一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 今日の福音(マルコ16.15-20)には、イエスが天に昇った後の弟子たちの行動に
神はわたしに力を与え、わたしの道を正しくされる。あなたはわたしの歩く道を広くされ、わたしの歩みはゆるがない。 今日の詩編(詩編18.3,33+37)はこのように歌われます。神が道を正しくされるとは、私たちが過ちを犯さないように正しい生き方を
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、救いのしるしとさばきのことばを。 今日の詩編(詩編105.3b+4+5,6+7+8a+10b)はこのように歌われます。私たちは「さばき」と聞くと有罪や罰の言い渡しばかりを想像しがちです。 もちろん、実際
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 今日の福音(ヨハネ8.31-42)で、イエスはユダヤの人々にこのように言います。これを聞いたユダヤ人たちは「自分
「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない」 今日の福音(ヨハネ8.21-30)で、イエスはユダヤの人々にこのように言います。このように言うものの、イエ
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 今日の福音(ヨハネ8.1-11)で、イエスは姦通の罪を犯した女性にこのように言います。「姦通の女」と呼ばれるこの箇所は、聖書の中でも有名な場面の一つでしょ
「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 今日の福音(ヨハネ11.1-45)で、マルタは、兄弟ラザロの
神よ、あなたの不思議なわざは数えきれず、そのはからいはたぐいなく、私がそれを告げ知らせても、すべてを語り尽くすことはできない。 今日の詩編(詩編40.6,10)はこのように歌われます。現代を生きる私たちは、「不思議なわざ」をどれほど体験して
「しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ」 今日の福音(ヨハネ7.1-2,10,25-30)でエルサレムの人々は、イエスについてこのように言います。イエスの
「また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。」 今日の福音(ヨハネ5.31-47)で、イエスは弟子たちにこのように言います。聖書には、人生の道しるべとなるような教えが
助けを求めるすべての人、心から祈る人のそばに神はおられる。 今日の詩編(詩編145.13cd+14,17+18)はこのように歌われます。神が心から祈る人のそばにおられるのは、祈りに対する褒美なのでしょうか。あまり祈らない人は、神から見捨てら
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 今日の福音(ヨハネ5.1-3a,5-1
彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 今日の第二朗読(ローマ4.13,16-18,22)で、パウロはこのように書いています。ここで書か
神はわたしを生き返らせ、いつくしみによって正しい道にみちびかれる。 今日の詩編(詩編23.2+3,5,6)はこのように歌われます。大人になってから教会の門を叩いて洗礼を受けた人、しばらく教会から離れていたけれども戻ってきた人、そして大きな過
神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。あなたは悔い改める心を見捨てられない。 今日の詩編(詩編51.18+19,20+21)はこのように歌われます。キリスト教では「苦しみも悲しみもお捧げする」という表現がよく用いられます。しかし、感情に
そのとき、イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 今日の福音(ヨハネ19.25-27)にはこのように書かれています。ここには「十字架のそば」とだけ書かれていますが、十字架と彼女たちの
「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」 今日の第一朗読(エレミヤ7.23-28)で、神は民にこのように告げます。このような
神はおまえの門のかんぬきをかため、その中に住む人を祝福される。 今日の詩編(詩編147.12+13,20+12)はこのように歌われます。一方で、詩編117章には「正義の城門を開け」という言葉もあります。私たちは門を開けばよいのでしょうか。閉
そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 今日の福音(マタイ18.2
そのとき、イエスは、ナザレの会堂で人々に言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」 今日の福音(ルカ4.24-30)にはこのように書かれています。宣教を始めた頃のイエスは行く先々で熱狂的に迎え入れられます
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに
そこで、イエスは次のたとえを話された。 今日の福音(詩編103.3+4,11+12)でイエスは、ファリサイ派と律法学者の人々に「放蕩息子のたとえ」を語ります。「善きサマリア人」と並んで、イエスが語ったたとえ話の中でも、最も有名なものの一つで
あなたは嘆きを喜びに変え、あら布を晴れ着に替えてくださった。 今日の詩編(詩編30.2b+4,11+12)はこのように歌われます。生まれてから一度もあら布など着たことがない、晴れ着しか着たことがない人は、晴れ着を着ることに特別な喜びは感じな
しあわせな人、罪びとの道を歩むことなく、神のおきてを喜びとし、昼も夜も教えを心に留める人。 今日の詩編(詩編1.1ac+2,3)はこのように歌われます。神のおきてではなく社会道徳や国の法律であれば、それを守ることを喜びとするかしないかは、あ
あなたのいつくしみによってわたしを導き出し、しかけられた網からわたしを助け出してください。 今日の詩編(詩編31.4+5,15+16a+17b)はこのように歌われます。「しかけられた網」という言葉からは、今、実際に自分が苦しめられていること
「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである」 今日の福音(マタイ23.1-12)で、イエスは
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」 今日の福音(ルカ6.36-38)で、イエスは弟子たちにこの
神を王としていただく国、神のものとして選ばれた民はしあわせ。 今日の詩編(詩編33.4+5,12+13,20+21)はこのように歌われます。どんなに優れた王が治める国も、王だけで全てがうまくいくということはありません。 王の考えを理解し、支
しあわせな人、道からそれず、神の教えに従って歩む人。そのさとしをとがなく守り、神の道を歩む人。 今日の詩編(詩編119.1+2a+3b,15+16)はこのように歌われます。まず、神の道とはどこにあるのか、どのような道なのかを正しく理解して
わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。 今日の第一朗読(エゼキエル18.21-28)にはこのように書かれています。聖書には、回心することの尊さ、大切さが何度も
「まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」 今日の福音(マタイ7.7-12)で、イエスは弟子たちにこのように言います。私たちは神に様々なことを願い求めます。しかし、その全てが叶えられるわけではありません。望ん
神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。 今日の詩編(詩編51.12+13,18+19)はこのように歌われます。自分の心の醜さや弱さに苦しみ、罪悪感を覚える人は決して少なくないでしょう。誠実な人ほ
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一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 今日の福音(マルコ16.15-20)には、イエスが天に昇った後の弟子たちの行動に
「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」 今日の福音(ヨハネ16.
