「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるの
大リーグのグランドで一人の若者が投げる打つ走るニッポンの若者だ世界中が見ている千人の外交官以上の働きだ東北出身のワカモノだジョーモのゲノムを受け継いだ若者だああなんということだああなんということだ真実の炎4
東北のゲノムがエミシのゲノムがジョーモンのゲノムが今燃え上っている「この国のひとは日の本のゆえにや色白くして眼のいろ青きこと多し」燃えている我らが一族の夢は今かなえられた今むくわれた今花ひらく今燃えている3
アメリカの大リーグで投げて打って走ってベーブ・ルース以上の活躍そしてグランドのゴミをそっとひろうアメリカの少年と少女がじっと見ている東北の山野が笑っている縄文の山河が笑っているああわれらがねがいはとどいたああわれらが真実はかなえられた真実の炎2
東北の山野が泣いている縄文の山河が泣いている蝦夷と呼ばれた男たちが俘囚と呼ばれた男たちが鬼と呼ばれ殺されていった男たちが泣いている泣いているおれたちの真実を伝えておくれ伝えておくれ真実の炎
縄文の後期・晩期には。その文化が高まる。ほぼ抽象の段階にまで到達.その抽象は、「本質に近い」いや、「真実への志向」「ただ文字がない」「このケース文字がなくてもいい」「無茶なコトを言うな」「いや禅家では不立文字・教外別伝をいう」「それほどなのか」奈良・平安・鎌倉をジャンプして室町に花開く、さらに、16世紀には、ポルトガル・イスパニアの戦略を見破り、この列島を救っている、「その知恵こそこの後期・晩期の賜物・たまものではなかったか」終
人類の歴史は旧石器時代から新石器時代に移行するのだが、この列島では、旧石器が終わると土器が出土してしまう、だから、「旧石器から土器時代・縄文時代ということになる」極めて特異な事例、狩猟採集経済に適していたのかもしれない、早川の『猪・鹿・狸』には、奥三河の山中で、向かい山が動いている、目をこらして見ると、〔何千・何万という鹿」当時は、そんなにいたのか、なお、縄文時代の人口を推計した学者がいる、最大は縄文の中期で、「人口は30万人弱」コンピューターを使用したとのこと、当時は話題になった、「これ当たっているのか」住居数に一戸当たりの推定人数をかけたもの、これといったソフトではないようだ。しかし、この30万人は、狩猟採集では多いようだ。5
左翼系のリベラリストが退却したら、右翼系のグループが跋扈跳梁・ばっこちょうりょうしてきた、どっちもこまったもんだ、後者は、なんというか、「おつむが・・・」せっかく科学的データーがそろってきたのに、参考にしない・参考にできない、「おぬしらは何を言うかと教授の『へ』」ちいさな閉ざされた世界で我が世の春を謳歌している、あの学術会議などはどんなものであろう。この国では、ちょっと平和が続くとたちまち、「共同体維持のなれ合い主義が繁茂する」大戦後のアングロサクソンのねらいは、「そこにあったのか」4
日本の役所は、1,文書主義2,形式主義3,先例主義どうやら、学問の世界も同じらしい。だから、その内容は、本質的に、あまり変わらない、いや、「変えない」だれが言ったか、「土器や土偶は女性が作った」今でもそのままか、「1メートルもあるもの女性だけで作れるのか」あらがおうものなら、「なんじらはなにを笑うといんきょの『へ』」いまでもこんなものか。3
岡本太郎、「もっと評価するべきかもしれない」岡本が大々的に取り上げた、あの「受験エリートのなれのはて」、自分では何もしないこの国の学者連中、彼ら、「役に立っているのか」岡本は、ジョウモンの価値を、「ぶちあげた」なにも評価しようとしないアカデミズム、耳目をひくソードー・騒動を待ち構えているジャーナリズムにエサを放り投げた、だから、「ワイワイキャアーキャアー」学者はダメだなあー、「彼らは自分のモノサシを持っていない」だから、「岡本のような存在がヒツヨーなのだ」2
なんという造形かなんと破天荒なこころみか「人類5000年これほどの一品があったかあのピカソですら終に到達できなかったデフォルメの極致だ」22世紀にも通用する、だから、「もう一度ジョーモン」もう一度ジョーモン1
