1985年8月15日靖国神社の状況が目に浮かぶ。軍服の姿で現れた元軍人と大型スピーカーから反戦を叫ぶその場で立っていた。中曽根総理が訪問すると聞いた。その中曽根氏が昨日101才で死去した。大きく報道されている。業績より人物評が多い。歴史にはどう残るか、これからであろうが、人々の心には人物像である。愛されるか、忘れるか、それは魅力であろう。人や宗教によっては死によって無、空になることを望む。ただ生に充実すること、死後の世界がない。しかし民間信仰などではあの世に生き続けると信じる。シャーマニズムでは近く長く残るのは怨霊である。恨みは否定的ではあるが関係を強くつなげることもある。中曽根尊位、ご冥福を祈る。中曽根氏死去
沖縄タイムス11月22日拙著が紹介された沖縄タイムス
昨日の文化人類学講義や絵はがきに関する印刷担当新谷明雲教授と校正、漫画風の終戦日記の読書会などで忙しく過ごした。先週講義で見せたビデオのハーバード大学マイケル教授の東アジアにおける歴史認識の問題について学生たちコメントに注目した。「私たちの世代の先祖が犯した悪いことを意識しなければならない」という意見もあったが、「謝罪は政府、我々はこのことを正しく意識しなければならない」(中国、コウチンケン)。以下ベトナムの学生の意見は異例な感がした。「日中韓の問題はなぜ、ずーと100年間で解決できないのか。ベトナムはフランスの植民地が100年、ベトナム戦は20年間、激しさは酷かった。たが、ベトナムではその「恨み」を教育しない。私は良かったと思う。恨みを持って生きるのではない」(チャンフォクヒエン)。「日中韓の問題は無意味な争...「恨み」
長男野口宏氏が母を「野口まき子様」といいながら告別式の挨拶を語った。変に聞こえた。叔母の息子が戸籍上養子であるとも語った。昨日まき子氏の告別式が下関バプテスト教会で行われた。彼女は戦前北朝鮮で教員、引揚者、私がインタビューしてDVDを作成した。下関では弟が牧師であった時代から住んでいた。私はソウル旅行もした。懐かしく喜んだ。我ら夫婦が数年間信仰生活を共にしたその教会で告別式があり、我ら夫婦は10余年ぶりに教会に出席した。何も変わりはなく落ち着いてまき子氏送ることが出来た。葬式というよりただの旅への別離のようであった。ご冥福を祈る。懐かしい顔が次々合われた。藤田牧師ご夫妻と山崎氏を始め90才代以下元気であった。教友とも情も愛も変わりなく、合図だけでも情が伝わった。私は大きい決心をするかと思った。その教会とは愛の縁...告別式
東洋経済日報コラム(2019.11.22)「私の愛犬日記」私は握手やハーグはほとんどしない。スキンシップはあまり好きではない。しかし、唯一の例外は、愛犬ミミだった。そんな私がミミを失った。家内がミミを抱っこして散歩中出会った方から愛犬用のベビーカーをプレゼントでいただいた。買おうと思い、店を探し歩いていた中だったのでビックリ。彼女は必要な人がいたら上げたい思っていたと話しておられた。日曜日、下関マラソンの日、家内がミミを抱っこして一緒に海辺の広場公園まで散歩に出た。マラソンのスタート、家内はミミの手を持って一緒に手を振り応援した。途中で一番仲良しだったワンちゃんのモコちゃんとモコのママに出会い、一緒に写真を撮った。帰宅してミミはいつものように私の座る机の傍に横たわった。呼吸がいつになく弱く感じた。家内は礼拝と会...「私の愛犬日記」
社会の変動については理論的には分かり難い。経験的に考えたほうが良いかもしれない。自由な香港が不自由な状況へ逆行する現象、そしてまた民主化運動が起きている。ここからは韓国のことと似ている。ソウル大学など知識青年層が中心にデモを起こし流血し、政権が倒れ、治安維持がほぼできない時、そこまで黙示していた市民、小学生までデモを起こし止めない。社会は大混乱、結局クーデター、独裁を求めたようになった。その後長い間民主化運動が続いて今の自由な民主国家を成し遂げた。これが私が体験した韓国の民主化の過程、香港も選挙の勝利してデモは続き、強圧で安定するのか。心配である。治安維持
