三 懸詞による美的表現 イ 懸詞の言語的特質 懸詞とは一語で二語に兼用し、あるいは前句後句を一語で二つの意味を連鎖する修辞学上の名称である。 ● 花の色はうつりにけりな徒にわが身世に(ふる)(ながめ)せしまに(「古今集」) 「ふる」は「経る」「降る」の二語に、「ながめ」...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・67
三 懸詞による美的表現 イ 懸詞の言語的特質 懸詞とは一語で二語に兼用し、あるいは前句後句を一語で二つの意味を連鎖する修辞学上の名称である。 ● 花の色はうつりにけりな徒にわが身世に(ふる)(ながめ)せしまに(「古今集」) 「ふる」は「経る」「降る」の二語に、「ながめ」...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・66
三 屈折型 a↗↘b→c→d 例えば「猿!」と呼ばれている人を振り向いて見ると、なるほど猿によく似ている。この滑稽感は、顔そのものや猿の概念、事象が滑稽なのではない。人間と猿との連想があまりに意外であり、もっともだという同感が伴った場合に滑稽に感じるのである。このように、...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・65
二 語の美的表現 語は以下のような過程的構造形式を持っている。 《起点》(具体的事物、事象) ↓ 《第一次過程》(概念) ↓ 《第二次過程》(聴覚映像)) ↓ 《第三次過程》(音声) ↓ 《第四次過程》(文字)) 従って、語の美的表現ということは、上の過程的構造の...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・64
次に、リズムはどのようにして美の要素となるのだろうか。 リズムは一般にその基本単位が群団化して、より大きなリズム単位を構成する。国語におけるリズム形式の群団化の方法は、音声の休止である。言い換えれば、リズムを充填すべき調音を省略することである。|はリズム形式の限界すなわ...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・63
第六章 国語美論 一 音声の美的表現 言語の美は、絵画における美のように視覚的要素の構成の上に成立するものではなく、言語過程といわれる主体的表現行為の上に構成されるものであり、それは身体的運動の変化と調和から知覚される美的快感に類するものである。従って、言語美学の考察は、...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・62
四 詞辞の敬語的表現の結合 敬語表現を理解するためには、まず話し手(甲)、聞き手(乙)、素材および素材に関連する人(丙・丁)、それらの相互関係を明らかにしておく必要がある。 (一)まず表現素材について、これを構成する要素を明らかにする。すなわち丙、丁の関係を考える。今、...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・61
次に敬辞を列挙する。 一 「ます」 動詞連用形に付き、「花が咲きます」「本があります」「御座ります」となる。 二 「です」 形容詞終止形に接続して、「山が高いです」となり、また動詞終止形に接続して、「花が咲くです」「本があるです」となり、体言に接続して。「花です」「駄...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・60
三 言語の主体的表現(辞)に現れた敬語法 言語における主体的なものの表現も、場面の制約を受けて敬語となるが、これはもっぱら、主体の聞き手に対する敬意の表現となる。 ● お暑うございます。 ・・・ございませう。 ● お庭を拝見します。 ・・・ました。 上の「ございます」「...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・59
詞に関する敬語が、素材的事実の特殊な概念的把握の表現であって、話し手の敬意そのものの表現ではないということは、敬語の構成法(表現過程の形式)を考察すれば明らかになることである。その構成法を例示する。 その一 「あげる」「くださる」「いただく」 その一は、概念の比喩的移行...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・58
ロ 素材と素材との関係の把握 甲は話し手、乙は聞き手、丙丁は素材的事実、丙および丁は素材的事実の成立に関与する人とする。丙丁と話し手甲との関係を問題外として、丁と丙が同等ならば「丁が丙にやる」だが、丁が丙より上位なら「丁が丙に下さる」となり、丁が丙より下位なら「丁が丙に差...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・57
その二 お・・になる お・・になられる 「お書きになる」「お書きになられる」等と使用される。これらの表現が敬語となるのは、「る」「らる」の場合と同様、ある事実の直叙を避ける方法に基づく。「なる」は「白くなる」「暖かくなる」の「なる」であって、他者がある行為において実...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・56
次に、詞としての敬語は、全く素材の表現に関するものであることを、敬語の構成法の上から明らかにしようと思う。 敬語の語彙論的構成法を考察することは、(敬語の対象を追求することではなく)ある事実が話し手によってどのように規定され表現されるかを明らかにすることである。すでに述...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・55
事物の概念的把握による語の構成は、語彙論に属するから、敬語的表現(敬語的構成)は語彙論に所属しなければならない。敬語的系列は語彙的系列である。この見解は、文法体系の組織に関連して、重要な結論を導く。 「咲くだろう」という語は詞と辞の結合で、「咲く」という事実の概念に話し手...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・54
次に、敬語はどのような理由で、国語の特性と考えることができるかを明らかにしようと思う。それを日本民族の美風の現れなどと、民族精神の云々をする前に、敬語の語学的特質を究める必要がある。敬譲の表現は外国語にもある。従って、国語における敬語の特質が奈辺にあるかということが問題に...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・53
二 言語の素材の表現(詞)に現れた敬語法 イ 話し手と素材の関係の規定 詞は、事物(素材)の概念的把握によって成立するが、その中から敬語というものを特に取りだして区別するのはどのような根拠によるものか、について述べたい。 それにはまず、詞の成立する過程(素材の概念的把握...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・52
