長野県諏訪市にあります高島城址です。3回目の今回も本丸跡よりスタートです。本丸跡中央です。当時はここに本丸御殿がありました。本丸北東部にきました。隅櫓です。高島城の本丸にはかつて角櫓、持方月櫓、富士見櫓と3つの櫓が建てられていました。そのうちの角櫓が1970年
長野県諏訪市にあります高島城址です。2回目の今回は、天守内部へ向かうところからスタートです。石段を登っている最中に右手に石垣を発見しました。小天守跡です。1871年の廃藩置県により高島県となり、しばらくは県庁舎として利用されましたが、1875年に天守以下の建造物は
長野県諏訪市にあります高島城址です。当ブログ123城目となる高島城址は、JR上諏訪駅より徒歩10分ほどで到着します。こちらは衣之川です。当時からこの川を堀の代わりとして利用していました。左側の石垣は少し古い感じがします。道中、説明板を発見。説明板によるとここは当
埼玉県比企郡嵐山町にあります菅谷館址です。三回目の今回はニノ郭跡から三ノ郭跡へ向かうところからスタートです。ニノ郭跡と本郭跡の境目の堀跡です。かなりの特徴のある堀跡です。説明板がありました。出桝形土塁だそうです。枡形の土塁は珍しいですね。正面から堀跡をみ
埼玉県比企郡嵐山町にあります菅谷館址です。2回目の今回は二ノ郭跡かより本郭跡に向かうところからスタートです。先ほどとは別の説明板がありました。現在見られる菅谷館跡の姿は300年後の戦国時代に築城された菅谷城であり、発掘調査でも当時の面影は見られないそうです。
埼玉県比企郡嵐山町にあります菅谷館址です。当ブログ122城目となる菅谷館址は、東武武蔵嵐山駅より徒歩15分ほどで到着します。菅谷館(菅谷城)は山内上杉家の家臣である太田資康公が扇谷上杉家の拠点である河越城に対するおさえとして城主をつとめました。もともとは鎌倉幕
東京都八王子市にあります八王子城址です。最終回となる今回は、御主殿曲輪跡よりスタートです。会所跡の奥にあたる曲輪最北西部になります。曲輪跡の南西部にも説明板がありました。御主殿曲輪跡を後にします。坂を降ります。御主殿の滝です。い落城の際、御主殿にいた女子
東京都八王子市にあります八王子城址です。五回目となる今回は、御主殿曲輪跡よりスタートです。御主殿跡より見ていきます。御主殿は八王子城の中で最大の建築物で、そして、中心となる建物です。御主殿地区の本格的な発掘調査は、1992年~1993年にわたり行われました。その
東京都八王子市にあります八王子城址です。四回目の今回は、曳橋を渡り御主殿に向かうところからスタートです。曳橋のゴールの目の前の石垣です。左下には巨石も見えます。曳橋を渡った左手です。ここから見る曳橋です。説明板がありました。左側の石垣が発掘時に崩れずその
東京都八王子市にあります八王子城址です。三回目の今回は要害地区より下山し、居館地区の散策に向かうところからスタートです。居館地区の説明板です。居館地区では、城主であった北条氏照公が政務や生活を営んでいた居住地区になります。近年、発掘調査や整備も進み、御主
東京都八王子市にあります八王子城址です。二回目の今回は本丸跡の手前の曲輪よりスタートです。パノラマの絶景を楽しんだあと少し進むと広場に出ました。この石段を登ると八王子神社になります。説明板がありました。説明板がありました。本丸周辺の曲輪の説明板です。本丸
東京都八王子市にあります八王子城址です。当ブログ121城目となる八王子城址は、国の史跡や日本100名城に選ばれ、発掘調査や整備も進み、御主殿跡付近の石垣、虎口、曳橋などが復元されています。駐車場のそばに八王子城ガイダンス施設も建てられています。駅からバスで10分
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