なぜか体が重く感じている。歩き過ぎであったか。「楽しい韓国文化論」のメンバーたちと食べ歩き、釜山国際市場モッコリという「食べる」通りでは食べるだけの風景、余暇も美の空間もゼロの美味しさだけに集中する群衆の風景を見た。それが食文化、文化空間のない食堂街で私たちも韓国式のブルコキを食べた。昨朝まだ暗い時、金浦飛行場への運転さん成氏は国際結婚、日本人看護師の妻が下関出身であり往来する話、日本が大好きな人、日韓関係の悪化からも夫婦や家族関係には全く影響されない。飛行機の隣席には黒人美女、韓国で英語教師、夫は米海軍、プライベートな話も多く交わした。私は文化人類学者と、彼女は勉強したこともあるという。話中には黒人差別の強いアメリカ、実に警察が怖い、韓国がすき。日本人は大人しい、韓国人は表現が活発という。私は来年鎮海の桜花c...「兵器を作りながら平和と愛か」
今年度の「楽しい韓国文化論」の韓国旅行、午前は加藤清正の建築といわれる蔚山の西生浦倭城と長生浦洞鯨博物館を観覧した。クジラ博物館は資料不足、国民の関心が薄いのか貧弱な展示である。韓国の高齢者たちが観光に来て外のベンチに座っている数人と話を交わした。韓国では今はクジラは一切獲らないと反応があった。昼食は長盛香という食堂で食べた新らしく開発されたアワビ定食は美味しかった。午後はバングデ岩刻絵を見学した。行く道は遠く、険しく、山奥にあった。1971年に発見した7000年前のものであり私が関わった遺跡ではなかった。シャーマンによるクジラの祭りという解説を聞いた。観光目的地までの道も釜山市内の道も知らない運転手のホテル探しにはびっくり、笑ってしまった。多くの人と対話をした。日韓関係を直接、話題にしたり質問したりするのは控...バングデ岩刻絵を見学
以前、近く感じて歩いた道を街並みを楽しみながら歩いた。しかし、大通を渡ることができなくてバイパスを捜して、そして地下道を降りて上がろうとしたら、60余段ほどの階段が数回、楽しみは消え去り、疲れて階段の途中で登れず休んでいたところ、ある高齢の男性が私の荷物を持ち運んでくれた。商店街の歩行者用の道は斜めになっており、歩きにくい。このように歩き難い道路は発展国では初めて歩いた。ようやく到着したホテルは同名だが、目的のホテルではなかった。また歩くことになった。8月に来た時は<(日本に)再び負けません>という大型看板を見たことを思い出した。韓国が発展することと、日本を追い越すこととは、別次元である。日本も立ち止まっているわけではない。走る相手を追い越すことは容易ではない。昨日私は路地の事情を身に感じながら福祉社会へ道はま...<(日本に)再び負けません>
예전에가깝게느껴졌던걸었던길을걸었다.대로를건널수없어서우회로를찾아서,그리고지하도를내려가올라가려하자60여개의계단,중간에멈춰섰다.어떤노인이내짐을올려주었다.골목길은상점가,비스듬히되어걷기불편하다.이렇게행보인을고려하지않은도로,발전국에서처음걷는것이었다.찾아간호텔은동명,목적호텔이아니었다.또걸었다.8월에왔을때는<다시는지지않습니다>라는대형간판을본것을떠올렸다.한국이발전하는것이일본을뛰어넘는다는것은다른차원이다.일본이라고그냥서있는것만은아니다.달리는상대를앞서기는쉽지않다.어제나는골목길의사정을몸으로느끼면서복지사회의시설이아직엉망이라는것을실감했다.잘보이지않은구석구석에서일본을이겨주기바란다.저녁뉴스에한국이지소미아를파기하지않는다고발표하였다.일본에서는환영하면서도한국의<홀로씨름>이...부산을걷다
