久伊豆神社ひさいずじんじゃ埼玉県越谷市越谷祭神:大国主命・言代主命配祀:高照姫尊・溝咋姫命・天穂日命 創建の詳細は不明。平安中期以降、勢力を伸ばしていた武蔵七党の私市党の崇敬を集めていた。鷹狩を好む徳川家康はたびたび越谷を訪れており、そのため鷹狩の時の宿泊のため越谷御殿を建てた。越谷増林の林泉寺には家康が馬をつないだとされる駒止めの槙の木や権現井戸跡などが残されている。そのため徳川家の崇敬も...
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久伊豆神社ひさいずじんじゃ埼玉県越谷市越谷祭神:大国主命・言代主命配祀:高照姫尊・溝咋姫命・天穂日命 創建の詳細は不明。平安中期以降、勢力を伸ばしていた武蔵七党の私市党の崇敬を集めていた。鷹狩を好む徳川家康はたびたび越谷を訪れており、そのため鷹狩の時の宿泊のため越谷御殿を建てた。越谷増林の林泉寺には家康が馬をつないだとされる駒止めの槙の木や権現井戸跡などが残されている。そのため徳川家の崇敬も...
金峯神社 〔世界遺産〕きんぷじんじゃ奈良県吉野郡吉野町吉野山祭神:金山毘古命創建の詳細は不明。金峯山の地主神を祀る式内社。中世以降は修験道の霊場として信仰されている。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつで、史跡「大峯奥駆道」にも登録されている。現在の拝殿は吉野神宮の旧拝殿を移築したものである。栄花物語には藤原道長が詣でた記述がある。金峯山経塚から出土した金銅の経筒は藤原道長の埋納したもので、...
吉野山よしのやま奈良県吉野郡吉野町奈良県中央部に位置する大峰連山の北端から南へ約8km続く尾根一帯を指す。古くより山岳信仰の地であり、修験道の霊場として信仰を集めてきた。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。山全体も含め、金峯山寺、𠮷水神社、吉野水分神社、金峯神社が世界遺産として登録されている。吉野山といえば桜の名所であるが、桜は金峯山寺蔵王権現の神木とされ、多くの桜の木...
大甕神社おおみかじんじゃ茨城県日立市大みか町主祭神:武葉槌命地主神:甕星香々背男 社伝によると、創建は紀元前660年の皇紀元年。もとは大甕山に祀られていたが、元禄8年(1695年)に藩主水戸光圀の命により現在地に遷された。日本書紀によると建葉槌命は、東国平定を命じられた武甕槌命(鹿島神祭神)、経津主命(香取神宮祭神)が最後まで従わせることができなかった甕星香々背男(天津甕星)を討ったとされている。...
蔵前神社くらまえじんじゃ東京都台東区蔵前祭神:応神天皇・神功皇后・姫大神・倉稲魂命・菅原道真公・塩土翁命元禄6年(1693年)、5代将軍の徳川綱吉が石清水八幡宮より勧請したのがはじまりとされる。その後、享保17年(1732年)、火災により浅草三嶋町に遷されたが、延享元年(1744年)に元地である現在地に戻った。明治期までは石清水八幡宮と称していたが、関東大震災や戦火により社殿を焼失し昭和22年(1947年)に稲荷社...
静神社しずじんじゃ茨城県那珂市静主祭神:建葉槌命相殿神:手力雄命・高皇産霊命・思兼命 創建の詳細は不明だが、日本書紀や古語拾遺にも名が見られる古社である。鹿島神宮に次ぐ常陸国二宮。式内社。主祭神の建葉槌命は、別名倭文神(しどりのかみ)といい、天岩戸の神話において天照大神を誘い出すために織物を織った神で、織物の神、機織の神として信仰されている。鹿島神宮本殿の前には建葉槌命を祀る高房社があり、本...
