度も訪れていますが、今回初めて有料展示区域を訪れました。
前回の続きです。 徒歩で宿院頓宮を訪問しました。 白夜の兎
関口神社(あぐちじんじゃ 通称大寺さん) (2024年12月24日)
最近寒いため、出掛ける機会が少なくなっていましたが、堺を久々に周遊しました。 一昨年3月の「春期堺文化財特別公開」と訪問する場所がかぶります。その記事は http://www.cfhtrfphiro.net/article/486190053.html をご覧下さい。 開口神社は西側が商店街に面していますが、そちら側の鳥居から入場しました。イルミネーションのような四角の枠は何のためのものか分りませんでした。
前回の続きです。 革堂行願寺に隣接して、下御霊神社があります。今まで気になっていたのですが、今回初めて訪問しました。 なお、今年の1月…
先達 西国三十三観音巡礼旅 その41 行願寺(革堂) (2024年12月3日)
前回の続きです。 京阪電車で神宮丸太町駅まで行き、革堂行願寺を訪れました。 本堂
先達 西国三十三観音巡礼旅 その40 六波羅蜜寺 後編 (2024年12月3日)
前回の続きです。 令和館への入場券購入の列が少なくなってきたので、券を購入して向います。本堂の前を通過し、裏手にあります。 教科書にも…
先達 西国三十三観音巡礼旅 その39 六波羅蜜寺 前編 (2024年12月3日)
空也上人により創建された六波羅蜜寺で、12年に一度の御本尊「十一面観音立像」を一般公開しています。京阪電車で清水五条駅下車、10分程度で到着しました。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その38 施福寺 後編 (2024年11月25日)
前回の続きです。 本堂から見た紅葉
先達 西国三十三観音巡礼旅 その37 施福寺 中後編 (2024年11月25日)
前回の続きです。 本堂正面 今回も本堂内部写真撮影可でした。 御本尊 弥勒菩薩坐像
先達 西国三十三観音巡礼旅 その36 施福寺 中前編 (2024年11月25日)
前回の続きです。 上りの途中にて
先達 西国三十三観音巡礼旅 その35 施福寺 前編 (2024年11月25日)
先達としての西国三十三観音巡礼、四番札所・施福寺を訪れました。約2年ぶりの訪問です。そして、昨年夏の「先週横山谷大師めぐり」も施福寺を訪れたことで完結しました。西国三十三ヶ所霊場最大の難所と呼ばれる施福寺は、駐車場から30分~40分の坂道と階段を上る徒歩のみが交通手段です。今回は紅葉シーズンで美しい写真が撮れました。 駐車場脇のイチョウ
前回の続きです。 曇華院門跡は5月に特別公開を実施していた鹿王院の隣です。今回も立ち寄りました。 5月の記事は http://www.cfhtrfphiro.net/article/503649470.html をご覧下さい。 今回は5月の公開時と寺宝が変更されています。 山門
曇華院門跡(どんけいんもんぜき) (2024年11月19日)
嵐山から嵐電に乗車し、鹿王院駅下車、曇華院門跡(どんけいんもんぜき)にやって来ました。今まで内部が公開されたことはなく、史上初公開となります。 同寺は臨済宗系の尼寺で、御本尊は十一面観音です。源氏物語関連の寺宝を多数有しているため、今回、大河ドラマ効果で初公開になったものと推測されます。 山門から本堂が見えます。
前回の続きです。 本堂を出て、毘沙門堂に向います。 毘沙門天立像 腰のねじりや動的表現が特徴的です。
前回の続きです。天龍寺の法堂を左手に見て、弘源寺に到着しました。 山門 参道
前回の続きです。 引き続き獅子吼の庭を巡っています。
前回の続きです。 引き続き獅子吼の庭を巡っています。
渡月橋を渡り、紅葉で有名な宝厳院を訪れました。管理人は初めての訪問です。同じ天龍寺塔頭寺院の弘源寺との共通拝観券を購入しました。本堂の襖絵や茶室「無畏庵」でのお茶も別料金で楽しむことが出来ましたが、今回は見送り、「獅子吼の庭(ししくのにわ)」と呼ばれる有名な庭園を拝観しました。 山門
京都の特別公開を主目的に、嵐山を訪れました。急に寒くなりましたが、相変わらず凄い人出です。全体的に紅葉は色づきはじめという感じでした。 阪急嵐山駅を下車、渡月橋を通って、まず紅葉で有名な天龍寺の塔頭寺院を目指します。こちらは特別公開寺院ではありません。
先達 西国三十三観音巡礼旅 その34 元慶寺 後編 (2024年11月5日)
前回の続きです。 表の看板の「花山法皇図」 本堂
先達 西国三十三観音巡礼旅 その33 元慶寺 前編 (2024年11月5日)
