「わたし」は、ユラ、ミサたちとの生活を「魚のような漠然たる生存」と名づける。同時にまた、それは「わたし」の生活に絶望する生活の表現でもある。そして「わたし」はというより石川淳はそうした「魚のような漠然たる生存」に一つの決着をつけようとする。すなわち書き手としての「わたし」は...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・23
《四 音声と音韻》 リズムによって音節が規定され、音節を構成する機能に従って母音と子音が区別されるが、これらの音をさらにその発生的条件によって類別したものが単音である。単音の概念は、純粋に生理的心理的条件を基礎にした概念である。言語の音声は、言語主体の心理的生理的所産であ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・22
《三 母音子音》 音節の分節を規定するものは、リズム形式であり、具体的には調音の変化によって経験的音節となる。音節の内容(要素)は、単音及び単音の結合により構成されている。音節を構成する単音は、母音子音の二つに類別される。母音子音の類別を、音節構成の機能上から説明したい。...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・21
《二 音節》 言語の表現は、リズム的場面へ音声を充填することにより、音の連鎖が幾個かの節に分けられて知覚されることになる。これを表出における型と考えれば、そこにリズムの具体的な形式を認めることができるが、もしこれを充填された音に即していえば、音節として知覚される。音節はリ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・20
《第二篇 各論》 《第一章 音声論》 《一 リズム》 イ 言語における源本的場面としてのリズム 私は言語におけるリズムの本質を、言語における《場面》であると考えた。しかも、リズムは言語の最も源本的な場面であると考えた。源本的とは、言語はこのリズム的場面においての実現を外に...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・19
《十二 言語の史的認識と変化の主体としての「言語」(ラング)の概念》 言語の史的認識は、観察的立場においてなされるものであって、主体的立場においてはつねに体系以外のものではない。主体的言語事実を、排列した時、そこに変化が認められ、しかもそれが時間の上に連続的に排列される時...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・18
《十一 国語及び日本語の概念 附、外来語》 国語の名称は日本語と同義である。国家の標準語あるいは公用語を国語と称することがあるが、それは狭義の用法である。 国語は日本語的性格を持った言語である。 日本語の特性は、それが表現される心理的生理的過程の中に求められなければな...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・17
《十 言語の社会性》 私は、言語を個人の外に存在し、個人に対し拘束力を持つ社会的事実であるとする考えに異議を述べてきたが、言語が各個人の任意によって変更することが許されないという事実や、集団の言語習慣に違背する時には嘲笑されるというような事実は、どのように説明されるべきで...
吉本興業と朝日放送テレビが主催する漫才コンクール「M1グランプリ」が今年も行われ、参加者1万330組の中から令和ロマンというコンビが優勝、1000万円を獲得したそうである。なるほど今の世の中は金、金、2万660人の芸人がそれを求めて殺到したか。その昔(1931年)、ルネ・...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・16
ソシュールからバイイへの展開は、新しい見地をもたらした。「言語活動」(ランガージュ)を「言語」の運用と考え、その運用を通して話し手の生命力が表現されるという見地から、これを研究する文体論は、言語の美学的研究であるとされた。小林英夫氏は次のように説明している。 ◎我々の考え...
