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和子の記録 フォト&俳句 https://blog.goo.ne.jp/katuraju

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログ

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2015/12/16

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  • 上野東照宮の冬牡丹 Ⅰ

    上野東照宮の参道内にあるぼたん苑が東照宮の牡丹園です。春のぼたん祭4月上旬~5月上旬・冬ぼたん1月1日~2月下旬までです。毎年楽しみに出かけています。今年は昨年より咲かせている場所も種類も多くなり展示の場所も広げたように思いました。何といっても海外からの観光客の多さにも驚きですがやはりロケーションの良さが人気の秘密でしょうか。小石川後楽園の梅と赤塚植物園の足元の小さな春の花を咲きにアップして冬牡丹のブログが後回しになりました。菰の中世界を覗く冬牡丹上野東照宮の冬牡丹Ⅰ

  • スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral) セツブンソウ、セリバオウレン他

    セリバオウレンフクジュソウセツブンソウコウヤボウキ赤塚植物園は、武蔵野の面影を色濃く残す赤塚の丘陵地を活用し、自然や植物がより身近なものとして親しむことができるような施設として1981年(昭和56年)10月に開園しました。赤塚植物園は本園、万葉・薬用園及び農業園の3つのエリアで構成されていて、約1haの敷地内に樹木見本園として多くの樹種が植えられ、その下には野草も可憐な花を咲かせています。万葉・薬用園には、万葉集に詠まれた植物や薬用植物が植えられていますとのことで、そのキャチフレーズにひかれて初めて行ってみました。初めて見るセリバオウレンは園内の一番奥の万葉、薬用園の木立の下に咲いていました。想像していたより小さなお花なのでびっくりしました。セツブンソウは入り口近くの野草の道で見つけました。静かな丘陵地に...スプリング・エフェメラル(Springephemeral)セツブンソウ、セリバオウレン他

  • 小石川後楽園の散策 白梅紅梅咲いて

    小石川後楽園は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房(よりふさ)が江戸の中屋敷(明暦の大火後に上屋敷となる)に築造し、2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園です。そろそろ早咲きの白梅紅梅が見ごろになった頃かと訪ねてみました。後楽園の駅から歩いて7~8分の所にあるので平日でも花見客は多かったです。暫くぶりで会った学生時代の旧友と散策しふくよかな香りを楽しむことが出来ました。日和得て咲き揃いたる令月の香小石川後楽園の散策白梅紅梅咲いて

  • 宝登山の蝋梅園に行って来ました。宝登山神社

    宝登山神社奥宮宝登山神社さびれた商店街を歩いて行く岩畳長瀞駅標高497メートルの宝登山山頂一帯(約15,000m2)に約3,000本のロウバイが広がり、毎年訪れる人々を魅了します。園内には『満月臘梅』や『福寿臘梅』、2023年に加わった新種『福禄寿』など5種類のロウバイが植栽されており、ロウバイの濃厚な甘い香りを漂わせます。晴れた日には、武甲山や両神山、秩父の町並みを一望できるという案内に誘われて行って来ました。その日は異常なほど寒かったのですが風もなく青空に映える蝋梅の花と香り、武甲山、両神山もみえました。5種類あるという蝋梅にはその名札がついていなくて不親切だなあと思ったことでした。長瀞駅からはシャトルバスでロープウェー下まで行き蝋梅の花めぐり、宝登山神社奥宮に参拝後はまたロープウェーで降りてから今度...宝登山の蝋梅園に行って来ました。宝登山神社

  • 自宅近くを散歩して

    午前中暖かい日を選んでお買物の前にいつもの散歩コースを歩くことがあります。牧場の早咲きの白梅はそろそろ満開近く、古民家の裏庭にある竹林の紅梅も満開近いのですが訪れて鑑賞する人はほとんど見かけません。知る人ぞ知る紅梅なのですが私はかれこれ20年近く前から成長を見守っている嬉しい樹です。蝋梅も2本ありこちらはピークを過ぎたでしょうか?足元の水仙が見ごろでしたね。牧場は2頭の仔馬がオーナーさんの趣味で買われていて休日の土、日しか放牧されません。満開の梅の木の下で草を食むスナップチャンスには今までも恵まれていません。いつの日かと願いつつ。亡き人の森の紅梅清らかに自宅近くを散歩して

  • 下田歴史の散歩道コース(旧町内)2時間コースを歩いて Ⅱ

    1854年にアメリカのペリー提督が下田に上陸し、日米和親条約を締結した歴史的な場所を記念する碑です天明年間より下田で造船を営んでいた澤村家の邸宅「なまこ壁」と「伊豆石」という、下田の特徴的な建築様式を用いた建造物です。旧下田ドッグ創業者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により下田市に寄贈されました。今は休憩所になり...長楽寺日露和親条約の調印、日米和親条約の批准書の交換が行われた場所で、弘治3年(1557)、尊有が開山江戸時代から「時の鐘」として下田港に停泊中の船舶や町民に親しまれていました。例外に漏れず、第二次大戦中に供出されました。現在の鐘楼と梵鐘は昭和51年に再建されたものです。ペリーロード日米下田条約締結の為に了仙寺まで行進したことから名付けられたペリーロード。どこか異国情緒あふれるレトロ...下田歴史の散歩道コース(旧町内)2時間コースを歩いてⅡ

  • 下田歴史の散歩道コース(旧町内)2時間コースを歩いて Ⅰ

    稲田寺浄土宗のお寺で15世紀に創建されたようです。このお寺の墓地には唐人お吉の恋人として知られる船大工の鶴吉のお墓があります。海善寺観応元年(1350)の開創で、下田領主の戸田忠次の居住した館の跡です。文久3年(1863年)暮れに、徳川14代将軍家茂が上洛する途中で強風に遭遇し、当寺にて年を越したと伝えられています宝福寺坂本龍馬が脱藩の罪を許された勝海舟と第15代土佐藩主山内容堂の「謁見の間」が現存お吉の菩提寺。本堂の右横に唐人お吉記念館吉田松陰投宿の地岡村家今は普通の民家嘉永7年3月27日、伊豆下田で吉田松陰が金子重輔(重之助)とともにペリー艦隊への密航を試みて、失敗しました。欠乏所は薪や水など最低限の物資を供給する場所として設置されましたが、条約の内容が曖昧だったため、様々な物資(実質的な貿易)が取り...下田歴史の散歩道コース(旧町内)2時間コースを歩いてⅠ

  • 菜の花畑 鴨川市郷土資料館 初代伊八彫り物

    2点は彫刻が見れましたここから下は展示会で写真で紹介していました。館山の城山公園を後にしてJR内房線からの車窓を楽しんで鴨川に向かいました。ローカル電車と言っても新しい綺麗な電車でⅠ時間に一本しかないので車内は日曜日とあってか思ったより混雑していました。13時ごろから降り出した小雨はあがりそうもなかったので次の目的地菜な畑ロードまでタクシーで行きました。一万坪の田圃一面に今年も菜の花が満開でまるで黄色のジュータンを敷いたようでした。長靴を借りて10本¥200の花摘みを体験しました。花軸が太いので10本抱えると重たいくらいでした。菜の花のいい香りが充満していて花摘みは心ウキウキ童心に帰った気分でしたね。花摘み後は小雨の中を歩いて駅に向かう途中にある鴨川郷土資料館にも寄りました鴨川の昔の生活などがしのばれる、...菜の花畑鴨川市郷土資料館初代伊八彫り物

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