第五章 敬語論 一 敬語の本質と敬語研究の二の領域 国語はいかなる場合においても、敬語的制約から免れることはできない。敬語はほとんど国語の全貌を色づけしているものだから、国語現象の科学的記述と組織を企てようとすれば、まず国語を彩るこの多様な色彩様相に着目してれを正当に処理...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・51
三 意味の表現としての語 言語主体の事物に対する意味作用はどのように成立し、どのように言語に表現されるのだろうか。ここでは、意味そのものの成立の条件について論じようと思う。 意味は言語主体の素材に対する関係によって規定される。一本の枝が「杖」と表現されるためには、主体の...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・50
二 意味の理解と語源 言語の意味という中には、主体が事物を把握する仕方と、把握された対象とが含まれている。言語の意味をこのように解することは、私の根本的な言語の本質観に基づいている。 「言」(パロル)は我々の脳裏に蓄積された「言語」(ラング)の具体的な実現であり、非限定...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・49
第四章 意味論 一 意味の本質 意味は音声と同様に、一般には言語の構成要素の一つと考えられている。意味を理解することは、音声形式によって、それに対応する表象・概念を喚起することだと考えられているが、音声によって喚起されるものは、心的表象、概念、具体的事物であって、それは言...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・48
(六)格の転換 国語の文の構造は、詞が辞によって総括され、それがさらに順次に詞辞の結合したものに包摂されるという入子型構造の形式によって統一されるものである。従って、文の成分を分析し、あるいはこれを統一した文として理解するためには、文における格が、つねに他の格に転換すると...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・47
(三)修飾格と客語および補語格 修飾格は、連体修飾格(形容詞的修飾格)と連用修飾格(副詞的修飾格)に二分されるのが普通である。修飾格の位置に立つものが修飾語である。修飾語は、文に包摂されたものが分立して表現されたものだから、主語、客語、補語等と本質的に区別されるべきもので...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・46
(二)主語格と対象語格 述語格から分立する主語、客語、補語等は、述語との論理的規定に基づき、述語に対する主体、あるいはその客体、目的物等の主体的弁別に基づいて現れてくる。国語の形容詞及び動詞のあるものについては、次のような特殊な現象を認めることができる。 ●甲 色が赤い。...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・45
ニ 文における格 (一) 述語格と主語格 附、客語補語賓語等の格 これまで文の成立に関する形式について述べてきたが、文にはそのような形式によって統一され、完結される内容の存在が必要である。判断するためには、判断される事実とその表現がなければならない。感情の表現には、感情の...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・44
ハ 文の完結性 文の本質は詞と辞の結合であるが、それは文成立の一半であって、さらに一つの重要な条件は、思想の表現が完結されているということである。 「花・は」「雨降る・べく」「美しけれ・ども」は詞と辞が結合しているが、これを文とは考えない。なぜなら、思想が完結されず、下...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・43
四 文の成立条件 イ 文に関する学説の検討(略) ロ 文の統一性 文は、一つの統一体を構成する条件を必要とする。以下、文の意識を構成する諸条件について私見を述べる。 まず私は、言語は話者の思想的内容を音声あるいは文字に表現する心的過程の一形式であると考える。さらに厳密に...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・42
三 単語の排列形式と入子型構造形式 国語における語の排列形式を全面的に考察し、思想表現の構造を明らかにしたい。それは、国語における文の概念を明らかにするために必要な階梯である。 文の分解によって認定される具体的なものは、つねに詞辞の結合であること、この詞辞の結合は、音声...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・41
山田孝雄氏は助動詞を複語尾として辞の概念より切り離し、動詞が語尾を分出したものと考えられた。接尾語(接尾辞)は、単語の内部の遊離した部分であって、これが附属して新しい概念を有する単語を構成するものと考えられた。この見解においては、複語尾は動詞に附属して新しい単語を構成する...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・40
以上、辞の中で活用のある動辞(助動詞)と詞との転換について述べたが、次に活用のない静辞(助詞)の詞との転換について述べる。 「はかり」は元来詞として体言的に用いられる語である。 ● いづくを(はかり)と我も尋ねむ。 ● 三月(ばかり)も空うららかなる日。 ● 雨が降っ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・39
次に、辞より詞に転換する場合について述べる。 詞の総合的表現においては、しばしば主観と客観との対応が総合的に表現されているが、詞辞の転換においても同じようなことがいえる。ここでは、主体と客体との総合的表現が認められるのである。「花が咲かない」の「ない」に対応するものは「...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・38
ヘ 詞辞の転換及び辞と接尾語との本質的相違 詞と辞とは語の性質上本質的に相違すものだが、「あり」に詞としての用法と、辞としての用法があるということは、どのようなことを意味するのだろうか。 最初から「あり」に二つの用法があったと解すべきか、または一方の用法が他の用法に転換...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・37
ホ 辞より除外すべき受身可能使役敬譲の助動詞 辞すなわち助動詞は、過程的構造についていえば、概念過程を持たない語であり、その表現性からいえば、詞が客体的なものの表現であるのに対して、辞は主体的なものの直接的表現であるといえる。詞は第三者のことについて述べることができるが、...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・36
「あり」に辞としての用法があるという考え方によって、「なし」にも、辞としての用法がある。「なし」は元来、形容詞であって、詞に属すべきものだが、それが次第に肯定判断に対立する否定判断を表すようになってくる。本来、否定判断は「ず」あるいは「あらず」を用いるのが普通である。 ●...