当時のザレ歌に、「高野・こうやひじりに宿かすなかかとむすめを寝取られるぞ」この「寝取る」名人が、徳川家の始祖・徳阿弥、ならば、徳阿弥の出自はどこか。「白山こじき」というグループがいた、富山県の白山の山麓の農民たちが、数年に一度の凶作・数十年に一度の飢饉、彼らは京や大坂に物乞いに行った、夜は神社の床下などで夜を過ごす、そして、トボトボと物乞いをつづける、「彼らは縄文系の漂泊民になるのかもしれない」彼らにとって戦国時代はチャンスだった、大名の元は野に伏し山に伏しそれにしても江戸幕府は人気がある、「その庶民性であろうか」追加終
徳川家の始祖は、「徳阿弥・とくあみ」「阿弥は時宗の僧であるがこれほどルーズな宗派はない」「酒も飲めば女も抱く」海千山千のタレントで、徳阿弥、奥三河にぶらり、たちまち後家さんをたぶらかし、さらに、豊かな農家の「ひとりムスメ」とねんごろになる、こうして両家は親戚になり、協力して奥三河をたいらげてゆく、「これにくらべれば天下統一はきれいごとだ」追加8
天正3・1575年,3000挺の鉄砲が火を噴く、武田の騎馬軍団が壊滅する、こうして織田信長は近代をこじ開けた、そう、ポルトガル・イスパニアの侵攻からこの国を救った、1,織田信長2,豊臣秀吉3,徳川家康長篠の戦場から銃弾が出土するが、武田軍は銅製、織田は鉛製、これは東南アジアの鉱山で採掘されたもの。信長は宣教師を利用していたのだ。宣教師には領土の獲得と銀の採掘権の思惑があった、「その目的でやってきていたのだ」ところが家康、「この両国ときっぱりと手を切る」そして、宗教をからめない、「オランダと手をむすぶ」これで、ニッポンが救われた。追加7
15・16世紀は、この国の危機、レコンキスタのポルトガル・イスパニアの侵攻、今回のロシアがいい例、「いきた教訓」なんだかんだとナンクセをつけて侵略、だまっていたらぜんぶ取られてしまう、だから、あの広大な国土も、「その産物なんだ」今回のコトが終わったら、再整理するべきだろう。16・17世紀は、ニッポンがエモノ、1,兵器2,戦略1の兵器は銃、これは、こちらが火縄銃の製造に成功する、しかも、彼らのモノより優秀だったらしい、これは、日本刀を制作する製鉄技術のおかげだろう。2の戦略は、1、キリスト教2、植民地政策1は、宗教で心を支配する、そして、その地の富や銀を強奪する、これは、2にもつながる・・・そして、この期間、こちらでは、3人の優秀な指導者が、出現していた。追加6
クロサワの映画の「椿三十郎」、中庭の10人ほどを斬殺するシーン、ここでは集まったインデオを虐殺する、イスパニアの兵士が、狂ったようにインデオを殺し始める,小さな身体の素朴な人々、それを、カトリックの宣教師が、「だまって見ていた」だから、きれいごとは言わないのだ、現在の人々は、「その子孫」それと、この国では、どんな歴史教育をしているのか、学者と言われる連中、「なにかしているのか」この国の出発すら考えようとしない、「受験エリートのなれの果て」追加5
イべリア半島は、イスラームに占拠されていたが、「1492年にグラナダの陥落」722年以来、実に、770年である、彼らの喜びは、いかばかりか。この宗教的熱狂が海外に向かう、西が。中米・南米・カリブ海の島々東が、インド・マカオ・ニッポン・・・彼ら、西では成功する、この宗教的熱狂とは大したもので、自分たちは、「いいことをしていると信じている」インデオの村を囲み、「スペイン国王に服従するか」「キリスト教に改宗するか」「・・・」だから、「それっー」凄惨なマタンサ・マタンサスである。この単語は本来は、屠畜・屠殺、このケースは、原住民の殺戮、中南米・カリブ海の島には、この地名の都市がある、かつてニッポンの芸能人が訪れ、女性タレントをはさんで、「キャアーキャッキャッイヤーン」民放だったが、「ああこの国もこうなったか」追加4