清洲城きよすじょう愛知県清須市朝日城屋敷築城主:斯波義重築城年:応永12年(1405年)主な城主:斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、徳川氏廃城年:慶応15年(1610年)尾張守護の斯波義重によって築城された。その後内紛により織田氏が入城、一時は信長の父である織田信秀の居城になった。信秀が古渡城に移ると守護代織田信友が入城したが、信長とその叔父信光により信友は殺害され、信長の居城となった。信長が今川義元を破った桶...
真清田神社 〔尾張国一宮〕ますみだじんじゃ愛知県一宮市真清田祭神:天火明命社伝によると、神武天皇33年の創建となっているが詳細は不明。この地を治める尾張氏の祖である天火明命を祀る。現在の市名の一宮は真清田神社が尾張国一宮であることに由来する。現在の社殿は戦後の再建によるもので、本殿、渡殿、祭文殿などが国の登録有形文化財となっている。摂社 服織神社 萬幡豊秋津師比売命を祀る...
南禅院なんぜんいん京都府京都市左京区南禅寺福地町宗派:臨済宗南禅寺派本尊:亀山法皇像開山:無関普門開基:亀山法皇創建:元禄16年(1703年)南禅寺の塔頭。文永元年(1264年)に亀山天皇の離宮として禅林寺(永観堂)の南のこの地に禅林殿を建立。正応2年(1289年)に天皇が出家し法皇となると、離宮を寺院とした。その後寺を拡大し、南禅寺と改めこの地は南禅寺の発祥の地として塔頭となった。南禅寺大火や応仁の乱により荒...
赤山禅院せきざんぜんいん京都府京都市左京区修学院開根坊町宗派:天台宗本尊:泰山府君開山:安慧創建:仁和4年(888年)延暦寺の塔頭のひとつ。天台宗の僧、慈覚大師円仁の遺命により天台座主安慧が道教の神である泰山府君(赤山大明神)を勧請して祀ったのが始まりとされる。京都御所から見て表鬼門の方角にあたるため、方除けの神として信仰を集めている。比叡山の守護である日吉大社は神の使いとして神猿(まさる)を祀ってお...
梅宮大社 〔二十二社〕うめのみやたいしゃ京都府京都市右京区梅津フケノ川町祭神 本殿四座:酒解神(大山祇神) 大若子神(瓊々杵尊) 小若子神(彦火々出見尊) 酒解子神(木花咲耶姫命) 相殿四座:橘清友公 嵯峨天皇 仁明天皇 橘嘉智子(壇林)皇后社伝によると、橘氏の祖橘諸兄の...
曼殊院まんしゅいん京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内宗派:天台宗本尊:阿弥陀如来開山:是算創建:天暦年間(947年~957年) 天台五門跡(青蓮院・妙法院・三千院・毘沙門堂)のひとつ。延暦年間、伝教大師最澄が比叡山に開かれたのがはじまりとされ、是算国師のときに比叡山西塔に移り、その後幾度か移転をし、明暦2年(1626年)に門主の良尚法親王により現在の地に堂宇が建立された。現存する大書院、小書院はこの時のも...
深大寺じんだいじ東京都調布市山号:浮岳山宗派:天台宗本尊:宝冠阿弥陀如来像開山:満功上人創建:天平5年(733年) 天平5年(733年)、法相宗を学んだ満功上人が深沙大王を祀ったのが始まりとされる。清和天皇の御代、武蔵国司の氾濫を降伏するため比叡山の恵亮和尚が勅命を受け深大寺を修法の場とした。その後恵亮が清和天皇より深大寺を賜り、天台宗へとなった。大師堂の壇の下から発見された釈迦如来像は白鳳時代の...
布田天神社ふだてんじんしゃ東京都調布市調布ヶ丘祭神:少彦名神・菅原道真公社伝によると第11代垂仁天皇のころの創建とされるが、詳細は不明。式内社。道真公が合祀されるよりも前から天神社と文明9年(1477年)、多摩川の洪水を避けるため現在地へ遷座された。その際に少彦名神に菅原道真公が合祀された。ドラマのロケ地として度々使われている。...
