年が変わって12日が過ぎた。晴れる日が多くて去年の夏の雨降りの日々のことなど思い返しいる。はっきりとした意味はないながら、一種、淡い哀愁の匂いが漂うのを感じている。早朝の寒気が全身を包む眠気を追い払って気分が良くなっていくのが判ったりする。今まで感じたことのない感覚。端の人が見れば「ちょっと、こいつ、おかしいんじやないの?」そんな笑みを浮かべているんじゃないかと客観的に自分自身を眺めている。かつては3日間ぐらいの徹夜仕事などへっちゃらにこなしていて、仕事の一段落は真夜中のバーカウンターで吹っ切っていた。睡眠は怠惰な証で家に帰る時間は午前零時を過ぎなければ怠け者と罵声を浴びせられる。そんな恐怖心がいつもあった。毎日同じことの繰り返しを野良猫のように怯えていた。そして、今、そんな怯の日々の真っただ中にいる。しかし、...世の中はやっぱり雨降り風間なのだ。
静かな暮らしは退屈でやりきれなくなって気が変になるのでは・・・そんなことを思っていた。ある程度の歳を重ねれば、時の流れは緩やかで秋口の夕方に吹く風のように穏やかで、ヒリヒリした気持ちを落ち着かせてくれる。鴉は寝床に帰るために仲間たちに鳴き声で確認しあい、漆黒の羽を慌ただしくばたつかせている。昼と夜の狭間には魔物が表れ、人の心に緩みを与える。そんな時に金木犀の匂いを嗅いだりしてしまうと、眠っていた記憶が呼び戻されたりする。ちょうど一年前に七年にも及ぶ闘病の末、彼女は死んだ。10月6日。午後2時の事だった。その一週間前、そこそこ親しかった友人から電話がスマホに入っていた。留守電に「電話をくれ」と力のない声で伝言が残されていた。僕は伝言を聞いた瞬間に思った。彼女が死んだな・・・・。最悪で厭な知らせには鋭い感が働いたり...金木犀の香りが漂いはじめると振り返ることがある。
女はいつだってホントのことに溢れる事柄をあっさり口にされると腹を立てる。
近頃では自分の意見を吐くとき、必ず決まってこう言う。「私はただの何も知らない平凡な一介の主婦ですが・・・」と前口上を吐く。無知で平凡であることが今や正義なのだ。そう、今じゃ無知で平凡であることを、暴力だと感じる男がほとんどいないのだ。そして男までもが、そうした思想を無暗に振り回すようになってしまった。世間の自尊心が台所に仕掛けられたゴキブリ取り器に捕捉され外へ出られなくなってしまっている。家々の片隅から湧きだした"ただの、何も知らない、平凡な一介のゴキブリ"のようなファシズムが通い慣れた酒場まで奪い取ろうとしている。それは、過去の過ちを検証も反省もせずに、先へ進もうとする。誰も結論を出せずにいる。結論など出しようがないのだ・・・と諦めてしまう。だからなのだろう。女はいつだってホントのことに溢れる事柄をあっさり口にされると腹を立てる。
ひょっとしたら"熱中症"じゃないの?と思わせぶりな態度の雲に出会った。
それにしても・・・暑い。暑くてたまらない。地球は確実に滅びようとしている。いや、そうではない。人類が滅び去る時が近づいているのだろう。それも仕方あるまい。好き放題やってきたのだから。経済発展が人間を幸せにするのだと頑なに信じてきたのだからしょうがないのだ。国も企業も果たすべき責任の対象に地球を組み込まなかった。地球も己自身が生き延びる方法とし我々を除外しようとする。それは自然の流れというものだ。テレビではコロナと騒ぎと同様、日本中でどの県が高温地域なのかをランキングして見せたり、熱中症予防は水を飲め!だとか諸々・・・・またまた庶民の判断に下駄を預ける。自然現象だから誰の責任でもない。だから、各自奮闘努力せよ!と煽り立てる。知りたいのは原因なんだ。1日に何十人の人が死んでしまう原因なんだ。テレビに向かって叫びだし...ひょっとしたら"熱中症"じゃないの?と思わせぶりな態度の雲に出会った。
雨は降り続けている。湿った空気の中、ドアを開けて彼女の中へ・・・・
降りやまぬ雨はもしかしてあるんじゃなかろうか?そんな疑問が頭の中で消防車の早金のように鳴っている。このマンションの敷地に居座っている野良猫3匹は雨を避けながら太々しく居眠りしている。実に羨ましい。彼らが当たり前だと思える。それは、その行動やしぐさがとても自然だからだ。僕も見習いたい!と、最近、思う。部屋に閉じこもってじっとしているのも心地の良いものだけれど、雨音だけを頼りに雨を避けながら快適なネグラを探し出すのもさぞ楽しいことなんではないだろうか・・・・・いつまでたっても安住の地などないのだが、しばし休む場所を見つけるには才能が必要。野生の感覚という死滅してしまった危機感覚。いまの人々には必要なモノの一つだ。考えるな!感じるんだ!かってブルース・リーは弟子に映画の中で叫んだではないか。考えてはダメ・・・というよ...雨は降り続けている。湿った空気の中、ドアを開けて彼女の中へ・・・・
山本周五郎の小説を読み返した。何年ぶりだろうか・・・そう初めて読んだのは16歳の頃。学校の規則やらを破ることがカッコイイと、何でもかんでもルールと呼ぶものすべてを斜に眺めてイキガッテいた。しかし、どうにもならないことが津波のように押し寄せてきて、しっぽを巻いた。そして、ふるさとを捨てた。いや、逃げ出した。自分自身と向き合うなどと人は簡単に言う。意味も分からずに人を責めぬくことで自分のダメさ加減をだれかの所為にする。それは自分と向き合うことなのではなく自分自身についた噓を肯定するために過ぎ去った事実を捻じ曲げてしまうことなのだ。哀しいことに憎しみは生き続ける糧になるからだ。山本周五郎のこの小説「さぶ」は余りにも深く哀しく辛い。しかし、人間の持つ愚かな側面を肯定しながらも「だから、生きていていいんだ。」と教えてくれ...誰にでも「さぶ」が寄り添っていてくれる。そう思えば・・・
