今日 | 11/27 | 11/26 | 11/25 | 11/24 | 11/23 | 11/22 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(IN) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,037,796サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
その他日記ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 30,910サイト |
60代男性日記 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 41サイト |
今日 | 11/27 | 11/26 | 11/25 | 11/24 | 11/23 | 11/22 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(OUT) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,037,796サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
その他日記ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 30,910サイト |
60代男性日記 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 41サイト |
今日 | 11/27 | 11/26 | 11/25 | 11/24 | 11/23 | 11/22 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(PV) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,037,796サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
その他日記ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 30,910サイト |
60代男性日記 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 41サイト |
年が変わって12日が過ぎた。晴れる日が多くて去年の夏の雨降りの日々のことなど思い返しいる。はっきりとした意味はないながら、一種、淡い哀愁の匂いが漂うのを感じている。早朝の寒気が全身を包む眠気を追い払って気分が良くなっていくのが判ったりする。今まで感じたことのない感覚。端の人が見れば「ちょっと、こいつ、おかしいんじやないの?」そんな笑みを浮かべているんじゃないかと客観的に自分自身を眺めている。かつては3日間ぐらいの徹夜仕事などへっちゃらにこなしていて、仕事の一段落は真夜中のバーカウンターで吹っ切っていた。睡眠は怠惰な証で家に帰る時間は午前零時を過ぎなければ怠け者と罵声を浴びせられる。そんな恐怖心がいつもあった。毎日同じことの繰り返しを野良猫のように怯えていた。そして、今、そんな怯の日々の真っただ中にいる。しかし、...世の中はやっぱり雨降り風間なのだ。
静かな暮らしは退屈でやりきれなくなって気が変になるのでは・・・そんなことを思っていた。ある程度の歳を重ねれば、時の流れは緩やかで秋口の夕方に吹く風のように穏やかで、ヒリヒリした気持ちを落ち着かせてくれる。鴉は寝床に帰るために仲間たちに鳴き声で確認しあい、漆黒の羽を慌ただしくばたつかせている。昼と夜の狭間には魔物が表れ、人の心に緩みを与える。そんな時に金木犀の匂いを嗅いだりしてしまうと、眠っていた記憶が呼び戻されたりする。ちょうど一年前に七年にも及ぶ闘病の末、彼女は死んだ。10月6日。午後2時の事だった。その一週間前、そこそこ親しかった友人から電話がスマホに入っていた。留守電に「電話をくれ」と力のない声で伝言が残されていた。僕は伝言を聞いた瞬間に思った。彼女が死んだな・・・・。最悪で厭な知らせには鋭い感が働いたり...金木犀の香りが漂いはじめると振り返ることがある。