般若寺はんにゃじ奈良県奈良市般若寺町山号:法性山宗派:真言律宗本尊:文殊菩薩開山:伝・慧灌創建:伝・舒明天皇元年(629年) 寺伝によると、舒明天皇元年(629年)、高句麗の僧である慧灌がこの地に寺を建て文殊菩薩を祀ったのが始まりとされ、その後天平7年(735年)、聖武天皇により伽藍が整えられたという。しかし正式な記録が残っておらず、詳細は不明である。平安末期に平重衡の乱により東大寺、興福寺な...
箭弓稲荷神社やきゅういなりじんじゃ埼玉県東松山市箭弓町祭神:保食神社殿によると、創建は和銅5年(712年)とされる。平安中期に下総の平忠常が謀反を起こし、朝廷より討伐の命を受けた源頼信が野久稲荷に戦勝祈願をしたところ、箭の形をした白雲が敵に向かっていったという。神の加護を受け忠常を討伐した頼信が戦勝報告をし、社殿を寄進、野久稲荷の名を箭弓稲荷と改めた。「やきゅう」という読みから野球関係者の崇敬も厚い。...
雷電神社らいでんじんじゃ群馬県邑楽郡板倉町祭神:火雷大神・大雷大神・別雷大神 関東に分布する雷電神社の総本社。社伝によると、推古天皇6年(598年)に聖徳太子が板倉の沼で潔斎をしていると神の声が聞こえたため、浮島に祠を建てて祀ったとされる。延宝2年(1674年)、上州館林藩主であった徳川綱吉公(後の五代将軍)の命により社殿の大改修が行われ、徳川家の三ツ葉葵の紋章が用いられるようになった。現在の本社は...
鹿島神宮 〔常陸国一宮〕かしまじんぐう茨城県鹿嶋市宮中祭神:武甕槌命 神武天皇元年(紀元前660年)の創建と言われ、延喜式神名帳においては伊勢神宮に次ぐ神宮の称号を得ていたのは鹿島神宮・香取神宮のみである。香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一つにも数えられる。祭神の武甕槌神は記紀にも語られるとおり、天照大神に高天原より使わされ、出雲で大国主命に国譲りを迫り、国土を平定したとされる。神武天皇東...
息栖神社いきすじんじゃ茨城県神栖市息栖主祭神:久那戸神相殿神:天鳥船命・住吉三神 香取神宮、鹿島神宮とともに東国三社と呼ばれる。社伝によると応神天皇の御代の創建とされる。鹿島香取の両神とともに東国に下り、現在の神栖市日川のあたりに留まりその後神社として祀られたという。大同2年(807年)に平城天皇の勅命により現在の地へと遷座された。享保時代の社殿が残っていたが焼失、現在の社殿は昭和38年(1963年)...
香取神宮 〔下総国一宮〕かとりじんぐう千葉県香取市香取祭神:経津主大神 関東を中心に400社ほどある香取神社の総本宮。茨城県の鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社と呼ばれる。とくに鹿島神宮とはつながりが強く、鹿島香取と並び称される。社伝によると、神武天皇18年の創建と伝える。日本書紀では祭神の経津主神は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と共に大国主に国譲りを迫り、葦原中国を平定したとされる。古...
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久伊豆神社ひさいずじんじゃ埼玉県越谷市越谷祭神:大国主命・言代主命配祀:高照姫尊・溝咋姫命・天穂日命 創建の詳細は不明。平安中期以降、勢力を伸ばしていた武蔵七党の私市党の崇敬を集めていた。鷹狩を好む徳川家康はたびたび越谷を訪れており、そのため鷹狩の時の宿泊のため越谷御殿を建てた。越谷増林の林泉寺には家康が馬をつないだとされる駒止めの槙の木や権現井戸跡などが残されている。そのため徳川家の崇敬も...
金峯神社 〔世界遺産〕きんぷじんじゃ奈良県吉野郡吉野町吉野山祭神:金山毘古命創建の詳細は不明。金峯山の地主神を祀る式内社。中世以降は修験道の霊場として信仰されている。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつで、史跡「大峯奥駆道」にも登録されている。現在の拝殿は吉野神宮の旧拝殿を移築したものである。栄花物語には藤原道長が詣でた記述がある。金峯山経塚から出土した金銅の経筒は藤原道長の埋納したもので、...
