歴史探訪〜日華事変(支那事変)は何故長引いたのか (2) 〜
(前回からの続き)国民党政府の外交官、高宋武が、蒋介石へは内緒で1938年7月に和平交渉の為に来日した際、「蒋介石は、日本との長期抗戦の構えがある」と断言できたのもこの年表を読めば納得できる。日本政府としては、蒋介石の下野は和平の条件として
歴史探訪〜日華事変(支那事変)は何故長引いたのか (1) 〜
忘れられない人がいる。近衛文麿元首相の長男で元陸軍中尉の文隆氏。昭和18年(1943年)末、士官候補生だった和田さんは、3カ月間同じ部隊に所属した。 文隆氏は米国留学経験があり、当時の世界情勢に明るく、祖国への思いも強かった。
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