読書会で二人(倉光、古本)が李栄薫編『反日種族主義日韓危機の根源』について韓国を震撼させたベストセラー、日本語版がついに登場!緊迫する日韓関係の中で、韓国で一冊の本が大きな話題を呼んでいる。慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題などついて数人の執筆した本である。ソウル大学の安先生、李先生、金洛年氏らは植民地時代の経済政策などに研究し、国史ナショナリスト慎氏らと論争してきた業績がある。数年前李先生の話を研究メンバーと一緒に長く伺ったこともある。このような類の本は日本では以前にもあったが反響が違う。私は反日や親日と闘う姿勢ではなかった。ただ研究成果の一環として『慰安婦の真実』を書いたのであった。「反日」の本が「日韓」両国でほぼ同時にベストセラーになっていることである。倉光氏は「内容は崔吉城先生が常々言われてきたことである...『反日種族主義日韓危機の根源』
昨日韓国の文大統領の討論会の感想をハングルと日本語で書いたことについてハングルのものには激しい反対意見が多かった。日本語のものには主に私が注目したスピーチ論的な話法教育に関する良い意見があった。日本では文法中心であるが韓国では話法も重要視していると意味で書いたものに山下靖典氏は大人数を相手に想定外の質問が出るかもしれない対話集会を開くというのは大統領自身に相当自信がないとできないと思います。日本でこれと似たような企画を仮にしたら、人選、事前の質問割り振り、時間割作成、想定問答作成ーーなど担当の役人は大変です。白水繁彦氏は日本のコミュニケーション文化の最重要課題のひとつですね。さすが比較文化の専門家らしい視点ですね。政治家に限らず、日本人全体の底上げが必要かと思います。この問題は、じつは日本人の英語力が世界でも低...ハングルと日本語の相反する反響
昨夜、韓国MBCで開かれた「国民が聞く」を見た。私はこの映像で、ムン・ジェイン氏に初めて会った気分だった。親日反日を離れて、彼と出会った感じがした。生放送で自然だった。国民と直接座談する姿が良かった。質問と回答の内容ではなく、思考しながら対応する話の進行過程のスピーチ文化に関心があった。日本と比較して日本の話法とは非常に対照的である。あらかじめ<打ち合わせ」という事前準備を徹底的にして質問と回答を準備して、その文を朗読するように進行されることとは、非常に対照的である。一般的に、日本人の討議では、司会者の役割が弱い。進行順序を守るだけで途中コメントなど割り込まないので、一人の発言が長く、会議を台無しにすることも多くある。韓国のスピーチ形式は、新しい教育によるものである。60年代にアメリカから帰ってき私の恩師が師範...「国民が聞く」
久しぶりに遺伝子の話、XY(女)など記号の多い話を聞いた。ノーベル賞にも近づきそうな佐々木功典先生のガンに関する講義を聞いた。学生たちの質問もあり、充実した講義時間だった。ネットなどでよく聞いた話も多く、分かり易かった。がんの対策がいろいろ説明されて、死ぬことは数字で表されるだけであった。それは生命を尊重する医師、医学ではそうであろう。人類の最高の幸福は普遍的な長生き、それが場合によっては不幸な現象を引き起こすこともある。そこから社会福祉の問題も考えなければならない。学生たちは主に煙草に関心が高かった。癌の脅威は皆が感じているが、遺伝子と生活習慣の環境関係が語られた。遺伝子と生活習慣との関係の病と言われた。講義を通してアカデミックな雰囲気から帰宅し、テレビでは「桜」、ジーソミヤ、香港などの騒動、世俗に戻った気分...長生き
リマインダーである。今日2019.11.18はワンアジア財団支援講座の「アジア共同体論」で本学の佐々木功典教授・山口大学名誉教授が癌について講義する。氏は病理学が専攻、山口大学医学部教授、下関厚生病院病院長、下関医療センター院長などを経て本学の教授となった。私は2010年11月東京大学で開かれた「アジアがんフォーラム」に参加したことを思い出す。がんがアジア貧困地域で急増する、日本の治療率が高いと言われる中、私は永六輔氏らと死生観について語った。昨日読んだ聖書箇所「死んでも生きる」と、何だろう。死生観の講義もしたい。教会で韓国金泉出身の具長老と、耳が遠い対話、大声で朝鮮戦争とクーデターについて長く話した。戦後軍と戦争に関する専門的な軍人は朴正熙氏だけであったという。それはそれでねーと私がフィードバック、突然彼は「...癌について講義