◆老木に柿の実二つ残りけり ◆息白き子らを見守る朝の月
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・15
《九 言語による理解と言語の鑑賞》 言語過程説においては、理解は表現と同時に言語の本質に属することである。我々の具体的言語は、表現し、理解する主体的行為によって成立するからである。 ソシュール言語学では、「言語」(ラング)が「言語活動」(ランガージュ)において運用される...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・14
四 言語に対する価値意識と言語の技術 (前・中略) 私は価値意識と技術の対象を《事としての言語》に置く。《事としての言語》とは、言語をもっぱら概念・表象の、音声・文字に置き換えられる過程として見る立場である。物の運用としての《事》でなく、内部的なものの外部への発動における...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・13
三 言語の習得 ソシュールに従えば、言語の習得とは、個人が概念と聴覚映像との連合した「言語」(ラング)を脳中に貯蔵することを意味する(「言語学原論」) これに対して、言語過程観における言語の習得とは、素材とそれに対応する音声あるいは文字記載の連合の習慣を獲得することを...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・12
二 概念 言語の概念は、音声によって喚起される心的内容である。概念というのは、概念されたものの意味である。 私は、言語によって表現される事物、表象、概念は、言語の素材であり、言語を成立させる条件にはなるが、言語の内部的な構成要素となるべきものではないという見地から、概念...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・11
《八 言語の構成的要素と言語の過程的段階》 一 文字及び音声 言語過程説は、その言語本質観に基づいて、言語はすべてその具体的事実においては、主体の行為に帰着する。従って、言語構成説に現れる言語の要素的なものは、全て主体の表現的行為の段階に置き換えられなければならない。 ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・10
《七 言語構成観より言語過程観へ》 ソシュールのいう「言語」(ラング)は、概念と聴覚映像が「互いに喚起し合うものである」と考えたが、それは《もの》ではなく、概念と聴覚映像とが継起的過程として結合されていると考えなければならない。あたかも、ボタンを押すとベルが鳴るというよう...
四 社会的事実としての「言語」(ラング)について ソシュールは、「言語」(ラング)が言語活動の単位であると述べていると同時に、また「言語」(ラング)が社会的所産であるということをいっている。 ソシュールは、「言語」(ラング)を社会的事実として認識するにあたり、次のような...
三 「言」(パロル)と「言語」(ラング)との関係について 今仮に、ソシュールがいうように、聴覚映像と概念との結合した精神的実体が存在するとして、「言語」(ラング)と「言」(パロル)とはどのような関係になるのだろうか。小林氏は次のように説明する。 ◎言とは何であるか。それは...
《六 フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論に対する批判》 一 ソシュールの言語理論と国語学 19世紀初頭の近代言語学の問題は、主として言語の比較的研究及び歴史的研究であったが、19世紀後半、ソシュールが出て言語学界に新たな局面を開いた。それは、これまでの研究の他に、言...
《五 言語の存在条件としての主体、場面及び素材》 言語を音声と概念との結合であるとする考え方は、すでに対象それ自身に対する抽象が行われている。我々は、そのように抽象された言語の分析をする前に、具体的な言語経験がどのような条件の下に存在するかを観察し、そこから言語の本質的領...
《四 言語に対する主体的立場と観察的立場》 ・言語に対して、我々は二の立場の存在を識別することができると思う。 一 主体的立場・・・理解、表現、鑑賞、価値判断 二 観察的立場・・・観察、分析、記述 ・言語は主体を離れては、絶対に存在することのできぬものである。自己の言語を...
《三 対象の把握と解釈作業》 ・言語研究の対象である言語は、これを研究しようとする観察者の外に存在するものでなくして、観察者自身の心的経験として存在するものであることは既に述べた。 ・最も客体的存在と考えられやすい言語は、最も主体的なる(心的なる)存在として考えなければなら...
《二 言語研究の対象》 【要約】 ・自然科学においては、その対象は個物として観察者の前に置かれて居って、その存在について疑う余地がない。ところが言語研究においては、その事情は全く異なって来る。観察者としての我々の耳に響いてくる音声は、ただそれだけ取り出してたのではこれを言語...
《第一篇 総論》 《一 言語研究の態度》 【要約】 ・国語学すなわち日本語の科学的研究の使命とするところは、国語において発見せられるすべての言語的事実を摘出し、記述し、説明し、進んで国語の特性を明らかにすることにあるが、同時に、国語の諸現象より言語一般に通ずる普遍的理論を抽...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年) 《序》 【要約】 ・国語研究の基礎をなす言語の本質観と、それに基づく国語学の体系的組織について述べようと思う。 ・言語過程説というのは、言語の本質を心的過程と見る言語本質観の理論的構成であって、構成主義的言語本質観あるいは...
