こまっちゃうなヒモだと笑われたこまっちゃうなヒモだと笑われた
ロシアン・マフィアの実情を解説し、左翼から「反ソ」だと言われた内村剛介の「ロシア無頼」
「保守反動思想家に学ぶ本」で、すが秀実が「ロシア無頼」を反ソだと述べていた。この本では岡庭昇などの旧左翼を徹底的に嘲笑してはいるが、しょせんすが秀実も左翼でありこの頃は元気が良かったが、落ち目になると「ネオリベ化する公共圏」2006年では明らかに革マル派としか思えない連中とつるんでいた。「すが」は糸偏に圭であり漢字変換が出来ないことが多い。筒井康隆がエッセイで「青蛙」と罵っていた人物はすが秀実だろうと私は思っている。社会主義国ソ連に職業的無法集団が蔓延っているという「事実」を語るのはタブーだったのだ。聞かされても耳にもはいらないのである。ロシアン・マフィアの実情を解説し、左翼から「反ソ」だと言われた内村剛介の「ロシア無頼」
村八分で除かれる葬式は「怨霊の祟り」を防ぐために村中が集まったと思う
日本人は恨みをもって死んだ人の「祟り」を恐れた。菅原道真、平将門そして崇徳上皇などが有名である。彼らは死んでから神として祭られた。彼らの怨霊に人々が恐れおののいたからである。生きている人間は苛め抜いても何も出来ないかもしれないが、死んでしまえば「霊魂」となりどんな災いをもたらすのか分からない、というのが江戸時代までの庶民感覚だったという。火事と同じく怨霊も災厄をもたらすとして恐れられたのだ。現在ではそんな感情が全く消え失せているのが、葬式を「死体を埋める」としか考えられないので良く分かる。村八分で除かれる葬式は「怨霊の祟り」を防ぐために村中が集まったと思う
日本人が合理主義を嫌い「人の和」を大事にするのは「米作り」に理由があると思う
日本の水田は土地生産性が極めて高く「七人の侍」を見れば分かるように春に小麦や大麦を収穫した後に、水を引けば秋には米が採れる。雨水しか利用出来ない小麦などの穀物栽培に比べると驚異的な生産量である。西洋の農村地帯の景色が美しく見えるのは広々として余裕があるからであるが、広くないと必要な穀物が採れず土地生産性が低いからなのである。しかし高い生産を維持するための農作業は極めて過酷であると同時に「共同作業」が必要不可欠であった。田植えは女たちが集団で行い、男たちは地拵えをしたり太鼓を叩いて歌ったり笛を鳴らしたりしている。遊んでいるように見えるがあれも重要な作業なのである。人間はリズムに合わせて動くと単純作業も苦痛が和らぐ。音楽なしのダンスは苦行であろう。昔の軍隊が長距離を行軍する時も必ず太鼓などを叩いてそれに合わせて移動...日本人が合理主義を嫌い「人の和」を大事にするのは「米作り」に理由があると思う
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