「知的障害」とは何か。「物覚え」(記憶力)や「物わかり」(弁別力・類推力など)が同年齢の集団に比べて劣っており、学習や生活に支障が生じている状態のことであろう。私は35年間、教職についていたが、そのうち15年間余りは「知的障害児」と呼ばれる子どもたちにかかわっていた。彼ら...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・35
「あり」に存在詞としての意味と、判断辞としての意味が存在することは、「て」「に」と結合する場合にも現れてくる。「て」と「あり」の結合。この結合が口語に「た」となった時、 ● 昨日見(た)。 ● あなたに送っ(た)本。 上のような「た」は、明らかに辞としての用法だが、 ●...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・34
再び形容詞連用形接続の「あり」について考えて見ると、そこには詞としての「あり」と、辞としての「あり」の二通りがあると思われるが、「暖いです」「暖うございます」の「です」「ございます」は明らかに辞としての用法だが、次のような場合はどのように考えればよいだろうか。 ● 殿下は...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・33
次に、形容詞の連用形に結合した「あり」がある。 ●この冬は暖かり(く・あり)き この例においては、すでに零記号の陳述が加わった「暖かく」に「あり」が結合したもので、その形式は「学生で」に「あり」が結合したものと同じである。 *山田孝雄氏はこの「あり」を形容存在詞と命名し...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・32
ニ 辞と認めるべき「あり」および「なし」の一用法 現行文法書の助詞および助動詞は、私のいう辞に合致するものだが、なお幾分の出入りを認めなければならない。 その一は、一般に動詞として詞に属すると考えられている「あり」およびその一群の語である。 ● ここに梅の木がある。 ●...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・31
ハ 詞辞の下位分類 詞と辞の二大別の原理は、詞辞の下位分類においても厳重に守られなければならない。詞の中には絶対に辞の概念を含めてはならないのである。詞と辞の意味的関係は、「雨が」という連語を取りあげて見ると、「雨」および「が」という各々の単語は《「雨」(が)》という図が...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・30
ロ 詞辞の意味的連関 詞は概念過程を経て成立したものであるから、主体に対立する客体界を表現し、辞は主体それ自身の直接的表現である。これを図に表せば次のようになる。 C(詞) A(主体)→B(辞)↗ ↘ ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・29
《二 単語における詞・辞の分類とその分類基礎》 イ 詞・辞の過程的構造形式 単語は、その過程的形式の中に重要な差異を認めることができる。 一 概念過程を含む形式 二 概念過程を含まない形式 一は、表現の素材を、いったん客体化し、概念化してこれを音声によって表現する。「山...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・28
《第三章 文法論》 《一 言語における単位的なもの ・・・単語と文・・・》 言語研究で、単語が言語の単位であるとしばしばいわれるが、単位とはどのような事実をいうのかを考えてみる必要がある。しかし、単位とは何であるかに答えることは容易ではない。一般に使用される単位の概念には...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・27
《三 文字の記載法と語の変遷》 文字は言語表現の一段階であり、思想伝達の媒介に過ぎない。また文字は、異なった社会にも隔たった時代にも媒介の機能を持つので、言語の変遷に及ぼす力は大きい。 例えば、ミモノ→見物→ケンブツ、モノサワガシ→物騒→ブッソウのように漢字的記載を媒介...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・26
《二 国語の文字記載法(用字法)の体系》 用字法の体系とは、主体的用字意識の体系に他ならない。 言語主体が文字によって何を表そうとしたか、どのような用意があったか等の主体的な表現技術及び意図を探ることになる。 国語の文字を分類すると次の二つに分けられる。 一 言語にお...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・25
《第二章 文字論》 《一 文字の本質とその分類》 文字の本質は言語過程の一段階である。それは二つの側面からいうことができる。その一は、文字は、「書く」「読む」という心理的生理的過程によって成立する。音声が発音行為によって成立するのと同じで、文字は書記行為であるといえる。文...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・24
《五 音声の過程的構造と音声の分類》 自然的音声の分類基礎がもっぱらその物理的条件にあるということは、音響の本質がそこにあるからである。これに反して、言語の音声は、それが成立するためには、主体的な発音行為を必要とする。主体的意識としての聴覚的音声表象は、発音行為の一段階と...
「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・23
《四 音声と音韻》 リズムによって音節が規定され、音節を構成する機能に従って母音と子音が区別されるが、これらの音をさらにその発生的条件によって類別したものが単音である。単音の概念は、純粋に生理的心理的条件を基礎にした概念である。言語の音声は、言語主体の心理的生理的所産であ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・22
《三 母音子音》 音節の分節を規定するものは、リズム形式であり、具体的には調音の変化によって経験的音節となる。音節の内容(要素)は、単音及び単音の結合により構成されている。音節を構成する単音は、母音子音の二つに類別される。母音子音の類別を、音節構成の機能上から説明したい。...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・21
《二 音節》 言語の表現は、リズム的場面へ音声を充填することにより、音の連鎖が幾個かの節に分けられて知覚されることになる。これを表出における型と考えれば、そこにリズムの具体的な形式を認めることができるが、もしこれを充填された音に即していえば、音節として知覚される。音節はリ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・20
《第二篇 各論》 《第一章 音声論》 《一 リズム》 イ 言語における源本的場面としてのリズム 私は言語におけるリズムの本質を、言語における《場面》であると考えた。しかも、リズムは言語の最も源本的な場面であると考えた。源本的とは、言語はこのリズム的場面においての実現を外に...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・19
《十二 言語の史的認識と変化の主体としての「言語」(ラング)の概念》 言語の史的認識は、観察的立場においてなされるものであって、主体的立場においてはつねに体系以外のものではない。主体的言語事実を、排列した時、そこに変化が認められ、しかもそれが時間の上に連続的に排列される時...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・18
《十一 国語及び日本語の概念 附、外来語》 国語の名称は日本語と同義である。国家の標準語あるいは公用語を国語と称することがあるが、それは狭義の用法である。 国語は日本語的性格を持った言語である。 日本語の特性は、それが表現される心理的生理的過程の中に求められなければな...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・17
《十 言語の社会性》 私は、言語を個人の外に存在し、個人に対し拘束力を持つ社会的事実であるとする考えに異議を述べてきたが、言語が各個人の任意によって変更することが許されないという事実や、集団の言語習慣に違背する時には嘲笑されるというような事実は、どのように説明されるべきで...
吉本興業と朝日放送テレビが主催する漫才コンクール「M1グランプリ」が今年も行われ、参加者1万330組の中から令和ロマンというコンビが優勝、1000万円を獲得したそうである。なるほど今の世の中は金、金、2万660人の芸人がそれを求めて殺到したか。その昔(1931年)、ルネ・...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・16
ソシュールからバイイへの展開は、新しい見地をもたらした。「言語活動」(ランガージュ)を「言語」の運用と考え、その運用を通して話し手の生命力が表現されるという見地から、これを研究する文体論は、言語の美学的研究であるとされた。小林英夫氏は次のように説明している。 ◎我々の考え...
