「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
アレルヤ、アレルヤ。おとめマリア、信じたあなたは幸い。神からあなたに言われたことは成就される。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。普通、私たちが何かを信じるのは、信じるに値する証拠があるからです。それが事実である確
律法を守ることは、多くの供え物に匹敵し、掟に心を留めることは、和解の献げ物に、他人の親切に報いることは、穀物の献げ物に、施しをすることは、感謝の献げ物に匹敵する。 今日の第一朗読(シラ35.1-12)にはこのように書かれています。ここでは四
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 今日の福音(ヨハネ20.19-23)にはこのように書かれて
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。 今日の福音(ヨハネ21.20-25)にはこのように書かれています。この箇所はヨハネ福音書の結び、
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしは決してゆるがない。 今日の詩編(詩編16.5,8)はこのように歌われます。絶えず神を思うとはどのようなことでしょうか。他の物事には目もくれず、いつも神のことしか考えないということでし
神の声を聞け、力みなぎる声を。 今日の詩編(詩編68.29+33,34b+35a+36b)はこのように歌われます。ここで私たちは、「力みなぎる」という言葉に気をつけなければならないと思います。 神の価値観における「力」は、人間が考える力とは
神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、荒れ果てたあなたの国を新たにされた。 今日の詩編(詩編68.10+11,20+27)はこのように歌われます。朝起きて、空がどんよりと曇っていたり、雨模様だったりすると、心まで重苦しくなります。しかし、一切雨が
神に従う人は喜びおどり、神の前で喜びたのしむ。神に向かって歌い、その名をたたえて歌え。 今日の詩編(詩編68.4+5ab,6+7bc)はこのように歌われます。私たちは、神に従うことをどのようにとらえているでしょうか。もちろん、尊い、大切なこ
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」 今日の福音(マタイ28.16-20)で、イエスは天に帰る直前に、使徒たちにこのように言います。もちろんこの言葉は、使徒たちだけ
パウロはしばらくアンティオキアで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。 今日の第一朗読(使徒言行録18.23-28)にはこのように書かれています。聖書によれば、パウロや他の使徒たちは、
パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。 今日の第一朗読(使徒言行録18.9-18)にはこのように書かれています。パウロは行く先々で友や仲間に恵まれます
その日、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人
死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。 今日の第一朗読(使徒言行
まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。 今日の第一朗読(使徒言行録16.22-3
「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」 今日の福音(ヨハネ15.26-16.4a)で、イエスは弟子たちにこのように言います。このイエスの言葉を聞く人は、自分を迫害
「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい」 今日の第二朗読(�ペトロ3.15-18)にはこのように書かれています。
アレルヤ、アレルヤ。キリストとともに復活したなら上のことを求めよう。キリストは神の右に座しておられる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。上のことを求める、と聞くと一般社会や世俗から離れるようなことを想像する人も多
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」 今日の福音(ヨハネ15.12-17)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは、イエスの言葉の中でも最も有名なものの一つでしょう。キリスト者でこの言
「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」 今日の
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」 今日の福音(ヨハネ15.1-8)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスは私たちに多くの言葉
その日、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、
「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録14.5-18)で、パ
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)には、このように書か
主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」 今日の第一朗読(使徒言行録13.44-52)で、パウロとバルナバはアンティオキアの群衆にこのように言い
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」 今日の福音(ヨハネ14.1-6)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは、イエスの言葉の中でも極めて難しいものの一つだと思います。 神を信じているから、イエスを信じ
律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。 今日の第一朗読(使徒言行録13.13-25)には
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 今日の福音(ヨハネ14.6-14)で、イエスはトマスにこのように言います。数学のような物言いになりますが、イエスが道であり、真理であり、
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 今日の第一
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)で、イエスは人々にこのように言います。この「羊のために命を捨てる」という言葉は、イエスの十字架による死を預言していると考えられることが多い
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「『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」 今日の福音(マルコ12.28b-34)で、イエスと出会った律法学者はこのように言います。当
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでく
朝ごとにあなたのいつくしみを注ぎ、日々わたしたちに、喜びの歌を歌わせてください。 今日の詩編(詩編90.1+2+14,16+17)はこのように歌われます。たとえ昨日がつらく、苦しい日だったとしても、今日はまた新しい日です。 昨日までにはなか
神は仰せになる。「わたしに頼る者をわたしはすくい、わたしを知っている者をまもる。呼び求める者にわたしはこたえ、悩みの時ともにいて救いと誉れをあたえよう。」 今日の詩編(詩編91.2+4ab,14+15)はこのように歌われます。これは、神は
神が与えてくださったすべての恵みにどのようにこたえようか。わたしは救いの杯をささげ、神の名を呼び求めよう。 今日の詩編(詩編116.12+13,15+16b,17+18)はこのように歌われます。私たちは、神が与えてくださった恵みにふさわしい
