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  • 尾張瀬戸へ行く・5 在日の叔父を尋ねて

    (承前)叔母の再婚相手が在日の人であることを知ったのは、私が40歳過ぎて実姉に再会したあとのことである。私と姉は、叔母に会い、その家を訪れた。叔母の連れ合い、在日の彼、つまり私の義理の叔父にも会った。彼は亜炭鉱の炭住でも権威をもっていたように、親分肌の豪快な人物だった。ただしその折は、いまの私より少し若いぐらいの年齢で、もう現役を引退した好々爺風であった。姉と私の訪問をとても喜んでくれた彼だったが、とりわけ私が、「あなたは総連系、あるいは民団系どちらだったのですか?」尋ねたときには、「お前、そんなことを知っているのか。もっとこっちへ来い」と、私を抱きかかえるほどの近くへ招き、酒肴を勧め、その経歴を話してくれた。彼はいろんな軋轢の末、民団を選び、引退まではこの地域の幹部を務めていたようだ。私と同じ年代の人で...尾張瀬戸へ行く・5在日の叔父を尋ねて

  • 尾張瀬戸へ行く・4 血縁・家・万世一系

    【これまで】家を守るため入り婿に入った実父は実母との間に姉と私を設けたが、その実母が私の生誕後亡くなったため、女学校を出たばかりの実母の妹(つまり私の叔母)と再婚しました。これも家を守るためでした。 しかし、叔母はあまりにも若く乳飲み子と幼子を養育することはできず、姉と私はそれぞれ別のところへ養子として出されました。実父と叔母はその後、私の義弟、義妹にあたる二人の子を設けたのですが、折から激しくなる戦争に取られ、1944年インパールで戦死してしまいました。二人の幼い子を抱えた叔母は、戦後のドサクサで苦労を重ね、当時、愛知の三河や岐阜の東濃にあった亜炭鉱山の女坑夫として働きました。そんな母に同情し、良くしてくれた男性がいて、二人の子持ちを承知で叔母と結婚しました。これはこれで新しい「家」が誕生したわけで、う...尾張瀬戸へ行く・4血縁・家・万世一系

  • 尾張瀬戸へ行く・3 「家」は守られたのか・・・・

    姉と私は、その実母を亡くし、家系を守るため実父が実母の妹、つまり私たちの叔母と再婚するに当たり、そのための余計者としてそれぞれ養子に出されたことは述べてきました。それらの舞台が瀬戸と大きな関わりをもっていたことも述べました。ではその、三河武士の末裔というささやかな誇りをもった家系は、姉と私を排除してリセットし、あの戦中戦後の混乱の中で守られたのでしょうか。写真はすべて瀬戸蔵ミュージアムでのもの。ここでは陶磁器の製造工程と瀬戸での土器以降の陶磁器生産の歴史を、出土したものや現代の製品を網羅して展示している。家系などという概念に全く関心をもっていない方も多いでしょう。私もそうなのです。しかし、時代もあるでしょう、私の幼かった戦前には、まだ家系の維持というのは没落した士族などを中心に生きていたのです。家系の今日...尾張瀬戸へ行く・3「家」は守られたのか・・・・

  • 聞くも哀しい命名・・・・オオキンケイギクのことをこんな風に

    オオキンケイギクは今花期を迎えているキバナコスモスに似たきれいな花だが、セイタカアワダチソウと同様、特定在来植物の代表的なものといわれる。持ち込まれたのは1880年代というからけっこう古いが、急速に増えたのが先の戦後である。やはりセイタカアワダチソウ同様とても繁殖力が強く、敗戦後、日本に着陸する米軍機の車輪にくっついて、飛行場を中心に繁殖したといわれる。これは私の記憶をたどってもそう思われる。岐阜近辺の繁殖は、各務ヶ原飛行場を中心に国道21号線沿いに広がっていった。ひところは、今頃の木曽川の河川敷はこのオオキンケイギクの群生地として黄金色の花に埋め尽くされたものだ。この、飛行場を中心に・・・・というのはやはり全国での様子で、今朝の「朝日」、声欄のトップはかつて鹿児島県に住んでいた80代の女性からのもので、...聞くも哀しい命名・・・・オオキンケイギクのことをこんな風に