吉野山よしのやま奈良県吉野郡吉野町奈良県中央部に位置する大峰連山の北端から南へ約8km続く尾根一帯を指す。古くより山岳信仰の地であり、修験道の霊場として信仰を集めてきた。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。山全体も含め、金峯山寺、𠮷水神社、吉野水分神社、金峯神社が世界遺産として登録されている。吉野山といえば桜の名所であるが、桜は金峯山寺蔵王権現の神木とされ、多くの桜の木...
大甕神社おおみかじんじゃ茨城県日立市大みか町主祭神:武葉槌命地主神:甕星香々背男 社伝によると、創建は紀元前660年の皇紀元年。もとは大甕山に祀られていたが、元禄8年(1695年)に藩主水戸光圀の命により現在地に遷された。日本書紀によると建葉槌命は、東国平定を命じられた武甕槌命(鹿島神祭神)、経津主命(香取神宮祭神)が最後まで従わせることができなかった甕星香々背男(天津甕星)を討ったとされている。...
蔵前神社くらまえじんじゃ東京都台東区蔵前祭神:応神天皇・神功皇后・姫大神・倉稲魂命・菅原道真公・塩土翁命元禄6年(1693年)、5代将軍の徳川綱吉が石清水八幡宮より勧請したのがはじまりとされる。その後、享保17年(1732年)、火災により浅草三嶋町に遷されたが、延享元年(1744年)に元地である現在地に戻った。明治期までは石清水八幡宮と称していたが、関東大震災や戦火により社殿を焼失し昭和22年(1947年)に稲荷社...
静神社しずじんじゃ茨城県那珂市静主祭神:建葉槌命相殿神:手力雄命・高皇産霊命・思兼命 創建の詳細は不明だが、日本書紀や古語拾遺にも名が見られる古社である。鹿島神宮に次ぐ常陸国二宮。式内社。主祭神の建葉槌命は、別名倭文神(しどりのかみ)といい、天岩戸の神話において天照大神を誘い出すために織物を織った神で、織物の神、機織の神として信仰されている。鹿島神宮本殿の前には建葉槌命を祀る高房社があり、本...
清洲城きよすじょう愛知県清須市朝日城屋敷築城主:斯波義重築城年:応永12年(1405年)主な城主:斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、徳川氏廃城年:慶応15年(1610年)尾張守護の斯波義重によって築城された。その後内紛により織田氏が入城、一時は信長の父である織田信秀の居城になった。信秀が古渡城に移ると守護代織田信友が入城したが、信長とその叔父信光により信友は殺害され、信長の居城となった。信長が今川義元を破った桶...
真清田神社 〔尾張国一宮〕ますみだじんじゃ愛知県一宮市真清田祭神:天火明命社伝によると、神武天皇33年の創建となっているが詳細は不明。この地を治める尾張氏の祖である天火明命を祀る。現在の市名の一宮は真清田神社が尾張国一宮であることに由来する。現在の社殿は戦後の再建によるもので、本殿、渡殿、祭文殿などが国の登録有形文化財となっている。摂社 服織神社 萬幡豊秋津師比売命を祀る...
南禅院なんぜんいん京都府京都市左京区南禅寺福地町宗派:臨済宗南禅寺派本尊:亀山法皇像開山:無関普門開基:亀山法皇創建:元禄16年(1703年)南禅寺の塔頭。文永元年(1264年)に亀山天皇の離宮として禅林寺(永観堂)の南のこの地に禅林殿を建立。正応2年(1289年)に天皇が出家し法皇となると、離宮を寺院とした。その後寺を拡大し、南禅寺と改めこの地は南禅寺の発祥の地として塔頭となった。南禅寺大火や応仁の乱により荒...
