これからは自由気ままにと思うも、健診により疾患の嵐。
生誕と同時に母が逝き、父と断絶・離婚で幸せを痛烈に感じ、 娘二人と我武者羅に生き リウマチ闘病、年齢の半分以上を患いつつ これからは自由気ままにと思うも、健診により疾患の嵐。 何でこうなるの〜
ペインクリニック通院は、ヤメた。その理由は、ブロック注射の効果が見込めない。そして、もう一つは診察が終わると別の室内へ必然的に誘導される仕組み??所狭しと、5台のベットが並び電気治療やリハビリ的な器具がある。スタッフ?技師の方が私をベッドへと導く。訳の分からないまま、言われるがまま横になる。右脚にペタペタとパッドのような電流が流れる装具を取り付け、電圧の強弱を確かめてつつ10分程度の施術を終える。ビリビリビリビリ〜、トクトク、ドクドク振動が伝わる。この施術で、痛みが和らげばと淡いながら期待した。医療機関では無い様で、クリニックとは別に会計を済ませる。2度施術後、帰宅してもビリビリ感が持続。就寝してもピクピクと感じる。これが、効いているのかどうなのと不安を抱きつつ日常を送る。そして、痛みとは別の違和感が脚にある。...3度目は無い‼️ブロック注射断念
初回ブロック注射で、一発で効果があると当然思ってなく、期待を100%してた訳でも無い。2週間後、2度目のブロック注射を打つか否かを先生から尋ねられ、素人に判断を委ねられると云う気持ちの揺れは有りつつ打つ事になった。しかし、1、2日程度のその場凌ぎの緩和で楽にはならず、ブロック注射が人により効果のある無しがあるらしい。落胆ではあったけれど、試す事で、其れなりに納得しないと駄目かなぁとため息が出た。フゥ~。事前調べでにネット上では、【ブロック注射を行う先生の】〔上手い、下手〕〔技術習得度に依り、効果に個人差が出る〕〔頻繁に行う処置では無い〕とあった。次に微々たる期待を寄せるところを模索する。思惑外れのブロック注射
ブロック注射を打つ事になったのは、決定から2日後。凡その注意事項料金は保険適用でも7000円程度打つ時はやや痛みが有り施術後、30分程安静にし当日はシャワーのみ翌日は、安静にとの事。ザッと医師から伝えられたが事前に調べたネットでは、【効果は一時的でなく、繰り返し行うことで、より症状が改善されます。実際に、腰痛がひどい患者は、数回のブロックで症状が改善し、日常生活に支障がなくなるケースは多く見られる。起こりえる重大な合併症として、一時的な血圧低下一時的な手足の脱力、硬膜外出血徐脈、麻酔薬の中毒症状などがあり治癒が見込めない場合は再三打つ事は薦められない】とあった。血圧等測り、寝台に横向きになった。消毒後、いよいよ打つ。チクリと一般的な注射針が刺さった感じ。注射液が入ってくると、背中がカッと熱く注射とは違った痛みが...ブラック注射施術当日
座薬や痛み止め薬を服用するも痛みとの闘いで眠る事にも支障が出ている。ペインクリニック通院。自動ドアを入り、スリッパに履き替える際何処かに掴まらないと自立出来ない、しゃがんで、マイシューズを靴箱に入れるもの辛い。振り向いて、診察カウンターにしがみ付き、出っ張りのあらゆるところに頼る。診察券をやっとこ取り出すと受付の方の視線を感じつつ中腰の体制で待ち合わせソファーにたどり着く。大汗に、気持ちだけ勇みエネルギー消耗。診察の順番がきた。壁伝いに張り付くようにそろーり、そろーり。スパイダーwomanは偶々クモ⁉️診察室迄、相当かかって焦る、焦る。先生も、看護師も待ち構えていた。余りの痛み様に、【ブロック注射】なるものを打開策に。神経ブロック療法神経や神経の周辺に局所麻酔薬を注射して、痛みをなくす方法麻酔薬が神経に作用し、...ブロック注射試する