人生は自分探しじゃないし、何かを見つけることでもないし、自分を作り出せることこそ人生なのだ。
長い間読みたいと思い続けた本を読み、見直したかった映画を観て、ブルースギターの練習を繰り返した日々だった。集中したわけではないけれど、雑事に脅かされることがなく、疲れて飽きてしまうまで時間をついやせたのが嬉しかった。こんなに自分自身のために時間を使ったのは初めてのような気がした。行きづりの哲学者のようだ。辿り着こうなどと思いもしない。ただひたすら目の前や心の底に訪れる自分の声を聴き、風のような風景を観ることに専念できたような気分なのだ。空っぽの自分に「きっと、何かが潜んでいるはず。そう、自分に適した場所や能力があるはず・・・・」などと、傲慢に思い続けたあの日の自分はすでにここにはいない。格好をつけて一人旅にでたりもしたけれど自分など何処にも見つからなかったし、居心地の良い場所もなかった。ましてや最適な職業など見...人生は自分探しじゃないし、何かを見つけることでもないし、自分を作り出せることこそ人生なのだ。
孤独のまま群れあうことが愚かな行動を生み出しているのか・・・・
FBやTWなどを見ることをほとんどやめてしまった。読んだり見たりしていると空しくて悲しくてやりきれなくなってしまうからだ。特に毎日、いや、日に3度ぐらいの間隔で写真でアップしたり、取り留めもない空っぽな感覚をコメントしたりしている。読むのが阿保らしく思えてくる。でも、知り合いだからぽちっと押す。悪いから・・・・そんな事を思う、もういいやぁ!などと最近思ってしまっている。そう、僕も最初の頃はそうだった。直に触れ合うことのない友達へ、関心を惹くように書き込んだりしていた。「いいね」が欲しいばかりに・・・・このサインを貰うと、「僕に関心を持ってくれているのだ。僕の書き込みを待っていてくれてるんだ」だから、四六時中ネタを探してたりしていた。ふと、今の自分を振り返ってみれば・・・「なんだかメンドクサイなぁ。また書き込んじ...孤独のまま群れあうことが愚かな行動を生み出しているのか・・・・
午後から雨は中途半端にふり、夜半過ぎに本格的になった。中途半端が嫌いなわけではない。白か黒かはっきりしなくては生きて行けないわけじゃないしね。感染症騒ぎも一段落し、新しい生活を始めろと世間は叫び始めた。しかも、その生活と言うのが関西のお笑いタレントのネタのようだ。マスクをして掌の皮が擦り剝けるまで洗い他人と濃密接触をしないこと・・・・その他諸々となれば、もはや声を出して笑うしかないではないか。おまけに、“不要不急”などと正義の御旗をかざし始めたから始末に負えない。だからというわけじゃない。「要」と「急」について思いふけってしまった。特に「要」。そう、今までだって、何故働くのか?そんな馬鹿みたいな質問を投げかけ続けられ、自分自身にも問いかけ、暮らしを維持する為に必要な金を稼ぐためだし、労働に不条理はつきものだ。そ...生きること、それ自体が不要不急なのだろう。
矢上川の土手を散歩するのが日課になってしまって、感染症のお陰でのんびりとした日々を過ごしている。これでいいのだろうか?と、思えるほどにだ。余りにも時の流れと世間の移り変わりに敏感でありすぎた。両隣の人々の顔色を窺いすぎてしまっていた2か月前とは大違いだ。長閑な日常を退屈な日々と固定してしまうのは危険な状況の前触れ。始まりがあれば終わりはやってくるわけで、終わりは誰の所為でもなく、吹き荒れる風の所為なのだ。いままで、僕の周辺の人々の本当の気持ちも少し理解できてしまうことも喜びの一つなんだろう。それは、その人を好きとか嫌いとか、そんなことではなく、ただ、そう思うのだ。そんな思いを心に書き留めておくだけなのだ。そんなことで、今の今を過ごして少しばかりの未来を見つめて生きていく。大切なものは一体何?そんなバカげたことに...芝居のフィナーレのような桜の花びらが舞っていた・・・・
もはや、曖昧で猥褻な国など信頼するに価せず、自らの身は自らの努力で守るしかないわけで、家族があれば家族のリーダーとしての役割を言い聞かせて行動するしかないのだ。至極、当たり前の話だ。溢れかえる情報を自らの脳髄で処理し行動に移す。それを繰り返すことで学習しながらも自らの感覚を信じて身を守る。老人ならでは能力を存分に発揮すればよいだけではないのか。“ぼっち”を恐れてばかりいては埒があかない。人は生まれてきた時も死ぬ時も“ぼっち”なのだ。そして必ず死ぬ。不条理もまた必然なのだ。人間のすることなのだから間違うのは当たり前。あるがままに頭のなかのホワイトボードに書き殴っておけばよい。誰それが、そう言っていた。書いていた。と。そして、合理的に効率の良い方法で利益を得る。そんな考え方は誰も幸せにしないことが判明したのだ。経済...孤独は夢が支えている。夢は孤独が支えている。
騒がしい世間に背を向けているわけではないが、どこか馴染みが希薄になってしまっている。
コロナウィルス蔓延し始めているとか、そのために東京オリンピックが延期になったとか・・・・吹く風がよそよそしく、僕の身近で吹いていると思えなくなってしまっている。感染症は恐ろしい。でも、恐ろしいのは人間で病原菌ではない。そんな気がするだけだ。ウィルスだって生きている。人間が増殖するように、ウイルスも繁殖しまくる。想像を絶するスピードで。彼らの生きるスピードは人智を超えて宇宙空間へだって行ってしまう。人々はウィルスそのものよりもウィルスに感染した人間を忌み嫌う。それも半端じゃなく、感染者を排除し悪魔のように嫌う。それは単に恐怖心からなのだろう。けれども邪悪な心で感染者を観るまなざしには弱さを隠す卑怯者の犬のようだ。怯える犬は狂暴で、なり振りかまわず吠え、噛みつく。抜けるような青い空が広がっていようがお構いなし。普通...騒がしい世間に背を向けているわけではないが、どこか馴染みが希薄になってしまっている。