女はいつだってホントのことに溢れる事柄をあっさり口にされると腹を立てる。
近頃では自分の意見を吐くとき、必ず決まってこう言う。「私はただの何も知らない平凡な一介の主婦ですが・・・」と前口上を吐く。無知で平凡であることが今や正義なのだ。そう、今じゃ無知で平凡であることを、暴力だと感じる男がほとんどいないのだ。そして男までもが、そうした思想を無暗に振り回すようになってしまった。世間の自尊心が台所に仕掛けられたゴキブリ取り器に捕捉され外へ出られなくなってしまっている。家々の片隅から湧きだした"ただの、何も知らない、平凡な一介のゴキブリ"のようなファシズムが通い慣れた酒場まで奪い取ろうとしている。それは、過去の過ちを検証も反省もせずに、先へ進もうとする。誰も結論を出せずにいる。結論など出しようがないのだ・・・と諦めてしまう。だからなのだろう。女はいつだってホントのことに溢れる事柄をあっさり口にされると腹を立てる。
ひょっとしたら"熱中症"じゃないの?と思わせぶりな態度の雲に出会った。
それにしても・・・暑い。暑くてたまらない。地球は確実に滅びようとしている。いや、そうではない。人類が滅び去る時が近づいているのだろう。それも仕方あるまい。好き放題やってきたのだから。経済発展が人間を幸せにするのだと頑なに信じてきたのだからしょうがないのだ。国も企業も果たすべき責任の対象に地球を組み込まなかった。地球も己自身が生き延びる方法とし我々を除外しようとする。それは自然の流れというものだ。テレビではコロナと騒ぎと同様、日本中でどの県が高温地域なのかをランキングして見せたり、熱中症予防は水を飲め!だとか諸々・・・・またまた庶民の判断に下駄を預ける。自然現象だから誰の責任でもない。だから、各自奮闘努力せよ!と煽り立てる。知りたいのは原因なんだ。1日に何十人の人が死んでしまう原因なんだ。テレビに向かって叫びだし...ひょっとしたら"熱中症"じゃないの?と思わせぶりな態度の雲に出会った。
雨は降り続けている。湿った空気の中、ドアを開けて彼女の中へ・・・・
降りやまぬ雨はもしかしてあるんじゃなかろうか?そんな疑問が頭の中で消防車の早金のように鳴っている。このマンションの敷地に居座っている野良猫3匹は雨を避けながら太々しく居眠りしている。実に羨ましい。彼らが当たり前だと思える。それは、その行動やしぐさがとても自然だからだ。僕も見習いたい!と、最近、思う。部屋に閉じこもってじっとしているのも心地の良いものだけれど、雨音だけを頼りに雨を避けながら快適なネグラを探し出すのもさぞ楽しいことなんではないだろうか・・・・・いつまでたっても安住の地などないのだが、しばし休む場所を見つけるには才能が必要。野生の感覚という死滅してしまった危機感覚。いまの人々には必要なモノの一つだ。考えるな!感じるんだ!かってブルース・リーは弟子に映画の中で叫んだではないか。考えてはダメ・・・というよ...雨は降り続けている。湿った空気の中、ドアを開けて彼女の中へ・・・・
山本周五郎の小説を読み返した。何年ぶりだろうか・・・そう初めて読んだのは16歳の頃。学校の規則やらを破ることがカッコイイと、何でもかんでもルールと呼ぶものすべてを斜に眺めてイキガッテいた。しかし、どうにもならないことが津波のように押し寄せてきて、しっぽを巻いた。そして、ふるさとを捨てた。いや、逃げ出した。自分自身と向き合うなどと人は簡単に言う。意味も分からずに人を責めぬくことで自分のダメさ加減をだれかの所為にする。それは自分と向き合うことなのではなく自分自身についた噓を肯定するために過ぎ去った事実を捻じ曲げてしまうことなのだ。哀しいことに憎しみは生き続ける糧になるからだ。山本周五郎のこの小説「さぶ」は余りにも深く哀しく辛い。しかし、人間の持つ愚かな側面を肯定しながらも「だから、生きていていいんだ。」と教えてくれ...誰にでも「さぶ」が寄り添っていてくれる。そう思えば・・・
人生は自分探しじゃないし、何かを見つけることでもないし、自分を作り出せることこそ人生なのだ。