今年2020年6月30日に、長い長い道のりを得て遠回りしてやっと受けれた手術の疾患の発端【腰椎椎間板ヘルニア】2017年2月ペインクリニックでの診断結果腰部から右脚全体に激痛が走り思うように脚が動かず日常生活も疎かデスクワークではなかった仕事も退職せざるを得なくなった。このペインクリニックは、ネットで検索し、永年足代わりになっていた電動自転車で通院可能な医院を探し当てた。仕事の終業後に、通院していたけれど痛み止め薬、座薬、リリカカプセル服薬(神経痛をやわらげるお薬で、神経障害性疼痛に用いられます)で痛みが緩和されるも、改善され無いまま時は流れた。腰椎椎間板ヘルニア
人は其々感性や視点の相違が有ります。病は苦しみ逃れる事が出来ず打ち勝ち容認せざるを得ません。最期を、他者が死致的薬物投与に依るもの、延命治療を行わない、人工呼吸器を付けない、近年では、人工透析停止、直近ドキュメンタリー番組では、新型コロナ感染者重篤患者が最後の切札である治療器具エクモを使用せず死を早めた事も報じられています。これを、安楽死、尊厳死ではないのでしょうか。メディアで、嘱託殺人とされている医師2名に対し「金儲け」と批判されていますが、安楽死を認められている、諸外国でも100万円〜200万円が掛かりと記しています。安楽死を明確に法律上容認されてない日本だから「金儲け」と一概に云えるのか疑問に思います。後に私の病状日記をアップ致しますが、右脚が麻痺し日々激痛との闘いでした。日増しに、筋肉衰え骨と皮になって...私は、安楽死・尊厳死を切望します‼️3️⃣
2019年NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』を視聴し衝撃を受けた。2018年重い神経難病を患い、自殺を何度も繰り返した日本人の女性。自分らしさを保ったままな最期を迎えたいと、スイスで安楽死希望者を受け入れているスイスの民間に女性は選んだ。又、7月23日医師2名が嘱託殺人で逮捕安楽死を望む女性はツイッターで、ALSの苦しさと安楽死が認められない現状に対しての複雑な心境も多数投稿している。「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く」「安楽死させてください」。女性は苦しい胸のうちを、こう打ち明けた。30年4月24日にツイッターを開始し、「ALSを発症して7年になります。」「海外で安楽死を受けるため始動します!色々乗り越えなくてはならない壁がありますが、挑戦しようと思います!!」と続け、以後はALSを発症した苦しみと安楽死...私は、安楽死・尊厳死を切望します‼️1️⃣
自身のブログアップの数週間前、俳優の三浦春馬さん自死のニュースに衝撃とショックと悲しみに包まれ7月23日には、嘱託殺人として医師2名が逮捕された。〔自死を選ぶ権利〕「自殺の権利」の背景に、オランダでは患者に自分の治療を決定する権利が認められ、1995年に医療契約法が施行され医師は患者が拒否する治療を強制出来なくなっている。作家の橘玲氏によれば日本人の7割以上が安楽死を賛成しているにも関わらず、法律では認めてられていない現状。尊厳死を認めている諸外国は、スイス・オランダ等20カ国余りある。安易に語る事の出来ない死について語る危険性賛否両論が有りますが、個人的見解、私感でブログに記したく思います。安楽死尊厳死
2017年3月より休止させて戴いおりましたブログを再開させて戴きます。休止していたにも関わらず、週アクセス数が100を超えご訪問・ご閲覧頂きました方々には深くお礼を申し上げます。体調が思わしくなく意向に反しブログアップが困難で、3年間ただならない病気発症:外科的臀部化膿切除:帯状疱疹:足首切断一歩手前の蜂窩織炎等々今現在の状況も、万全ではなく(明日が来なければ良いと思う暗い日々最悪な状態からスーパードクター国際的名医徳島大学病院西良教授の鋭い診断力と施術に依り歩行困難、下肢麻痺脚下垂れは改善しつつ)一昨月6月30日に5時間弱の大きな手術【腰椎すべり症、腰部脊柱管狭窄症】を受け7月15日に退院し、転倒を避ける為日常は片時も杖歩行を余儀なくされている環境です。人生はドラマと云われておりますが3週間の入院生活も、短編...ブログ再開