ミステリーと映画とギターと歌があれば生きていける。そんな思いを胸に深夜バスに乗り込んだのは二十歳の時だった。5月になったばかり京都駅は午後10時。乗り込んだバスの中は、ひと息で生暖かくて息苦しかった。理由もなくウキウキした気持ちを今でも覚えている。一人暮らしをする不安は全くと言っていいぐらいなくて、その割には体が少しだけ震えていた。武者震い。そんな言葉を吐きだすように深夜バスは走り出した。今と違ってそのころの京都、東京間の深夜バスはごく普通の観光バスで座席は二人席だったのを覚えている。東京駅の八重洲口へ着くまで一睡もできなかった。あれから48年がたった。ごく普通のサラリーマンで過ごした僕はとりたてて良かったと思うこともなく勤め人の生活が8年前に終わった。そして半年はきままに暮らし、以前の職場の先輩に誘われろ、く...やっと手に入れた自由をまた手放してしまいそうだ・・・
以前の会社で社長をしていた。ほんの3年ほどだけだった。新事務所に引っ越すとメールがやってきて、私物処理のために神保町まで出かけた。天気予報は外れてばかりいたので傘は持たなかった。テレビの天気予報士の服のセンスがあまりに悪いので信用していない。天気の所為ではないけれど、彼に会うのは避けたかった。先月、別れ際の言葉が胸に引っかかっていて返答しなくてはならない。どう返事をすれば縁を切ることができるだろうか?噓をつくのは苦手だし、ましてや喧嘩をする気力もない。しかし、不思議なもので愛がなくなると想像力は低下してしまうらしい。鶏の頭脳のように三歩で記憶は遠のくのだ。そして、僕の想像も働かなくなり、準備していた返答の言葉も永島茂雄の初打席のように豪快に空振りとなった。まだまだ、未練たらしい言葉を吐かれることを想像していたこ...愛情がなくなると第6感は働かない
一年ぶりだろうか?彼らと飲むのは・・・そんなことを考えながら日比谷から人形町までの道を歩いた。晴海通りを東銀座へ向かい、昭和通りまで出て、日本橋の方向へ歩いた。昭和通りはあまり好きではないので裏道を歩いた。十数年前とは風景が変わっていて、ドギマギしてしまった。迷い犬のような気分で永代通りまでたどり着いてスマホの地図を見た。小雨が降りだして、少し寒かったけれどかまわずに歩いた。人形町の交差点についたのは午後の6時15分。約束の時間には十分すぎるな・・・と思いながら僕が指定した店を探しながら路地を歩き回った。5分も経たぬうちに店が見つかってしまった。彼らに会うのが嫌ではなかった。でも、なんだか気まずかった。一年という時の流れは人との関係を見直す僕なりの考をまとめる時間だった。彼らの事、忘れていたわけではない。ただ、...懐かしさはどこまでも続けられるのだろうか
マイナス2C゜の痛みを知っていれば猫の微笑みを見ることができる。
確かに異常な気候なのだと思う。暖かい日差しと鉛の重さを感じる曇り空を切り返す日々。太陽のやさしさを思い知るには格好な気候だというしかない。朝からBLUSのレコードなんか聴いてどうするのだ。落ち込む気分な時には心底落ち込むに限る。でないと明るい気分の良さを感じなくなってしまうからだ。「アイリッシュマン」を昨日、観た。ここの所、2週間ばかりは3日にあげづ映画館へ通っている。朝、目覚めて映画COMにアクセスして、観る映画を物色。解説は読まない。読むとろくでもない感性が働き下らない映画を観てしまう。ろくでもない感性は僕の自由を不自由さに変えてしまう。それは、何処にも行けそうにないと感じてしまう渡り鳥みたいだ。アメリカという国の歴史を知りたいわけでもないし、特にダークサイドのアメリカの成り立ちを知りたいわけでもない。マー...マイナス2C゜の痛みを知っていれば猫の微笑みを見ることができる。
眠りに落ちる瞬間に幸福感が訪れるのは、もう死んでもいいということなのだろう。
梅雨のような1月が終わった。朝、7時30分。ベッドから起き上がる。何もすることがない1日の始まりは15歳になる前の子供のように美しく逞しい。しばらくの間こんな朝を迎えたことはなかった。不安という電車は時間どおりにやってきて、その電車に乗り込むことに躊躇はなかった。いずれにしても自らが選んだ暮らしぶりだったし、他人にせがまれていやいや繰り返した日々ではなかった。でも、ポケットに詰め込んだままの札束が邪魔だった。クロスロードはどんな場所にもあって、迷いなくいきたい方向とは逆の方向を選択してきた。どうしてなのかはいまだにわからない。ただ、迷う前に体が自らの意思に反して動き始めるのだった。もう、あれから8年の時が流れた。僕は相変わらず、誰かのためなのだと自分に言い聞かせて、この道を歩いてきた。でも、時々はムカついたりし...眠りに落ちる瞬間に幸福感が訪れるのは、もう死んでもいいということなのだろう。