◆老木に柿の実二つ残りけり ◆息白き子らを見守る朝の月
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・15
《九 言語による理解と言語の鑑賞》 言語過程説においては、理解は表現と同時に言語の本質に属することである。我々の具体的言語は、表現し、理解する主体的行為によって成立するからである。 ソシュール言語学では、「言語」(ラング)が「言語活動」(ランガージュ)において運用される...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・14
四 言語に対する価値意識と言語の技術 (前・中略) 私は価値意識と技術の対象を《事としての言語》に置く。《事としての言語》とは、言語をもっぱら概念・表象の、音声・文字に置き換えられる過程として見る立場である。物の運用としての《事》でなく、内部的なものの外部への発動における...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・13
三 言語の習得 ソシュールに従えば、言語の習得とは、個人が概念と聴覚映像との連合した「言語」(ラング)を脳中に貯蔵することを意味する(「言語学原論」) これに対して、言語過程観における言語の習得とは、素材とそれに対応する音声あるいは文字記載の連合の習慣を獲得することを...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・12
二 概念 言語の概念は、音声によって喚起される心的内容である。概念というのは、概念されたものの意味である。 私は、言語によって表現される事物、表象、概念は、言語の素材であり、言語を成立させる条件にはなるが、言語の内部的な構成要素となるべきものではないという見地から、概念...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・11
《八 言語の構成的要素と言語の過程的段階》 一 文字及び音声 言語過程説は、その言語本質観に基づいて、言語はすべてその具体的事実においては、主体の行為に帰着する。従って、言語構成説に現れる言語の要素的なものは、全て主体の表現的行為の段階に置き換えられなければならない。 ...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・10
《七 言語構成観より言語過程観へ》 ソシュールのいう「言語」(ラング)は、概念と聴覚映像が「互いに喚起し合うものである」と考えたが、それは《もの》ではなく、概念と聴覚映像とが継起的過程として結合されていると考えなければならない。あたかも、ボタンを押すとベルが鳴るというよう...
四 社会的事実としての「言語」(ラング)について ソシュールは、「言語」(ラング)が言語活動の単位であると述べていると同時に、また「言語」(ラング)が社会的所産であるということをいっている。 ソシュールは、「言語」(ラング)を社会的事実として認識するにあたり、次のような...
三 「言」(パロル)と「言語」(ラング)との関係について 今仮に、ソシュールがいうように、聴覚映像と概念との結合した精神的実体が存在するとして、「言語」(ラング)と「言」(パロル)とはどのような関係になるのだろうか。小林氏は次のように説明する。 ◎言とは何であるか。それは...
《六 フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論に対する批判》 一 ソシュールの言語理論と国語学 19世紀初頭の近代言語学の問題は、主として言語の比較的研究及び歴史的研究であったが、19世紀後半、ソシュールが出て言語学界に新たな局面を開いた。それは、これまでの研究の他に、言...
《五 言語の存在条件としての主体、場面及び素材》 言語を音声と概念との結合であるとする考え方は、すでに対象それ自身に対する抽象が行われている。我々は、そのように抽象された言語の分析をする前に、具体的な言語経験がどのような条件の下に存在するかを観察し、そこから言語の本質的領...
《四 言語に対する主体的立場と観察的立場》 ・言語に対して、我々は二の立場の存在を識別することができると思う。 一 主体的立場・・・理解、表現、鑑賞、価値判断 二 観察的立場・・・観察、分析、記述 ・言語は主体を離れては、絶対に存在することのできぬものである。自己の言語を...
《三 対象の把握と解釈作業》 ・言語研究の対象である言語は、これを研究しようとする観察者の外に存在するものでなくして、観察者自身の心的経験として存在するものであることは既に述べた。 ・最も客体的存在と考えられやすい言語は、最も主体的なる(心的なる)存在として考えなければなら...
《二 言語研究の対象》 【要約】 ・自然科学においては、その対象は個物として観察者の前に置かれて居って、その存在について疑う余地がない。ところが言語研究においては、その事情は全く異なって来る。観察者としての我々の耳に響いてくる音声は、ただそれだけ取り出してたのではこれを言語...
《第一篇 総論》 《一 言語研究の態度》 【要約】 ・国語学すなわち日本語の科学的研究の使命とするところは、国語において発見せられるすべての言語的事実を摘出し、記述し、説明し、進んで国語の特性を明らかにすることにあるが、同時に、国語の諸現象より言語一般に通ずる普遍的理論を抽...
「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年) 《序》 【要約】 ・国語研究の基礎をなす言語の本質観と、それに基づく国語学の体系的組織について述べようと思う。 ・言語過程説というのは、言語の本質を心的過程と見る言語本質観の理論的構成であって、構成主義的言語本質観あるいは...
昨日、今日と、「子殺し」に関する記事が新聞報道されている。《その1》東京新聞5月23日付け朝刊(23面)「本音のコラム・子殺しに思う」(宮子あずさ・看護師):〈5月14日、生後4カ月の長男を殺した母親が逮捕された。殺された子どもはダウン症。母親は「育児に疲れた。一緒に死の...
もともとヴォードヴィリアンだった渥美清を,国民的な俳優に仕立て上げたのが映画「男はつらいよ」のシリーズであったが,そのことで渥美清は本当につらくなってしまったのだと,私は思う。浅草時代の関敬六,谷幹一,テレビ時代の平凡太郎,谷村昌彦らと同様に,渥美清はスラップ・スティック...
テレビで放映された映画「聲の形」(監督・山田尚子・2016年)をDVDに収録、鑑賞した。このアニメーションはウィキペディア百科事典では、以下のように紹介されている。 〈『映画 聲の形』は、京都アニメーション制作の長編アニメーション映画。2016年公開。監督は山田尚子。原...