昨日、今日と、「子殺し」に関する記事が新聞報道されている。《その1》東京新聞5月23日付け朝刊(23面)「本音のコラム・子殺しに思う」(宮子あずさ・看護師):〈5月14日、生後4カ月の長男を殺した母親が逮捕された。殺された子どもはダウン症。母親は「育児に疲れた。一緒に死の...
もともとヴォードヴィリアンだった渥美清を,国民的な俳優に仕立て上げたのが映画「男はつらいよ」のシリーズであったが,そのことで渥美清は本当につらくなってしまったのだと,私は思う。浅草時代の関敬六,谷幹一,テレビ時代の平凡太郎,谷村昌彦らと同様に,渥美清はスラップ・スティック...
テレビで放映された映画「聲の形」(監督・山田尚子・2016年)をDVDに収録、鑑賞した。このアニメーションはウィキペディア百科事典では、以下のように紹介されている。 〈『映画 聲の形』は、京都アニメーション制作の長編アニメーション映画。2016年公開。監督は山田尚子。原...
映画「紳士は金髪がお好き」(監督ハワード・ホークス・1953年・アメリカ)
映画「紳士は金髪がお好き」(監督ハワード・ホークス、出演、マリリン・モンロー、ジェーン・ラッセル、チャールズ・コバーン、1953・アメリカ)〈DVD「世界名作映画BEST50 KEEP〉を観た。「作品解説書」では以下の通り述べられている。〈「ナイアガラ」で悪女として登場し...
映画「終着駅」(監督・ヴィットリオ・デ・シーカ・1953年)
DVDで映画「終着駅」(監督・ヴィットリオ・デ・シーカ・1953年)を観た。《ある青年と恋に落ちた人妻が、別れを決意しひとり列車に乗り込むが・・・、90分のリアルタイムで描かれたメロドラマの傑作。デ・シーカの演出が光る》とパッケージに記されていた。「映画.com」というネ...
映画「白い酋長」(監督・フェデリコ・フェリーニ・1952年)
結婚式を終えた新郎・イヴァンと新婦・ヴァンダは、夜行列車でローマにやって来た。新婚旅行である。ローマにはヴァチカンの高官を務めるイヴァンの叔父一家が住んでいる。イヴァンの計画では、7時ローマ着、10時まで休憩、10時30分親類との挨拶(花嫁紹介)、11時ローマ教皇謁見(2...
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「わたし」は、ユラ、ミサたちとの生活を「魚のような漠然たる生存」と名づける。同時にまた、それは「わたし」の生活に絶望する生活の表現でもある。そして「わたし」はというより石川淳はそうした「魚のような漠然たる生存」に一つの決着をつけようとする。すなわち書き手としての「わたし」は...
さてそれでは石川淳にとって「佳人」が意味するもう一つの意味、すなわち新しい「生活」への出発とはどのようなものであったのか。厳密にいえば、それは新しい「生活」への出発という形を、生活的な意味においてとるものではない。むしろ認識者から表現者へ飛躍するときの一つの契機、そういう...
〈ここでわたしのペンはちょっと停止する。もしわたしがこの叙述を小説に掏りかえようとする野心をもってゐたとしたらば、別にできない相談ではあるまい。〉(前出・51頁) これは「佳人」のおわりの部分の書き出しであるが、石川淳は、斜面をずり落ちてゐった「わたし」について書いてい...
・・・春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はっと夢破れて起きあがった曽呂利が大きな嚏一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。・・・(『曽呂利噺』) 人は石川淳について語るとき、何故石川淳的にならざるを得ないのであろうか。いいかえれば、何故石川淳の言葉で石川淳を語らざる...