赤山禅院せきざんぜんいん京都府京都市左京区修学院開根坊町宗派:天台宗本尊:泰山府君開山:安慧創建:仁和4年(888年)延暦寺の塔頭のひとつ。天台宗の僧、慈覚大師円仁の遺命により天台座主安慧が道教の神である泰山府君(赤山大明神)を勧請して祀ったのが始まりとされる。京都御所から見て表鬼門の方角にあたるため、方除けの神として信仰を集めている。比叡山の守護である日吉大社は神の使いとして神猿(まさる)を祀ってお...
梅宮大社 〔二十二社〕うめのみやたいしゃ京都府京都市右京区梅津フケノ川町祭神 本殿四座:酒解神(大山祇神) 大若子神(瓊々杵尊) 小若子神(彦火々出見尊) 酒解子神(木花咲耶姫命) 相殿四座:橘清友公 嵯峨天皇 仁明天皇 橘嘉智子(壇林)皇后社伝によると、橘氏の祖橘諸兄の...
曼殊院まんしゅいん京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内宗派:天台宗本尊:阿弥陀如来開山:是算創建:天暦年間(947年~957年) 天台五門跡(青蓮院・妙法院・三千院・毘沙門堂)のひとつ。延暦年間、伝教大師最澄が比叡山に開かれたのがはじまりとされ、是算国師のときに比叡山西塔に移り、その後幾度か移転をし、明暦2年(1626年)に門主の良尚法親王により現在の地に堂宇が建立された。現存する大書院、小書院はこの時のも...
深大寺じんだいじ東京都調布市山号:浮岳山宗派:天台宗本尊:宝冠阿弥陀如来像開山:満功上人創建:天平5年(733年) 天平5年(733年)、法相宗を学んだ満功上人が深沙大王を祀ったのが始まりとされる。清和天皇の御代、武蔵国司の氾濫を降伏するため比叡山の恵亮和尚が勅命を受け深大寺を修法の場とした。その後恵亮が清和天皇より深大寺を賜り、天台宗へとなった。大師堂の壇の下から発見された釈迦如来像は白鳳時代の...
布田天神社ふだてんじんしゃ東京都調布市調布ヶ丘祭神:少彦名神・菅原道真公社伝によると第11代垂仁天皇のころの創建とされるが、詳細は不明。式内社。道真公が合祀されるよりも前から天神社と文明9年(1477年)、多摩川の洪水を避けるため現在地へ遷座された。その際に少彦名神に菅原道真公が合祀された。ドラマのロケ地として度々使われている。...
般若寺はんにゃじ奈良県奈良市般若寺町山号:法性山宗派:真言律宗本尊:文殊菩薩開山:伝・慧灌創建:伝・舒明天皇元年(629年) 寺伝によると、舒明天皇元年(629年)、高句麗の僧である慧灌がこの地に寺を建て文殊菩薩を祀ったのが始まりとされ、その後天平7年(735年)、聖武天皇により伽藍が整えられたという。しかし正式な記録が残っておらず、詳細は不明である。平安末期に平重衡の乱により東大寺、興福寺な...
箭弓稲荷神社やきゅういなりじんじゃ埼玉県東松山市箭弓町祭神:保食神社殿によると、創建は和銅5年(712年)とされる。平安中期に下総の平忠常が謀反を起こし、朝廷より討伐の命を受けた源頼信が野久稲荷に戦勝祈願をしたところ、箭の形をした白雲が敵に向かっていったという。神の加護を受け忠常を討伐した頼信が戦勝報告をし、社殿を寄進、野久稲荷の名を箭弓稲荷と改めた。「やきゅう」という読みから野球関係者の崇敬も厚い。...
雷電神社らいでんじんじゃ群馬県邑楽郡板倉町祭神:火雷大神・大雷大神・別雷大神 関東に分布する雷電神社の総本社。社伝によると、推古天皇6年(598年)に聖徳太子が板倉の沼で潔斎をしていると神の声が聞こえたため、浮島に祠を建てて祀ったとされる。延宝2年(1674年)、上州館林藩主であった徳川綱吉公(後の五代将軍)の命により社殿の大改修が行われ、徳川家の三ツ葉葵の紋章が用いられるようになった。現在の本社は...