映画「紳士は金髪がお好き」(監督ハワード・ホークス・1953年・アメリカ)
映画「紳士は金髪がお好き」(監督ハワード・ホークス、出演、マリリン・モンロー、ジェーン・ラッセル、チャールズ・コバーン、1953・アメリカ)〈DVD「世界名作映画BEST50 KEEP〉を観た。「作品解説書」では以下の通り述べられている。〈「ナイアガラ」で悪女として登場し...
映画「終着駅」(監督・ヴィットリオ・デ・シーカ・1953年)
DVDで映画「終着駅」(監督・ヴィットリオ・デ・シーカ・1953年)を観た。《ある青年と恋に落ちた人妻が、別れを決意しひとり列車に乗り込むが・・・、90分のリアルタイムで描かれたメロドラマの傑作。デ・シーカの演出が光る》とパッケージに記されていた。「映画.com」というネ...
映画「白い酋長」(監督・フェデリコ・フェリーニ・1952年)
結婚式を終えた新郎・イヴァンと新婦・ヴァンダは、夜行列車でローマにやって来た。新婚旅行である。ローマにはヴァチカンの高官を務めるイヴァンの叔父一家が住んでいる。イヴァンの計画では、7時ローマ着、10時まで休憩、10時30分親類との挨拶(花嫁紹介)、11時ローマ教皇謁見(2...
映画「アフリカの女王」(監督ジョン・ヒューストン、イギリス・1951年)を観た。たいそう面白かった。舞台はアフリカ奥地のある集落。イギリス人の牧師兄妹が原住民を集めて、賛美歌を合唱している。そこは、密林の中に開けた平地の一郭であろうか。物資の輸送は水路に頼るものとみえ、蒸...
映画「ストロンボリ 神の土地」(監督・ロベルト・ロッセリーニ・1950年)
この映画は女優イングリッド・バーグマンが、監督ロベルト・ロッセリーニの作品を観て感動、自分もぜひこの監督の下で演技したいと思い、直接、懇願して出来上がったものだそうだ。なるほど、冒頭から結末まで、カメラは「舐めるように」イングリッド・バーグマンの姿を追い、ほとんど「一人芝...
映画「ドイツ零年」(監督・ロベルト・ロッセリーニ・1948年)
DVDで「ドイツ零年」(監督・ロベルト・ロッセリーニ・1948年)を観た。舞台は戦後まもなくのベルリン・・・。廃墟と化したビル群、至る所に瓦礫の山、その中をフォルクスワーゲンが行き交っている。まさに古代遺跡のような敗戦の都市で、健気にも12歳の少年が大人に混じって働いてい...
映画「揺れる大地・海の挿話」(監督・ルキノ・ヴィスコンティ・1948年)
この映画について、ウィキペディア百科事典では、以下のように解説されている。 〈シチリア島の漁村を舞台に、漁民一家のたどる辛苦の日々をドキュメンタリータッチで描いた、ネオ・レアリズモの代表的作品。全篇がシチリアの漁村アーチ・トレッツァで撮影され、出演者は全員シチリア島に住む...
映画「コロラド」(監督ヘンリー・レヴィン、原作ボーデン・チェイス、出演グレン・フォード、ウィリアム・ホールデン、エレン・ドリュー、レイ・コリンズ)《「世界名作映画BEST50」DVD・KEEP》を観た。「作品解説書」には以下の通り述べられている。〈グレン・フォードとウィリ...
映画「ブローニュの森の貴婦人たち」(監督・ロベール・ブレッソン・1944年)
DVDで映画「ブローニュの森の貴婦人たち」(監督・ロベール・ブレッソン・1944年)を観た。舞台はパリ、登場人物は貴族の女性・エレーヌ(マリア・カザレス)、その恋人・ジャン(ポール・ベルナール)、エレーヌの故郷の隣人(リュシェンヌ・ホガエル?)の娘・アニエス(エリナ・ラブ...
映画「カサブランカ」(監督マイケル・カーチス、原作マーレイ・バーネット、出演ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード、クロード・レインズ・1942年)《「世界名作映画BEST50」DVD・KEEP》を観た。「作品解説書」には以下の通り述べられてい...
映画「肉弾鬼中隊」(監督・ジョン・フォード・1934年、世界名作映画DVD)を観た。解説には〈ジョン・フォード監督としては珍しい戦争映画。第一次大戦中、砂漠に迷って敵に囲まれてしまった英国中隊が反抗するかという壮絶なアクションをお楽しみいただきけます〉とあったが、内容は「...
DVDでフランス映画「自由を我等に」(監督・ルネ・クレール・1931年)を観た。まだサイレント時代の面影が残る映像で、あのチャップリンのスラップ・ステックコメディともどこか共通する作品であった。冒頭場面は刑務所の中、囚人達が「流れ作業」で玩具の馬を作っている場面から始まる...
DVDで映画「巴里の屋根の下」(監督・ルネ・クレール・1930年)を観た。この映画はルネ・クレール監督のトーキー第一作目の作品である。だから、まだサイレント時代の空気が色濃く残っている。登場人物の会話の詳細は語られず(表情、ジェスチャーだけでパントマイム風に描出され)、要...
ユーチューブで映画「女の歴史」(監督・成瀬巳喜男・1963年)を観た。この映画には三組の男女が登場する。一は清水幸一(宝田明)と信子(高峰秀子)の夫婦、二は幸一の父・清水正二郎(清水元)と母・君子(賀原夏子)の夫婦、三は幸一の息子・功平(少年期・堀米広幸、成人後・山崎努)...