さてそれでは、織田がめざした方法上の転換とはそのようなものであったのだろうか。 織田は「郷愁」において、自己の小説方法論をあからさまに述べている。そこにおいては「世相」と「人間」とが対立的にとらえられ、彼の結論は、人間の郷愁への回帰という形をとる。 〈再び階段を登って...
織田は、戦後間もなく発表した「表彰」(『文芸春秋』昭和20年12月号)という作品で次のように書いている。 〈伊三郎が消防部の副班長に任命された頃、お島は警防団から表彰された。表彰式の日お島は名前を呼ばれると、居並ぶ団員の一人一人にペコペコ頭を下げながら団長の前へ出て行った...
織田は、この作品でも、登場人物の内面に立ち入ることをことごとく避け、かわりに船、海、あらし、動物、その他生活用品等で彼らの「生活」を表現している。だがそれは、もはや人間関係そのものを媒介させうる社会的な「物」としてのそれではなく、自然の一部としての人間に対してきわめて並列...
〈ところがある日、賀来子は電球を手にしてしきりに溜息をついてゐる基作をあやしんで、その電球をどうするつもりですかと訊いた。まさか玩具だとも言へず、古い電球を新しい電球にする法を思案してるねんと答へると、そんなことできるんですか。出来ィでかいな。すると賀来子はさうですかと暫...
さてすでに述べたように、織田作之助の方法意識の中には、ストーリー・テリングに対立するものとしての近代的リアリズムへの志向がふくまれていた。私はそのあらわれを「夫婦善哉」「素顔」「天衣無縫」といった作品にみたわけだが、その中でも「夫婦善哉」「素顔」と「天衣無縫」との間には異...
資本主義社会が発展していく中で、かつての封建中流階級は「庶民」として生き抜くために、他ならぬ「庶民」を徹底的にだましつづける他はなかった。いわゆる日本的なブルジョア合理主義とは、伝統的な仏教・儒教道徳としての「勧善懲悪」思想の裏返しとしてあるのであり、それゆえ両者における...
織田作之助は、いわゆる生活というものを平面的な流れとしてとらえる。そしてその流れは、多かれ少なかれ「運命」とよばれる一つの必然性によって支配されている、という認識がある。織田は「雪の夜」において、坂田というひとりの男が、瞳という娘に惚れるということをきっかけに、どこまでも...
周知のように、井原西鶴は江戸時代の封建社会体制をなし崩し的に崩壊せしめる、変革の可能性を裡に秘めた新興階級(町人)、つまり商業資本家の代表者として登場した。従って、井原西鶴の小説は、新興階級の封建社会に対する自己主張であり、中世的な美意識や、儒教道徳を拠りどころとする当時...
織田作之助におけるストーリー・テリングという方法は、「ストーリーの奇抜な変化に凝ったり」するようなものではなかった。 〈その頃、もう人に感付かれた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分かる位醜くたれ下がってゐることに片輪者のやうな負け目を感じ、これ...
織田作之助の「文学」における基本的方法をひとくちでいえば、それはストーリー・テリングという方法である。 〈おれの小説は一気に読める、と彼は豪語していた。いかにも彼の文体はキビキビして、鈍味がなく、素早い頭脳回転に渋滞のあとがなかった。しかし彼の頭脳は素早く回転すればする...
・・・夜を経なくっちゃ、太陽が登らないのだ。・・・(「夜の構図」) 織田作之助、太宰治、坂口安吾、石川淳、この順は彼らの世を去る順であった。そして中島誠は、この順を彼らの文学的資質の順としてみている。 〈必ずしも、淳、安吾、治、作之助の四人は同質の作家ではないだろう。...
さて、もう一度戦後の文学現象をながめてみたい。 1 志賀直哉・永井荷風・正宗白鳥・谷崎潤一郎らの大家の復活 2 上林暁・尾崎一雄・外村繁らによる私小説の復活 3 舟橋聖一・田村泰次郎・石坂洋次郎らの風俗小説 4 川端康成・田宮虎彦・井上靖らの中堅作家 5 織田...