多くの方々に、ブログアクセス戴き有難うございます。お一人でも多くの閲覧者が居て下さり人生の歩みをアップする事に嬉しくも有り振り返りながら当時を懐かしみ思い出しつつの毎日でした。しかし、近頃体調が思わしくなくブログ続投が困難な状況となり本日で一旦休止致したく思います。もうすぐアップ開始から一年を目の前に残念で、悔しくもあります。只、つたないブログにアクセス戴きました方々に感謝とお礼も心より申し上げます。体調と気持ちが落ち着きましたら再度再開いたしたく、強く思っている次第です。本当に、今まで閲覧戴き有難うございました。アクセス並びにブログ閲覧戴いております方々へ
友達の1人にえい子ちゃんと云う子が居た。えい子ちゃんも、急変したひとりでシンナー吸引し学校も休みがちになっていった。私が、帰宅すると家の前にある小学校のブロック塀にもたれ座り込み、手には鏡と真っ赤な口紅を持っていてその口紅は大きく唇からはみ出しは、一瞬出血!と驚いた事が有った。えい子ちゃんの目は、焦点が合っておらず立ち上がるにもふらついた状態。吸引後は、喉が異常に乾くらしい。あき子は、要求された水をコップに入れ手渡していた。そして、シンナー吸引を窘め体を気遣った。回りに不良が居て、私自身はその仲間に流される事も無かった。勿論、えい子ちゃんから遠ざかる事もせず、シンナー酔いから覚めると注意もしたし、止められないと泣くえい子ちゃんと一緒に泣いた事もあった。えい子ちゃんは、中学二年の夏休みに手が負えないと判断したご両...人生を振り返る>付かず離れずの関係
二つの小学校が複合した中学校でも、元同じ小学校だったお友達関係が続く。でも、小学生の面影がなくなりその当時、興味本位でシンナーやボンドを吸引し非行に走り不良になる傾向の友達が増えた。私は、そんな友達から遠ざかれずにいたけれど決してしてはいけない事の範囲も分かっていたし、その行為がいいとも思えなかった。人生を振り返る>変わりつつある友達
部活に行くワクワク感は、授業が最後になるにつれ増す。初めて体験する先輩後輩の縦割り社会。3年生など、今思えばまだまだ子供の年齢であるのに⒉歳上だけで偉く大人に感じた。登校時など遠くで先輩の姿を見つけ顔尾合わすと大きな声で『おはようございます!!』と大名行列に見る“はっはぁ~”と奉るような感じ。こんな感じで私も、2年になればされるのかと思うと、妙にこそば痒いように想像した。部活は、毎日3時間余り、ずっと柔軟体操、それも厳しいもの。腹筋からラビット(うさぎ跳び)、足上げ、椅子(壁にもたれて椅子に座る態勢でする柔軟)キツイのは、運動場10週!運動場以外にも教室が建っている外回り。10週近くになると足がもつれ、歩く方がきっと早い、息が苦しい。ある冬は、風があり雪が舞う寒波が連日続いた日。雪が目に入り、目視が難しい。牡丹...人生を振り返る>こんなはずではなかった。
中学に入学した時点で、テニス部か卓球部に入部しようと考えていた。あき子は、天気に左右されない卓球がいいとお薦めだったし一からあき子に教わり一緒に汗も流し遊び感覚のピンポンは身近でもあった。だから、余り迷う事無く卓球部に入る。卓球部には、幼馴染のありんこも入り、集団・団体への戸惑いも解消された。ピンポンと云う気軽さとは打って変わって先輩がいつも口にする“根性!忍耐!厳しさ!”を嫌と云うほど味わう事になる。人生を振り返る>部活にどっぷり浸る