鹿島神宮 〔常陸国一宮〕かしまじんぐう茨城県鹿嶋市宮中祭神:武甕槌命 神武天皇元年(紀元前660年)の創建と言われ、延喜式神名帳においては伊勢神宮に次ぐ神宮の称号を得ていたのは鹿島神宮・香取神宮のみである。香取神宮、息栖神社とともに東国三社の一つにも数えられる。祭神の武甕槌神は記紀にも語られるとおり、天照大神に高天原より使わされ、出雲で大国主命に国譲りを迫り、国土を平定したとされる。神武天皇東...
息栖神社いきすじんじゃ茨城県神栖市息栖主祭神:久那戸神相殿神:天鳥船命・住吉三神 香取神宮、鹿島神宮とともに東国三社と呼ばれる。社伝によると応神天皇の御代の創建とされる。鹿島香取の両神とともに東国に下り、現在の神栖市日川のあたりに留まりその後神社として祀られたという。大同2年(807年)に平城天皇の勅命により現在の地へと遷座された。享保時代の社殿が残っていたが焼失、現在の社殿は昭和38年(1963年)...
香取神宮 〔下総国一宮〕かとりじんぐう千葉県香取市香取祭神:経津主大神 関東を中心に400社ほどある香取神社の総本宮。茨城県の鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社と呼ばれる。とくに鹿島神宮とはつながりが強く、鹿島香取と並び称される。社伝によると、神武天皇18年の創建と伝える。日本書紀では祭神の経津主神は武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と共に大国主に国譲りを迫り、葦原中国を平定したとされる。古...
宝徳寺ほうとくじ群馬県桐生市山号:大光山宗派:臨済宗建長寺派本尊:釈迦如来開基:佐野正綱創建:宝徳年間(1449年~1452年)臨済宗大本山建長寺の第73世仏印大光禅師によって開山された。桐生城の裏側を護るためこの地に建てられた。本尊は釈迦如来、脇侍に文殊菩薩と普賢菩薩を配した釈迦三尊仏が安置されている。床もみじが人気の方丈は春、夏、秋の特別公開の時期にしか見ることができない。...
浦山ダムうらやまだむ埼玉県秩父市荒川久那埼玉県秩父市にある荒川水系の浦山川に作られたダム。昭和22年(1947年)に関東・東北に甚大な被害を及ぼしたカスリーン台風以降、「荒川総合開発事業」が進められ昭和36年(1961年)には荒川本流に二瀬ダムが完成したが、その後も流域は洪水の被害に見舞われ、さらなる洪水調整が必要となった。洪水調整と、首都圏の人口増加に伴う水資源開発と発電のための多目的ダムとして建設される...
野宮神社ののみやじんじゃ京都府京都市右京区嵯峨野々宮祭神:野宮大神(天照大神)伊勢神宮に奉仕する斎王(未婚の皇女か女王から選ばれる)が伊勢に向かう前に潔斎を行う場を野宮という。野宮は天皇の即位ごとに場所を変え定められていたが、嵯峨天皇の皇女仁子内親王が斎王となった時から後醍醐天皇の時の南北朝時代に斎王制度が廃止されるまでは現在の野宮神社の地が野宮となっていた。その後は神社として存続していたが、時代...
鹿苑寺 (金閣寺) 〔世界遺産〕ろくおんじ (きんかくじ)京都府京都市北区金閣寺町山号:北山宗派:臨済宗相国寺派本尊:観音菩薩開基:足利義満創建:応永4年(1397年)以前の御朱印 金閣寺の名で知られる臨済宗大本山相国寺の塔頭。正式名称は北山鹿苑禅寺(ほくさんろくおんぜんじ)。足利3代将軍義満の山荘であったものを死後、遺言により寺とした。義満の法号鹿苑院殿から二字を取り鹿苑寺となった。舎利殿「金...