映画「非行少女」(監督・浦山桐郎・1963年)をDVDで観た。戦後の青春映画の中でも屈指の名作である。原作は森山啓の「青い靴」(三郎と若枝)、ストリーは以下の通りである。【サイト「映画.com」より引用】 〈十五歳の若枝はうす汚ないバーで酔客と酒を飲み、ヤケクソのように女...
60年ぶりに、映画「名もなく貧しく美しく」(監督・松山善三・1961年)を観た。私が中学3年の3学期のとき、新宿の映画館で封切りされた。当時は、高峰秀子と小林桂樹の「迫真の演技」に感動して「将来、聾学校の教員になりたい」と思った。その後、成人して、10年間余り「聴覚障害教...
DVDで映画「日本の夜と霧」(監督・大島渚・1960年)を57年ぶりに観た。当時、私は学生だったので「大変興味深く」「共感をもって」鑑賞したことだけは記憶にあるが、登場人物の誰に共感したかは定かではない。かすかに最後の場面で、党員の学生がステロタイプ化した弁舌を機械音のよ...
ユーチューブで映画「にごりえ」(監督・今井正・1953年)を観た。樋口一葉の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」が原作、三話の長編(130分)オムニバス映画である。文学座、前進座、東京俳優協会の錚々たるメンバーが顔を揃えており、第一話「十三夜」では、丹阿弥谷津子、芥川比呂...
この映画のあらすじ(「映画.com」https://eiga.com/movie/37351/より引用)は以下のとおりである。 《両親に結婚を反対されたため、連れ立って栃木から上京した義治と蔦枝は、どこへ行くアテもなく夕暮の浅草吾妻橋附近を歩いていた。以前廓にいた好みで洲...
DVD(新東宝【歌謡シリーズ】傑作選)で映画「芸者ワルツ」(監督・渡辺邦男・1952年)を観た。その内容は「元伯爵の令嬢から一転、花柳界へ身を沈めた薄倖の女性。芸者ゆえに身にしみる恋の辛さに隠れて泣いた舞扇」と要約されているが、大詰めはハッピー・エンドで締めくくられる。元...
ユーチューブで映画「三百六十五夜」(監督・市川崑・1948年)を観た。原作は小島政二郎の恋愛通俗小説(メロドラマ)である。登場人物は、川北小六(上原謙)、大江照子(山根寿子)、その母(吉川満子)、その父(河村黎吉)、小牧蘭子(高峰秀子)、津川厚(堀雄二)、姉小路三郎(田中...
芸人であれ、政治家であれ、ひとたび世間に醜聞を晒した者は、二度と人前に立つべきではない。謝罪をするのは当然だが、それで許されるはずがないのである。 にもかかわらず、吉本芸人Mといい、国民民主党代表Tといい、未だに無様な姿をさらし続けている。「どの面下げて・・・」という言...
ユーチューブで映画「素晴らしき日曜日」(監督・黒澤明・1947年)を観た。敗戦直後の東京を舞台に、ある日曜日、貧しい恋人同士が(週1回の)ランデブー(今で言うデート)を楽しむはずであったのだが・・・。新宿の街頭で待つ男、満員の省線電車を飛び降りて男のもとに駆け寄る女、二人...
戦前の邦画「旅役者」(監督成瀬巳喜男・東宝・1940年)をユーチューブで観た。大変おもしろい。田舎町を旅する中村菊五郎(高勢実乗)一座の物語である。一座の当たり狂言は「塩原太助」。馬の役を務めるのは俵六(藤原鶏太)と仙平(柳谷寛)のコンビである。俵六は、馬の脚を演らせたら...
ユーチューブで映画「ことぶき座」(監督・原研吉・1945年)を観た。この映画が作られたのは、敗戦直前の昭和20年6月、当時の社会状況、日本人の意識を知るには恰好の作品であると思う。登場人物の服装は、男は戦闘帽に軍服、女はモンペ姿、「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまで...
ユーチューブで映画「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)を観た。戦時下における教育映画の名作である。 主人公は、小田切とみ(高峰秀子)16歳、彼女の父は行方不明、母とは7歳の時に死別、母が遊芸人だったことから9歳の時、曲馬団に入れられた。現在の保護者は...
ユーチューブで映画「虹立つ丘」(監督・大谷俊夫・1938年)を観た。舞台は竣工まもない箱根強羅ホテル、そこで働く兄妹の物語である。兄・弥太八(岸井明)はホテルのポーター、妹・ユリ(高峰秀子)は売店の売り子を勤めており、たいそう仲が良い。そこに療養にやってきた長谷川婦人(村...
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三 懸詞による美的表現 イ 懸詞の言語的特質 懸詞とは一語で二語に兼用し、あるいは前句後句を一語で二つの意味を連鎖する修辞学上の名称である。 ● 花の色はうつりにけりな徒にわが身世に(ふる)(ながめ)せしまに(「古今集」) 「ふる」は「経る」「降る」の二語に、「ながめ」...
三 屈折型 a↗↘b→c→d 例えば「猿!」と呼ばれている人を振り向いて見ると、なるほど猿によく似ている。この滑稽感は、顔そのものや猿の概念、事象が滑稽なのではない。人間と猿との連想があまりに意外であり、もっともだという同感が伴った場合に滑稽に感じるのである。このように、...
二 語の美的表現 語は以下のような過程的構造形式を持っている。 《起点》(具体的事物、事象) ↓ 《第一次過程》(概念) ↓ 《第二次過程》(聴覚映像)) ↓ 《第三次過程》(音声) ↓ 《第四次過程》(文字)) 従って、語の美的表現ということは、上の過程的構造の...
次に、リズムはどのようにして美の要素となるのだろうか。 リズムは一般にその基本単位が群団化して、より大きなリズム単位を構成する。国語におけるリズム形式の群団化の方法は、音声の休止である。言い換えれば、リズムを充填すべき調音を省略することである。|はリズム形式の限界すなわ...