1万年の縄文文化が到達した地点が、1,本質2,真実3,単純化その志向・方向性、これが。この列島の底流になった。16・17世紀は、ポルトガル・イスパニアの時代、今のロシアのように世界の各地を強奪しており、反抗するものは容赦なく殺戮、彼らの兵器は「火縄銃」、この国の人々、さっそく研究、このモノの、1、本質2、真実3,一般化ニッポンの火縄銃は優秀だったらしい、だから、「征服されなかった」追加3
10000年の縄文の文化は「本質・真実・単純化」に到達、これが、この国の底流となり、奈良・平安・鎌倉そして室町時代に着地、奇人・世阿弥の登場、彼は時間・空間を解体して、真実を引きずり出そうとする。カマクラ・その舞台、しずやしずしずのおだまきくりかえし・・・「おのれしずかのろけおって」「うたわせてくださいうたわせてください」「・・・」「まわせてくださいまわせてくださいまわせてください」「うううゆるせぬ」「たたかいがおとこのいのちなら恋はおんなのいのちなのですうたわせてくださいうたわせてくださいまわせてくださいまわせてくださいまわせてください」「まさこまさこいっしょうのいっしょうのおねがいです」帝京大アメフト部の選手のようなカマクラのもののふが袖でナミダをぬぐう、みよしののみねのしらゆきふみわけていりにしひと...追加2
縄文の後期・晩期には抽象的な段階にまで到達していた、このケースの抽象とは、本質・真実・単純化である、それが。社会主義みたいな水田稲作農業の集団主義に殲滅されていった。上っ面の形式主義だ、これっ、消えてしまったのか、どっこい、奈良・平安・鎌倉を越えて室街時代に着地している。それが、1,能2,石庭奇人・世阿弥は時間・空間を越えて義経の本質を出現させた、まったく、なんというとんでもない計らいではないか。一切有為の法は夢のごとく泡のごとく影のごとく幻のごとし時間と空間をならびかえ、義経の真実を開陳する、それこそが、世阿弥の「真実であった」追加1
14世紀の南北朝、後醍醐天皇の皇子・懐良親王は、九州鎮撫に下向している、ここには、「岩戸山古墳群がある」古墳と遊牧民族は密接不離、遊牧民には古墳を建設する風習がある、だから、半島を南下して九州に上陸した彼らが、まず建設したものが、この古墳群だったのかもしれない、その後にやってきた天皇グループ、彼らを避けて、紀州に、それから奈良盆地に到達した・・・明治の30年代なら,姓名と出身地で相当なコトが分かったかもしれない、ひょっとすると、この岩呂山古墳群の持ち主と天皇家は、なんらかのつながりがあったのかもしれない、そろそろ、「あきらかにしてもいい」あっと言う間に、日本列島は渡来系のグループに占領されていった、10000年の歳月,生活してきた彼らは、「どんな思いだったのか」下
大宅壮一は。かつて、「天皇家が万世一系ならその辺のノラ犬も万世一系だ」タイヘンな騒ぎになった、大宅は、その穂、この種の発言は、一切、しなかった、実際、皇居の夜は、昭和の初期頃まで。夜になると真っ暗、なにがなんだがわからなかった。「万世一系」、言葉は美しいが、実際はどうか、可能か。しかし、プロトコルによると、天皇は世界の最高権威、キングやクイーンより上位、タイヘンな権威、あの大戦で獲得できなかったモノを、現在、労せずして手に入れているといえるかもしれない、だが、周辺の国は、なんとか、「利用しようとする」朝鮮半島の連中、天皇陛下を「日王」と呼んで、「いつか日王をヒザまづかせる」すると、「ワアッー」とても相手にできない・・・中
Itmaybedifficulttobereleasedfromexperienceoftraumaandsufferingswhichhavebeeninscribedonce.古代の列島には強力な集団がいたが、天皇政権が勝ち残った、それは、「優秀な頭脳集団がいたからではあるまいか」現在も同じ構造、スカスカのソーリでも、なんとかやっていけるのは優秀な官僚群がいるからで、「ボロを出さないでいる」その原因のひとつは、この国の人々の民殿の低さ、彼らにとって、いい先生とは、ボン・クレの挨拶、葬式や結婚式の出席、それをこまめにやるセンセに、「一票を入れてやんべえか」こんなことばかりで、国際情勢や各種のデーターをチェックする時間がない、勢い重用されるのは、いや、仕事ができるのは官僚出身の議員、彼らはそつがない、理想...古代天皇政権の頭脳集団上