またすぐれた文学を次のように規定している。 〈すぐれた文学とは、われわれを感動させその感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜずにはおられないような文学作品だといってよい。感動しうるためには、その作品はわれわれにとって再経験しうるものでなければ...
さて、ここで注意すべきは、科学も芸術もそのような対立をいわゆる「実践・・認識・・再実践・・再認識」という形でおこなうが、そのとき科学にとっての実践とは正に認識の実用化であり、芸術にとっての実践とはそのような対立の表現であり、その表現はおおむね非実用的なものであるということ...
ところで芸術がそのような人間の生活活動の意識的生産の中から生まれてきたということははたして自明のことであろうか。 思うに、人間がその生活において意識的生産と物質的生産を《同時に》行うとは、いいかえれば人間の生活は意識的生産と物質的生産との対立として存在するということでは...
ここでいう自己疎外とは、人間が絵を描こうと思って描きはじめるや否や、その描かれた絵が独立して、逆に人間を支配しはじめるというそうした人間と絵との関係、もしくは人間の意識活動の内的構造のことである。だがこうした自己疎外という現象は、単に人間の意識活動の中にあるばかりでなく、...
■拒否と否定 《拒否》 【要約】 拒否態度は0歳2カ月ごろから、一定の形で明確に示される。哺乳瓶の代わりにおしゃぶりを与えると、頭を振り、怒って泣く。拒否は、もともと情動的な排除、あるいは嫌悪の直接の結果生じる行動であり、生得的な傾向である。拒否には、否定の性質である“真...
■応答 《返事》 【要約】 応答の最も単純な型は、相手の呼びかけに対する、ウンとかハイのような返事である。この種の応答は1歳前後で生じるが、特定の相手の特定の談話に対する特定の応答(適応的な反応)が生じているのではなく、紋切り型に反響的に反応が起こっているのみである。 前...
■呼びかけと要求 《呼びかけ》 【要約】 呼びかけは、現前する人、あるいは現れることが期待される人に対して伝達する欲求に動機づけられる発声である。注意をひきつける効果の大小に重点が置かれており、音量あるいは音調が重要な役割をはたしている。レベス(Revesz,1956)は...
■感嘆発声 【要約】 初期の感嘆発声は、主として短母音または長母音の強い発出であり、情動の直接的な表出である。子どもの属する社会の言語音からの影響を受けておらず、生得的なものである。これは“一次感嘆発声”あるいは“自然感嘆発声”とよばれている(Revesz,1956;Le...
12 言語的伝達の諸型 ■サルの発声の型と機能 【要約】 京都大学の霊長類研究グループによる十数年間の研究成果が、最近、伊谷(1965)によってまとめられている。伊谷によると、ニホンザルの音声的伝達は機能的につぎの4種類に分類することができる。 ⑴ 叫び声(crying)...
■母親の初語識別 《初語識別》 【要約】 通常、初語は子どもとたえず接している母親によって発見される。母親は、純粋に情動的あるいは喃語的な発声に対しても、これを自分への呼びかけ、あるいは、何かを自分に要求する有意味的発声と解釈しがちである。客観的に有意味とはいえない空疎な...
11 初語 【要約】 “語”は、文のなかの構成分でなければならないから、初語は“語”ではないが、初期の談話は、語に似たまとまり方で1音節ないし2~3音節から成り、機能的にみても、将来の本格的な談話の中に移行していくものが多いから、“語”とよんでも誤りとはいえない。word...
6 言語的伝達の機能の初期分化 【要約】 ここへきてようやく言語的な行動の第1歩がはじまる。それは、言語形式に従う適応的な伝達の開始ということである。この期から、子どもは言語を利用して外界に適応する方法を徐々に、しかし積極的に習得していく。 まず、初語の問題をとりあげ、...