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。水のない荒れ果てた土地のように、わたしの心はあなたを慕い、からだはあなたをかわき求める。 今日の詩編(詩編63.2,3+4)はこのように歌われます。「からだはあなたをかわき求める」とあるように、信仰
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」 今日の福音(ルカ1.39-56)で、親戚のエリザベトの下を訪れたマリアはこのように神を讃えます。もちろん「偉大なこと」とは、マリア
神こそ主であると悟れ。神はわたしたちを造られた。 今日の詩編(詩編100.1+2,3ab)はこのように歌われます。ほとんどのキリスト者は、日頃、「神」と「主」を意識することなく同じ意味で読み、用いていると思います。 しかし私たちは、本当に
神は地に向かって仰せになり、そのことばは、すばやく走る。 今日の詩編(詩編147.12+13,14+15)はこのように歌われます。今の世の中で、神の言葉が音声として地上に響き渡り、世界中の人がその言葉を一斉に理解するという奇跡が起こることは
「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである』と書いてあるからです」 今日の第一朗読(�ペトロ1.10-16)にはこのように書かれ
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立
皆さん、神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 今日の第二朗読(ローマ8.14-17)で
「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」 今日の第一朗読(ヤコブ5.13-20)にはこのように書かれています。この文脈での「正しい人」とは、自分のた
心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。私たちは、受けた恵みのうち、どれほどを自覚し、感謝することができているでしょうか。 とても嬉しいことがあった時や、誰かに助けの手を差し伸べられた時、
神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。 今日の詩編(詩編103.3+4,6+7)はこのように歌われます。この歌を聞く人、歌う人は、自分が虐げられる時に神が守ってくださることを願うのではないでしょうか。 もちろん、そのように願
「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」 今日の第一朗読(ヤコブ4.13-17)にはこのように書かれています。実際、すべきことをしなかったり、正すべきことを見て見ぬ振りをしたりするのが罪であると思わない人は少
「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」 今日の第一朗読(ヤコブ4.1-10)にはこのように書かれています。神を信じる人であれば、自ら
祈りを聞いてくださる神、罪に苦しむ人はみな、あなたのもとをたずねる。罪の重荷にうちひしがれても、あなたはすべてをゆるしてくださる。 今日の詩編(詩編65.3+4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 今日の第一朗読(使徒言行録2.1-11
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。 今日の福音(ヨハネ21.20-25)にはこのように書かれています。この部分は、ヨハネ福音書の結び
アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。神が招く、望まれる道は厳しく、険しいものであると考え
光はやみの中に輝き、神に従う人を照らす。 今日の詩編(詩編112.1,4)はこのように歌われます。神の愛は、どんな時も変わらず、私たちを照らし続けています。 真夏の昼間の太陽のように、夜空に輝く満月や星のように、そしてほのかに光る灯火のよう
「兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」 今日の第二朗読(�コリント13.11-13)で、パウロはこのように書いて
主よ、あなたはわたしを滅びから救い、苦難の時に助け出してくださいました。それゆえ、わたしはあなたに感謝をささげ、あなたを賛美し、主の御名をほめたたえます。 今日の第一朗読(シラ51.12-20)にはこのように書かれています。神を信じている人
栄光をあびて神の民は喜び、神に仕え、高らかにうたう。 今日の詩編(詩編149.1+2,5+6a+9b)はこのように歌われます。「栄光をあびる」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。成功や勝利といった言葉と結びつけて考える人が多い
イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 今日の福音(マルコ10.46-52)には、盲人のバルティマイがイエスと出会い、視力を回復する奇跡が描かれていま
アレルヤ、アレルヤ。おとめマリア、信じたあなたは幸い。神からあなたに言われたことは成就される。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。普通、私たちが何かを信じるのは、信じるに値する証拠があるからです。それが事実である確
律法を守ることは、多くの供え物に匹敵し、掟に心を留めることは、和解の献げ物に、他人の親切に報いることは、穀物の献げ物に、施しをすることは、感謝の献げ物に匹敵する。 今日の第一朗読(シラ35.1-12)にはこのように書かれています。ここでは四
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 今日の福音(ヨハネ20.19-23)にはこのように書かれて
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。 今日の福音(ヨハネ21.20-25)にはこのように書かれています。この箇所はヨハネ福音書の結び、
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしは決してゆるがない。 今日の詩編(詩編16.5,8)はこのように歌われます。絶えず神を思うとはどのようなことでしょうか。他の物事には目もくれず、いつも神のことしか考えないということでし
神の声を聞け、力みなぎる声を。 今日の詩編(詩編68.29+33,34b+35a+36b)はこのように歌われます。ここで私たちは、「力みなぎる」という言葉に気をつけなければならないと思います。 神の価値観における「力」は、人間が考える力とは
神よ、あなたは豊かに雨を降らせ、荒れ果てたあなたの国を新たにされた。 今日の詩編(詩編68.10+11,20+27)はこのように歌われます。朝起きて、空がどんよりと曇っていたり、雨模様だったりすると、心まで重苦しくなります。しかし、一切雨が
神に従う人は喜びおどり、神の前で喜びたのしむ。神に向かって歌い、その名をたたえて歌え。 今日の詩編(詩編68.4+5ab,6+7bc)はこのように歌われます。私たちは、神に従うことをどのようにとらえているでしょうか。もちろん、尊い、大切なこ
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」 今日の福音(マタイ28.16-20)で、イエスは天に帰る直前に、使徒たちにこのように言います。もちろんこの言葉は、使徒たちだけ
パウロはしばらくアンティオキアで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。 今日の第一朗読(使徒言行録18.23-28)にはこのように書かれています。聖書によれば、パウロや他の使徒たちは、
パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。 今日の第一朗読(使徒言行録18.9-18)にはこのように書かれています。パウロは行く先々で友や仲間に恵まれます
その日、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人