第六章 国語美論 一 音声の美的表現 言語の美は、絵画における美のように視覚的要素の構成の上に成立するものではなく、言語過程といわれる主体的表現行為の上に構成されるものであり、それは身体的運動の変化と調和から知覚される美的快感に類するものである。従って、言語美学の考察は、...
四 詞辞の敬語的表現の結合 敬語表現を理解するためには、まず話し手(甲)、聞き手(乙)、素材および素材に関連する人(丙・丁)、それらの相互関係を明らかにしておく必要がある。 (一)まず表現素材について、これを構成する要素を明らかにする。すなわち丙、丁の関係を考える。今、...
次に敬辞を列挙する。 一 「ます」 動詞連用形に付き、「花が咲きます」「本があります」「御座ります」となる。 二 「です」 形容詞終止形に接続して、「山が高いです」となり、また動詞終止形に接続して、「花が咲くです」「本があるです」となり、体言に接続して。「花です」「駄...
三 言語の主体的表現(辞)に現れた敬語法 言語における主体的なものの表現も、場面の制約を受けて敬語となるが、これはもっぱら、主体の聞き手に対する敬意の表現となる。 ● お暑うございます。 ・・・ございませう。 ● お庭を拝見します。 ・・・ました。 上の「ございます」「...
詞に関する敬語が、素材的事実の特殊な概念的把握の表現であって、話し手の敬意そのものの表現ではないということは、敬語の構成法(表現過程の形式)を考察すれば明らかになることである。その構成法を例示する。 その一 「あげる」「くださる」「いただく」 その一は、概念の比喩的移行...
ロ 素材と素材との関係の把握 甲は話し手、乙は聞き手、丙丁は素材的事実、丙および丁は素材的事実の成立に関与する人とする。丙丁と話し手甲との関係を問題外として、丁と丙が同等ならば「丁が丙にやる」だが、丁が丙より上位なら「丁が丙に下さる」となり、丁が丙より下位なら「丁が丙に差...
その二 お・・になる お・・になられる 「お書きになる」「お書きになられる」等と使用される。これらの表現が敬語となるのは、「る」「らる」の場合と同様、ある事実の直叙を避ける方法に基づく。「なる」は「白くなる」「暖かくなる」の「なる」であって、他者がある行為において実...
次に、詞としての敬語は、全く素材の表現に関するものであることを、敬語の構成法の上から明らかにしようと思う。 敬語の語彙論的構成法を考察することは、(敬語の対象を追求することではなく)ある事実が話し手によってどのように規定され表現されるかを明らかにすることである。すでに述...
事物の概念的把握による語の構成は、語彙論に属するから、敬語的表現(敬語的構成)は語彙論に所属しなければならない。敬語的系列は語彙的系列である。この見解は、文法体系の組織に関連して、重要な結論を導く。 「咲くだろう」という語は詞と辞の結合で、「咲く」という事実の概念に話し手...
次に、敬語はどのような理由で、国語の特性と考えることができるかを明らかにしようと思う。それを日本民族の美風の現れなどと、民族精神の云々をする前に、敬語の語学的特質を究める必要がある。敬譲の表現は外国語にもある。従って、国語における敬語の特質が奈辺にあるかということが問題に...
二 言語の素材の表現(詞)に現れた敬語法 イ 話し手と素材の関係の規定 詞は、事物(素材)の概念的把握によって成立するが、その中から敬語というものを特に取りだして区別するのはどのような根拠によるものか、について述べたい。 それにはまず、詞の成立する過程(素材の概念的把握...
第五章 敬語論 一 敬語の本質と敬語研究の二の領域 国語はいかなる場合においても、敬語的制約から免れることはできない。敬語はほとんど国語の全貌を色づけしているものだから、国語現象の科学的記述と組織を企てようとすれば、まず国語を彩るこの多様な色彩様相に着目してれを正当に処理...
三 意味の表現としての語 言語主体の事物に対する意味作用はどのように成立し、どのように言語に表現されるのだろうか。ここでは、意味そのものの成立の条件について論じようと思う。 意味は言語主体の素材に対する関係によって規定される。一本の枝が「杖」と表現されるためには、主体の...
二 意味の理解と語源 言語の意味という中には、主体が事物を把握する仕方と、把握された対象とが含まれている。言語の意味をこのように解することは、私の根本的な言語の本質観に基づいている。 「言」(パロル)は我々の脳裏に蓄積された「言語」(ラング)の具体的な実現であり、非限定...
第四章 意味論 一 意味の本質 意味は音声と同様に、一般には言語の構成要素の一つと考えられている。意味を理解することは、音声形式によって、それに対応する表象・概念を喚起することだと考えられているが、音声によって喚起されるものは、心的表象、概念、具体的事物であって、それは言...
(六)格の転換 国語の文の構造は、詞が辞によって総括され、それがさらに順次に詞辞の結合したものに包摂されるという入子型構造の形式によって統一されるものである。従って、文の成分を分析し、あるいはこれを統一した文として理解するためには、文における格が、つねに他の格に転換すると...
Ⅲ 親子関係に関する批判と「障害乳幼児の発達研究」(J.ヘルムート編・岩本憲監訳・黎明書房・昭和50年)抄読・3幼児ー母親相互交渉の研究 A はじめに ・環境は、児童期の精神的、社会的、情緒的発達に影響するという概括的な仮定は、発達に及ぼす大切な環境要因は、親のパーソナリテ...
4歳の女児(次女)を殺害したという疑いで両親が逮捕された。資産家一家の事件で、女児には10歳の兄(長男)と8歳の姉(長女)がいる。私がまっさきに思ったことは、両親が逮捕されていなくなった家で、この10歳と8歳の兄妹は、今後どのように暮らしていくのだろうか、という一点である...
昨年末「週刊文春」が吉本芸人Mの言動に言及してから2か月が経とうとしている。私はこれまで吉本芸人Mの「芸」など興味がないので見聞していないし、「週刊文春」の記事なども読んでいないので、どのようなことが取り沙汰されているか、詳細は知らないが、連日、ネットを開くと、連日、吉本...