ひと仕事終えて剥製師が内蔵を見事に取り除き一息付いているような気分だった。電車の窓からは暗闇しか見えないけれど気分を落ち着けるには程よい暗さだった。何事も起こらない日々よりは面倒でも刺激的な毎日がいいなんて言う奴らは木下サーカスのピエロのように下品な笑いで人生を誤魔化している。猫は見ず知らず家の窓で僕を見下ろすだけで微笑まない。でも、今夜の僕は6時間の手術を終えた外科医の気分。患者の容態など構うものか。生き続ける奴は生き続ける。手術などしないのだ。とにかく満足した顔をした僕を誰かが嘲笑っても怒りは沸き上がらない。不思議な気分。人に嫌われることばかり気にしていたって何も終わらないし始まりもしないのだ。昔誰かが言った。あんたがどれだけがんばってやったことだって、アンタの悪口は言うのよ。そんな奴のことばっかり聞いて...暁までは時間がある。睡魔はやって来ない。
なんでもそうだけれど、引き際が肝心。7年働いた。重篤疾患に悩まされて、人間関係に煩わされ、幸せ感など微塵もありはしなかった。毎日、行く場所があると言うことは幸せなことなんだよ。そんな戯言に騙されるフリをしていた。それが心地よかった。確かにそうなんだ。なにかれなしに周りに気を使って日々過ごすのは優越感に浸れるからね。他人を利用して至福の時を過ごそうなんて、なんともはや傲慢で優しさの押売員のようだ。そんな事にやっと気がついた。歳を重ねる度に自分の思い描く人間になり損ねて行く。ほとほとアイソが尽きて辞めた。さて、何をするかな?何をすれば僕は喜ぶのかな?雨が降り止むまで考えよう。先月で会社を辞めた。
ほぼほぼ1年を費やした。ライブが終わった。出演バンドを検討し話を繰り返しして、つべこべと言い合い、自問自答と説得と食い違いの修正。ライブスタッフとのPAと照明と進行スケジュールのすったもんだ。意見の食い違い。誤解の解凍。すべては自分の思い通りにするための膨大な時間の消費。バンドのセットリストの検討とリハーサル。他の2バンドの個性を活かせるシーンの創生。何よりもモチベーションを高めるためのコミュニケーション。MCネタの取材と原稿起こし。どれもこれもが面倒なことばかり。ストレスが溜り、苛立ちを鎮めるための飲酒。それの一つ一つを誰にも悟られてはならない。そんなことを多くの失敗を重ねて自らの体に染み込ませた。どんなシーンに出くわしたとしても身体が自然に動かなければ理解していることにはならない。頭で考えてはいけない。だっ...終わりは始まり。そんなに大したことでもなく・・・
12歳の時、バンドを組んだ。フラメンコギターが好きでベロベロ一人で弾いていたら中学の女教師に声をかけられた。文化祭で弾きなさいよ。とても嫌だった。でもその女の先生は思いの外粘り強く演奏する羽目に陥った。一人じゃ嫌だと駄々をこねて仲間を、集めた。何人が舞台に上がったのかは覚えていない。結果は惨澹たるもので、誰も聴きになんか来なかったんだ。酷く落ち込んだのは確かだった。僕はどうでもよかったのだが誘った友達のひとりがかわいそうだった。彼が一番うまかったからなんだ。暫くは口もきいてもらえなかった。そういえば彼もこの世にはいない。天才は若死するのが世の常だ。三十前半ぐらいで死ぬのがちょうどいい。美しく思い出として記憶に残ってしまうからね。60歳も過ぎて死ぬと、醜さしか残らない。周りの人たちの頭の中にはね。そう、ライブの話...ライブをヤル訳なんてないんだが
長い闘病だったようだ。ここ2、3年は音信不通にしてしまった。原因などはもう覚えていない。気に触る事が多々あって、煩わしかったのを覚えている。振り返っれば大したことではなかったような気がしてくる。若かった。だから気持ちがすれ違ってばかりいた。右と言えば左と言う。会話は苛立ちを隠せぬ程に積み重なり、己を見失っしまってばかり…。それが永遠に続いていた。一緒にいても楽しい気分になれずじまい。しかし、そんな間柄も死んでしまえば後悔ばかり、先に立つ。哀しみはない。が、少しの寂しさは隠しようがない。涙は流れぬが、胸には空洞が生まれてしまった。さて、これからどう生きていこうか。彼女が死んだ。
ラグビーは下手すりゃ死人が出ちゃう。そんな野蛮なスポーツなのだ。どちらに転がるかわからない楕円形ボールを奪いあいながらの陣取りゲーム。勝負は時の運。だから戦いが終われば恨みっこ無しで…でも、そんな綺麗ごとなどない。相手を潰さなくてはボールは奪えないし、守れない。アイルランドに勝てるなんて思わないし、ひょっとしたら…そんな事も思わない。見たいテレビ番組なんてなかった。だから見たと言う人が僕の周りに山ほどいた。俄かファンが悪わけではない。人が殺し合うのを見るのが好きなのだ。過去が証明している。傷つき疲れ果てた選手に勝者の冠は輝くけれど一瞬の輝きに過ぎない。明日は約束などされてはいない。戦いはまだまだこれからなんだ。柔軟な筋肉と俊敏な頭脳。そして強靭な心を持つ者。何よりも運の流れを掴み取る嗅覚さえあれば勝つだけなのだ...誰もが勝つなんて思っていなかったんだ。
いつだって誰かの為とか言いながらやらずいたことが多かった気がしてきた。やりたい事があった。なのにやらずにいた。それは、ホントにやりたい事じゃないんだ。そんなザレごとを周りの人たちが鬼の首を取ったように言う。人は幸せそうな奴を見ると腹を立て怒り出すのだ。不幸せな人を見ると同情心が芽生えて僕は大丈夫だと安心したりしてる。哀れな話しなのかもしれない。抜けるような青空はヤル気を起こさせたりもするけれど大概は全身の力を抜くように存在している。身体のあちこちにに力瘤ができると軽やかさがなくなる。つまるところ、力み過ぎて身体の動きが止まってしまうのだ。そして心まで力が入ってしまって動けなくなる。回遊魚のようにはなりたくはない。でも、身体が動かなくなるのは耐えがたい。感動するしなやかさは筋肉の柔らかさに繋がっていてシンプルさを...自分でやりたいことをヤル!てことはどう言うことなのか?
