詩43篇3節「あなたの光とまことを遣わしてください。それらは私を導き聖なる山、あなたの住まいに伴ってくれるでしょう」聖書協会共同訳本詩は42篇に続く内容的同一のものとされている。小見出しはなく、呼び掛けが「神よ」(エろヒーム)と同じであり、42~49篇を「コラ詩篇」とされ、詠唱者(管理者)を担当した。1節「神よ、私を裁き私のために争ってください。神に忠実ではない国民から、欺きと不正の者から私を救い出してください」。直訳「また争い給え(ヴエリヴア-)、わが訴えを(リヴイ―)」2節「あなたこそ、わが砦なる神。なぜ私を拒まれたのですか。なぜ私は敵の虐げの中を嘆きながら歩むのですか。直訳「なぜ私を見放されたのか(ゼナふターニ)岩波訳「なにゆえ私を突き放したのですか」。3節「あなたの光とまことを遣わしてください。それらは...あなたの光とまことを遣わしてください。
詩42篇5節「私は祭りに集う人の群れと共に進み、喜びと感謝の声の中、彼らを神の家へと導いた。それを思い起こして、私の魂を注ぎ出す。」聖書協会共同訳1節「指揮者によって、マスキール、コラ」の子の詩。43篇に表題がないことと、6節、12節と、43篇5節に同じ繰り返しがあるところから、この二つは連続した詩と見なされる。2節「鹿が谷川で水をあえぎ求めるように神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める」かつてはエルサレム巡礼の行列を導いた音楽を奏でる者であったが(43篇4節)、今は捕囚により、エルサレムと神殿から追放され、異教徒に苦しめられ激しい嘆きの中にある。干上がった川床で鹿が水を求めて喘ぐように、私の魂はあなたを慕い喘いでいるという。3節「神に、生ける神に私の魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰げるのか」。エルサレムの神...私は喜びと感謝の声の中、彼らを神の家へと導いた。
詩41篇4節「主は彼が病の床にあっても支えても支えてくださる。その人が病気の時あなたはその床を新たにしてくださる」聖書協会共同訳1節指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。この小見出しは40篇と同じである。文頭に「幸いなるかな」(アシュレー)が来る。それは「弱い者を思いやる人は。災いの日に、主はその人を救い出してくださる(2節)。原文「弱い者」(ダる)は3~4節に言及している弱く貧しい者である。聖書は一貫して主なる神への信頼と、同胞への愛の働きかけを連動して説く。つまり愛の業のなかで神の聖意が働くのである。箴言14章31節、マタイ福音書25章31~36節を参照したい。「主が守り、生かし彼はその地で幸いな人と呼ばれる。その人を敵の思いのままにさせないでください」と。「主は彼が病の床にあっても支えてくださる。その人が病気...主は彼が病の床にあっても支えてくださる
詩40篇7節「生け贄の供え物も、あなたは喜ばれず私の耳を開いて下さった。焼き尽くすいけにえも、清めのいけにえも、あなたは求められなかった」聖書協会共同訳1節指揮者によって。賛歌。2節「私は耐えて主に望みを置いた。すると主は私に向って身を乗り出し私の叫びを聞いてくださった」神への嘆願。2~12節は破滅から救われた感謝。後半13~17節は敵の攻撃より神の救助を求める祈りである。「身を乗り出し~」は意訳で「望みに(カヴオー)」「私は待ち望んだ(キヴイーティ)」。3節「主は私を滅びの穴,泥沼から引き上げて、私の足を岩の上に立たせ歩みを確かなものとし」。私の口に新しい歌を我らの神への賛美を授けてくださった。多くの人はこれを畏れ,主に信頼する(4節)。5節「幸いな者主を頼みとする人、ラハブにも、偽りの神に迷う者にも顔を向け...私の耳を開いて下さった
詩39篇主よ、私の祈りをお聞きください13節「主よ、私の祈りをお聞きください。私の叫びに耳を傾けてください」聖書協会共同訳1節指揮者によって。エドトンの詩、賛歌。ダビデの詩。2節私は言った。『舌で罪を犯さないように。わたしの道を守ろう。悪しき者がわたしの前にいるうちは、口に轡をはめておこう』と。神への嘆願。38篇と同じ重い皮膚病を担っているかに思われる。何故口に轡をはめておくのか。それは悩ませている苦難のゆえに人生の空しさつぶやき「神に逆らう者」(口語訳=愚かな者)からのそしりを受けることがないためである。岩波訳「不法者の冒涜と曲解をうけさせぬように言葉を慎む」。ここでは悪意を抱いている者で9~⒑節で繰り返されている。3節「私は黙り込み、口を閉ざし善いことついても沈黙した。だが、わが私の苦痛は募り」。私の内で心...主よ、私の祈りをお聞きください
詩38篇10節「わが主よ、私の望みはすべてあなたの前にあります」聖書協会共同訳1節賛歌、ダビデの詩。記念のために。2節「主よ、怒って私を責めず、憤って私を懲らしめないでください」見出しの「記念」とは素祭(レビ記2章1節)の中で火祭として献げる感謝を表している。本詩は七つの悔い改め(6,32、38,51,102.130,143各編)の一つ。先ず神の怒りから解放されることを嘆願する。わたしは「矢で射抜かれ、押さえつけられた獲物」のようだと訴えている(3節)。あなたの矢がわたしの中に突き刺さったという。痛みが全身に走るのである。矢を射られた獲物が暴れて逃げる有り様を想定している。4節「あなたの憤りのために私の肉体は健やかなところはなく私の罪のために骨に安らぎはありません」。「私の過ちは頭を越えるほどにもなり、罪が耐え...私の望みはすべてあなたの前に
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