月読神社つきよみじんじゃ京都府京都市西京区松室山添町祭神:月読尊松尾大社の境外摂社。松尾大社の約300mほど南に位置する。日本書紀によると、第23代顕宗天皇3年(487年)に高皇産霊を祖とする月神が社地を求める託宣を下し、それを受けた朝廷が歌荒樔田の地を奉じ祭祀を壱岐県主の押見宿禰が奉斎したのが創建とされる。この月神は天照の兄弟神の月読ではなく別の神で、壱岐国式内社の月読神社を分祀したものとされている。...
松尾大社 〔二十二社〕まつのおたいしゃ京都府京都市西京区嵐山宮町祭神:大山咋神・中津島姫命(市杵島姫命)もともとは松尾山の磐座を祀っていたのが祭祀のはじまりとされる。大宝元年(701年)に、文武天皇の勅命を受けこの地の豪族であった秦忌寸都理(はたのいみきとり)により社殿が造営された。秦氏の氏神として祀られ、秦氏が酒造技術に優れていたことから酒の神としても信仰されている。強大な勢力を誇っていた秦氏は長...
根津神社 〔東京十社〕ねづじんじゃ東京都文京区根津祭神:須佐之男命・大山咋命・誉田別命 創建の詳細は不明だが、その昔日本武尊によって千駄木の地に創祀されたのが始まりとされる。現在の社殿は宝永3年(1706年)、5代将軍徳川綱吉が屋敷地を寄進し現在地に遷座、造営したもので、本殿(権現造の幣殿拝殿含む)・唐門・西門・透塀・楼門がすべて国の重要文化財に指定されている。境内地にはつつじ苑があり4月にはつ...
あしかがフラワーパークあしかがふらわーぱーく栃木県足利市迫間町大藤が人気の花のテーマパーク。樹齢160年、600畳にもおよぶ大藤棚が3面、そのほかにも八重藤や白藤、うす紅藤などがある。昭和43年(1968年)、足利市堀込町(現朝倉町)に前身の早川農園が開業。その後都市開発により現在地に移転、平成9年(1997年)にあしかがフラワーパークとして開園した。その際大藤の移植にあたっては、準備から開園まで3年もの月日をかけ...
今戸神社いまどじんじゃ東京都台東区今戸祭神:応神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・福禄寿康平6年(1063年)、源頼義、義家親子が奥州征伐の折、祈願のため京都の石清水八幡宮を勧請し今戸八幡となった。その後、昭和12年(1932年)に隣接していた白山神社を合祀し、今戸神社と改めた。度重なる戦火や火災によりい社殿は幾度か改められ、現在の社殿は昭和46年(1971年)の再建である。浅草七福神の福禄寿を祀っている。...
吉野水分神社 〔世界遺産〕よしのみくまりじんじゃ奈良県吉野郡吉野町祭神: 正殿:天之水分大神 右殿:天萬栲幡千幡姫命・玉依姫命・天津彦火瓊々杵命 左殿:高皇産霊神・少彦名神・御子神 葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四水分神社の一つ。式内社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部。創始の詳細は不明。「みくまり」が転じて子守明神と呼ばれる。豊臣秀吉が祈願し、秀...
勝手神社かってじんじゃ祭神:天忍穂耳尊配祀:大山祇命・久久能智命・木花咲耶姫命・苔虫命・葉野姫命吉野山口神社、勝手明神とも称された延喜式内社。大峰山修験者の行場のひとつであった。創建の詳細は不詳だが、日雄寺継統記によると孝安天皇六年十二月と伝えられている。天女が舞い降りて五度袖を振りながら舞ったという伝承から、「五節の舞」の発祥地との説もある。過去にも幾度か社殿が焼失しているが、最も新しかった社殿...
𠮷水神社 〔世界遺産〕よしみずじんじゃ奈良県吉野郡吉野町吉野山祭神:後醍醐天皇 楠木正成 吉水院宗信法印もとは吉水院といい、聖武天皇の御代、白鳳年間に役行者によって創建された修験僧の僧坊であった。文治元年(1185年)には源頼朝に追われた源義経、武蔵坊弁慶、静御前が身を潜めたという。その後、南北朝時代には後醍醐天皇の南朝行宮となった。文禄3年(1594年)には豊臣秀吉の吉野の花見の本陣にもなっ...