60歳を迎えて退職をした。半年を今までの取り返しの付かない多くの事柄に自分なりの決着を付けることに時間を費やした。しかし、付けられずに今に至るグズっている。それは人の縁という奴だ。踏ん切りがつかない。会って話す度に長引く。いつものように、まぁいいか!そんな呟きが僕の頭の中で渦くのだ。しかし、それも限界が近づいた。昔の東映の任侠映画の主人公のように行動しない奴もいるということだ。己の義理を果たすために周りの人間を巻き込まない。そんな心意気。だから、高倉健はたった一人でドスを抜こうとする。そこに、池部良が助太刀に入る。たった一人で立ち向かおうとする姿があっる。だから、助けに入る。そんな人の心を知りもせず、助太刀を前提に行動を思考する者がいる。泣き言は言うまい。諦めるにも勇気が必要なのだ。人の力を借りるということ。それはそれで勇気がいる。
先日、BSで軍艦島についてのドキュメンター見た。坑道の中の温度が35度を超える。そんな劣悪な中での石炭採掘作業は人の命をどれだけ奪ったのだろうか?そんな想像をしたばかりだった。だから今日、この蒸し暑さに恐怖を覚えてしまった。それに閉所恐怖症が重なり合えば、それこそ発狂するに違いない。冷房以外の涼しさが必要だ。人は誰しもストレスを抱え込み、それが生きることなのだと勘違いしている。我慢は病の温床。冷気は正気を取り戻す。とはいうものの、寒すぎるのも暑すぎるのも嫌なだけだ。最近は身近な人たちに言われる。「短気になったね?」で言い返す。「15歳過ぎからず~と、短気だよ。」周りの人たちを想像以上に僕のことに関心を持ってはいないのだ。そんな想像は自分自身の心の在り方に自然さを呼び込みリラックス感を与えてくれているのかもしれな...なんという蒸し暑さだ。
見上げても青空はなくて、ただどんよりと雨雲が広がっている。風はなく腕に湿った空気が絡みついて身体を重くさせている。僕はいつもより30分ほど早く起きて仕事場へ向かう。電車の中には僕と同じようにスマホ片手に忙しげで昨日の出来事を確認して安心し切った顔が溢れてる。何事もなかったことに安心する日々は退屈さ宝庫。そう、宝物の山。ハラハラドキドキは身体に悪いとばかり緩んだ心が正義なのだ。無知であることが普通になってしまったんだ。そして、正義をかざし、普通じゃない意見を吐く者を責め立てる。狭い部屋に集団で過ごす時間が多くなればなるほどに正義は威力を増す。支配したい者と支配されたい者は似た者同士で仲良くやればいいんだ。でも、僕のことは放っておいて欲しい。頼むから…夏が終わろうとして足掻いている…かのようだ。
真夏の軍楽隊。そんな暑さだ。おまけに、相方の体調は悪い方向へと限りなく近づいていて、最悪のケースが真近い。だから、と言う訳ではないが、車を北に向けた。行先は、5年前に行ったことのある宿。真夏にも関わらず、食堂には暖炉があって夕食時には薪をくべる。あの時もそうだった。明々と暖炉で燃え盛る炎は行動するには歳を摂り過ぎていて周りの人間の邪魔をするだけだ。“大切なことは・・・やれるけれど、敢えてやらないこと”そんな言葉が宙に舞っていた。もはや、誰かに勝とうなどと思わないが、負けるのは悔しい。男らしさとか女らしさとか、この「らしさ」に惑わされてはならない。現実は老いている。ただただそんな惨めな姿を認めたくないだけなのだ。諦めではなく、認めるのだ。自分の弱さに立ち向かうのではなく、弱い自分も自分自身なのだ・・・そんな簡単な...疲れたら旅に出る。そんなことを昔、書いたような・・・・
仕事場にいかなくなってしまった。意味はなくはない。しかし、これなんだよ!と言う理由はない。ただ、足が向かない。同じことの繰り返しが嫌な訳でもない。ただひたすら面倒くさいだけなんだろう。人と人との縁は大切になさいよ!口を揃えて誰もが言う。そんなこたぁねぇよ。と、心が呟く。そんな声に静かに従っている。それだけなのだ。寂しくないの?君はそう言う。大きなお世話だ!僕は怒ったように言う。またもや傷つけてしまったようだ。期待に胸を膨らませて待っていてもいいことは皆無だ。期待に応えなくてはならないそんな義務はないはずなんだが…。雨が上がって空を見上げて、歩き出す。
日照時間が昨年に比べてて異常に少ないらしい。気分は最悪。と、書きたいところだ。でも、気分は悪くない。窓から雨を眺めていると、落ち着くんだ。血液も、沸騰しそうな昨年の今頃と比べたら最高。何かと比べて、いい、とか、悪いとか、そんなことは言いたくない。黄色のゴムの長靴を自慢げに履いた子供が水溜りで雨を蹴り上げたりして、転ばぬように心ひそかに祈ったりする。それも、雨降りがなければできない。嫌な事ばかりじゃないんだし。かと言って楽しい事ばかりでもない。ほどほどに幸せ?なんてことはまして皆無だ。だから、この雨を褒めてやれよ。いつでも何処かで誰かが幸せを感じたりしてるのだから。雨は友だち。
過ぎ去ったことなどどうでもいいんだけれど、片隅に、頭や心の中に追いやってしまったことへの仕返しなのか、僕を責め始めている。舗装もされていない道。疎らに、不規則に建つ木造家屋。電信柱の中程に不安げに灯る電球。真冬でもなさそうなのに外套を羽織る中年の男。紛れもなく僕の父だとは分かる。僕に近づいて来る。しかし、待てど暮せど側には到着しないんだ。話しかけているのは分かるけれど聞こえないんだ。ただ、少し怒っていることは伝わってくる。でも、何を怒っているのかが分からない。苛立ちは、いつだってすぐ伝わる。僕も歳を、とったのだ。脚が遅くなり、階段を登ると3、4段目で息が上がる。いや、肉体的なことだけではない。気がつかぬうちに、腹がたってしまう。意のままに動かぬ身体や心。コントロール制御不能。感情が露わになるのは恥ずべきなのだ。...過ぎてしまったはずのことばかりが脳裏をよぎり始めるのは…