  • 尾張瀬戸を訪れる・2 姉と弟

    三〇度を超すかもしれないと予報が告げるなか、名古屋の栄町(地名は「栄」ですが駅名は「栄町」)から名鉄瀬戸線で「尾張瀬戸」へと向かいました。途中、矢田川を渡り、守山区(名古屋へ合併する前の守山市)から尾張旭を経て瀬戸へ至る路線は途中で高架化のための工事区間などがありましたが基本的に変化はありません。終点、尾張瀬戸駅のふたつ手前、今は新瀬戸駅(それとクロスする愛知環状鉄道の駅名は瀬戸市駅)となっいてるところはかつては尾張横山駅といわれていました。その駅南の線路に沿うようにしてかなりの面積をもつ製陶所をもっていたのが、前回述べた私の養母の姉妹の嫁ぎ先の親戚でした。多分、私の養子縁組の仲立ちをしたところです。駅前を通りに挟まれて流れる瀬戸川私が少年時代に来た頃は、各陶磁器製造所からの排水のため、土色に濁りきって、...尾張瀬戸を訪れる・2姉と弟

  • 尾張瀬戸を訪れる・1

    人の生涯には、様々な転機があります。それは自ら決断したものであったり、自分の意志にかかわらず周りの状況などからそうなってしまったものなどいろいろでしょう。私が自分の生涯を振り返ったとき、まだ物心つかない前に、そうした転機を迎えていたことが事後になってわかってきました。そのひとつは、私が生まれてまもなく、その母が亡くなってしまったということです。いわゆる産後の肥立ちが悪くというのでしょうが、その意味では私は鬼子というべきかもしれません。名鉄瀬戸線栄町駅で地下駅のため水漏れがもたらしたフォルム私の実父は、もともと女系の家に婿養子に入ったのですが、その妻たる私の母の死後、やはりその家系を守るべく、母の妹と再婚をすることになりました。これは戦前の「家を守る」という不文律の考え方のもとではよくあることでした。問題は...尾張瀬戸を訪れる・1

  • 洗濯を三回した!

    ■今日は日差しも強く風もそこそこあるので、三回の洗濯を試みる。■一回目は通常のもの。■二回目は、合物のズボンやシャツ、ベストなど何枚か。自分で洗うのもいくぶんやばいかなというものもあったが、それだけクリーニングに出すのはと、思い切ってエイヤッと洗ってしまう。■三回目は余勢をかって、シーツとフトンカバー、枕カバーなど寝室周りのもの。■布団はもう片付けてタオルケットにする。■三回洗濯といってもそれ自体は洗濯機がやってくれるからいいのだが、汚れたものを二階の寝室から降ろし、乾いたものをまた二階へというのが大変だ。■また洗濯機の在り処から干場までが離れているため、濡れて重いものを運ぶのも大変だ。■持病の腰痛が、「お前大丈夫か」と訊いてくる。イラストのような爽やかな洗濯だといいんだけど・・・・。洗濯を三回した!

  • それでもカニはカニ、あるいは時期外れは時期外れ?

    昨日、あるSNSで、古くからの友人が、故郷・田原(渥美半島)で、親族の方が獲ってきたワタリガニ(ガザミ)を暴れ食いしているのを羨んでコメントを付けた。そんな矢先の今日、いつもゆくスーパーの魚売り場で、セコガニ(勢子ガニあるいはセイコガニ)の足を折りたたんだ状態が25センチほどのものを見かけた。うまそうだがどうせ価格が・・・・と通り過ぎようとして足が止まった。え、え、え、198円?何度見直してもそうだ。ならばということでゲット。湯がくのではなく、せいろで十数分蒸した。セコガニはズワイの雌。時期ならば抱卵していてそれもうまいのだが、いまは時期はずれ、それはない。甲羅を外すと、いくばくかのカニ味噌を味わうことができた。その他、甲羅の肉も、脚のそれも、そこそこ美味かったのだが、やはりこのスリムさ、口中でのボリュー...それでもカニはカニ、あるいは時期外れは時期外れ?