「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない」 今日の福音(ヨハネ16.
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」 今日の福音(ヨハネ16.16-20)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは、最後の晩餐の場面での言葉ですから、イエスは、ご自分
死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。 今日の第一朗読(使徒言行
神はわたしに約束されたことを、すべて成しとげられる。神よ、あなたのいつくしみは永遠。造られたすべてのものを見捨てないでください。 今日の詩編(詩編138.1+2ab,8)はこのように歌われます。神が自分に何を約束されたかを知っている人がどれ
「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである」 今日の福音(ヨハネ15.26-16.4a)で、イエスは弟
「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」 今日の第二朗読(�ヨハネ4.7-10)にはこのように書かれています。この言葉はキリスト教の本質を表していると言ってもいいでしょう。神は愛であり、私たちは誰もが神に愛されている。そして
さて、彼ら(パウロたち)はアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。 今日の第一朗読(使徒言行録16.
ことばでもなく、話でもなく、その声も聞こえないが、その響きは地を覆い、その知らせは世界に及ぶ。 今日の詩編(詩編19.2+3,4+5)はこのように歌われます。神の言葉は、必ずしも人間の言葉と同じように私たちの耳に届くわけではありません。むし
すべての国にその栄光をかたり、すべての民に不思議なわざを伝えよ。神は偉大、ほむべきかた、すべてを越えておそるべきかた。 今日の詩編(詩編96.1+2,3+4)はこのように歌われます。この歌が作られた時、世界は今よりずっと狭いものでした。「地
「神の家に行こう」と言われて、わたしの心は喜びにはずんだ。エルサレムよ、わたしたちは今、お前の門のうちに立っている。 今日の詩編(詩編122.1+2,3+4ab)はこのように歌われます。「神の家に行こう」と言われたら、どのようなことを想像す
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」 今日の福音(ヨハネ14.27-31a)でイエスは、弟子たちにこのように言います。この言葉からは、イエス
その日、イコニヨンで異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になってパウロとバルナバに乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこでも福音を告げ
「愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方
「わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」 今日の福音(ヨハネ14.7-14)でイエスは、弟子のフィリポにこのように言います。しかし実際には、神に願ったことの全てがかなえられるわけではありません。なぜイエスはこ
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを
「皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」 今日の第一朗読(�ペトロ5.5b-
「わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日
ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」 今日の福音(ヨハネ15.12-17)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは、イエスの言葉の中でも最も有名なものの一つでしょう。キリスト者でこの言
「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」 今日の
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」 今日の福音(ヨハネ15.1-8)で、イエスは弟子たちにこのように言います。イエスは私たちに多くの言葉
その日、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、
「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」 今日の第一朗読(使徒言行録14.5-18)で、パ
そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)には、このように書か
主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」 今日の第一朗読(使徒言行録13.44-52)で、パウロとバルナバはアンティオキアの群衆にこのように言い
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」 今日の福音(ヨハネ14.1-6)で、イエスは弟子たちにこのように言います。これは、イエスの言葉の中でも極めて難しいものの一つだと思います。 神を信じているから、イエスを信じ
律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。 今日の第一朗読(使徒言行録13.13-25)には
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 今日の福音(ヨハネ14.6-14)で、イエスはトマスにこのように言います。数学のような物言いになりますが、イエスが道であり、真理であり、
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 今日の第一
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」 今日の福音(ヨハネ10.11-18)で、イエスは人々にこのように言います。この「羊のために命を捨てる」という言葉は、イエスの十字架による死を預言していると考えられることが多い
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」 今日の第一朗読(使徒言行録2.14a,36-41)で、ペトロは彼の話に耳を傾ける群衆にこのように言います。
人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.31-42)には、ペトロが、病気で亡くなったドルカス
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)には、迫害者サウロの前に復活したイエスが現れ、回心へと導かれていく様子
「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 今日の福音(ヨハネ6.44-41)で、イエスは人々にこのように言います。今、私
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 今日の第一朗読(使徒言行録8.1b-8)にはこのように書かれています。この直後に「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」 今日の福音(マルコ16.15-20)で、天に帰る前のイエスは、弟子たちにこのように言います。「全世界に」とはいえ、もちろん、全ての人が海外宣教に招かれているわけではないでしょう
そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 今日の福音(ヨハネ6.22-29)にはこのように書かれています。イエスが言う「神
わたしは絶えず神を思う。神はわたしのそばにおられ、わたしはけっしてゆるがない。 今日の詩編(詩編16.8,10,11)はこのように歌われます。「絶えず神を思う」とはどのようなことでしょうか。生活の全てを祈りや黙想に捧げるということでしょうか