眠りなど欲しくはない。できればズーと起きていたい。別にやるコトが多いからではないのだ。ただ、いつまでも君を見つめていたいからなんだ。四六時中見つめていたいんだ。とびきりの笑顔を持ち合わせているわけでもない。誰もが振り返ってしまうほどの美しさなどありはしない。でも、どんな時でも僕を見ていてくれるからなんだろう。だからといって大好きでもないんだ。とてもウザくて、憎まれ口を叩いて追い払う事もしばしばで、口を聞きたくない時も星の数だけあるのにだ…なのにだ。見つめていたい。ただ、ただ見つめていたいんだ。穴のあくほどにだ。 夢が思い出せなくなっている。そんなつまらないコトに気付いて
jazzが若者の特権意識の先頭を走っていた。暗いジャズ喫茶の片隅で貧乏揺りでリズムをとる振りをしていたけれど、遅いテンポだと合わなくなる。帳尻を合わせる為には困惑した振りで貧乏揺すりをやめなくてならない。でも、リズムが余ってしまったことの戸惑を気付かれないようにしなくてはならなかった。そんな薄いプライドと狭量な感性の中でビル・エバンスのピアノは最も合わせにくく美しい旋律に圧倒されてしまった僕はこれはjazzではない。と、突き放すことで友人たちから優位性を示そうとしていた。全く呆けた話しだ。「ビル・エヴァス。タイム、リメンバード」を観た。彼の51年間を親類縁者、バンドメンバーなどが彼についての良き話しをする映画だった。悪口はほとんどない。口を揃えて褒め倒すのだ。しかし、実態は良い事柄だけではないはず。そんな思いを...ビル・エバンスのピアノが聴こえてたあの頃は…
自己満足の極みと誰もが口をそろえる。カサブランカのニックの事だ。単なるお人よしの男にしては骨が在りすぎるし、人の話などハナから聞くつもりもない。頑固者。愛する女のために、敢えて危険にその身を晒す。なぜか、損得で勘定すれば結論は火を見るより明らかだ。映画の事だから、物語になりやすいのだろう。愛する女を幸せにするために勝算の低い戦いに臨む男。この映画が作られた時代では、自己犠牲が町の駄菓子屋で買えた。ここまでは、映画のネタとしてはよくある話。しかし、愛する女が他の男を愛していると知りながら敢えて危険を冒す・・・・更には、他の男を愛していると思っていたが、そうではなく自分を愛している。そんなことが判ってしまったら、普通ならハッピーエンドで終らなくてはならない。このカサブランカは、そうではないのだ。誰だって人にバカと呼...愛する女のために危険を冒す男はバカなのだろうか・・・
時の流れの中では感じない事も過ぎてしまえば後悔ばかりが胸を苦しくする。それは老いた所為ではない。反省し償いは、幾つになったって悔やむことを実感したときから始めるに限る。過ぎてしまったことと諦めてはならない。取り返しの就かぬことばかりの生き方だったとしてもだ・・・・遠い山並みを見つめて呆然と案山子のように、佇む自分の姿を思い浮かべて見ればいい。これから健やか眠りに誘われることはないのだから。暗くて黒い眠りはごめんだ。しかし、あの頃には戻りようがない。言い訳を百億個も思いついたとしても居心地の良い場所など見つけられはしないだろう。「運び屋」を観て、つくづく感じてしまった。何もしなくても時は経過し、人は壊れていく。肉体はぼろ屑のように風にたなびくし、鏡に映る己の姿は信じようもないくらいの別人なのだから。そんな姿を信じ...少年老い易く・・・とはよく言ったものだが
ただひたすら虚しいだけ…と思い詰めたところでどうなるわけでもあるまい。
平穏な時を過ごして終わりの時が来るなどと思いはしない。意のままに時を重ねながら生きて行ける程、器用でもない。遠くに霞む山の緑が恋しくなっても春はまだ遠く、山並みには白いカーテンが垂れ下がり、草原はブラウンに澱んでる。遠くの方で鶯の啼く声を聞いたような気がしも空耳としか思えなくてハンドルをにぎる手にもチカラが入らない。 さあ、さて何処に行こう。思い倦ねる僕はアクセルを踏み込む。メルセデスのエンジンは振動を心地良く僕の身体を揺さぶり、やる気を出させてくれる。 フロントガラスには枯葉が溜まっていたけれど、お構いなしにクルマを発車させた。 老いを簡単に受け入れてはいけない。身体の節々の軋む音がしても、やるべき事はやらなくてはならない。惰性だけで生きてはいけない。ましてや過去のつまらない躓きに心を曇らせたり、早く忘れてし...ただひたすら虚しいだけ…と思い詰めたところでどうなるわけでもあるまい。
そう言えば…と思い出す事ばかりが頭の中でグルグル廻り始めていた。別れを切り出すことはほとんどなかった。付き合いの長さに関係なく、自然消滅が成り行き任せと言う言葉に変換され、それが彼女たちにとっても最良の事だと考えていた。連絡をしなくなれば、連絡を取らなければ忘れてしまい、次のステージへ向かうとかんがえていた。間違いだと気付いていながらもそんな行動をあからさまにしていた。結果的にそれでも良かった。今となっては…。決着をつけてしまえば思い出にもならない。そんな風にしか彼女たちとの関係を、風に舞う木の葉のように思い浮かべて一人で寂しさに耐えようと決めていたようだ。ようだった。なんてふざけた生き方をしていたんだろう。 柔らか過ぎるベッドに横たわりなが思いを巡らしていた。突然。部屋の電話機が鳴った。「もしもし」「小枝です...置き去りにした人へ今更なにをすれば良いのだろう。