長い間読みたいと思い続けた本を読み、見直したかった映画を観て、ブルースギターの練習を繰り返した日々だった。集中したわけではないけれど、雑事に脅かされることがなく、疲れて飽きてしまうまで時間をついやせたのが嬉しかった。こんなに自分自身のために時間を使ったのは初めてのような気がした。行きづりの哲学者のようだ。辿り着こうなどと思いもしない。ただひたすら目の前や心の底に訪れる自分の声を聴き、風のような風景を観ることに専念できたような気分なのだ。空っぽの自分に「きっと、何かが潜んでいるはず。そう、自分に適した場所や能力があるはず・・・・」などと、傲慢に思い続けたあの日の自分はすでにここにはいない。格好をつけて一人旅にでたりもしたけれど自分など何処にも見つからなかったし、居心地の良い場所もなかった。ましてや最適な職業など見...人生は自分探しじゃないし、何かを見つけることでもないし、自分を作り出せることこそ人生なのだ。
孤独のまま群れあうことが愚かな行動を生み出しているのか・・・・
FBやTWなどを見ることをほとんどやめてしまった。読んだり見たりしていると空しくて悲しくてやりきれなくなってしまうからだ。特に毎日、いや、日に3度ぐらいの間隔で写真でアップしたり、取り留めもない空っぽな感覚をコメントしたりしている。読むのが阿保らしく思えてくる。でも、知り合いだからぽちっと押す。悪いから・・・・そんな事を思う、もういいやぁ!などと最近思ってしまっている。そう、僕も最初の頃はそうだった。直に触れ合うことのない友達へ、関心を惹くように書き込んだりしていた。「いいね」が欲しいばかりに・・・・このサインを貰うと、「僕に関心を持ってくれているのだ。僕の書き込みを待っていてくれてるんだ」だから、四六時中ネタを探してたりしていた。ふと、今の自分を振り返ってみれば・・・「なんだかメンドクサイなぁ。また書き込んじ...孤独のまま群れあうことが愚かな行動を生み出しているのか・・・・
午後から雨は中途半端にふり、夜半過ぎに本格的になった。中途半端が嫌いなわけではない。白か黒かはっきりしなくては生きて行けないわけじゃないしね。感染症騒ぎも一段落し、新しい生活を始めろと世間は叫び始めた。しかも、その生活と言うのが関西のお笑いタレントのネタのようだ。マスクをして掌の皮が擦り剝けるまで洗い他人と濃密接触をしないこと・・・・その他諸々となれば、もはや声を出して笑うしかないではないか。おまけに、“不要不急”などと正義の御旗をかざし始めたから始末に負えない。だからというわけじゃない。「要」と「急」について思いふけってしまった。特に「要」。そう、今までだって、何故働くのか?そんな馬鹿みたいな質問を投げかけ続けられ、自分自身にも問いかけ、暮らしを維持する為に必要な金を稼ぐためだし、労働に不条理はつきものだ。そ...生きること、それ自体が不要不急なのだろう。
矢上川の土手を散歩するのが日課になってしまって、感染症のお陰でのんびりとした日々を過ごしている。これでいいのだろうか?と、思えるほどにだ。余りにも時の流れと世間の移り変わりに敏感でありすぎた。両隣の人々の顔色を窺いすぎてしまっていた2か月前とは大違いだ。長閑な日常を退屈な日々と固定してしまうのは危険な状況の前触れ。始まりがあれば終わりはやってくるわけで、終わりは誰の所為でもなく、吹き荒れる風の所為なのだ。いままで、僕の周辺の人々の本当の気持ちも少し理解できてしまうことも喜びの一つなんだろう。それは、その人を好きとか嫌いとか、そんなことではなく、ただ、そう思うのだ。そんな思いを心に書き留めておくだけなのだ。そんなことで、今の今を過ごして少しばかりの未来を見つめて生きていく。大切なものは一体何?そんなバカげたことに...芝居のフィナーレのような桜の花びらが舞っていた・・・・
もはや、曖昧で猥褻な国など信頼するに価せず、自らの身は自らの努力で守るしかないわけで、家族があれば家族のリーダーとしての役割を言い聞かせて行動するしかないのだ。至極、当たり前の話だ。溢れかえる情報を自らの脳髄で処理し行動に移す。それを繰り返すことで学習しながらも自らの感覚を信じて身を守る。老人ならでは能力を存分に発揮すればよいだけではないのか。“ぼっち”を恐れてばかりいては埒があかない。人は生まれてきた時も死ぬ時も“ぼっち”なのだ。そして必ず死ぬ。不条理もまた必然なのだ。人間のすることなのだから間違うのは当たり前。あるがままに頭のなかのホワイトボードに書き殴っておけばよい。誰それが、そう言っていた。書いていた。と。そして、合理的に効率の良い方法で利益を得る。そんな考え方は誰も幸せにしないことが判明したのだ。経済...孤独は夢が支えている。夢は孤独が支えている。