前回の続きです。 昼食後、西国三十三ヶ所霊場特別番外時の元慶寺を目指します。今回、本堂内部が初めて特別公開されました。今までは地下鉄御陵(みささぎ)駅から20分程度、歩いて訪問していましたが、京阪バスで「北花山」バス停からだと3分程度でした。ただし、バスは1時間1本程度です。 昨年10月に訪問した際の記事は http://www.cfhtrfphiro.net/article/501330946.html をご覧下さい。 同寺は西国三十三観音巡…
前回の続きです。 今回は貴重な寺宝が公開されました。 釈迦三尊像 江戸時代の幕府御用絵師・狩野岑信(かのうみねのぶ)の作です。
京都古文化保存協会主催の特別公開が開始しています。場所によっては1週間程度しか開催しないので、公開が珍しい場所は注意する必要があります。今回は山科区の寺院を訪れました。 まず、阿弥陀寺です。JR山科駅から10分程度に位置する同寺は、内部史上初公開です。奈良時代の僧・行基の開祖で、山科では最も古い歴史をもつ寺院です。 山門
前回の続きです。
何回か記事にした和泉リサイクル環境公園のコスモスが綺麗に咲いています。
前回の続きです。 書院は後水尾ご側室の御殿と言われ、内部の写真撮影は禁止です。なお、2018年の台風で被害を受けましたが、昨年修復工事が終わったとのことです。 書院外観
前回の続きです。 宸殿の廊下から見た本堂 宸殿前庭
前回の続きです。 宸殿の一番右端、謁見の間は特別に写真撮影可能でした。 三の間方向から上段の間を見上げます。 三の間の障壁画
熊野神社から、北東方向に数分、聖護院門跡に到着しました。本寺院は左京区南部の地名となり、周辺には和菓子の聖護院八つ橋の店舗や、大根・かぶに聖護院の名前が付けられています。
秋の京都特別拝観で、聖護院門跡を訪れました。午前中に用事があったので、昼過ぎの到着になりました。 京阪電車の神宮丸太町駅から東に歩き、丸太町通りと東大路通りの交差点に熊野神社があります。かつては聖護院門跡の鎮守社でした。京都には三熊野と呼ばれる神社があり、当社は熊野速玉大社に対応しています。
前回の続きです。 茶室 涵虚亭(かんきょてい)
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前回の続きです。
前回の続きです。
京都の嵐電沿線で桜を観賞しました。 阪急で嵐山駅に行き、嵐電嵐山駅を目指します。 渡月橋の手前・中之島も満開の桜でいっぱいです。
前回の続きです。 東寺の北門を通り、六孫王神社にやって来ました。こちらの桜も満開でした。清和源氏の始祖・源経基(みなもとのつねもと)を祭神とすることで知られます。
前回の続きです。
前回の続きです。
前回の続きです。
前回の続きです。
桜の鑑賞で、東寺を訪れました。当ブログでは東寺は複数回取り上げていますが、ようやく桜の時期に訪れることが出来ました。
パーフェクトリバティ(PL)教団大平和記念塔の前に咲く、枝垂れ桜が満開になりました。
前回の続きです。 敷地内には道具蔵、俵蔵も存在しています。母屋だけではなく、こちらも堺市の有形文化財に指定されています。内部には入れません。 道具蔵
前回の続きです。 一旦外に出て、西に行くと「鍛冶場」があります。昨年3月から公開されるに当たり、新しく再現されました。
前回の続きです。 みせの間から土間を隔てて南側が「座敷棟」です。生活の場でしたが、土間の上に廊下を延長させる仕組みがあり、土間に降りなくても行き来することが出来ました。第1回でお話しした鳥居の奥がこの部分にあたるため、大切な客人をもてなしていたことが推測されます。
前回の続きです。 建物に入り、まず紹介映像を見ます。その部分の土間はかつて「仕上場(しあげば)」と呼ばれ、最終工程の組み立てや調整が行なわれていた場所でした。 その北側に「みせの間」があります。通りに面しており商談が行なわれていたスペースです。井上家は店売りよりも大名等からの注文生産が多かったようです。みせの間から仕上場が見通せることで、商談にも良い影響を与えていたのではないでしょうか。
「井上関右衛門の謎に迫る」の時間になりました。こちらは鉄炮鍛治屋敷でのガイドツアーになります。1時間以上を費やした中身の濃いものでした。 井上関右衛門家とは、江戸時代の堺で活躍した鉄炮鍛冶の家系です。1人ではなく代々名前が引き継がれてきました。井上家は元々武士で、戦国時代から加藤家に仕えてきました。加藤家が米子に移封された頃、井上家では兄がそのまま加藤家に仕え、弟が鉄炮鍛冶になったとされています…