慌ただしく思い出して大学へ。昨日は大学の45周年記念日であるのに急に思い出した。遅れそうであり、着いた会場には空、まだ始まっていないということで安心した。昼食会には時間的に余裕があった。創立者の櫛田薫先生と隣席と指定された。久しぶりに長く話が出来た。15年前私が広島大学教授の時、誘いに来られてから15年、今彼は91才、100歳までは問題ないだろうと健康の話で彼は120才計画という。後に50周年では自分で長く話したいという。私と縁を結んでくれた金田晉教授が正面席、彼が記念祝辞を話した。学生が定員オバー、留学生が増えて国際化が著しく、大学は大きく発展したといった。嬉しかった。午後2時からアフガニスタンで活躍している中村哲氏の講演会、はじめて大講堂の超満員であった。政治的に不安な国で水との戦いの支援活動が本人から話、...中村哲氏の講演会
「朝も真っ暗」は今の時間でもあるが、山田義氏の母親が目が見えなくなった時の言葉である。目が見えなくなりの生活の話、この本を読む途中泣き崩れそうになる。その本『私は歌う喜びのうた』を読了した。この本こそ一般出版されるべきであろう。新聞など一方的な媒体ではなく、本欄のようなSNSで読者と対話で意見を交換することが良い。本屋に立ち寄った。拙著『日本帝国の植民地を歩く』が下関のくまざわ書店に平積なってなって10日でも3冊しか売らてない。SNS読者が数百人もいるのに。読者と意見を交換したい。「朝も真っ暗」
ある経済学者が言う。日本は貯蓄が美徳の時代からそれほど変わっていないと。消費しないので景気活性化が難しいともいう。なぜ豊かになっても節約精神は変わらないだろうか。金持ちの気前がほぼない。それが日本人のライフスタイルである。企業が商売繁盛しても社員の収入がすぐ変動し、社員の生活パターンが変わる、それは株式の思考構造であろう。それは社会を混乱させるかもしれない。成金により人が一変し、生活パターンが急に変わる「株式式人生」は社会を活性化させるかも知らないが、人間関係を乱すのではないか。思考により自己成熟していくべきであろう。「株式式人生」
山田寛人氏の父親の山田義氏編『私は歌う喜びのうた』(1986)を読んでいる。編者は私と同世代、子供の時代の生活環境は日韓ほぼ同様であったことを確認することが出来た。ただ日本は植民地宗主国であり韓国は被植民地であったがその差は感じられない。本書はお母さんの話を録音して採録したものが骨組になっている。その他の喜寿記念の子孫たちの祝辞などの文集になっている。私はなぜか文から目を離せないまま読んでいる。中でも関心があるのは絹生産に関するところである。桑の木、繭、織物の過程が私の母と重なって手にした本から離れられない。母親の私に対する愛情深い行動は当然のことと思っていた。私は本当に親不孝な子だったと後悔している。親不孝な子
昨夜下関市民会館での公演「アリランの春」を鑑賞した。創団60周年という。私が日本に居を移してから、ずーと観ており、ほぼ半分は見たことになる。下関の朝鮮学校児童・生徒、先生方の校歌合唱などもあり、金剛山歌劇団の公演は少なめに感じた。冬を迎えている晩秋のこの時期に「春」とは不具合なテーマであった。メディアには報道されないが、毎年会場は満杯なのに、この度は少なめ。メディアは社会の鏡と言われるのは無意味な感。日韓関係の悪化の影響か。芸術は政治を超えるものなのにその影響か、ただ懐かしく観ていた。感動高揚させる声の女性司会者の朝鮮民族へ呼びかける言葉から幕が開いた。今年、巡回公演のテーマとなったは朝鮮半島の統一と高音高声急テンポの舞踊と歌、ロシア風、朝鮮半島の統一と平和への願いが目立つ。政治宣伝的ではあるが、チャンセナップ...「アリランの春」