■言語理解の透明性 【要約】 音声は談話の聴取においては“透明”だといわれる。このことは、“話”という語がつぎのような広い意味範囲にわたって用いられる事実からも立証される。 まず、“話”という語は、言語行動の一形態としての意味に用いられる。 ⑴ 活動ないし能力(2歳児は十...
《自己行動調整機能の発達》 はじめ他者への伝達手段であった談話が、子ども自身が自己の行動を統制し組織化するための手段を分化すること、および、まえには二人のひとに分かれていた“話すー聞く”という機能が、のちに個人行動の中へ統一的に内化されること。この発達過程を分析する方法が...
9 言語理解 【要約】 言語理解は子どもの知的発達に大きな寄与をする。そのような寄与がどのように発達変化するか、その発達を規定する要因は何かについて考えてみたい。 ■ 談話の自己行動調整機能 自己行動に対する談話の調整機能の発達過程についての実験的研究の成果を検討する...
《代表過程と条件づけ》 【要約】 二つの事項間の任意的な関係は、言語的代表過程に限らず、非言語的過程にも存在する。接近連合、あるいは条件づけによって、連合される二つの事項の間に有縁性があってもなくても、両者間に結びつきが生じる。 連合における結合は、一つ一つが孤立してい...
《代表過程の二つの発達水準》 【要約】 代表過程とは、“代表するもの”と“代表されるもの”との間の分化である。ピアジェ(Piaget,1945)に従って、“代表するもの”を“能記”、“代表されるもの”を“所記”とよぶ。この二つの用語は、フランスの言語学者ソシュール(Sau...
■範疇化 【要約】 代表過程の発生と発達を具体的に考えてみる。認知に対して作用する代表機能は、要するに、客観的事象を意味的なものへと変形することであり、範疇化することである。 特定の1匹の動物が特定の“そのもの”としてではなく、“イヌ”という範疇(カテゴリー)ないし級(...
《ピアジェの見解》 【要約】 ピアジェ(Piaget,1933,1934,1945)は、知覚が行為的経験を媒介としてはじめて発達すると考えている。前述したマッチ箱場面(父親が1歳4カ月の女児の目の前でマッチ箱をあけ、そのなかに鎖を入れ、箱の口を少しあけたまま彼女にさし出す...
■認知と行為 【要約】 代表機能の最も単純で直接な水準は知覚である。知覚が行為的な経験とどのように因果的に関係しているかについて、二つの対立する見解がある。その一つは、人間の知覚は代表機能によって支えられるが、この機能は、人間においては視覚や聴覚とならんで一つの基本的で生...
■非言語的な経験 《“内言語”の非言語性》 【要約】 言語的代表過程が形成されるための要件の一つとして、マイクルバスト(Myklebust,1960) は、“内言語”なるものを考えている。“内言語”はビゴツキーの“内言”とは異なる概念である。“内言”は談話の内面化ないし思...
東京のデパートで開かれていた「大黄金展」の会場から1040万円の純金製茶碗が盗まれた。犯人Aはこの茶碗を古物買い取り店Bに180万円で売却した。古物買い取り店Bは同じ日に古物買い取り店Cに約480万円で転売した。 したがって、Aは180万円、Bは約300万円、Cは約56...
8 認知世界の形成 【要約】 子どもは、まず言語を学び、つぎにそれを基礎として意味的経験をするようになっていくのではなく、はじめに意味的経験をし、その経験を深めていく途中から、それを基礎として言語の影響を徐々に受けるようになっていくのである。意味的経験がなければ、言語の経...
■聴力 【要約】 談話を聞く場合、談話の全体が必ずしも遺漏なく聞きとれるということはなく、また、つねにそうである必要もない。その理由の一つは、談話の行われる状況、談話そのものの置かれている文脈、あるいは広い知識・経験などが、聴取欠損部を補うのに役立つということにある。この...