目黒川 桜並木めぐろがわ世田谷区から目黒区・品川区を通り東京湾へ注ぎ込む約8Kmの河川。池尻大橋から目黒駅付近までは川の両岸に桜並木が続いており、都内でも有数の桜スポットとなっている。江戸時代にはこりとり川(垢離取り)と呼ばれており、この川で身を清めてから目黒不動尊に参拝をしたという。...
琵琶湖疏水びわこそすい滋賀県大津市:京都府京都市琵琶湖の水を京都市内へと流すため、明治時代に作られた水路。1890年完成の第1疏水と1912年完成の第2疏水から成る。幕末の動乱後、都が東京へと移り京都は人口も減り産業も衰退した。そのため第3代京都府知事の北垣国道が、灌漑、上水道、水運、水車動力などの目的で琵琶湖から京都への水路を計画した。田邊朔朗を主任技師、島田道生を測量主任として、明治18年(1885年)に着工...
寶登山神社ほどさんじんじゃ埼玉県秩父市長瀞町長瀞祭神:神日本磐余彦尊(神武天皇) 大山祇神 火産霊神 社伝によると景行天皇の御代、日本武尊が東征の帰途に大和畝傍山の神武天皇陵を遥拝するために宝登山に登ったところ、山中に猛火が起こった。多くの犬が現れこの火を鎮めると姿を消した。このことより火止(ほと)山と名付けられ、のちに宝登山となった。日本武尊はこの火を防いだ犬は大山祇命の眷属の...
東海寺 (布施弁天)とうかいじ (ふせべんてん)千葉県柏市布施山号:紅龍山宗派:真言宗豊山派本尊:弁財天開基:空海 (伝)創建:大同2年(806年)江島神社弁天堂、浅草寺弁天山大同2年(806年)、とともに関東三大弁才天のひとつとされる。空海作と言われる弁財天像を本尊として開山された。嵯峨天皇の寄進により伽藍が建立され、弘仁14年(823年)に勅願寺となった。現在の本堂は、享保2年(1717年)に建てられたもので、...
水火天満宮すいかてんまんぐう京都府京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町祭神:菅原道真延長元年(923年)、水難火難除けのため醍醐天皇の勅願により、道真公の師であった延暦寺の尊意僧正が道真公の霊を勧請し建立された。昭和25年(1950年)、堀川通の拡張工事に伴い、上天神町より現在の地に遷座した。六玉稲荷大明神社 六玉稲荷、玉光稲荷、生島稲荷を合祀。...
胡録神社ころくじんじゃ東京都荒川区南千住祭神:面足尊・惶根尊永禄4年(1561年)、上杉家家臣であった高田嘉左衛門がこの地に土着したさい、村落の安寧を願って祠を祀ったのが始まりとされる。もとは大六天と称していたが、明治期の神仏分離令により当時この地で盛んであった胡粉の胡と大六天の六をとって胡録神社となった。昭和末ごろから地域の再開発に伴い、平成10年に現在の地へと遷座した。...
富岡八幡宮 〔東京十社〕とみおかはちまんぐう東京都江東区富岡一丁目祭神:誉田別命 (応神天皇) 寛永4年(1627年)、菅原道真の末裔といわれる長盛法印が永代島と呼ばれた小島に創始したのがはじまりとされる。周辺の砂州一帯を埋め立て、境内と氏子の居住地を拓いた。深川の八幡さまとして、親しまれている。例祭である深川八幡祭りは日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに江戸三大祭のひとつとされる。...
金戒光明寺こんかいこうみょうじ京都府京都市左京区黒谷山号:紫雲山宗派:浄土宗本尊:阿弥陀如来開基:法然創建:承安5年(1175年) 浄土宗七大本山のひとつ。承安5年(1175年)、比叡山での修行を終えた法然上人がこの地で念仏をすると、紫雲がたなびき光明があたりを照らしたことから念仏道場を開いたのが始まりとされる。江戸時代の初期には徳川幕府により知恩院とともに城郭に倣った構えとなった。そのため幕末期に...