銃殺を目の前で見たことのある私がそのような映像が昨夜流された。香港の事態には心痛い。昨日は朝早くから出勤、遅く帰宅した。ジソミア破棄に日韓関係はどうなると長いインタビュー、これもカラ振りになる。ワンアジア財団の講義ではスカイプによる映像で行われた。中国大連大学の林楽常教授の日本語に関する講義が行われた。まず名前の後生に関する紹介、「孫文」を名前「文」と呼ぶのは中国では失礼、「孫中山」と呼ぶべきであると、多くの例を出していた。私は日本の支配時代の影響はどうであったか、例えば創氏改名による女性の名前に「子」を付けることが多かったことに質問など対話式に進行した。戦後の影響はあっても植民地の因習はないと答えられた。そして日本語からの外来語の例に日本の「刺身」が「生魚」とは別に表音表記「めしめし」となっていることの類を紹...大連の日本語からの外来語
宗教人類学や民俗学で不浄と清めは共同体の強化に意味がある。それに関する私の論文は数十年前に英語、フランス語、日本語、韓国語に翻訳出版されている。昨日説教で清めの話を聞きながら昔熱心に研究したトピックを思い出した。拙著にコメントをしてくれる具長老は最新著『帝国日本の植民地を歩く』について声高く絶賛してくれた。高校まで韓国で教育を受けたこと、そして反日から世界へ視野を拡げるようになったという。特に日本が戦争を仕掛けた加害者なのに被曝をもって被害国化することへの私の指摘に感動したという。彼は日本の天皇がハワイに行って謝らなければならないともいった。互いに耳が遠く声を高くして話をしても誰も耳を傾けてくれる人はいない。研究室で中国大連理工大学の林楽青博士を迎えた。彼は私の嗜好物の生棗などお土産を多く持ってきた。日本ではそ...大連大学の林楽常先生が講義する
今日のご招待の予定が1日早く昨日、緊急連絡でお土産も用意できず、ぎりぎり間に合って、昼食の寿司屋の前でそのご夫妻にお会いできた。友人の河村氏の案内で慌ただしく、以前から一度お会いしたいと思っていた盧氏にやっと会うことができた。在日の豊川(盧)氏の自己紹介、下関での人間関係のネットを探り、「悪口は言えない」広く繋がっているからだと言った。彼との自己紹介は主にネットワークの探りであった。豊川氏の邸宅への道は細い。丘の上頂、車庫も庭も広い、現代式の建物、美術館のようである。室内へ、さらに屋上から下関を見下ろせる景観、素晴らしい。二階は寝室などが並んでおり、一階のメインホールなどは美し美術品で展示されている。個人の邸宅より小美術館のようであった。お茶のテーブルに着くまで結構の間があった。アルバムが開かれ、延々と人脈ネッ...在日のネット枠
中国・大連大学の林楽常教授と通話した。来週映像を通しての講義の準備であった。留学生金成坤と雷雅婷の両氏の協力によってSkypeで講義ができるように設定した。中国でも2時間以上待機し、やっと設定完了、通話で終わった。お二人と夕食も共にしながら楽しかった。月曜日の講義、中国での日本語事情がよく分かる時間にしたい。進行が気になっている。一方的ではなく、対談、口演パーフォーマンスが工夫した方が良いかもしれない。一般の方の参加も可能である。11月11日月曜日、12時50分から14時20分、13号館102教室。中国での日本語事情
슬픔과눈물의관계는생리적인것일까.이전에쓴책<한국인의울음>에서다룬문제이다.애견을잃고슬픔이눈물을초월한다는것을알게되었다.눈물은슬픔이나기쁨의생리적인현상일뿐이다.울지않아도슬프다.눈물이메마른사람들이슬퍼한다.<가슴아프게>라는유행가의가사도헛된말이아니다.가슴에슬픔이가득차고무슨작은소리에도놀라고,문풍지에도흔들리고꺾어지기쉽다.슬픔의원천은사랑이다.사랑의밑바탕에슬픔이있다.사랑이슬픔을가져온다는것,사랑의위험성도있다.누구를사랑한다는것은즐거움과동시에슬픔을공유한다.언제가모른지만이별을앞두고산다.먼저떠나는것은슬프고아쉬운일이지만그보다아쉽고무서운것은남겨지는것이다.남겨지는슬픔,너무나잔인하다.남겨지는것이야말로슬픈일이다.나는먼저가는것을당연한것처럼늘생각하고있지만혹시남겨지는사람이된다면어떻...슬픔