会話の相手が何を考えているのか大凡の検討がつく。そんなときがあるものだ。考えている何かの確信を掴むためにカマをかけた質問をしたりする。下卑た考えだ。率直であるがゆえに、相手を傷つけてしまう。それを恐れ、何も聞かずに妄想のなかに浸る。そしてその妄想の中身としてはほとんどがネガティブなことだらけなのだ。ネガティブな妄想は不安となり、疑問符と言うよりは断定的な言葉で相手を追い詰めていく。「あなたは僕を利用しているだけなんだ・・・」とか「幸せなことはあちらで過ごし、僕とは辛い事柄の話ばかり・・・」まあ、そんな具合に会話は弾むこともなく、相手は「そうです!それがどうかして・・・」そんな言葉のやり取りが際限もなく続く。想像以上の辛い途切れっぱなしの会話。沈黙に意味が見いだせたりするのは、相手との息がピタリ!と会っている時に...こころの底に何が潜んでいるのか?誰にもわからない。
彼女のうなじからから柑橘系の香水の香りしてきて思わずむせ返りそうになった。明日は秋の香りを一杯に胸にため込みながら国道を走り切ろうと決めていたのにこのむせ返るような香りが僕の下半身を刺激し始めた。身体が意のままにならない。後ろを振り返れば般若面がニャリ!前を見つめれば腰をかがめた白髪の老婆が僕の右手を握りしめ、信じられない強さで僕を手繰り寄せようとしている。急に喉が渇き始めて我に返った。小枝さんは気づく素振りもなく僕に微笑みかけながら「この雑木林には小動物が隠れているようですね。私はさっき、狸のつがいを見ましたのよ。」16歳の少女のように話しかけてきた。「そう、僕も見ました。仲がよさそうだった。」僕の声は少し上ずっていたのかもしれない。テーブルにデザートのココナッツアイスクリームが運ばれてきてまるでそれは僕たち...旅する気持ちは遠い昔へ向かっているようなものなんだ。
少し緊張して僕は彼女に言った。「もしよければこちらのテーブルでご一緒しませんか?」「…。」「迷惑だったかな?」無言で彼女は立ち上がっり、僕を見もせずに僕の席へ歩き席についた。彼女の手にはナプキンがしっかり握りしめられていた。その振る舞いがなぜか微笑ましかった。そして僕を上目遣いで睨み付けながら言った。「皆上小枝です。あなたは…?」「沢木勉です。」やけに大きな声だった。周りの客が揃ってこちらを向いた。僕は少しだけど動揺してしまった。彼女な左に顔を向け窓の外の雑木林を見ていた。「お一人様ですか?」「そうです。」「部屋は隣でしたよね」「そうです。」とりつく暇がなかった。「どちらから?」「神戸から来ました。」関西弁ではなかった。「そう、随分遠くからですね…。」「そうでもないです。クルマの運転が好きなんです。」給仕が慌て...そして月の光はオレンジ色に変わっていった。
僕が彼女と会ったのは、そう、もう30年も前のことだ。その頃僕は銀座一丁目にあるとても小さな広告代理店に勤めていた。コピーライター養成講座で紹介された会社に3年務めた後、この会社へ移った。制作部勤めをして3年過ぎても特にコピーライターとして力が蓄えられたわけでなくて、ただの使いっ走りでしかなかった。さて、どうやって生きてい行けばいいのか?そんな大仰な考えもなく、ただただ一日が楽しかった。というより一人暮らしに慣れ、給与の使い方にも慣れ、普通に生活するだけのテクニックをある程度習得してしまっていたのだろう。既に結婚をしてしまっていた。だからというわけではないが生活はラクな方向に進んでいたんだ。あの頃の事を思い返してみたところで今が変わる訳じゃない。「そんな事は分かっている。」そんな言葉が頭の中をグルグル回っていた。...振り返る事は時として人を励ますこともあるのだろう・・・・
前菜を食べるフォークが使いにくかった。握ぎったところが悪かったのか真っ平らではなく盛り上がっていたからだ。このフォークを作った職人の心意気があらぬ視点を見つめていたのだろうか?多分、頑張りすぎたんだ。このフォークナイフを購入した店のセンスに問題があるだけなんだ。しかし、地元の野菜なのか美味しいと思った。しかし、気になったのは料理ではなく視線。脊髄麻酔を打たれた時のような重い痛みだった。振り返って微笑む勇気はなかった。話しをする相手がいない食事ほど退屈な事はない。でも、そんな退屈さが必要な時だってあるわけで流されっぱなしの自分を憐れみ、その姿を天井板の節穴から覗くもうひとりの自分。そんな存在を感じていた。そして、そんなふたりの自分を俯瞰的に眺める女の存在を感じて僕は少し狼狽えていた。窓の外に目をやると四つの光が見...雑木林には死体が埋まっている。
部屋のある建物を出たら月が出ていた。優しげで、妖しげな光りを放っていて、僕は暫くその月を見ていた。なんだか身体が浮いている様な気がして足下を見た。僅か数センチだけれど、確かに浮いている。ホテルのロビーへの道を身体が浮いたまま歩いた。とても気分が軽かった。食堂はロビーを横切った奥にあった。六角形をしている食堂だった。中央にはサーブする為のスペースがあって給仕が六方向にテキパキ動いていた。案内された席は窓際。窓の外はあの妖しげな雑木林。随所にライトが置かれている。なんだか京都の寺のライトアップショーを見てるみたいで、急に落ち着かなくなった。チーフらしき初老の男が近づいてきてテーブルの蝋燭に火を灯しながら夕食のメニューを説明して始めいくつかの選択メニューの確認をした。僕は相変わらず適当に返答をしただけで不機嫌そうに見...外は暗闇。ホントの闇だったんだ。