「障害乳幼児の発達研究」(J.ヘルムート編・岩本憲監訳・黎明書房・昭和50年)に収録されている論文「正常幼児と異常行動をもつ幼児の母ー子相互関係行動の比較」(ナーマンH.グリーンベルグ)を精読する。 Ⅰ はじめに ・この報告は、異常行動をもたない幼児と母親(M-CI)および...
【Ⅱ 社会的ディプリペーション環境下の養育から生まれてくる異常行動】 ・赤毛ザルの社会的発達に影響するパラメーターを調査するために、Wisconsinの研究室の実験者は、母ザルと仲間ザルの中で養育される環境を、体系的な代償と、この環境における社会的要素をとりのけることによっ...
「障害乳幼児の発達研究」(J・ヘルムート編・岩本憲監訳・黎明書房・昭和50年)を抄読する。今から39年前に発行された本だが、その内容は(私にとって)斬新である。と言うのも、それ以後、科学技術の進歩はめざましかったが、その方向は分子生物学の分野に偏りがちであり、人間のありかた...
《おわりに 愛着を軽視してきた合理主義社会の破綻》 ・この数十年、社会環境が、愛着を守るよりも、それを軽視し、損なう方向に変化してきた。 ・効率的な社会において、人間の根幹である愛着というベースが切り崩されることによって、社会の絆が崩壊するだけでなく、個々の人間も生きていく...
2 いかに克服していくか ⑴安全基地となる存在 ・愛着の原点は、親との関係で育まれる。愛着障害は、そのプロセスで躓いている。それを修復するには、親との関係を改善していくことが、もっとも望ましい。 ・しかし、親の方も不安定な愛着の問題を抱えていることも多く、子どもに対する否定...
《第6章 愛着障害の克服》 1 なぜ従来型の治療は効果がないのか 【難しいケースほど、心理療法や認知行動療法が効かない理由】 ・「心理療法」「認知行動療法」で効果が得られにくいのは、「愛着障害」という観点が 導入されていないからである。 ・愛着障害や不安定型愛着に対する治療...
《第5章 愛着スタイルと対人関係、仕事、愛情》 1 安定型愛着スタイル 【安定型の特徴】 ・安定型の第一の特徴は、対人関係における絆の安定性である。自分が愛着し信頼している人が、自分をいつまでも愛し続けてくれることを確信している。自分が困ったときや助けを求めているときには、...
《第4章 愛着スタイルを見分ける》 【愛着スタイルが対人関係から健康まで左右する】 ・それぞれの愛着スタイルは、「作業モデル」と呼ばれる行動のプログラムをもっている。それは、幼いころからこれまでの人生のなかで作り上げられてきた、行動や反応の鋳型であり判断基準である。 ・この...
【自分を活かすのが苦手】 ・不安定愛着型の子どもは、自分の可能性を試すことについて、過度の不安を感じたり、投げやりで無気力になったり、最初から諦めていたりしがちである。その結果、自分の可能性の芽を摘んでしまうことも多い。 ・愛着障害の人は、自分の潜在的な能力を活かせていない...
【発達の問題を生じやすい】 ・子どもは愛着という安全基地があることで、安心して探索活動を行い、認知的、行動的、社会的発達を遂げていく。愛着は、あらゆる発達の土台でもあるのだ。愛着障害があると。発達の問題を生じやすい。 ・安定した愛着の子どもは、自分一人では手に負え合い問題に...
《第3章 愛着障害の特性と病理》 【愛着障害に共通する傾向】 ・愛着障害には回避型と不安型のような正反対とも言える傾向をもったタイプが含まれるが、その根底には、大きな共通点がある。 ・愛着障害は、素晴らしい能力とパワーをもっている。 【親と確執を抱えるか、過度に従順になりや...
【親の愛着スタイルが子どもに伝達される】 ・「親の不在」「養育者の交替」といった問題のないふつうの家庭に育った子どもでも、三分の一が不安定型の愛着パターンを示し、大人のおよそ三分の一にも、不安定型愛着スタイルが認められるのはなぜか。それは、親の愛着スタイルが子どもに伝達され...
《第2章 愛着障害が生まれる要因と背景》 【増加する愛着障害】 ・子どもの数が減り、一人ひとりの子供が、手厚く大切に育てられているはずの現代において、愛着の問題を抱えた子どもだけでなく、大人までも増えているという現実がある。 (虐待、育児放棄、境界性パーソナリティ障害、依存...
【良い子だったオバマ】 ・オバマ大統領は、「良い子」や「優等生」を演じきった。「従属的コントロール」を駆使した典型である。 ・クリントン大統領は、母親に対してはとても従順であったが、それ以外の女性に対しては支配的で、うまく利用したり搾取しようとした。「操作的コントロール」の...
【ストレスと愛着行動の活性化】 ・何か特別な事態が生じて、ストレスや不安が高まったときには、「愛着行動」が活発になる。それが健全な状態であり、自分を守るために重要なことである。 ・愛着行動には、さまざまなヴァリエーションがある。(幼い子ども→直接行動、フランクル→愛する人を...
【親を求めるがゆえに】 ・愛着を脅かす、もう一つの深刻な状況は、守ってくれるはずの親から虐待を受け、安全が脅かされるという場合である。この場合、子どもは親を求めつつ、同時に恐れるというアンビバレントな状況におかれる。しかも、親がいつ暴力や言葉による虐待を加えてくるかわからな...
【愛着の絆と愛着行動】 ・いったん、愛着の絆がしっかりと形成されると、それは容易に消されることはない。愛着におけるもう一つの重要な特性は、この半永久的な持続性である。(「母をたずねて三千里」のマルコ少年) ・愛着の絆で結ばれた存在を求め、そのそばにいようとする行動を、愛着理...