ワンアジア財団支援講義で初めてエスペラントについて聞いた。彼は本欄に今朝「講義の予行演習をさせてもらったりしながら、本番を迎えた」と書いた。初めて聞く学生には少し難しいかも知れないが、私は隠語の研究を思い出し、それと構造的に似ているとコメントをし、討論をした。私は講師の山田寛人氏は広島大学で博士論文を指導した人である。彼は愛妻家のユニークなパーソナリティ、自由職の真面目な研究者である。クリスチャンであり、ご両親はエスペラントが縁で結婚され、彼もエスペラント友として世界的にネットワークを広げているという家柄がある。より詳しく紹介するとお父さんはピアノ調律師、祖父母に遡って音楽家族、それを背景に彼もピアノやバイオリンなど趣味が多様、彼のエエスペラントの話に夢中になった。読書会にはもう一つの音楽家族の岡山大学名誉教授...エスペラント
今年度の「楽しい韓国文化論」講義を終え、22日から韓国蔚山の7000年前の岩画を見に行くこととなっているが希望者は例年に比べて少ない。日韓関係の悪化の影響かとは思いたくないが気になる。昨日は研究所で仕事をしていた。大学には私の研究室と所長室、そして研究所の広いスペースを持っている。感謝である。執筆の時、講義の時を分けて使っている。研究所には主に東アジアに関する1万数千冊の本の中で研究と執筆をする。研究所は小生に連絡をいただければOK。図書館には新聞雑誌などを読みによく寄る。昨日も寄った。新谷明雲先生に誘われてに今本学の図書館で行われている山口県の大学の連携の特別展示の漫画展を見た。関よしみ、遠野かず実の二人に絞ってデジタルでの実演などもあるという。漫画の人気は高いのに見に来る人は少ないと言う。漫画展
ミミが嫌がる掃除機の騒音を避けてほとんど使わなかったが、使おうと思い、掃除機を出してみたがミミが好んで食べたおやつの食べ残した小さい破片が目に入り止めた。多くの体験者から慰めのことば、愛犬の喪失感と虚無感は酷いことを共感する。ミミが残した大きいメッセージがある。愛され方、死に方である。腫瘍の重さが自身ほど重くても頑張って引きずりながらオシッコシートまで行って排泄していた。オシッコがなく、家内が心配したが、オシッコが出て、家内が喜んでシート替え、濡れた部分をお湯でふいてあげた。家内を安心させ、それから数分後に静かに息を引き取った。それは日曜日、次の日は休日だった。私もそのような死に方をしたい。昨日は定期健康診断のために、病院へ、酸素呼吸器を引っ張っている老女を見た。他人の事ではないと感した。インフルエンザの予防接...死に方
私は握手やハーグはほとんどせず、スキンシップはあまり好きではない。しかし、唯一の例外は、愛犬ミミだった。そんな私がミミを失った。ただ空虚に立っている。これからどうしたらいいのか解らない。私のそばで一晩を過ごし、花を胸に抱かせた。ミミをよく知っている近所の方々の弔問が続いた。弔花も届いた。12時動物霊園へ、女性スタッフがミミを抱えて歩き、我々は後について火葬台へ、焼香して黙祷する。ミミは優しい顔で眠っていた。いつも好んで食べたおやつと白いバラと菊の花に囲まれて穏やかに眠っていた。家内が最後のスイッチを入れた。丁寧な挨拶を受けながら別れた。何もできない、したくなかった。しばらくして火葬終了の電話があった。それでもミミの死が実感できず、なぜか涙だけ。日本のペット霊園文化には感謝である。200件を超える、弔問、電話、メ...空虚
