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2016/03/27

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  • 弱さの先にこそ

    「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」 今日の第一朗読(使徒言行録2.14a,36-41)で、ペトロは彼の話に耳を傾ける群衆にこのように言います。

  • 生きた愛のことばなのだから

    人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.31-42)には、ペトロが、病気で亡くなったドルカス

  • 赦しの力

    サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、迫害者サウロの前に復活したイエスが現れ、回心へと導かれていく様子

  • 燃えるような愛が

    「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 今日の福音(ヨハネ6.44-41)で、イエスは人々にこのように言います。今、私

  • より大きな喜びを得るために

    その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。この直後に「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩

  • 魂を燃やして愛し抜く

    「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る前のイエスは、弟子たちにこのように言います。「全世界に」とはいえ、もちろん、全ての人が海外宣教に招かれているわけではないでしょう

  • 十字架を信じる

    そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)にはこのように書かれています。イエスが言う「神

  • 全ては神と共に

    わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。 今日の詩編(詩編16.8,10,11)はこのように歌われます。「絶えず神を思う」とはどのようなことでしょうか。生活の全てを祈りや黙想に捧げるということでしょうか

  • 正しさは求めずに

    そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)にはこのように書かれ

  • 愛する喜び

    それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。 今日の第一朗読(使徒言行録5.34-42)では、捕らえられ

  • 交わりそのものの中に

    主により頼む人はしあわせ。彼はその恵みを深く味わう。主をおそれよう。主をおそれる者は乏しさを知らない。 今日の詩編(詩編34.9+10,16+18)はこのように歌われます。主により頼む人、主をおそれる人がなぜ幸せなのか。それは、主、すなわち

  • 赦しの神秘

    神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 今日の福音(ヨハネ3.16-21)にはこのように書か

  • 愛する姿が

    信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 今日の第一朗読(使徒言行録4.32-37

  • 時には風に任せて

    「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」 今日の福音(ヨハネ3.1-8)でイエスは、最高法院の議員でありながらご自分を訪ねてきたニコデモにこのように

  • これからは見なくても

    「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 今日の福音(ヨハネ20.19-31)で、復活したイエスはトマスにこのように言います。トマスがいない時に弟子たちの前に姿を現したイエス。それを知って「あの方の傷に指を突っ込ん

  • そうせずにはいられない

    「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録4.13-21)でペトロとヨハネは、議員や長老、律法学者たちにこ

  • さあ、来て

    ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 今日の福音(ヨハネ21.1-14)には、復

  • 今ここの現実として

  • 神が造られた日

    アレルヤ、アレルヤ。きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。アレルヤ、アレルヤ。 今日のアレルヤ唱はこのように歌われます。「神が造られた日」が今の暦で何月何日なのかを知るすべはありません。そもそも、それを知ることには何の意味もな

  • 名を呼ぶ

    イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 今日の福音(ヨハネ20.11-18)は、復活したイエスがマグダラのマリアと出会う場面を描いています。最初、マリアは自分が会話

  • この世界は、それほどまでに

    しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。神の恵みは、必ずしも人間の願いや望みと一致するとは限りません。その時は痛みや苦しみとしか思えなかった出来事が、後になって恵みだったと気付くということ

  • イエスを求め、イエスを慕い、イエスにすがる

    週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 今日の福音(ヨハネ20.1-9)にはこのように書かれています。この後マグダラのマリアは、復活したイエスと最初に出会うという栄誉を

  • さり気ない瞬間の中にこそ

    すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 今日、復活の聖なる徹夜祭の福音(マタイ28.1-10)にはこのように書かれています。イエスは人としてこの地上に生まれ、

  • ピラトに

    そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。 今日、聖金曜日、主の受難の福音(ヨハネ18.1-19.42)では、捕らえられ、十字架にかけられて死んでいくイエスの姿が描かれています。 弟子たちは師を見捨て、かつて

  • この上なく愛し抜かれた

    過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 今日、聖木曜日の夕べのミサでは、福音で最後の晩餐の場面(ヨハネ13.1-15)が読まれます。二千年間途

  • ユダに心を重ねる

    そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をね

  • わたしのすべてを

    父よ、あなたこそわたしの神、わたしのすべてをあなたに。 今日の答唱詩編はこのように歌われます。聖週間にこの言葉を聞くと、十字架の上のイエスが思い起こされます。 「わたしのすべてを」神に捧げる方法は一人ひとり違います。誰もが命を捨てなければな

  • 愛と奇跡

    それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。 今日の福音(ヨハネ1

  • 叫ぶほどに

    しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 今日の福音(マタイ27.11-54)は、イエスが息を引き取る様子をこのように記しています。イエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、そして「成し遂げられ

  • 庭を整えるのは

    あなたの庭に住むように選ばれ、招かれた人はしあわせ。わたしたちはあふれる恵みに潤される、あなたの家、神殿の中で。 今日の詩編(詩編65.5,6)はこのように歌われます。このような言葉を聞くと、自分は選ばれても招かれてもいない、自分が今いる場

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