昭和19年8月沖縄から本土に向かう学童を乗せた「対馬丸」が米軍の潜水艦の攻撃を受け約800人の疎開する学童を含む1500人がなくなる悲劇が起きた。10月には那覇が大空襲を受け町の大半が破壊され1200人が犠牲となった。この事は沖縄の悲劇の始まる前触れだった。{米潜水艦の攻撃を受け沈没した対馬丸}昭和20年3月26日、約55万人の兵員と、1500隻の艦船を率いて米軍が沖縄本島の西方に上陸した。追い詰められた住民数百人が集団自決する悲劇が起きた。そして穏やかな生活の場が地上戦の舞台となった「鉄の暴風」と言われたる程の砲弾・爆弾の嵐は繰り返し吹き荒れた。激しい戦いは6月23日司令官が自決して日本軍が全滅し組織的戦闘は終わった。この地上戦は多くの悲劇を生みだした。軍人などの犠牲者は9万人、住民の犠牲者は軍人を上回...戦争の記憶(沖縄の悲劇)