나는악수나허그도거의나누지않고어느누구하고도스킨쉽이없으나유일한예외는애견미미였다.그런내가미미를잃었다.그저멍청하게서있을뿐이다.자신을어떻게지탱할지는모른다.내곁에둔채하루밤을보내고,꽃을사서가슴에안겨주었다.미미를잘아는이웃에서조문들이닥쳐왔다.12시동물영원으로이동하자여성직원이미미를안고운반,우리는뒤를따라화장대로갔다.먼저향을꽃고묵도하는시간을가졌다.마지막스위치를아내가올렸다.정중한인사를받으면서헤어졌다.그냥귀가하고싶지않았다.얼마후종료의녹음전화가들려왔다.슬픔을가누기어렵다.슬픈하루
深夜愛犬ミミに起こされてハーグをし、水を上げるのが日常である。昨朝ミミを家内が抱っこして一緒に海辺の広場公園まで散歩に出た。下関のマラソンも見た。これがミミとの最後の散歩になった。私は昼ずっとミミに水を飲ませようとした。勝山祭りで留学生たちの手づくりのカレーライスを現場で買ってミミの傍に戻り、ミミに話しかけながら、なでなで。手を離すとまたやってというジェスチャー、私はずーっとなでていた。夕食時はいつものようにミミを挟んで座り、食欲のないミミにアイスを勧めたり水をやろうとしたが受け入れなかった。呼吸も複式呼吸から少しずつ弱くなり家内と一緒に話しかけながら、なでなでしている時、息が止った。本当に静かに、息を引き取った。目も開いたまま平安な表情であった。家内がキレイにエンジェルケアーをしてあげて私のベッドの傍でいつも...ミミの一生は幸せであった
昨日は土曜日は。午前中出勤、8年目の第5回最終回「楽しい韓国文化論」の講義室を整理整頓した。しかし講師の櫛田宏冶学長が現れない。心配。事務室には5,6人がいても学長が出勤しているか否か知らない。講義が心配になって、直接電話で確認。、学長はベトナムから深夜の飛行機で帰ったばかりとのこと。講義は終始和やかに、ファッションのグローバル化の画像が紹介された。ファッショのパワーは美か実用性か、質問から始まった。ジーパンのブルージーンを例にした。櫛田講師は色の意味に触れ、CMの話では村田氏が冷蔵庫、洗濯機などは白色から緑色らに変えた時について説明して笑万場になった。今度韓国旅行だけを残している。私も参加する予定。8回まで終了したが、私の健康状況によって続くだろうと下関日韓親善協会の会長は言っておられた。大学の研究所と親善協...ブルージーン
今日は「楽しい韓国文化論」の最終回、東亜大学学長からアジアのファッションについて語る。東京藝術大学の博士論文からアジアの歩きの話を聞きたい。昨日、研究所に朴仙容氏の案内で新潟から徐淑子教授が研究所に訪ねて来た。在日とニューカマー(私)との対面の時間であった。徐氏は下関出身の血統親族遡りの話、宇部、萩、小倉まで広がる話であった。親日と反日も話題になった。私が親日か反日の色がはっきりしない点が指摘された。徐氏はむしろその中道中立的な不動な態度を高く評価してくれた。自書を読んでくれる日本ではその評価があるが、韓国では悪い噂が嫌とも思った。新潟から徐淑子教授が研究所に訪ねて来た
中国から一昨日、本学に到着したばかりの博士後期の留学生、中国では延安大学副教授の王欽氏、もう一人の短期訪問教授と二人の女性教授が私の文化人類学講義に参席した。講義は5回目のマリノフスキーの現地調査、『未開人の性生活』からの話と画像、裸体の表現の芸術、例えばギリシャ・ローマ時代の裸体彫刻と東洋の裸体の絵と比較しながら性と美について講義した。何時ものように考える時間、コメントを書く時間をおいて発言させた。中国から着いたばかりの女性研究者らはもちろん留学生たちの驚きの反応、特にネパール人の学生たちは自分の国ではありえない講義、犯罪ともされるという。私はその反応に驚き、講義は完全に驚く時間であった。王氏は読書会にも参加した。私はニューカマーの彼女にまず女性であること、中国の事情などから完全に解放されて、自由な思考から博...『未開人の性生活』
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