前回の続きです。 「火縄銃の解説」から次に予約していた「井上関右衛門(鉄炮鍛冶 同建物の所有者)の謎に迫る」まで1時間程度の空き時間がありました。この時間を利用して、近隣の(裏同士が繋がっています)清学院(こちらも堺市立町家歴史館で、登録有形文化財です。)を訪れることにしました。 2020年の「堺で謎解き」で訪れています。(下記)その際、鉄炮鍛治屋敷はまだ非公開でした。 http://www.cfhtrfphiro.n…
鉄炮鍛治屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)に到着しました。保存修理を行ない、昨年3月から公開活用されるようになった比較的新しい施設です。江戸時代の鉄炮鍛冶の作業所兼住居として、貴重なものであり、堺市の有形文化財に指定されています。鉄炮の炮の字は江戸時代の古文書の字を敢えて採用しています。
前回の続きです。 本堂向って右奥にある蓮如堂 写真は拝殿で、ガラスの向こうに見える建物が蓮如堂です。蓮如上人の分骨を収め、門徒の遺骨を納骨しています。
前回の続きです。 経蔵 内部拝観も可能でした。写真はありません。 御成門 この写真は外からです。
金峯山寺に近づいてきました。 桜の隙間から金峯山寺蔵王堂が微かに見えます。 この場所は金峯山寺聚法殿(旧吉野山ビジター…
少し歩いた場所に東南院があります。こちらも大峯山寺の護持院の1つです。御本尊は役行者で、金峯山寺の東南に建てられていることから、その名前になったと伝わります。 多宝塔は昭和になって、和歌山県の神社から移築されてきたものです。
少し歩いた場所に喜蔵院があります。こちらも大峯山寺の護持院の1つです。
吉野には世界遺産・金峯山寺蔵王堂(きんぷせんじざおうどう)以外も多数の寺社仏閣があります。また、「寺宝めぐり」を開催中で、各寺院が通常は見ることが出来ない寺宝を公開していましたが、万一集合時間に遅れる危険を考え、建物内の入場は断念しました。 竹林院を出て、直ぐ向い側に櫻本坊(さくらもとぼう)があります。こちらも大峯山寺の護持院の1つです。
前回の続きです。 引き続き群芳園を巡っています。
前回の続きです。 群芳園を巡っています。
桜の鑑賞を主目的として吉野を訪れました。この数年に比較して開花が遅いため心配しましたが、まずまず桜は楽しめました。山の下の方の、中千本・下千本は満開とはいきませんでしたが、それなりに咲いていました。 阪急トラベルを利用し、大阪阿部野橋駅から特急で吉野駅に到着。路線バスを利用し、吉野山中千本停留所まで行き、100段の階段を上って、昼食場所である竹林院に到着しました。 竹林院は大峯山寺の護持院の1つ…
前回の続きです。 車での帰途、紀の川市の「道の駅青洲の里」に立ち寄りました。江戸時代に世界で初めて全身麻酔を用いた手術を成功させた華岡青洲を記念しています。 川沿いに桜が植えられ、ライトアップもされるようですが、まだ開花している桜が少なかったです。
前回の続きです。 帰り際、左手に桜が咲いていました。おそらく塔頭寺院の一つだと思いますが、中に入ることが出来なかったので、近くからの写真は撮影できませんでした。
前回の続きです。 今回も桜がメインになります。 千手堂前の桜は特に美しかったです。
前回の続きです。 本堂の裏手に粉川産土神社があります。管理人は初めて訪れました。粉河寺の元鎮守社ですが、神仏分離で独立しました。 本堂 …
前回の続きです。 今回は桜がメインになります。
前回の続きです。 その後、紀の川市の粉河寺を訪れました。管理人は本堂前の石組庭園の印象が強く、桜の樹が少ないという印象でしたが、紀三井寺より多くの桜が咲いていました。 大門
前回の続きです。 下りは結縁坂を歩いて降りることにしました。途中に桜が見えます。 身代わり大師
前回の続きです。 三社権現に向う鳥居が新たに建てられています。その前面の桜が咲いていました。
先達としての西国三十三観音巡礼旅ですが、和歌山県の札所を訪れました。今年は桜の開花が例年より遅く、満開とはいきませんでしたが、桜の鑑賞も少し出来ました。 楼門
前回の続きです。 表題の日付は違いますが、当日は2019年4月6日、快晴でした。人込みと屋台で超カオス状態でした。 魁桜
前回の続きです。 こちらが魁桜、京都で一番早く咲く桜と言われます。(河津桜等をのぞいて)
バスに10分程度乗り、京都市北区平野神社にやって来ました。 西大路通りに面している西の鳥居 北野天満宮の北西方向にあります。この神社の…
前回の続きです。 本殿、拝所と安倍晴明像 御神木