カーラーで髪を巻いて登校してから、やや校則を無視傾向にあった。制服のスカートの裾をほどきいっぱいいっぱいまで丈を長くた。長くした分の折り目を料理に使うお酢を刷毛で塗ると折り目線がやや薄くなると聞き、目に染むような酸っぱさを感じつつ、アイロンで折り目線を消そうと必死だった。その苦戦も全く無駄で、制服の生地は厚く消す事が出来なかった。かばんの両持ち手の芯を抜き、ぺろんぺろんの持ち手になりペタンコ状態の厚みの無い鞄となる。手で握るのではなく、ハンドバックのように手を通した。それが、お洒落だと思っていたから振り返ると苦笑いしたくなる。あき子は、校則違反だとし二軒隣に革製品を縫製されているおっちゃんが居て、元に戻すようにお願いした。芯の代わるものを探してもらい張りのある持ち手が出来上がった。芯を抜くのに苦心したものの数分...人生を振り返る>取っ掛かり
さっちゃんの存在は、親戚のお姉ちゃんを超える感じがした。泊りに来る度に、興味をそそられる事が多くあった。まつ毛は、ビューラーとやらでカールさせ、マスカラを施すと付けまつ毛?と問う事もあった。休みの日の晩に一度、カーラーなるものして貰った。明朝カーラーを取ってどれだけクルンクルンに可愛く仕上がっているかと想像を膨らませ就寝。ところが、眠るどころではない。痛くて痛くて、その上ヘアピンが頭の地に刺さった感覚で寝た気がせず寝不足を訴えるとあき子とさっちゃんに大笑いされた事もあった。綺麗に美しくなるって痛いもん!?っと捉えてしまう位痛い思い出。人生を振り返る>一緒に居られる生活
オオカミヘア型に髪を切ったものの、切惜しみし裾を残したばっかりに、もう邪魔になって自分で普通のハサミでばっさりと切る。そうすると、普通のショートヘアになった。そして、さっちゃんが泊まる度に巻いていたカーラーを拝借し、見事変身した。が!中学校では巻き髪は云うまでもなく禁止。先生から注意され撃沈。髪を切った事とさっちゃんのカーラー姿を見なければ結びつく事もなかったのか、、、、、人生を振り返る>重なったもの
祖母が他界してから、親戚のお姉ちゃん・さっちゃんがちょくちょく来ていた。高校生だったさっちゃんが、泣きながら助けを求めて来た事のあったさっちゃん。親戚のお姉ちゃんで血の繋がった私の姉とは知らずにいた。社会人になっていたさっちゃんは泊る事もあった。寝る前に髪の毛をスポンジの付いたカーラーで巻き、朝起きればそのカーラーを外す。ふっわぁ、ふっわぁ~にカールされた髪は直毛から見違えるほどになり、手際よく櫛とブラシでセットされていく。鏡に向かうさっちゃんが綺麗にお化粧をしていく過程をじ~っと覗き込み興味津々の私。お姉ちゃんが居るってこんな感じなんだぁと一人っ子の私は、すこ~しさっちゃんの存在を身近に感じた。人生を振り返る>お姉さんみたいな存在。
肩甲骨辺りまで伸びた髪は、きっちり結ぶ事は面倒で毎朝億劫に感じた。『おばあちゃんが、居てくれたらしっかり結んで貰えたのに』と逝った祖母の事を結びつけ考えてしまう。それで、電気店に嫁いでいる叔母の行きつけの美容室がありそこでばっさりとショートヘアに切って貰おうと決める。この美容室の先生は、幼い時習っていた日舞のおっしょさんの親戚。おっしょさんの知り合いと云っても、おっしょさんが居る訳でもないので、ド緊張で鏡の前に進み着座する。生憎、美容室の先生は居られず、雇われているお姉さんに切って貰う運びとなる。ばっさり!とお願いするも『いいの~?!どれ位の長さ?』などど問われるとばっさりの気持ちは薄れ、尻込みしてしまう。結果的には、昔流行ったおおかみカット<=裾は長く、頭部は段をつけ裾部分とかなりのギャップがある髪形>裾は、...人生を振り返る>イメージチェンジ試み
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