  • 近場の風景 意外なものがまだあった!

    わが家から数百メートルのの箇所に所要で出かける。あまり来なかったり、来てもしげしげとあたりを見渡したりしない場所がけっこうある。帰途、多少の回り道をしながら散策。この田植えの時期しか配水されない水路に、カルガモが一羽。どうやら母鳥から独立したばかりの若い個体のようだ。なんかドギマギして落ち着きがない。私が接近したせいもあるが。近くの生け垣に、埋もれるようにして咲いているクチナシを見つけた。そういえばかつて、わが家にもクチナシがあった。入手した経緯も覚えている。半世紀ほど前のサラリーマン時代、大きな背負い籠(通称:ショイカゴ)を担いだ女性二人が会社のオフィスにやってきた。訊けば山口県からやってきた行商だという。ショイカゴから食い物など含めた山口の物産をいろいろ取り出し、買ってくれという。たまたまオフィスにい...近場の風景意外なものがまだあった!

  • 人口の建造物、そしてそこから見える風景@岐阜

    所用で岐阜ふれあい会館にあるオフィスに。この中には、岐阜では随一のコンサートホール、サラマンカホールがある。今日は残念ながらコンサートとは無縁の事務的な用事であったが、用件が終わったあと、この先のコンサートの予定のパンフをあさってきたので、日程が合うものは来たいと思う。このフロアの写真を撮っていたら、やや派手っぽい衣装の6,70代ぐらいの女性がつかつかとやってきて、「いま、私の写真を撮ったでしょう」と詰問された。「いやいや、あなたが通り過ぎるのを待ってシャッターを押しましたよ」と、このホールで撮ったスマホのすべての写真を再現してみせた。「アラ、ほんと。ごめんなさいね、疑ったりして」と彼女。あらぬ疑いをかけられたわけだが、不快感はなかった。彼女の抗議の仕方、その引き際がどこかさっぱりしていて、とても自然だっ...人口の建造物、そしてそこから見える風景@岐阜

  • NHKのドキュメンタリーと唐牛健太郎

    ■NHKで「映像の世紀バタフライエフェクト安保闘争燃え盛った政治の季節」を観た。■最近、私が所属する同人誌に2回にわたって連載し書いた時代とほぼ一致するもので感慨深かった。■NHKの描写はこの番組特有の淡々とした事実の積み重ねだが、かえってそれが今様の忖度を廃して、当時の様相をかなり忠実に伝えていたように思う。■映像はもちろん東京中心だが、愛知の地で同時刻、同様の状況に身を置いていた自分の青春が改めて偲ばれた。■特に懐かしかったのは、60年安保当時の全学連委員長だった唐牛健太郎の映像だ。■お互い多忙な身、交流の機会は少なかったが、秋葉原の高架下で地方大学の出身者のみ4人で飲み明かした日、宿を取りそびれて彼の下宿へ泊めて貰ったことなどが思い出される。■これらの機会に彼が主張していたのは、反中央、反東大、反権...NHKのドキュメンタリーと唐牛健太郎

  • カエルの歌が 聞こえてくるよ

    何を知らせたいかというと、久々に夜遅く帰宅し、遠く離れたバス停から家まで歩く途中、うちからはとっくに見えなくなってしまった田んぼに、田植え近しと水が張られていて、蛙たちが一斉に鳴き出した風情である。https://www.youtube.com/watch?v=pbSeSm999z0水がなくて田んぼが干からびた状態だった頃、蛙たちはいったいどこにいたのだろう。半世紀以上前、わが家は周囲四面が田んぼで、エアコンもない時代とてすべての戸や窓を開け放って風を通していたいた。で、その全方位から蛙の凄まじい鳴き声に攻められ、ラジオもTVもボリュームを大きくしないと聞こえなかった。ちょっと玄関など開けておくと、いつの間にかトノサマガエルの来訪があったりと・・・・還らぬものはすべて「いとをかし」である。カエルの歌が聞こえてくるよ

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