騒がしい世間に背を向けているわけではないが、どこか馴染みが希薄になってしまっている。
コロナウィルス蔓延し始めているとか、そのために東京オリンピックが延期になったとか・・・・吹く風がよそよそしく、僕の身近で吹いていると思えなくなってしまっている。感染症は恐ろしい。でも、恐ろしいのは人間で病原菌ではない。そんな気がするだけだ。ウィルスだって生きている。人間が増殖するように、ウイルスも繁殖しまくる。想像を絶するスピードで。彼らの生きるスピードは人智を超えて宇宙空間へだって行ってしまう。人々はウィルスそのものよりもウィルスに感染した人間を忌み嫌う。それも半端じゃなく、感染者を排除し悪魔のように嫌う。それは単に恐怖心からなのだろう。けれども邪悪な心で感染者を観るまなざしには弱さを隠す卑怯者の犬のようだ。怯える犬は狂暴で、なり振りかまわず吠え、噛みつく。抜けるような青い空が広がっていようがお構いなし。普通...騒がしい世間に背を向けているわけではないが、どこか馴染みが希薄になってしまっている。
ミステリーと映画とギターと歌があれば生きていける。そんな思いを胸に深夜バスに乗り込んだのは二十歳の時だった。5月になったばかり京都駅は午後10時。乗り込んだバスの中は、ひと息で生暖かくて息苦しかった。理由もなくウキウキした気持ちを今でも覚えている。一人暮らしをする不安は全くと言っていいぐらいなくて、その割には体が少しだけ震えていた。武者震い。そんな言葉を吐きだすように深夜バスは走り出した。今と違ってそのころの京都、東京間の深夜バスはごく普通の観光バスで座席は二人席だったのを覚えている。東京駅の八重洲口へ着くまで一睡もできなかった。あれから48年がたった。ごく普通のサラリーマンで過ごした僕はとりたてて良かったと思うこともなく勤め人の生活が8年前に終わった。そして半年はきままに暮らし、以前の職場の先輩に誘われろ、く...やっと手に入れた自由をまた手放してしまいそうだ・・・
以前の会社で社長をしていた。ほんの3年ほどだけだった。新事務所に引っ越すとメールがやってきて、私物処理のために神保町まで出かけた。天気予報は外れてばかりいたので傘は持たなかった。テレビの天気予報士の服のセンスがあまりに悪いので信用していない。天気の所為ではないけれど、彼に会うのは避けたかった。先月、別れ際の言葉が胸に引っかかっていて返答しなくてはならない。どう返事をすれば縁を切ることができるだろうか?噓をつくのは苦手だし、ましてや喧嘩をする気力もない。しかし、不思議なもので愛がなくなると想像力は低下してしまうらしい。鶏の頭脳のように三歩で記憶は遠のくのだ。そして、僕の想像も働かなくなり、準備していた返答の言葉も永島茂雄の初打席のように豪快に空振りとなった。まだまだ、未練たらしい言葉を吐かれることを想像していたこ...愛情がなくなると第6感は働かない
一年ぶりだろうか?彼らと飲むのは・・・そんなことを考えながら日比谷から人形町までの道を歩いた。晴海通りを東銀座へ向かい、昭和通りまで出て、日本橋の方向へ歩いた。昭和通りはあまり好きではないので裏道を歩いた。十数年前とは風景が変わっていて、ドギマギしてしまった。迷い犬のような気分で永代通りまでたどり着いてスマホの地図を見た。小雨が降りだして、少し寒かったけれどかまわずに歩いた。人形町の交差点についたのは午後の6時15分。約束の時間には十分すぎるな・・・と思いながら僕が指定した店を探しながら路地を歩き回った。5分も経たぬうちに店が見つかってしまった。彼らに会うのが嫌ではなかった。でも、なんだか気まずかった。一年という時の流れは人との関係を見直す僕なりの考をまとめる時間だった。彼らの事、忘れていたわけではない。ただ、...懐かしさはどこまでも続けられるのだろうか
マイナス2C゜の痛みを知っていれば猫の微笑みを見ることができる。