僕がここにやってきたのには理由があるようでない。二年前に患い、医者が気がつかない後遺症を抱えていたからだった。どうもヤル気が起こらないのだ。まあ、誰にでもある。しかし、病気だと気がついてしまった。それは全てのことに興味がなくなってしまったこと。欲望がなくなってしまったかのようだ。食欲、性欲、金銭欲、名誉欲、物欲…。食べるにも何を食べるかなど考えるのがイヤだし、お腹が空かなくても食べるし空いても食べる。女に至ってはまるで抱きしめたい欲求はなくなってしまった。ましてやどんな人間なのかと知りたいと思わない。全てに煩わしさが先行してしまう。無気力に近い状態が数週間続いた。自ら死を選ぶことですら面倒くさい。生きる価値が見当たらないし、そんな自分からも逃げ出さなくなってしまった。とは言って何かを見つけたいがために旅に出た訳...夏になる前、そうもう二年もまえの事が…
少し微睡んだようだ。ピンポン!この部屋のドアベルが鳴ったような気がした。僕は重い体を引きずりベッドから身を起こしてドアの覗き見から外を見た。髪をブラウンに染めた女の顔が見えた。このホテルの従業員には見えなかった。ドア越しに僕は声を掛けた。「どなたな?」「隣の部屋の者です。」「何かありましたか?」「いえ、あの、音が…」そう答えて無言になった。ドアチェーンを掛けたままドアを少し開けた。「特に音楽もかけていないし壁を叩いたりはしてませんが…煩いのですか?」「いえ、その…人の話し声が、この部屋から聞こえたような気がしまして。少し静かにならないでしょうか。」「いや、この部屋には僕、ひとりで泊っておりますが。確認されます?」「いえそれには及びません。失礼しました。」外し掛けたドアチェーンを元に戻し、ドアのロックを下ろした。...秋はいつ始まったのかわからないようにしているに違いない。
予約の部屋はホテルのロビーから一旦外に出た建物の中にあった。雨がパラつきはじめたので傘をさし掛けてくれた。母屋の裏にあたる位置にその建物はあった。コンクリートの打ちっ放しの様な味も足下もなかった。部屋はその建物に入って右側。ドアがやたらと重かった。右側にクローゼットがあり正面が浴室で湯船は円形。ジャグジー孔があってゆったりと風呂に漬かれそうだった。浴室の右側が寝室で二十畳ほどのスペースがあった。窓の外では雨音が激しくなってきた。夕食の時間を7時と伝えて案内係を追い出し風呂に浸かる準備を始めた僕はお湯がバスタブに溜まるまでの時間ベッドに横になってしまった。それが間違いだった。窓に雨があたる音が激しく女の啜り泣く声を聞き逃してしまった。まるでこの世の果てに来たような気分だけれど…。
人の思いは時を経て通じることもあれば通じぬことまあるわけで…
このホテルに着いたのは午後の四時を回っていた。鬱蒼と茂った唐松の林のなかにそのホテルはあった。予約する時、少し躊躇した。ネット紹介の写真には随分と騙されてきたし食い物屋の料理見本と同じだ。しかしトライアルしなければ新しい発見にならない。そのホテルの佇まいは悪くはなかった。正面玄関は中央で両サイドに食堂と客室がある。そんな感じで建物のつくりはスイスの観光地によくあるパターンだった。駐車場は表玄関の手前の脇道を入ったところにあった。すでに二台のボルボCX60が止まっていた。なんだか恥ずかしい気分だった。今夜の客層が頭に浮かんできた。バックで駐車スペースに止めるのに手間取りあたふたしているとホテルの支配人らしき男が近づき声を掛けてきて「○○様でいらっしゃいますか?」「そうです。お世話になります。」そう答えてトランクか...人の思いは時を経て通じることもあれば通じぬことまあるわけで…
急ぐ旅ではなかった。安曇野への道はなだらかなカーブが続き、稲なのかわからないが刈り取りが終わった田んぼは金色一色。紅葉が始まっていたけれど完璧ではなく見すぼらしい。カーナビを頼りに蕎麦屋を探した。カーナビは便利。しかし、道を記憶にとどめなくなり帰り道がわからなくなる。無精者の僕にはもってこいの機械なのだ。やっとたどり着いた蕎麦屋には行列が出来ていてほぼ一時間待った。多くの人たちは文句も言わずひたすら待つ。これほどまでに待たされたのだから…美味い蕎麦が食べられる。勝ってな思い込みはいつだて裏切られるんだ。出された蕎麦には香りが無かった。山菜と海老の天ぷらは限りなく硬く草加煎餅のようだった。待つ客と帰る客の顔色を眺めて僕は不躾ながら愉快な気分になった。観光ガイドブックに掲載された食い物屋のダサさがそこにあった。あと...あの頃と変わらぬ景色。そして人々は…
長い時間をかけたわりには成果を生み出すことがなかった。自分自身の不甲斐なさが招いた結果だったし、何よりも真剣に取り組まなかったとしか言いようがない。なにもかも、年齢のせいにして逃げ抜けるのが一番いい。そして、僕は旅に出た。前から誘われていた従兄弟が暮らす金沢へ車を向けたんだ。照れ臭くて真っ直ぐに金沢へ行かずに白馬へ寄った。圏央道から中央道へ走り込み長野で降りた。諏訪湖で親しくまないけれど僕を慕ってくれた彼女の顔を見ようと思いを巡らした。しかしやめた。未練は未練でしかなくもう一度復活の空気を誘い込むほどの気力はなかった。そう言えば今まで無我夢中で惚れたおんなはいたんだろうか?いや、おんなに限らずのめり込むものなどあったんだろうか…そんな考えが繰り返し頭の中を駆け巡り運転を誤りそうになった。昨夜はよく眠れなかったこ...旅の終わりはいつだってありきたりで…
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