高知県選出の国会議員の秘書をした、連日、たくさんの陳情団に対処した、『トウキョウの水はカルキくさい」このくらいはまあまあ、電車に乗ったら真向かいの席の女性がらプ〜ン、「あれはバイドクだな」今でもこうだ、百数十年前は、どうだったか、司馬遼太郎の『竜馬は行く』は、「ウソだな」司馬について、ある作家が、「あいつはウソをつく名人だ」それに、彼は武士が分かっていない。これは、致命的だろう。司馬の実家は薬局、司馬の子供のミルクに料金を請求した、彼の孫である、司馬は、なにも言わずに立っていたらしい、「なんだかすべてがあやしくなる」彼は、時流に乗ったのだ、左翼系のリベラリストが席巻するマスコミに、「日本人の歴史をぶちあげた」これが、当たった。武士が分かっていたのは、「明治の作家までであろうか」作家の真実
1910年12月大審院の法廷、裁判長が、「今上陛下を弑・しいし奉らんとするはなにごとか」母親思いの幸徳秋水、「今の天皇は正統な南朝を騙し三種の神器を奪い取った北朝の子孫だ」「・・・」「おれはみとめない」千古の沈黙、当時の日本人は、それを熟知していた・・・九州の福岡県八女に後醍醐天皇の皇子・懐良・かねよし・かねなが親王の遺跡がある,征西将軍として九州鎮撫に赴いた、もちろん南朝、14世紀は南北朝の時代で、この国をまっぷたつにした、そのトラウマは大逆事件までつづいたのだ。熊野の怒涛のような烈しい感情、この世のしきたりになれない少年のこころ、わがために泣く人ありとききしときとめどころなくなみだこぼれぬ一高で徳富蘆花が、「彼らこそ本当の愛国者である」わがむくろけむりとなりてはてしなきかのおおぞらにかよい行くかも「東...大逆のナミダ
一般参賀が行われた、台湾の老夫婦も参拝しただろうか、人間の集団を導いていくためには、「権力と権威が必要」だが、これが難しい、スターリン崇拝毛沢東崇拝この二つ、「ボロが出た」習近平をコロナが直撃している、これを、「天意と見る中国人がどれだけいるか」北京を訪れた田中角栄に、不倒翁・周恩来が、「昭和天皇さまによろしくお伝えください」これっ、権力の相対性・権威の不可侵性を痛感していたからだろう、だから、ニッポンは、「なんと不思議な国であろう」東洋の英知・人類の悲願。新春の夢であろうか。新春の夢
今年は、イエヤス・家康ブームらしい、ようやく大人の歴史になったか、ヒトには色々な面があるが、家康では、悪い面が強調されすぎてきた、「明治政府の策略だったか」当時のポルトガル・イスパニアはキリスト教で魂を支配して、武力で席巻する、レ・コンキスタの勢いをかって、「殺しに殺しまくる」イエヤスは。これを見破り、「この国を救ってくれた」さて、東西冷戦が終了する際、世界の黒幕は、「どちらを残すか」殺人ヘキのあるオオカミ・痩せたブタの群れ、結局、「10億人の労働力を選ぶ」しかし、民族の本質は変わらない、目をはなすとキバを研ぎ爪を磨く、「痛い目にあわなければやめない」それに、中国のワクチンが効かない、こればかりは、「コピイやパクリはダメだ」プーチン後の世界6
プーチンがキングならキシダはピエロチュゴクさまは「コロナ」タイワン侵攻どころではないスパコンも予測できなかった展開であろうか私の青春の一日。臨時国会が開催される前の自民党の控室、自民党の議員が三々五々、くつろいでいた、あるグループは将棋、「だめだめそれはだめ」「がいやはうるさいの」「そらっとられちゃった」旧制高校のフンイキ、明るい、楽しい、ひとりが、「Mが生きていたらなあー」「あああいつは優秀だった」「フランス語の原書を手ばさなかった」「今のニッポンを見せてやりたかった」教養と品、「ああこれが高度経済成長を成功させたメンバーなんだ」立っている私を見て会釈してくだされた、「わたしの青春の勲章」徴税主義の財務省に対して景気主義の経産省、「なかなかだな」プーチン後の世界5
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