確かに異常な気候なのだと思う。暖かい日差しと鉛の重さを感じる曇り空を切り返す日々。太陽のやさしさを思い知るには格好な気候だというしかない。朝からBLUSのレコードなんか聴いてどうするのだ。落ち込む気分な時には心底落ち込むに限る。でないと明るい気分の良さを感じなくなってしまうからだ。「アイリッシュマン」を昨日、観た。ここの所、2週間ばかりは3日にあげづ映画館へ通っている。朝、目覚めて映画COMにアクセスして、観る映画を物色。解説は読まない。読むとろくでもない感性が働き下らない映画を観てしまう。ろくでもない感性は僕の自由を不自由さに変えてしまう。それは、何処にも行けそうにないと感じてしまう渡り鳥みたいだ。アメリカという国の歴史を知りたいわけでもないし、特にダークサイドのアメリカの成り立ちを知りたいわけでもない。マー...マイナス2C゜の痛みを知っていれば猫の微笑みを見ることができる。
眠りに落ちる瞬間に幸福感が訪れるのは、もう死んでもいいということなのだろう。
梅雨のような1月が終わった。朝、7時30分。ベッドから起き上がる。何もすることがない1日の始まりは15歳になる前の子供のように美しく逞しい。しばらくの間こんな朝を迎えたことはなかった。不安という電車は時間どおりにやってきて、その電車に乗り込むことに躊躇はなかった。いずれにしても自らが選んだ暮らしぶりだったし、他人にせがまれていやいや繰り返した日々ではなかった。でも、ポケットに詰め込んだままの札束が邪魔だった。クロスロードはどんな場所にもあって、迷いなくいきたい方向とは逆の方向を選択してきた。どうしてなのかはいまだにわからない。ただ、迷う前に体が自らの意思に反して動き始めるのだった。もう、あれから8年の時が流れた。僕は相変わらず、誰かのためなのだと自分に言い聞かせて、この道を歩いてきた。でも、時々はムカついたりし...眠りに落ちる瞬間に幸福感が訪れるのは、もう死んでもいいということなのだろう。
ひと仕事終えて剥製師が内蔵を見事に取り除き一息付いているような気分だった。電車の窓からは暗闇しか見えないけれど気分を落ち着けるには程よい暗さだった。何事も起こらない日々よりは面倒でも刺激的な毎日がいいなんて言う奴らは木下サーカスのピエロのように下品な笑いで人生を誤魔化している。猫は見ず知らず家の窓で僕を見下ろすだけで微笑まない。でも、今夜の僕は6時間の手術を終えた外科医の気分。患者の容態など構うものか。生き続ける奴は生き続ける。手術などしないのだ。とにかく満足した顔をした僕を誰かが嘲笑っても怒りは沸き上がらない。不思議な気分。人に嫌われることばかり気にしていたって何も終わらないし始まりもしないのだ。昔誰かが言った。あんたがどれだけがんばってやったことだって、アンタの悪口は言うのよ。そんな奴のことばっかり聞いて...暁までは時間がある。睡魔はやって来ない。
なんでもそうだけれど、引き際が肝心。7年働いた。重篤疾患に悩まされて、人間関係に煩わされ、幸せ感など微塵もありはしなかった。毎日、行く場所があると言うことは幸せなことなんだよ。そんな戯言に騙されるフリをしていた。それが心地よかった。確かにそうなんだ。なにかれなしに周りに気を使って日々過ごすのは優越感に浸れるからね。他人を利用して至福の時を過ごそうなんて、なんともはや傲慢で優しさの押売員のようだ。そんな事にやっと気がついた。歳を重ねる度に自分の思い描く人間になり損ねて行く。ほとほとアイソが尽きて辞めた。さて、何をするかな?何をすれば僕は喜ぶのかな?雨が降り止むまで考えよう。先月で会社を辞めた。
ほぼほぼ1年を費やした。ライブが終わった。出演バンドを検討し話を繰り返しして、つべこべと言い合い、自問自答と説得と食い違いの修正。ライブスタッフとのPAと照明と進行スケジュールのすったもんだ。意見の食い違い。誤解の解凍。すべては自分の思い通りにするための膨大な時間の消費。バンドのセットリストの検討とリハーサル。他の2バンドの個性を活かせるシーンの創生。何よりもモチベーションを高めるためのコミュニケーション。MCネタの取材と原稿起こし。どれもこれもが面倒なことばかり。ストレスが溜り、苛立ちを鎮めるための飲酒。それの一つ一つを誰にも悟られてはならない。そんなことを多くの失敗を重ねて自らの体に染み込ませた。どんなシーンに出くわしたとしても身体が自然に動かなければ理解していることにはならない。頭で考えてはいけない。だっ...終わりは始まり。そんなに大したことでもなく・・・
「ブログリーダー」を活用して、人はそれぞれ事情を抱えながらも平然と生きている。さんをフォローしませんか?